تسجيل الدخول廊下のセンサーライトが消えていく。駐車場に一人立つ麗蘭は、夜風に吹かれ、寒さに身体を震わせた。階下へ降りた時の衝動や切なさ、後悔の念が、夜の闇の中で、ゆっくりと冷めていった。ふと、足の痛みを感じて、麗蘭はようやく我に返った。部屋の窓を見上げると、まるで整理のつかない彼女の心のように、真っ暗だった。彼女は振り返り、建物の入り口へ向かった。あの瞬間、麗蘭は時正が自分を愛し、長年にわたり、心から自分を大切に思い、守り続けてくれていたのだと、確信していた。しかし今、静寂に包まれた夜空の下、少しずつ理性が戻ってきた。そう、夜は人を感情的にさせる。あの写真も、彼が傍にいてくれたことも……彼が自分を愛してくれていたからなのだろうか?それとも、ただ単に――やはり彼は、父に命令された通りに任務をこなしていただけなのだろうか。麗蘭はエレベーターの壁にもたれ、そっと目を閉じた。父は言っていた、彼女を守れと。そして、時正は父に頭を下げて謝罪し、「いかなる処分も受ける」と言った。その時の彼は、依頼人に自分の失態を詫びているようにしか見えなかった。時正は、今まで一度も麗蘭を好きだと言ったことはない。彼女を愛していると、認めたこともない。いつも、「無事を願っている」と言うだけだ。無事――という言葉を聞くと、麗蘭は責任や約束、使命という言葉を連想してしまう。記憶を失う前、ボディガードだった彼は、記憶を失った後も、やはり守護者でしかないのだ。事故に遭えば駆け付け、病気になれば付き添ってくれる。波多野家に脅された時も、彼は密かに手を打って事態を収拾してくれた。しかし、そのどれもが、「榮太郎さんとの約束だから」ということなら、合点がいく。麗蘭は部屋に入ると、明かりをつけないまま、リビングに佇んでいた。窓の外に、まばらな街灯が見える。彼女は膝を抱えてソファに座り、今までの出来事を一つ一つ思い返した。彼女を見つめる時正の眼差しは、深く、重く、優しかった。食事に関しても、彼は彼女の好みをちゃんと覚えていてくれた。こちらが何を言っても、彼は弁解せず、ただ離れた場所から彼女を見守り続けていた。両親の前で、彼はすべて自分の責任だと言った。しかし、職務に忠実なボディガードなら、誰でも彼と同じように行
さらにスクロールすると――麗蘭は指先を止めた。少し若い頃の彼女と時正の写真があった。夕日を背に、彼女が昨夜行った川辺に似た場所で、二人は並んで立っていた。写真の中の時正も、無表情だった。でも麗蘭は、無防備な笑みを浮かべ、彼を見つめていた。こんな眼差しを、彼女が彼に向けることは、二度とないだろう。麗蘭は、さらにスクロールした。一枚、また一枚。クリニック、車内、彼女の玄関前、花火大会、寒そうな雪の降る日……大切な日、ささやかな日常、心温まる瞬間、そんな多くの時間を、彼女は彼と過ごしていた。二人は、本当に長い時間を共に歩んできたのだ。時正は突然麗蘭の生活に飛び込んできたのではなく、ずっと前から彼女の傍にいたのだ。彼女が、「偶然」、「使命」、「責任」だと思っていたものには、根本的に、彼らの歳月が隠されていたのだ。麗蘭の指が、微かに震えた。道理で時正は、自分の好みを熟知し、あんなに優しい目で自分を見つめるわけだ。道理で自分は、記憶を失っても、彼に心を許し、彼といると安心できるわけだ。これは錯覚ではなく、偶然でもない。一方的な思い込みでもない。彼らはずっと一緒に、長く深い歳月を過ごしてきたのだ。忘れてしまった時間は、空白ではなかった。時正が、大切に守ってくれていたのだ。麗蘭の胸に、切なさと罪悪感が込み上げた。彼に言った心無い言葉、冷たい態度。両親の命令に従っただけだと疑ったこと……自分は、何も知らずに、彼に何てひどいことをしてしまったのだろう。彼には感情がなかったわけではない。彼にあるのは責任感だけではない。彼はただ、口に出さないだけなのだ。どれだけ待ったのか、どれだけ我慢したのか、どれだけ傷ついたのか、彼は何も言わない。麗蘭は立ち上がった。まだ微かに足に痛みを感じたが、彼女は気にしなかった。下へ行かなきゃ。彼に会わなきゃ。ちゃんと聞かなきゃ――写真のこと、過去のこと、そして、彼の自分への気持ちは本心なのかどうかを。記憶を理由にして、逃げるのはもう嫌だ。麗蘭は、階下に停まる車に向かおうと、ふらつく足で玄関まで歩き、慌てて靴を履き替え、ドアを開け、急いで階下へ降りた。急がないと、彼がいなくなってしまう。エレベーターが降りる間、麗蘭の胸
「送ろうか?」鳴海が尋ねた。「大丈夫です、一人で帰れます」麗蘭は微笑んだ。「今日は本当にありがとうございました」「遠慮はいらない」鳴海は言った。「気持ちが不安定な時は、仕事に没頭すればいい。多くのことが大したことはないと気づくはずだよ」麗蘭は頷き、地下鉄の駅へ向かった。彼女は夜風に吹かれながらゆっくりと歩いた。足はもうほとんど痛みを感じなかった。麗蘭はふと思った。すべての記憶を取り戻す必要はなく、時正との関係も、はっきりさせなければならないわけでもないのかもしれない。ゆっくりと、日々を過ごすのも悪くない。麗蘭は、クリニックの前に着いた。突然、麗蘭はその場に立ち尽くした。街灯の下に、見慣れた黒い車が停車している。車種やナンバープレートを見て、麗蘭の胸は高鳴った。時正の車だ。彼は自分を……訪ねてきたのだろうか?麗蘭はその場に立ち、指先に力を込めた。今までの平穏が破られ、心に再び複雑な感情が押し寄せた。挨拶をすべきだろうか?「どうしてここに?」と尋ねるべきだろうか?それとも、気付かないふりをするべきだろうか?さまざまな考えが、頭に浮かんだ。昨夜の、彼の気遣いや、両親の前でうつむいていた姿、彼女が彼を追い払った時の、彼の傷ついたような瞳を思い出していた。麗蘭は深く息を吸い、決意した。彼女は目を伏せ、クリニックの入り口に向かって歩き、カードキーを通すと、ドアを開け、エレベーターのボタンを押した。その間、彼女は一度も振り向かなかった。しかし実際は、彼女の胸は激しく高鳴り、心の中は混乱していた。麗蘭は、時正が自分の後を追って来るだろうと思っていた。しかし、彼は来なかった。エレベーターのドアがゆっくりと閉まり、麗蘭は、窓の外を眺めた――車は静かに停車したまま、何の動きもなかった。やはり、彼は追いかけて来ない。上にも上がっては来なかった。ただ、ひっそりと停車した車内から、彼女の部屋に明かりが灯るのを見守っているのだろう。麗蘭はエレベーターの壁にもたれ、そっと目を閉じた。時正は一体、どうしたいのだろう。彼は、ある時は彼女を追い詰め、ある時はきっぱりと身を引く。彼女に気があるような素振りをしたかと思えば、ただ命令に従っているように振る舞う。エレベータ
麗蘭は医師との約束通り、時間通りにシンポジウム会場に到着した。シンポジウムは、市街地の交流センターで行われた。行き交う人々は皆、落ち着いた雰囲気の業界関係者ばかりだった。記憶を失って以来、麗蘭はこのような自身の専門分野に足を踏み入れていなかった。傍にいた鳴海が言った。「焦る必要はない。足の怪我はまだ完治していないし、無理はしちゃいけないよ」麗蘭は軽く頷き、静かに会場を見渡した。来場者の多くが、見覚えのある顔ぶれだったが、記憶に霧がかかったように、彼らの名前が思い出せなかった。しかし、彼らと話をする内に、麗蘭は悟った――かつての自分は、この業界で認められ、尊敬されていたのだ。受付付近で、年配の教授から話しかけられた。「麗蘭さん、ご無沙汰しています。先日、体調が優れないと伺いましたが、お元気そうで何よりです」麗蘭は礼儀正しく応じた。「ご心配いただきありがとうございます。だいぶ良くなりました」また、若い医師や研究者も次々に挨拶に来た。以前共同で取り組んだテーマや、彼女が発表した論文について話す者、「ずっとご指導をお願いしたいと思っていました」と言う者もいた。彼らの目には、偽りのない敬意が込められ、計算も、隠し事も、彼女を心身ともに疲弊させるような煩わしい駆け引きもなかった。麗蘭は一人ひとりに丁寧に対応し、終始笑顔を浮かべていた。記憶を失っていても、これまで培ってきた専門性や応対能力は、少しも失われていなかった。皆と挨拶を交わした後、鳴海が言った。「どうだい?外に出て同業者たちと交流するのも、悪くないだろう?君の能力も、評価も、ちゃんと残っている。誰も奪うことなどできないんだよ」麗蘭はしばらく沈黙した後、「ええ」と返事をした。彼女はその時初めて、鳴海の真意を理解した。鳴海は、彼女に気付かせたかったのだ――記憶を失っても、彼女は川上麗蘭であり、周囲の者たちから尊敬される医師なのだと。彼女の価値は、恋愛や、特定の誰かによって決められるものではないのだ。シンポジウムが始まる頃には、麗蘭の心はすっかり落ち着いていた。壇上で交わされる専門的なやり取りが、彼女の脳裏の奥深くに眠る曖昧な認識を少しずつ呼び覚ましていった。明らかに初めて聞く内容だったが、彼女はどこか懐かしく感じた。久しぶりに感じ
「気分はどうだい?高熱は下がったのかな?」「はい、まだ少し倦怠感がありますが、だいぶ良くなりました」麗蘭は答えた。「ふむ、順調に回復しているようだね」鳴海は続けた。「しかし麗蘭くん、くれぐれも忘れないでくれ。今の君にとって何より大事なのは、心の状態なんだ」麗蘭は呆然とした。「君の記憶喪失は、情緒面での刺激や精神的ストレスと直接関係があるからね」鳴海は真剣な口調で言った。「安定した情緒を保たなければならないんだ。過度な喜びや悲しみ、興奮もできるだけ避けた方がいい。情緒が高ぶり、神経が張り詰めると、今の安定した状態さえも崩れてしまう可能性がある」麗蘭は沈黙した。彼女は誰よりも、情緒を安定させたいと思っていた。いつも、穏やかな気持ちで過ごしたいと願っていた。複雑なことをあれこれ考えずに、平穏な日々を送りたいと思っていた。しかし、身の周りでは、様々なことが起きる。彼女が息もつけないほど、厄介なことが次から次へと起きてしまうのだ。平穏な毎日を望んでいるのに、現実は彼女にその機会を与えてくれない。「ええ」麗蘭は疲れたように返事をした。「できるだけ努力します」鳴海は彼女を見てため息をついた。「君が、大変な日々を送っているのはわかっているよ」「今夜、医学のシンポジウムがあるんだ。君が以前、研究していた分野について話すんだよ。君も参加しないかい?」麗蘭は顔を上げた。「シンポジウム?」「ああ」鳴海は頷いた。「日常生活が辛くて、情緒が抑えられないのなら、仕事で気を紛らわせるのもいいだろう。君は医者であり研究者だ。気分転換ぐらいにはなると思うよ。慣れ親しんだ分野で、専門家と専門的な話をすることで、悩みを一時的に忘れ、混乱した心を鎮めることができるかもしれない。忙しくしていれば、悩む時間もなくなる」麗蘭はぼんやりと医師を見つめた。確かにそうだ。いつまでも恋愛感情や記憶喪失の迷いの中に閉じこもっているわけにはいかない。彼女には専門分野があり、理想があり、やりたいことがあるのだ。時正とのことをあれこれ考えていても仕方ない。まず自分を正常な軌道に引き戻すべきだ。麗蘭は、ゆっくりと深呼吸して、目を輝かせた。「わかりました」麗蘭は頷いた。「参加します。シンポジウムは今夜ですか
麗蘭は、ようやく深い眠りについた。夢の中でだけ優しくしてくれる彼が、ずっと傍にいてくれると思うと、安心できた。時正は、傍で一睡もせずに夜を明かした。-翌日。麗蘭は、ゆっくりと目を覚ました。まだ少し倦怠感は残っていたものの、熱はもうすでに引いたようで、悪寒やめまい、高熱による身体の痛みはなく、喉の痛みも幾分和らいでいた。彼女はソファに横たわり、ぼんやりと天井を見つめた。頭の中に断片的な記憶が甦った――夜の川辺、冷たい風、遠くで見守る影。朦朧とした意識の中で、突然開いたドア……自分を抱きかかえ、薬を飲ませてくれた時正。時正。彼が来てくれた。一晩中、ずっと傍にいてくれた。朦朧とした意識の中で、彼の喉仏にキスをした。薬を飲んだ時に触れた、彼の指先の感触が、まだ唇や舌に残っている。麗蘭は、頬を赤らめた。夢じゃない。少なくとも麗蘭は、夢じゃないと感じていた。彼女は身体を支えながら、リビングを見渡した。全身が、わずかに硬直した。リビングはがらんとしていた。リビングはひっそりと静まり返り、ソファや椅子には動かしたような形跡はなく、誰かがここにいた痕跡は微塵もなかった。昨夜の出来事が、まるで幻だったかのように、リビングは静寂に包まれていた。やっぱり……夢だったのか。麗蘭は手を下ろし、そっと膝の上に置いた。心の中に感じた小さな温もりが、少しずつ冷めていくのを感じた。仕方ない。昨日、麗蘭は時正を怒鳴りつけ、彼を傷つけ、追い払ったのだから。彼がまたここに来て、彼女の世話をしてくれるなんて、あり得ない。高熱のせいで、幻を見ていたのだろう。麗蘭は虚しくなり、そっとため息をついた。時正との関係は、このままなのだろうか?関係を断ち切れないまま、近づいたり遠ざかったりを繰り返す。彼といると胸が高鳴り、心が安らぐのに、つい「借りは作りたくない」などと言ってしまう。時正も、心の内を見せず、「安全を守る」と言うだけ。自分も、過去や理由を尋ねず、気にしていないふりをしているだけ。まるで、張り詰めた細い糸のような関係が、彼女を息苦しく感じさせていた。麗蘭は心の中に渦巻く感情を押し殺し、ゆっくりとソファから立ち上がった。夢であれ現実であれ、日々は続いていく。彼女
真衣は病室にいた。突然、何者かがドアを押し開けて入って来て、彼女を別の部屋に連れ出した。「何をするの?」「上からの指示だ、大人しくしていろ」次の瞬間。真衣は真っ暗な部屋に押し込まれた。彼女は冷たい鉄製のベッドに座らされ、手首は荒い縄で縛られていた。どれだけ時間が経ったか。ドアの鍵が「ガチャ」と音を立てて開き、留美がハイヒールを鳴らしながら入ってきた。留美は完璧なメイクを施し、高価なベージュのコートを着ていた。留美は不吉な笑みを浮かべながら、真衣の前に立ち、彼女を見下ろしていた。「ねえ、知ってた?」「礼央の生死は、私の一言で決まるのよ」留美は真衣の
「うん、ママ気をつけてね」千咲はそう言うと、何かを思い出したようにまた言った。「ママ、パパが連れて行ってくれるの?」真衣は少し戸惑いながら、笑って頷いた。「そうよ」「やったー!」千咲は嬉しそうに跳び上がった。「ママ、パパと仲良くしてね。私、パパのことが大好きなんだから」真衣は心が温かくなり、千咲の頭を撫でて言った。「うん、わかった」真衣は階下へ降り、湊の車に乗り込んだ。真衣はシートにもたれ、窓の外の街並みを見つめた。胸の中が期待と不安でいっぱいだった。今回の診察が二人の関係の転換点となるのか、それとも相変わらず見えない壁に隔てられたままなのか、真衣にはわからなかった。
礼央は淡々と話したが、その言葉には重みがあった。千咲は呆然とし、真衣もまた呆然とした。真衣は驚いた表情で礼央を見つめた。まさか礼央が千咲にそんな言葉をかけるとは思ってもみなかった。千咲は目をぱっと輝かせた。胸に湧き上がる感情は信じがたいものだった。しばらくして、千咲は深く息を吸い、笑いながら言った。「パパ、私の部屋を見に来て。見せたいおもちゃがたくさんあるの」「いいよ」礼央は笑って頷き、千咲に手を引かれて彼女の部屋へ向かった。二人の後ろ姿を見つめ、真衣は胸が熱くなるのを感じた。真衣は立ち上がり、よろめきながら洗面所へ向かった。顔を洗うと、めまいは少し和ら
それは果てしなく続く白い世界だった。礼央は二枚の紙を握りしめ、広い墓地に立っていた。一枚は火葬通知書で、もう一枚は離婚届だった。紙の上に書いてある文字は鮮明で、署名欄には彼の署名があった。なぜ署名したのか、彼は思い出せなかった。ただわかっているのは、真衣も千咲もすでにいないということだけ。彼は二つの冷たい骨壷を抱えている。小さくて軽いのに、彼はそれをとても重く感じた。彼は果てしなく続く道を一歩一歩進んだ。耳元では海風が唸り、潮の香りが鼻を突き、喉が締め付けられるように痛んだ。どこへ向かうのかわからない。ただ、二人を連れて行くだけはわかっていた。誰にも見つからない







