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片桐先生、離婚ならメールで伝えたはずです
片桐先生、離婚ならメールで伝えたはずです
Author: 暁山朱里

第1話

Author: 暁山朱里
片桐星奈(かたぎり せな)は子供が産めない体だった。

病院で診断結果を受け取り、星奈は片桐蒼士(かたぎり そうし)にメッセージを送った。

【私たち、離婚しましょう】

メッセージを送り、スマホを置いた瞬間、いろんなことが吹っ切れた。

診断結果を受け取ってすぐに、義理の母親から、すぐに夫の実家に来いと電話がかかってきた。

星奈はそれに応じながら、片桐家の医療業界内でのコネクションはさすがだと感心してしまった。

夫の実家へ向かう途中、星奈はどんよりとした曇り空の中、始終放心状態だった。彼女の目には涙が滲み、悲しみに襲われていた。

星奈は蒼士とは知人からの紹介で知り合った。

体を重ね合うことこそ、女性の心を掴む最も早い方法だという。

女性は誰もが初体験の男性を忘れることはできない。それに、愛し合う二人が体で相手の愛を確かめる行為だから、違法でない最も簡単なことだ。

星奈も自分の最初の男を簡単に忘れることなどできないだろう。

しかも、彼はあの片桐蒼士だ。医学界の天才で、峯崎市において最年少で外科主任部長に抜擢された男。

星奈が片桐家に着いて、まず顔を合わせたのは蒼士の妹だった。

この時、片桐綾音(かたぎり あやね)は憎しみに顔を歪めていた。

緒方星奈という片田舎からやって来た平凡な女が、兄と結婚したのは、片桐家の汚点だと綾音はずっと思っていたのだ。

それに、満足に子供一人産むこともできない役立たずだ。

「ねえ、あんたさぁ、子供すら産めないくせに、私の兄と結婚してどういうことよ?こちらはとんだ災難だわ」

星奈は手に持っていた診断結果を彼女の前で揺らしてみせた。

「私もさっき知ったばかりなの」

星奈は、偉そうなこの小姑に構わず、家の奥へと進んだ。

「真帆さんが帰ってくるって噂は、峯崎の医療業界関係者にはもう広まってる。あなたも自分が置かれた状況を理解して、離婚することね。それが誰にとってもハッピーな事なんだから」

星奈はその言葉にピクリと反応し、綾音に背を向けたまま鼻で笑った。

綾音の言うとおりだ。片桐蒼士という男が、子供を欲しがらないはずがないだろう?それに、自分との子供を喜んで産むはずもない。

甲斐田真帆(かいだ まほ)こそ、蒼士が求めている女だ。彼はもちろん彼女との間に子供を望んでいるのだ。

ただ、ここにいるこのお嬢さんは、星奈がここへ来る前に、蒼士に離婚を申し出るメッセージを送ったことを知らないのだ。

片桐家は、峯崎市では名の知れた医者の一族で、由緒正しい家柄だ。

そして星奈は北部にある小さな田舎出身の一般人。とあるバイオ医薬品研究所で働いていた。

彼女の上司兼「支援者」が、ちょうど蒼士の大学時代の指導教授であり、蒼士の祖父である片桐稔(かたぎり みのる)の古い友人だった。

このような偶然の縁があり、星奈を蒼士に紹介したのだ。

当時、この二人のお見合いを誰も気にも留めなかった。二人は住む世界がまったく違うし、星奈が母子家庭という点だけでも、片桐家は彼女を認めていなかった。

それに星奈自身も、蒼士のような家柄を持つ男性は、同じ家柄の女性と結婚するもので、自分は彼から一切相手にされないと分かっていた。

しかし、周囲の考えとは裏腹に、蒼士はお見合い後、すんなりと交際に応じ、一カ月という短い交際期間を経て、スピード結婚してしまった。

それは星奈にとっても、まるで夢のようで、気づいたら彼と結婚していた、そんな状況だった。

後で蒼士の同僚から聞いた話では、あのお見合いの日に彼は失恋したらしい。

彼の初恋相手である真帆は、世界でもトップクラスの神経外科医で、彼ではなくキャリアを選んで海外へ飛んだ。

結婚した日の夜、蒼士は酒を飲んで、泥酔してしまった。

そして初夜のベッドの上で、彼は何度も何度も、しきりに「真帆」と呼び続けた。

真帆に申し訳なかった、と……

星奈は苦しむ彼を見て、少しでも楽になれるようシャツのボタンを外してあげようと手を伸ばしたが、彼に振り払われてしまった。

普段穏やかで気品に満ち、明るい性格の彼が目を真っ赤にさせて、酒に酔った勢いで星奈に向かって言った。

「星奈、俺は一生幸せにはなれないんだ」

彼のその様子は、まるで死を選んでしまいそうなほどに、苦痛に満ちていた。

新婚だというのに、星奈は自分が一体何を間違えてしまったのかと、胸が締め付けられる思いだった。

彼女はため息をつき、彼を慰めようとした。

たとえ、その初恋の相手である甲斐田真帆と結婚できたとしても、幸せになれるとは限らないじゃないか。

星奈がその言葉を口に出すことはなかった。蒼士がその時、泣いていたからだ。

星奈はあの時のことを思い出すと、涙が溢れてきた。

黙って頬に伝う、生温かい涙を拭い、部屋の中をぐるりと見渡した。

高貴な雰囲気を漂わせる、豪華な内装。片桐家の今に続く長い繁栄を象徴すると同時に、圧迫感がある。

この時、片桐家の面々は紫檀製のソファに整然と座り、全員が不機嫌そうにしていた。

義母の片桐麻衣子(かたぎり まいこ)が前置きもなく本題に入った。

「星奈さん、蒼士は我が片桐家の唯一の息子。その彼の血をここで絶やすわけにはいかないの。だから申し訳ないのだけれど、あの子とは離婚してもらいたいのよ。離婚条件はあなたの好きなようにしてくれていいから」

離婚するための条件ならお任せするが、離婚しないという選択肢は与えないということだ。

星奈は落ち着いた様子で診断結果を握りしめていた。この時の彼女は、事前に何度も数えきれないほどに心の準備をしておいた。

それは、初夜に蒼士が言った「俺は一生幸せにはなれないんだ」の一言を聞いた瞬間からだった。

「離婚の原因は私です。結婚当初、私は結婚にかかる費用を一円も出していません。私と蒼士の車と家も彼が買ってくれたもの。

結婚にあたって片桐家からいただいた結納金の一千万円は、今すぐにお返しはできないので、借用書を書いて……」

この時、後ろから綾音の冷笑が聞こえてきた。

「ふん、借用書?まさかあなたの口からそんな言葉が出るだなんて、目新しく感じるわ。あなた、借用書を書いたところで、それを返せるわけ?安心して、片桐家はもともとお兄さんが結婚する時には一億の結納金を用意するはずだったの。でも、相手があなただから……」

この時、麻衣子が綾音の言葉を遮った。

「綾音!黙りなさい!」

麻衣子は星奈に言った。

「返す必要はないのよ。そもそも結納金はあなたにあげたものだから。それにお母様のご病気は、片桐家がちゃんと最後まで治療を続けるからね」

星奈はその申し出を断わることはなかった。金がものを言う今の時代、星奈と母親も生きていかなければならないし、母親の病気も治療が必要だ。

蒼士はこれからまた再婚し、子供を作るのにはまったく不自由はない。それに贅沢な暮らしが今まで通り続けられる。

しかし、星奈にはそんな経済的余裕などない。彼との結婚は、ある意味一儲けした、と言えるだろう。

すると、麻衣子は本当に数ページある書類を取り出した。

「では、星奈さん、署名してちょうだい」

星奈はうなずき、【離婚協議書】に一筆ずつはっきりと自分の名前を書いていった。

それは、片桐家に来て、二十分もかからないことだった。

言い争うことも、責めることも、互いに手を出すこともなかった。

星奈が短かった結婚生活にすんなりと終止符を打ったことに、片桐家は物分かりの良い娘だと、とても満足していた。

片桐家を出ると、空は晴れ、太陽の光が燦々と降ってきた。

星奈は長く息を吐き出すと、【離婚協議書】を持って、蒼士と暮らした家へ荷物整理しに戻った。

その家はまさに結婚した二人が住むための「新居」だった。六十坪ほどある広々とした一戸建て住宅で、シンプルで洗練された造りが、モデルハウスのようだ。

生活空間を真ん中に、互いの部屋がそれを挟むような間取りになっている。彼女と蒼士は別々の部屋で暮らし、相手にはまったく干渉しない生活を送っていた。

週一度の夫婦の営みの後、蒼士はいくら疲れていても、服を着て自分の部屋に戻ってから、シャワーを浴びて寝ていた。

星奈は家に帰って三十分で、二つのスーツケースを引いて家から出てきた。

一見すると、この新居には何の変化も見られないようだった。

このように去っていった彼女は、片桐家と蒼士には如何なる影響も与えなかった。

――

二日経っても、蒼士からの返事はなかった。

蒼士が星奈に返事をする習慣はなかった。

しかし、離婚の件は片桐家から早く済ませるように催促されるものだから、彼女もズルズルと先延ばしにしたくなかった。

それで星奈は、離婚手続きをする日程を相談するために、蒼士が働いている病院へ行った。

神経外科のフロアにあるオフィスに到着すると、彼女はドアをノックした。

「あの、片桐蒼士はいますか?」

蒼士の同僚は彼女を見ると、顔に皮肉の色を浮かべた。

蒼士が結婚するという大ニュースが飛び交うと、彼を恋い慕っていた女性たちはみんなショックを受けた。多くの女性看護師や患者がショックのあまり泣いていた。

あの神経外科医の甲斐田真帆に負けるのならまだ許せる。この片田舎出身の女でも彼と結婚できるというのなら、どうして自分ではいけないのか?と彼女たちは思っていたのだ。

蒼士の同僚が答えた。

「片桐先生なら、出張してますよ。知らないんですか?」

星奈はその言葉を疑った。

「出張?」

荻野昇平(おぎの しょうへい)はイライラしながら、受け答えをした。

「ええ、A国に甲斐田さんを迎えにね。彼から何も聞いていないんですか?」

その瞬間、星奈はひどく動揺してしまった。

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