Masuk「来人!見てないで、こいつどうにかしてよ!」怒る竜ヶ峰に、来人はクスクスと笑いながら、「はいはい。春馬……どうどう」そう言って、竜ヶ峰から引き剥がした。「どうどうって、僕は馬か!」「春馬だから?」「それな!……って、違うだろう!」僕と来人のやり取りに、竜ヶ峰はぽかんとしたあと、クスクスと笑い出した。あ……笑った顔、初めて見た。竜ヶ峰の笑顔は、まるで幼い子供みたいだった。妖艶さと幼さを同時に抱えた、危うい存在。僕は、思わず不安を覚えた。竜ヶ峰は、脆い硝子細工みたいだ。美しさに惹かれて手に取れば、きっと壊してしまう。だからこそ、自分を守るために、全身に棘を纏うことを覚えたのだろう。そして、そんな竜ヶ峰が唯一、心を許して委ねたのが来人だったのかもしれない。今思えば、竜ヶ峰は来人を奪われまいと、必死だったのだろう。……もっと早く気付いていたら、僕たちの関係は変わっていたのかな。そんなことを考えていると、来人が花瓶に花を無造作に入れ始めた。「ちょっ……!来人、せっかく綺麗な花を、なんて入れ方してるんだよ」慌てて花瓶と花を奪い取る。そして──思わず固まった。「……来人?」「ん?」「花瓶に水……入ってないけど?」「水?あぁ、入れんのか!」ぽん、と手を叩く。「もういい!僕がやる!」「サンキュー」来人の飄々とした態度に呆れていると、竜ヶ峰が眩しそうに僕たちを見ていた。けれど、僕と目が合うと、すぐに顔を逸らす。……なんか、竜ヶ峰って猫みたいだな。そう思いながら、「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」そう言って、僕は病室を後にした。病室には、小林さんの結界がきちんと施されている。まだ新しい……ということは、近くにいるの
「なんだ……きみか」 竜ヶ峰の見舞いに行くと、僕の顔を見て露骨にがっかりした顔をされた。 「来人なら、もう少ししたら来るよ」 そう言うと、 「なに?本妻の余裕?」 鼻で笑われる。 ……でも、本妻呼ばわりが久しぶりすぎて、なんかちょっと嬉しい。 「元気そうで安心したよ」 そう言って笑うと、あからさまに嫌な顔をされた。 「なんで見舞いなんか……来るんだよ」 ぽつりと呟かれて、竜ヶ峰の顔を見る。 「僕のこと……嫌いなはずだろう?」 そう言って、俯いた。 少し膨らんだ頬。 不貞腐れているように見えるけど、その手は布団をぎゅっと握り締めている。 どうしよう。 あんなに嫌いだった竜ヶ峰が、可愛い。 思わず天を仰いだ。 来人、今なら分かる。 分かるよ。 竜ヶ峰、可愛すぎる。 惚れるよな……うん、僕も来人がいなかったら惚れてる。 そんなことを考えている僕の返事を待って、竜ヶ峰がちらちらとこちらを見ている。 来人〜!早く来て〜!! この可愛い生き物、どうにかして!! そう思っていると、 「答えたくないくらい
「はぁ……」 深く息を吐く。 祐希の言葉が、何度も胸の奥で響く。 『小林、お前の顔を見てると腹が立つ! 二度と顔を見せるな!』 ──思えば、最初から間違っていたのかもしれない。 初めて会ったのは、親友の綾人に 「俺の弟の祐希だ」 と紹介された、あの日。まだあどけない祐希は、大きな瞳で俺を見つめて 「はじめまして。竜ヶ峰祐希です」と、ぺこりと頭を下げた。雪のように白い肌。雪の中で色づく南天のような、赤い唇。 ──その瞬間、恋に落ちた。 「好きだ」気付いた時には、手を掴んでそう言っていた。当然のように、祐希は怯えて―― 「怖い……!」と、泣いた。それからというもの、 「うちの可愛い祐希を泣かせやがって!」と綾人に怒鳴られ、祐希に近付くことすら許されなくなった。それでも。遠くから、ただ静かに見守ってきた。どんどん綺麗になっていく祐希を。傍にいられなくてもいい。せめて、身の回りの世話だけでも出来たなら──そう思い、神職として奉職することを決めた。そして竜ヶ峰神社で過ごす中で、祐希が抱えている闇を知り──神道の道に進むと決めた。少しでもいい。きみを、苦しみから救えたら。ただ、それだけのために──どんな修業にも耐えられた。そんな日々の中で。祐希は、大学一年の春に――狗飼来人の恋人になった。……もう、届かないのだと。そう思った。だから俺は。この想いを隠すために、自分を『私』と呼ぶようにして、祐希を『祐希様』と呼んだ。距離を作るために。どれだけ想っても。祐希の気持ちは、ずっと赤信号のまま。縁談を勧められても、心は一度も動かなかった。情けないほどに、祐希に
『ガシャーン』 大きな音を立てて、食器が床に散らばった。 「祐希!」 荒れる僕に、兄さんの叱責が飛ぶ。 「うるさい! うるさい! うるさい!」 癇癪を起こす僕に、兄さんは呆れたように溜め息をついた。 来人が猫柳春馬を追い掛けて行くのを見送り、窓の外に目を向けたその時──息を呑んだ。 猫柳春馬と小林が、仲良さそうに話していた。 しかも、普段は微笑みしか浮かべない小林《アイツ》が、破顔していた。 ──なんだよ、それ。 その後で、何食わぬ顔をして食事なんか持って来られても、素直に食えるかよ。 ……別に、それがどうしたって話だけど。 でも、何故か、無性にイライラした。 大体、小林《アイツ》は──小学一年の僕に、小学六年の分際で『好きだ』なんて言ってきたくせに。 ……あれか? ショタコンか? 猫柳春馬、童顔だもんな。 好みなんだろうよ。 ぶちまけた食器を、何も言わずに片付けている小林《アイツ》を見て、余計に腹が立つ。 猫柳春馬も、猫柳春馬だ。 僕から来人を奪っておいて──今度は小林か? いい子ぶって、抜け目ないよな。 ……なんだか分からない。 でも、とにかくイライラする。 「小林、そこまでする必要ない! 祐希、小林に謝りなさい!」 兄さんの声に、さらに苛立ちが募る。 「嫌だ!」 プイッと顔を背けると、 「構いません。私が、祐希様の機嫌を損ねることをしたのでしょう」 まるで最初から分かっていたみたいな顔で、そう言われて──余計に腹が立った。 「小林、お前の顔を見てると腹が立つ! 二度と顔を見せるな!」 言ってしまった瞬間、空気が止まった。 片付けていた小林の手も、ぴたりと止まる。 ──しまった。 そう思った時には、もう遅かった。 小林は何も言わずに片付けを終えると、 「祐希様の前に顔を見せて、申し訳ありませんでした」 そう言って、静かに頭を下げて部屋を出て行った。 「あ……」 思わず手を伸ばしかけて──そのまま、強く握り締める。 怖かった。 また、誰かを求めたら── 失うんじゃないかって。 どうせ小林も、最後は── 猫柳春馬みたいな、ああいう“選ばれる側”を選ぶに決まっている。 僕みたいな、面倒で、
「で!さっきのアレ、なに?」怒り心頭の僕の前で、来人が耳と尻尾をぺたりと垂らして立っている。(なんだろう。ライトが怒られた時に見せる、あの落ち込んだ姿にそっくりだ)「あのさ、来人。もし、僕が他に好きな人がいて、お前が竜ヶ峰にしたみたいな態度を取ったらどう思う?」「春馬!まさかお前、アイツのこと……」「来人!もしって言っただろ!今の話に小林さんは関係ない!」「でも春馬、アイツをカッコイイって……」しょぼんとした顔で言われ、思わず頭を抱える。(他は聞いてないくせに、そこは聞いてるのかよ……)「はぁ……」深い溜め息がもれる。考えれば考えるほど謎だ。小林さんが傍にいて、竜ヶ峰はなんで来人なんかを好きになったんだか……。もう一度、溜め息をつくと、僕は来人に背を向けて歩き出した。すると来人が慌てて追いかけてくる。「春馬、一緒に帰るよな?」そう言って、僕を抱き締めた。「帰らないって言ったら?」「帰るって言うまで離さない」また溜め息がこぼれる。「分かったよ。一緒に帰るから、離して」そう言うと、来人の耳と尻尾がぴんっと立った。「俺には春馬だけだから!」そう言って、もう一度抱き締めてくる。ご当主様が普段は厳しいのに、来人にだけ甘いのはこういう所なんだろうな……。良い意味でも悪い意味でも、素直というかなんというか……。来人に惚れた時点で、仕方ないのかもしれないと、半ば諦めていた。……が、だ!夜、あんなに激しく求められるとは思わなかった。いや、嫉妬したとしてもだな、僕は怒っていたのだよ!本当に……一度、ちゃんとしつけ直さないとダメかもしれない。そう思いながら、僕は心の底から誓った。今後、来人という文字には『駄犬』というフリガナを振ってやると。
来人を見る小林さんの目は、どこまでも冷たかった。見ている僕でさえ、その視線に息を飲む。「中途半端な優しさで、また祐希様を傷付けるんですか?しかも、自分の番の春馬さんまで傷付けて……とんだクズ野郎ですね」来人の顔が強張る。「狗飼家は、子供の躾がなっていませんね。こんなバカ息子に育てて」淡々とした声なのに、その一言一言が深く刺さる。僕は慌てて来人の前に立った。「もうやめて下さい!確かに来人は単純でバカだけど、こいつなりの優しさなんです!」「春馬……フォローになってない」来人が小さく呟く。「うるさい!僕はまだ、お前に怒ってるんだからな!」振り向かずに叫ぶと、背後から情けない声がした。「春馬……ちゃんと祐希には説明してきた。そいつが命懸けで助けたことも……俺と春馬が、もうパートナーだってことも……」今にも「くぅ〜ん」と鳴きそうな声だった。「来人、その話は後で!」「春馬、もう怒ってないか?」「来人!空気読んで!」「春馬が怒ってないって言うまで、空気読まない!」突然、背後から抱き締められる。「来人、待て!」思わず叫ぶと、来人はしょんぼりと離れた。その様子を見ていた小林さんが、ぽかんとした顔をしたあと、吹き出した。「敵わない。本当に……春馬君には敵わないよ」ひとしきり笑うと、「今日は、春馬君に免じて赦してあげます。祐希様も、随分ご迷惑をお掛けしたようですし」そう言って、小林さんは背を向けて歩き出した。「カッコイイよな〜小林さん」ポツリと呟く。振り返ると、来人が耳を垂らした犬みたいな顔をしていた。思わず、溜め息をついた。
僕は深い深い海の底にたゆたっていた。 「春馬……春馬……」優しい声が聞こえる。誰?……僕を呼んでいるのは、誰?ふわりと、優しい手が僕の頭を撫でた。「頑張ったね」大きい手が、父さんの手だと……なんとなく分かった。 「春馬……きみたちには、この先たくさんの試練が待っている。だからね、きみの番には最終課題を与えようと思うんだ」そう言われて、僕は父さんを見あげた。彰兄さんが、父さんに面差しが似ているって聞いていたけど、実際は父さんの方がガッシリしていて男らしい。 「……あまり虐めないであ
あの日──目を覚ました春馬は、俺を、知らない人を見る目で見つめ返した。数日前、やっと互いの気持ちを確かめ合ったばかりだというのに。春馬は、俺のことだけを忘れてしまっていた。まるで、初めて会ったあの日のように。俺の存在を、まるで知らないものを見るような瞳で。 ◇◆◇◆春馬と初めて会ったのは、まだ彼が「春菜」と名乗っていた頃だった。俺は、生まれた時から許嫁がいると父親から聞かされて育った。十三家紋の一族が決めた、家同士の縁談だ。しかし、その許嫁は身体が弱
そして春菜が実家に戻り、死亡したと聞くまで── 俺は何も考えず、祐希と快楽を貪る毎日を送っていた。全てがどうでもよかった。ほとぼりが冷めれば、また本家に戻れる。 ……そう、簡単に考えていた。そんなある日、瘴気の件で親父に呼び出され、一人で本家へ戻ることになった。地方で瘴気溜まりが多発しているから、片付けてこいと言われたのだ。本家に戻ったついでに、春菜と暮らした家へ足を向けた。中に入ると、家具はあの頃のまま。今にも二階から春菜が顔を出しそうな気がした。階段を上り、これまで
「とにかく、来人を浄化するから!」そう言って首に掛けている麻袋に手を掛けた瞬間、来人が僕の腕を掴んだ。「いい! また、春馬が倒れるのを見たくない」「まだ言うの! 僕、いい加減怒るよ!」叫んだその瞬間、弱々しい身体で来人が僕を抱き締めた。「もう……春馬の記憶から、消されたくないんだ」声も身体も、震えている。こんなにも不安にさせていたんだと、僕の胸が軋むように痛んだ。「ごめん……来人。そんなに不安にさせて、ごめん」抱き締め返すと、来人は小さく微笑む。「思い出してくれた。それだけで、いい」そう言って、僕の頬に触れた。弱々しいその姿に、涙が止まらない。「……死なせない。僕が







