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03:夜の出会い1

last update Last Updated: 2025-09-22 07:52:55

『インペリアル・クラウン・ホテル』の最上階、夜景の見えるバー。

 バーカウンターの分厚い一枚板は、鏡のように磨き上げられていた。

 そこに映る自分の顔が、ひどく醜く見えて目を逸らす。

(帰る場所なんて、もうどこにもない)

 琥珀色の液体が、喉を焼くように滑り落ちていく。

 熱いのか冷たいのか、もうよく分からなかった。今はただ、アルコールに溺れて何もかも忘れてしまいたい。

 頭をよぎるのは、幸せだった頃の結婚生活の思い出ばかり。

 圭介と2人、素直に笑い合っていたっけ。

 学生時代から付き合い始めて、25歳で結婚して。もう8年も彼と一緒に過ごしてきた。

 私は彼を大事に思っていたし、圭介も私を愛していてくれていたはずだった。

 それなのに、壊れる時は一瞬だ。8年の時間が一瞬で崩れて、後には何も残らない。

 涙がにじみそうになり、私はさらにウィスキーのグラスを傾けた。あんなやつのために泣きたくない。

 悔しくて、悲しくて、苦しくて。そんな感情は全部お酒に溶かして、飲み込んでしまえ。

 そうしてずいぶんと酔いが回った頃、ふと隣を見れば、一人の男性が同じように深酒をしていた。

「……」

 目が合ってしまって、気まずい思いで逸らす。

 でも何だか――彼の瞳もひどく傷ついた心を映しているようで、どうしても気になってしまった。

「……何か、お辛いことがあったようですね」

 ふいに、隣から穏やかな声がした。

 先ほどの男性がこちらを見ている。

 心配している……というよりは、ただそこに寄り添うような、不思議な眼差しだった。

「放っておいてください」

 棘のある声が出た。

 優しくされる資格なんて、今の私にはない。

 でも彼は気にした様子もなく、バーテンダーに何かを注文している。

 そのゆったりとした仕草が、なぜだか私のささくれた心を少しだけ落ち着かせてくれた。

「もしよろしければ」

 彼の前に、私と同じグラスが置かれる。

「乾杯しませんか。あなたの新しい門出に」

「……門出、ですって?」

「ええ。辛いことの終わりは、何かの始まりでしょう」

 彼の言葉が、すとんと胸に落ちてきた。

 そうだ、終わったんだ。

 私の結婚生活は今日、完全に終わった。

 張り詰めていた心の糸が、ぷつりと切れた音がした。

 気づけば私は、見ず知らずの彼に、ぽつりぽつりと自分のことを話していた。

 夫のこと、記念日のこと、それからもう何もかもが嫌になってしまったこと。

 ずっとこらえていた涙が、いつしかぽろりとこぼれている。

 彼は静かに頷きながら、私の言葉に耳を傾けてくれた。

 ひとしきり話し終えた私に、彼はふっと寂しそうに微笑んだ。

「よく、分かります。信じていたものに裏切られる辛さは」

「え……?」

「僕も時々、人の真心というものが、分からなくなるんです」

 彼は視線を落とし、グラスの氷を揺らしす。

 改めて見れば、彼はとても整った顔立ちの人だった。年齢は30歳そこそこだろう。優しげな微笑がよく似合う、王子様のような人だ。

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