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04:夜の出会い2

last update Last Updated: 2025-09-22 07:53:27

「僕の肩書きや家柄ではなく、僕自身を見てくれる人なんて、本当にいるんでしょうかね。やっと出会えたと思った人も、すぐに化けの皮がはがれる。今日も醜い本性を目の当たりにしてしまって、もう何を信じるべきか、分からなくなってしまいました」

 その呟きは、諦めと、深い孤独の色をしていた。

 この人も、見た目からは想像もつかないような傷を抱えているんだ。

 誰にも言えない痛みを、その穏やかな笑顔の裏に隠している。

(この人も、寂しいんだ……)

 そう思った瞬間、彼が急にただの優しい人ではなく、同じ痛みを分かち合えるたった一人の人のように思えた。

 彼の孤独に、私の心がそっと寄り添っていく。

 私たちはお互いの孤独の影を、静かに重ね合わせた。欠けていた心が埋められていく。

 まるで失われた半身を取り戻すように、身を寄せ合った。

 いつの間にか距離が近づいて、いつしか重なっている。

 ぴたりと重なる心と体が、深く満たされていく。

 その心地よさに、私は溺れるように彼を求めた。

 柔らかなシーツの感触と、朝の光の眩しさで、私は目を覚ました。

 飲みすぎた後遺症で、頭がガンガンと痛い。

(……ここは?)

 重たい瞼を押し上げると、見知らぬ天井が目に飛び込んできた。

 マンションの寝室よりもずっと高い天井で、しつらえも豪華。これは一体?

 慌てて体を起こすと、隣には――昨夜の彼の穏やかな寝顔があった。

 血の気が、さーっと引いていく。

(何やってるの、私!)

 断片的な記憶が、洪水のように押し寄せる。

 圭介の裏切りをなじったばかりなのに、自分も同じことをした。

 最低だ。

 自分の寂しさに負けてしまった。

 見ず知らずの人の優しさに、衝動的に甘えてしまった。

(この人も、孤独だと言っていたのに)

 結局、私も自分の孤独を埋めることしか考えていなかったんだ。

 なんて浅はかで、身勝手なんだろう。

 起き上がって周囲を見渡せば、ここがとても豪華な部屋だと分かった。

 クリーム色と、落ち着いたウォールナットの木目で統一された、趣味のいい空間。

 窓際に置かれた大きなソファに、ガラスのローテーブル。

 ミニバーには、見たこともないようなお酒のボトルが並んでいる。

 おそらくスイートルームだ。昨夜、私はインペリアル・クラウン・ホテルのバーで飲んでいた。ということは、ここはあのホテルのスイート。

 壁一面の大きな窓からは、朝日に照らされた街がジオラマみたいに広がっている。

 いつも見ているはずの景色が、まるで知らない世界のようだ。

 すべてが完璧で、洗練されている。だからこそ私の薄汚さが際立つようで、いてもたってもいられなくなった。

 吐き気を堪えながら、音を立てないようにベッドを抜け出した。

 ソファに投げ出されていた下着とワンピースを拾って、身につける。

 椅子にかけられた、自分のスカーフが目に入る。

 圭介に初めてのボーナスで買ってもらった、お気に入りのシルクのスカーフだ。

 それを見たとたん、また圭介の顔が浮かんで胸が苦しくなった。

 今の私には、それを持つ資格すらない気がした。

『ごめんなさい。昨夜のことは、全て私の責任です。あなたを傷つけるつもりはありませんでした。どうか忘れてください』

 備え付けのメモ帳に、そう走り書きをする。

 財布を取り出してお札を全部、サイドボードに置いた。この高級そうな部屋の代金に足りるとは思えないが、今はこれ以上のことはできない。

 私はスカーフに背を向けて、逃げるように部屋を飛び出した。

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