เข้าสู่ระบบ気を失っているのか、瞼を閉じている少女から溢れ出した血が周囲の地面を真っ赤に濡らしている。木々の隙間から差し込む茜色の夕日が彼女の体を染め上げ、遺体にも似た姿を一層綺麗に飾っていた。呼吸は浅く、時々途切れてもいる。後頭部にはヒビが、背骨を含む全身の骨が折れているし、内臓も当然破損しているだろう。ほぼ平坦なこの地域で、滅多に無い崖から落ちるだなんて……。運がいいの悪いのか。
崖上ではコボルト達がやり場のない怒りに震えて叫んでいる。『煩いからアレも処分しておこう』と決め、僕は瞬時に、数多く居たコボルト達をあの三人の人間達と同じように影の中に沈めて喰らっておいた。
少女は今にも事切れる寸前である。だが体は『死んでたまるか』と主張するみたいに、勝手に回復し続けているみたいだ。だが、もう彼女の魔力はすっかり枯渇していて、足りない分は無理矢理魂を削りながら得ている状況にある。そんな事をしたって回復しきれない程に少女の体は破損しているから無駄な行為でしかないのだが、自覚アリでやっている感じではないから、本人も止めようがないといった所か。
このまま放置しておくと、この少女の形成している全てが消え去り、転生する機会すらも無くなるだろう。
(あぁ、僕にとって、何て都合が良いんだろうか)
瀕死であれば心に付け込み易いはずだ。『生きたい』と、藁にも縋る思いだろうからな。
少女の影の中に潜み、少しだけ彼女の回復能力を高める魔法をかけてやる。せっかく見付けた逸材だ、死んでしまっては面白くないからな。
——五分程経過しただろうか。少女は激しく咳き込みながら血を吐き出しはしたが、一命は取り留めたみたいだ。だがまだ体はまともには動かず、夕日は刻々と沈み続けている。春先の風は次第に冷たさを持ち始めているし、大量に流した血の臭いを嗅ぎつけた夜行性の獣達が此処まで来るのも時間の問題だと、きっと少女の頭の中は不安でいっぱいなはずだ。内臓の破損は早急にどうにかしたみたいだが骨を再生するには魔力が足りず、痛みを麻痺させ、呼吸を辛うじて回復させたくらいでは安全な場所に隠れる事も出来ない。まさに、四面楚歌と言えるこの状態なら……。
『僕が、アンタを助けてやろうか?』
突然聞こえた声にも関わらず、少女は何故か「……ふふっ……」と力無く笑った。その反応に面食らい、しばらく様子を伺っていると、今度は「コレが、“幻聴”かぁ……」だなんて、虚な目で空を見上げて呟いた。
「お花畑とか、三途の川も、そのうち見えたり……する、のかなぁ。対岸にお迎え……来てくれるとしたらリアンかな。あ、でも……リアンまだ生きてるや」
ははっと短く笑い、少女が瞼を閉じようとする。僕の声が聴こえはしたみたいだが、側に何かが居るという発想にはなれていないみたいだ。
『幻聴じゃないぞ。酷い怪我だな、上から落ちたんだろう?僕が助けてやろうか』
「……え?」瞼を少し開け、少女は周囲を見ようとしたが体はまだ動かない。また、都合の良い幻聴だと切り捨てられる前に僕は、言葉を畳み掛けた。
『実はね、僕は他者の能力を高める魔法が使えるんだ。今の君にも少しだけその魔法を掛けてある。そのおかげで今は回復魔法を多少は使えているだろう?だけど、このペースのままなら全快するまでには何日も必要だろうね。もっとちゃんと助けてあげたい気持ちはあるんだけど、今のままではこれが限界なんだ。このままだと、ずっと野晒しのまま動けず、水も無く、食糧も持っていないし、血の臭いに気が付いた獣も寄って来ちゃうかもしれないなぁ。……こんな所で死にたくはないだろう?僕のお願いを聞いてくれるなら助けてあげてもいいけど、どうする?』
真実に少しの嘘を混ぜた。一気にちゃんと回復させる手助けをしてやる事なんか僕には余裕だが、それだと僕の話を聞かずに逃げる可能性もあるからだ。
ぼんやりと耳を傾けていた少女の口がゆっくり開く。『わかった、死にたくないし』とでも言うのかと思っていたけど、彼女の口からは予想外の言葉が出てきた。
「……別に。目を開けたらまだ生きていたから、仕方なく生きているだけだし、なぁ……」
ボソッと呟く声はきっと本心だ。自分に有利な状況を引き出そうとしているとか、そんな駆け引きをしたい感じじゃない。
「あ、でも……リアンが保育所で待ってるから、お迎え……行かないと、か」
声が途切れ、ちょっと思案しているみたいな間を置いてから、「お願いしよう、かな。早くお迎え行かないと、延長料金かかっちゃう」と言い、少女は力無く笑った。
(——は?まだ生きたい理由が、『保育所へのお迎えの為』って……。一体どんな生活をしているんだ、コイツは)
まぁいい。そんな事は僕には関係の無い話だ。気持ちを切り替え、話を続ける事にする。
『僕からの“お願い”の内容も聞かずに決めて良いのか?』
「んー……選択の余地は、なさそうだし」自分の置かれた状況を把握しているのか、全て無条件で受け入れる気のようだ。
『まぁ、そうだね。僕が立ち去ればアンタは確実に死ぬ。回復しきる前に、獣か大自然に負けるだろうね』
一度目を閉じ、少女が再び瞼を開ける。僕の言葉をきちんと受け止めようとしているような雰囲気だ。
「うん、だと思った。……ワタシは、アナタに何をしたらいいの?」
『僕と、契約を結んで欲しいんだ』
「契約……?」『アンタが回復能力を持っているように、僕は補助魔法が得意なんだ。契約してくれれば僕は、アンタの能力を無尽蔵に引き上げてやろう。そうすれば一瞬でその怪我も治せるし、今後も色々役に立つだろう?』
「……そんな事をして、アナタに、メリットはあるの?」
胸が苦しいのか、少女の言葉が途切れ途切れだ。傷は塞がり、血は止まっているみたいだが、既に失った血液の量が多いから夕日を浴びても誤魔化せていない程に顔色が悪い。
『もちろん、ある。——実はね、僕は姿を持たない存在なんだ。今だって、声しか聴こえてはいないだろう?』
「……そう、だね」 『他者と契約を結ぶ事で僕は相手の想像力を借り、体を手に入れられるんだ。自慢じゃないが、色々多才な僕だけど、コレばっかりは人様を頼る他なくってね』 「成る程……」納得したのか、少しだけ彼女の首が動いた。無意識に頷こうとしたみたいだ。
「お互いに、助け合う感じの約束なんだね」
『……まぁ、そうとも言える、かな?』そんなふうに受け取った相手は今までいなかったから、拍子抜けしてしまう。善人の発想が僕には理解出来ない。
「ワタシは“ルス”っていうの。ねぇ、アナタの名前は?」
突如された質問に驚き、『な、名前?』と発した声が裏返る。
「契約して助け合うなら、これからは一緒に居る事になるのかな?と思って。呼ぶにしても、名前を知らないと困るでしょう?」
(僕が自我を持ってから、初めて名前を訊かれたな……)
今までに、契約相手から『お前は何者だ?』くらいは問われる事もあったけど、ちゃんと“個”としての名前を訊かれたのは、永く生きてきたのに初めての経験だった。契約前は姿を表す事さえも出来ないような存在だ。そんな相手の呼び方なんかどうだっていいのだろう。だから僕は、『お前』とか『アンタ』などと呼ばれる事に抵抗も無かったし、当たり前だとさえ思っていたんだ。
なのに、この少女は僕の名前を訊いてきた。
そのせいか、自分の深い部分がじわりと熱くなり、とんでもなく不快だ。頭に血が昇る錯覚まで感じてしまう。だけど……心の片隅で、ちょっとだけ『嬉しい』と思う自分が確かに存在した事は認めておこう。到底受け入れ難い感情ではあるが、それを認める事により得られる成長もあるのだから。
存在自体が嵐のようなシュバルツが自分の部屋に戻り、ルス達の部屋の中に平穏が戻ってきた。 『リアンはどうしているのかな?』と思い、ルスが弟の部屋を覗いてみると、彼はペットベッドの上で丸まって寝ていた。腹が満たされ、昨日と同じく今日も天気が良いから、窓から差し込んでくる春の日差しの心地良さには抗えなかったのだろう。 今日は朝食を食べ終えたら直ぐにリアンを保育所に預けて、ルスは討伐ギルドに行くつもりだったのに、ぐっすり眠っている赤子を抱え上げてしまうのは流石に忍びない。抱えても起きないかもしれないが、起きた時に、自分の部屋じゃないって状況は結構怖いだろうなと思うと、ルスは眠るリアンに触れる事が出来なかった。「保育所には午後から預けたらどうだ?伝書鳥を送って連絡しておくから、今はゆっくり寝かせてやるといいよ。『寝ていても、抱えて無理矢理連れて来い』とは流石に言わないだろ」 ルスの返事を待つ事なくスキアが自分の伝書鳥を呼び出す。何処からともなく漆黒の塊が現れ、背の高いスキアの肩にドンッと乗った。首回りには半透明な魔法陣が細いチョーカーの様にぐるっと巻きついていて、この『烏』は野鳥ではなく、スキアの所有している伝書鳥である事を主張している。「……八咫、烏?」 スキアの肩に乗る濡羽色をした真っ黒な烏の足は三本あり、普通のカラスよりも随分と大きい。スキアにかなり懐いているみたいで、呼び出してもらえた喜びを示すみたいに頭を彼の頬に擦り寄せている。「へぇ。コイツは、ルスの世界ではそういう名で呼ばれているのか?」 「あ、うん、多分。確か神話に出てくる鳥らしいから、実際には会えないけど」 「そうか。随分と大層な存在にされている世界があるんだな、お前は」と言い、スキアが『八咫烏』に酷似した鳥に顔を近づける。するとその烏は彼の鼻先に頭をコツンとぶつけた。そんな様子を前にしたせいで、リアンがきっかけで、すっかり動物好きになっているルスは『可愛い!』としか考えられなくなる。世の尊さの全てがこの瞬間に集約されている気さえしてきた。 「ねぇねぇ、その子の名前はなんていうの?」 スキアの服の袖を軽く引っ張り、 尻尾を振りながらルスが訊く。「名前?」 「うん、名前」 「あー。……ない」 「ナイ君?」 「あ、いや。つけていないんだ、名前は。今までずっと不要だったか
「ところで、二人で料理をしたりはしないのか?」 もぐもぐと、一口サイズにちぎったパンを食べつつシュバルツが訊いてくる。「料理は僕の担当だ。ルスに任せると……その、節約メニューになるからな」 調味料の必要性すらピンときていないレベルだ、調理を任せる気になど到底なれない。ルスも一応は“知識”としてちゃんとした料理の手順くらいは知っているみたいだが、知っている『だけ』では作れないので、今後も僕が作る事になるだろう。(久しぶりの食事だ、ちゃんと美味しい物を食べたいしな)「じゃあさ、今度手が空いている時で良いんだ、ボクに料理を教えてはくれないか?嫁達にばかり任せては、夫として失格だからな」 瞳を輝かせて素晴らしい台詞をさらりと言うが、お前はまだ独身だろ。「あのなぁ……。そうやって理想を語るのは悪い事ではないが、複数の相手へ同時に結婚を申し込むのは失礼じゃないか?」 溜め息を吐きつつそう言うと、「……そうなのか?」とシュバルツがきょとん顔をする。ルスもちょっと困り顔になってこくりと頷いた。「えっと、ワタシの暮らしていた世界では一夫一婦制の地域が圧倒的に多かったらしいから、正直理解に苦しむ、かな」 ルスの発した『らしい』という言葉が妙に引っ掛かったが、そこに触れる前にシュバルツが「そうなのか。ボクの暮らしていた世界ではそれほど珍しいものではなかったから、そういう感覚は失念していたな。——すまない」と、また素直に謝ってきた。「……まぁ、アンタの元の世界と同じく、この世界でも複数の者との婚姻は公式に認められてはいるし、アンタの行動は間違っちゃいない。……ただ、『相手を選べ!』とは思うけどな」 独身であるマリアンヌに結婚を申し込むのはまだいい。所詮は他人事だし。だけど、愛情の無い仮初の関係だとはいえ、『結婚している』と宣言している僕らにするのは止めてくれ。(事実婚のままじゃなく、早めに届出の方もやっておくか)「そうか……ボクなりの誠意のつもりだったんだが、迷惑だったのかな」 「誠意?」 複数への同時求婚が何故に誠意を示す事になるのだと思いながら、不思議そうな顔をしているルスと共に、夫婦揃って首を横に傾げた。「これは完全に私事なんだけど……。——ボクの父親は、そりゃもう気の多い人でさ」 「だろうな」 シュバルツの言葉をぶった斬るみたいにツッ
「リアン。すまないが、食事はまだちょっと待っていられるか?」 前のめりになりながら口から涎を垂らし、尻尾を振っていたリアンに『待て』と言う。途端に瞳をウルッとさせて悲しそうな顔をしたリアンの頭を優しく撫でると、僕とルスは二人で玄関まで足を向けた。「どちら様ですか?」 誰が来ているのかはもう『たのもう』の一声からわかっているはずなのだが、それでも一応確認をするくらいの警戒心を意外にもルスは持っていたみたいだ。小さな弟と二人暮らしをしているからだろうな。彼女が一人暮らしだったら何の確認もせずに扉を開けていそうだけれども。「昨日、山猫亭で会ったシュバルツだ。早速隣の部屋に引っ越して来たから、ぜひその挨拶をと思って」 顔を向かい合わせて『なるほど』と頷き合う。彼はまだ単身でありながら、将来を見越して本当にファミリー向けの部屋を借りたみたいだ。だが本当に複数の嫁を娶る気ならそれでも全然部屋が足りないだろうから、まずはルスとマリアンヌの側で暮らしておこうという魂胆も多少はあるのかもしれない。当初の予定通り、ただここが、多くのギルドから一番近い賃貸物件であるというだけの理由のままかもしれないが。「今開けるね」と返事をしてルスが玄関を開ける。するとそこには、顔が隠れて見えなくなる程に大きな花束を持ったシュバルツが立っていた。 「驚いたかい?ルス、君への贈り物だよ!」 赤や白い薔薇などをふんだんにあしらった花束の横からひょいっと顔を出し、次の瞬間にはルスの方へその花束を差し出してくる。驚いた顔をしながらも、反射的にそれを受け取ろうとするルスの手よりも先に、「そりゃどうも」と不機嫌な声で答えながら僕が花束を受け取る。するとお次は即座に扉を閉めようと手を伸ばした。「待って!君にあげたわけじゃないよ⁉︎」 「知ってる。——じゃあな」 この度の憑依先であるルスのおかげで得た長い腕を有効に使い、扉の端を掴んでそのまま閉めようとすると、シュバルツがその身を犠牲にして挟まってくる。「うぐおっ!」と、何か巨大な物に踏みつけられた時みたいな声をあげても尚逃げようとしないでそのままでいる根性は認めてやろう。 「引越しの挨拶は済んだし、花も受け取った。もう用事は無いだろ?」 心底嫌そうな表情を隠す事なくそう告げると、「いやいやいや、用件ならまだあるぞ?」とシュバルツは体を扉に
翌朝。 目を覚ますと、今日は僕の方が目覚めが早かったのか、すぐ隣で眠っているルスの寝顔が目に入った。猫みたいに尖ったシルエットの獣耳がピクピクと軽く動き、少しだけ開いている口の端っこからは涎が垂れていて、無防備な姿がバチクソ可愛い。——だがすぐに、そう思ってしまった自分に腹が立ち、彼女を起こさない様にゆっくりベッドから這い出しつつ、脳内でルスのふさっとした大きな尻尾をこれでもかってくらいに踏み付けまくった。 ちゃんと着替えるのは面倒なので、着替えをした風に装う為に服装を変えておくかと決めて、昨日山猫亭に居た客の着ていた格好を真似てみる事にした。ゆったりめで丈の長いカウルネックの白いシャツとグレーのジョガーパンツ、外に出る時用にパンツと似た色のボタンアップブーツを靴箱の中にしまっておく。靴は別の場所から拝借してきた物だが、それ以外は自分自身の姿をちょっと変える要領で着替えているので、『脱ぐ』という行為が出来ない。だが、消し去る事は可能なので不自由はないだろう。(さて、早速二人が起きる前に朝食を用意しておくとするか) それこそ面倒だと、どこかから出来合いの品を頂戴する事も可能だが、早急にルスの心を僕のモノにしてしまうにはやはり手作りが一番だ。早く心酔させないと、僕の方が彼女の持つ善意に毒されてしまいそうだから、本当に急がねば。 問題は食材だが、これに関しては昨日きちんと買い揃える事が出来たので、今日は真っ当な料理が可能だろう。まず手始めにジャガイモとトマトのスープでも作ろうと決めて鍋を用意した。 ——昨日はあの後、山猫亭で昼ご飯を済ませ、マリアンヌの仕事が落ち着くのを待ってから家賃を払うと、僕達は逃げるみたいにして店を後にした。彼としては『つるぺた胸発言』に対しての謝罪と言い訳をもっと沢山したかったみたいだが、流石にリアンが暇を持て余し、ルスの尻尾で遊んだり噛んだりし始めたので、向こうも無理に引き止めようとはしてこなかった。せめてものお詫びにと、日持ちしそうなお菓子を大量に持たされはしたが。 その後いったんもらったお菓子を置く為に部屋に戻り、今度は露店の並ぶ市場へ向かった。 一昨日の夜は閑散としていた場所だったが、昼間はとても騒がしく、買い物に来る人達でとても賑わっていた。家族らしく、何か摘まみながら三人でデートでもと思っていたのだが、今度はリアンが
「はぁぁぁぁぁぁ⁉︎」 店内どころか、外にまで聞こえそうな声をマリアンヌがあげた。彼自身がこの店や周辺一体のオーナーでもなければ通報モノの大声だ。“男”丸出しの低い声だったからか、彼を“彼女”だと認識していたルスがかなり驚き、僕の履いているスラックスの太腿部分をぎゅっと掴んでくる。その甘えがちょっと嬉しいなと思っている自分に喝を入れつつ、「その夫です」と宣言して僕は軽く手を挙げてみた。「最初から『誰だ?コイツ』とは思ってはいたけど、ま、ま、まさか、一番有り得ないだろうと思った答えだったなんて…… 」 愛どころか恋すら理解していなさそうな(実際問題、マジで理解していないのだが)くらいに幼い容姿をしたルスの連れが、こんなオッサンでは確かに一番予想しない関係性だろう。しかも昨日まではこの町に居なかった、急に降って湧いた存在だし、当然か。「……あ、詐欺?詐欺ね?結婚詐欺。『お金あげるから結婚しろ』って言われて『うん』って答えちゃったんじゃないの?ルスちゃん!」 結婚詐欺としては辻褄の合わぬ内容を早口でまくし立て、僕の腕の中に綺麗に収まったままになっているルスの方へ、ぬっと筋肉質な腕を伸ばし、マリアンヌが彼女の右手をぎゅっと掴んだ。「お金なら私がいくらでもあげるから、そっちじゃなくて、私と結婚しときましょ!」 ごつい体型の顔だけ美人が、叫ぶわ半泣きだわでもう、この席周辺だけ完全に地獄絵図である。何故僕は、この短時間の間に二度も嫁(仮)が求婚を受ける様子を目にせねばならんのだ。愛情ありきで結婚したわけではなくても不愉快極まりない。「まさか、この色香に惑わされたの⁉︎駄目、絶対!こういうタイプの男はどこに行っても散々モテまくって浮気し放題よ!釣った魚には餌もやらず、ルスちゃんが浮気を責めたら『お前は黙って家に居ればいいんだ、面倒臭い奴め』って自分の行為を棚上げしてくるに決まってるんだからっ」 散々な言われ様だが、僕のこの容姿を充分評価しているみたいだ。五十代くらいのオッサンである点を除けば、彫りの深い目鼻立ちや少し垂れ目がちなのに意志の強そうな印象のある青鈍色の瞳、シミのない艶やかな肌質や、後ろにただ流しただけなのに様になる髪質などはかなりの高得点をつけられるものがあるので、マリアンヌが警戒心を丸出しにするのも納得である。「ルスちゃんみたいに純粋無垢な子には
「外にある掲示板を見て来たんだが、ここの大家と話は出来るかな?」 丁度昼時で食事をしに来ている客でごった返している店内を、真っ黒なマントで身を包んでいる男が堂々と横切っていく。身長と声からするとまだ少年の様だ。いかにもなとんがり帽子を頭に深くかぶり、手には外にある掲示板に貼ってあったであろう“空き部屋情報”の書かれた紙を持っている。そのまま持ち歩くには大きなサイズのものだからか、ぐるっと筒状にしているが、よくまぁあれを剥がして持って行こうって気になったものだ。「オーナー!賃貸の件での要件があるって方が来てますけど、奥の席にご案内しておいてもいいですか?」 ホール担当の女性が厨房に戻っていたマリアンヌに声を掛ける。彼がした『OK』の合図を見て、「こちらの方でお待ちいただけますか?」と店員が声を掛け、全身真っ黒な少年風の男が僕達の座っている席の方へ案内されて来た。「何か飲み物でもお持ちしましょうか?有料ですけど」 「じゃあ、オレンジ……いや、ホットコーヒーをブラックで!」 「ホットコーヒーですね。今は丁度忙しい時間なのでオーナーとお話するには結構待って頂く事になると思うんですけど、お時間は問題ないですか?」 「あぁ、問題ない」 不遜な態度でそう言うと、少年と思われる男は案内された席に座ろうとした。が、ちらっとこちらの席に視線をやったかと思うと、とんがり帽子とマントの隙間から少しだけ見えている顔を真っ赤に染めて、急にルスの方へぬっと腕を伸ばし、彼女の手を勝手に握った。「君!——ボクの、嫁にならないか?」 「はぁぁぁぁぁ⁉︎」 少年の声とほぼ同時に叫んだのは、夫(仮)である僕ではなくて、厨房からリアンのための料理を運んで来たマリアンヌの方だった。その隙に僕は少年の手を叩き落としてルスの隣に席を移し、彼女の肩を抱いて自分の方へ、これ見よがしに抱き寄せておく。愛情の伴っていない仮初の夫婦であろうが、夫婦は夫婦だ。憑依先でもあるルスを盗られまいと少年の顔をキッと睨む。「ちょ!そっちもそっちで何やってんのよ!」 怒った猫みたいに毛を逆立ててマリアンヌが怒っている。高身長のせいか、『山猫亭』という店名と同じヤマネコが怒っているみたいにも見えた。「あ、リアンちゃんのご飯持って来まちたよぉ」 急に声を甲高くしてそう言うと、マリアンヌは持っていた大皿







