LOGIN『……なま、え……』
「うん。……何て、呼べばいいのかな」(知るか!そんなの。——あぁもういい、勝手にしろ)
と、心の奥底でだけ悪態をつく。
『ア、アンタの好きに呼べばいい。別に僕は“お前”でも“アンタ”でも、“おい”って呼ばれようが、反応はするんだし』
そもそも持っていないものを教える事なんか出来やしないんだ、これ以上は訊かないで欲しい。そんな気持ちでいたせいか、随分と投げやりな声色になってしまった。
「好き、に……?」
『あぁ、好きにしていい』僕がそう言うと、“ルス”と名乗った少女の口角が少しあがった。
「……じゃあ、“スキア”って呼ぼうかな」
楽しそうに笑顔を浮かべているみたいだが、何処もかしこも血塗れなせいで少し怖い。これではまるで猟奇殺人鬼みたいだ。
『スキア?』
「そう、“スキア”。意味はねぇ、確か……“影”だったはずだよ。姿は見えないけど、こうやって、“影”みたいに優しく傍に居てくれているから」僕に心臓があれば、ドキッとしていたに違いない。
まさか僕が、実体を持てぬ時は『影』に溶け込んで生きるしかない存在であると、ルスはわかっていてこの名前を選んだのだろうか?生き物達が負の感情を抱き始め、それらが少しづつ影の中で蓄積されて、ついぞ意思を持ったイキモノが僕であると、彼女は知って……?
……いや、そんなはずは無いか。
誰にも知られず、契約により『
「別の、名前がいい?」
僕が黙っていたせいか、ルスの声は少し不安げだ。
『いや、大丈夫。……“スキア”か、良いんじゃないかな』
その名を口にしていると、じわりと自分に馴染んでいく感じがする。一度も経験の無い、何だかとても……不思議な感覚だ。
『じゃ、じゃあ、早速契約を交わそうか』
「あぁ、うん……。そうだね」返事をし、ルスがゆっくりと頷く。何とかそのくらいは出来るまで回復が進んできたみたいだ。
(マズイな、予想よりも回復が早い)
早く契約を結ばないと、気が変わって『やっぱりやめる』と言い始めるかもしれないし、僕と契約する事のデメリットを訊かれたりもするかもしれない。だが、名前と同じく、『そんなものは無い』が答えなので焦る必要はないのだが……過去の玩具達が自害した人数を考えると、『デメリットなど無い』というのは嘘になるのかもな。
『アンタは、ヒーラーだもんな?』
「うん」 『ヒーラー……なぁ』僕と契約を交わすと、その印となる魔法陣型の“契約印”が憑依先となる者の体に刻まれる。だけど、通常ならば召喚士でもない存在が“何か”と契約をした印がある事などまず無い。歴史的にみても、僕と契約を交わした者くらいしか契約印の刻印者はおらず、それらは残らず全て悪名高い者ばかりだ。
このまま何も考えずに契約を結ぶと、悪魔との契約者扱いされる可能性もあり得る。
ルスがヒーラーである以上、いつか神殿から呼び出されて、“聖水製造”に携わる事があるかもしれない。——でも確かアレは、大量の水の中に回復魔法の使える者が全裸で浸かり、魔力を流し込むという羞恥プレイを強要されるイカれた儀式だ。万年童貞の老害神官共にぐるっと周囲を囲まれて、綺麗な娘が何十分も全裸のまま祈りを捧げさせられるだなんて下心しか感じられない。そんなクソみたいな羞恥的儀式の中で契約印を神官共に見られでもしたら、ルスはそのまま火炙りにされてしまうだろう。
(——ん?それはそれで、面白いかもしれないな)
ちょっとそんな事を考えたが、真っ白だった修道女風のワンピースを自身の血で真っ赤に染めている姿を見ていると、もっと違う方法で堕とした方が楽しめる気がしてきた。
(……そっか。ルスは“女性体”だ、
『ちょっとだけ体に触れるけど、暴れちゃ駄目だぞ?』
彼女の全身の骨はまだ折れたままだ。なので殆ど体を動かせる状態ではないのだが、一応警告しておく。もっとも、触れるのはほんの一瞬だけだし、麻痺している体では、例え強く触れたとしても全くわからないままだろうけど。
“最適な箇所”は常に真っ暗な状態なので、体勢を変えさせる必要もなく契約の印を刻み込む。魔法陣が描かれていく少しの間だけその箇所が光を帯びていたが、それもすぐに消え、外部からは一切契約の印を認識する事の出来ない状態に出来た。
『——よし。終わったぞ、お疲れ様。そうそう、契約が体に馴染むまでの間は僕の魔力を定期的に与えるために触れないといけないんだ。あと、アンタの持っている能力は徐々に強化されていく感じになるから、今いきなり最上級の回復魔法を使えるようになる訳ではないので、悪しからず』
「うん、わかった」
『今のこの体の状態を瞬時に治すくらいの魔力は分けてあげよう。だから、近いうちに美味しい物でもご馳走してくれよ』意地の悪い声色でそう言うと、ルスは「お手柔らかに」と答えて苦笑いを浮かべたのだった。
◇ 『——どうだ?体の状態は大丈夫か?』魔法で自己回復を遂げ、ルスはすっかり元気そうに立っている。剣で切り裂かれたスカートの裾や、血塗れで真っ赤になっている服なんかは現状だとまだどうにも出来ないのでそのままだ。
「うん、大丈夫そう。……ありがとう」
何処からともなく声が聞こえるという状況だからか、ルスの視線が彷徨っている。礼を言う対象が見えないというのは対応し難いみたいだ。
『じゃあ次は僕の番だ』
「そうだね。ワタシは、何をしたらいいの?」『アンタはただ、想像するだけでいい。僕に“こうなって欲しい”って姿を考えてみて』
「……なって欲しい、姿?」
きょとん顔でルスが首を傾げている。驚く程何も浮かんでいないせいで、僕も体を造れない。これから使うのは契約者の想像力に完全依存する魔法なのだが、コイツの場合は言葉で少し補助してやらないと無理そうだ。
『そうだな、“傍に居て欲しい者”の姿を浮かべてみるのはどうかな。長い期間一緒に居る事になるから、好みの容姿とかもでもいいと思う』
「傍に、か。……わかった気がする。やってみるね」
『あぁ、頼むよ』ルスはその場に膝をつき、すっかり夕日が沈んで暗くなり始めた空に向かって祈りを捧げるような体勢になった。瞼を閉じ、必死にイメージを固めていってくれる。そんな彼女のイメージ通りに僕は“自分”を形造っていく。周囲にはもう闇ばかりだ。僕は存分に力を発揮し、見事新しい肉体を手に入れた。
やった!これでまた僕は自由だ!
影の中に閉じ込められたような、無様な存在じゃない。
多くの者の耳へ言の葉の毒を注ぎ込み、今一度、不幸を撒き散らしてやる。
——そんな事を考えていたせいで僕は、錠前が閉まるような“小さな音”が何処かで鳴ったのを、聴き逃した事にも気が付かなかった。
存在自体が嵐のようなシュバルツが自分の部屋に戻り、ルス達の部屋の中に平穏が戻ってきた。 『リアンはどうしているのかな?』と思い、ルスが弟の部屋を覗いてみると、彼はペットベッドの上で丸まって寝ていた。腹が満たされ、昨日と同じく今日も天気が良いから、窓から差し込んでくる春の日差しの心地良さには抗えなかったのだろう。 今日は朝食を食べ終えたら直ぐにリアンを保育所に預けて、ルスは討伐ギルドに行くつもりだったのに、ぐっすり眠っている赤子を抱え上げてしまうのは流石に忍びない。抱えても起きないかもしれないが、起きた時に、自分の部屋じゃないって状況は結構怖いだろうなと思うと、ルスは眠るリアンに触れる事が出来なかった。「保育所には午後から預けたらどうだ?伝書鳥を送って連絡しておくから、今はゆっくり寝かせてやるといいよ。『寝ていても、抱えて無理矢理連れて来い』とは流石に言わないだろ」 ルスの返事を待つ事なくスキアが自分の伝書鳥を呼び出す。何処からともなく漆黒の塊が現れ、背の高いスキアの肩にドンッと乗った。首回りには半透明な魔法陣が細いチョーカーの様にぐるっと巻きついていて、この『烏』は野鳥ではなく、スキアの所有している伝書鳥である事を主張している。「……八咫、烏?」 スキアの肩に乗る濡羽色をした真っ黒な烏の足は三本あり、普通のカラスよりも随分と大きい。スキアにかなり懐いているみたいで、呼び出してもらえた喜びを示すみたいに頭を彼の頬に擦り寄せている。「へぇ。コイツは、ルスの世界ではそういう名で呼ばれているのか?」 「あ、うん、多分。確か神話に出てくる鳥らしいから、実際には会えないけど」 「そうか。随分と大層な存在にされている世界があるんだな、お前は」と言い、スキアが『八咫烏』に酷似した鳥に顔を近づける。するとその烏は彼の鼻先に頭をコツンとぶつけた。そんな様子を前にしたせいで、リアンがきっかけで、すっかり動物好きになっているルスは『可愛い!』としか考えられなくなる。世の尊さの全てがこの瞬間に集約されている気さえしてきた。 「ねぇねぇ、その子の名前はなんていうの?」 スキアの服の袖を軽く引っ張り、 尻尾を振りながらルスが訊く。「名前?」 「うん、名前」 「あー。……ない」 「ナイ君?」 「あ、いや。つけていないんだ、名前は。今までずっと不要だったか
「ところで、二人で料理をしたりはしないのか?」 もぐもぐと、一口サイズにちぎったパンを食べつつシュバルツが訊いてくる。「料理は僕の担当だ。ルスに任せると……その、節約メニューになるからな」 調味料の必要性すらピンときていないレベルだ、調理を任せる気になど到底なれない。ルスも一応は“知識”としてちゃんとした料理の手順くらいは知っているみたいだが、知っている『だけ』では作れないので、今後も僕が作る事になるだろう。(久しぶりの食事だ、ちゃんと美味しい物を食べたいしな)「じゃあさ、今度手が空いている時で良いんだ、ボクに料理を教えてはくれないか?嫁達にばかり任せては、夫として失格だからな」 瞳を輝かせて素晴らしい台詞をさらりと言うが、お前はまだ独身だろ。「あのなぁ……。そうやって理想を語るのは悪い事ではないが、複数の相手へ同時に結婚を申し込むのは失礼じゃないか?」 溜め息を吐きつつそう言うと、「……そうなのか?」とシュバルツがきょとん顔をする。ルスもちょっと困り顔になってこくりと頷いた。「えっと、ワタシの暮らしていた世界では一夫一婦制の地域が圧倒的に多かったらしいから、正直理解に苦しむ、かな」 ルスの発した『らしい』という言葉が妙に引っ掛かったが、そこに触れる前にシュバルツが「そうなのか。ボクの暮らしていた世界ではそれほど珍しいものではなかったから、そういう感覚は失念していたな。——すまない」と、また素直に謝ってきた。「……まぁ、アンタの元の世界と同じく、この世界でも複数の者との婚姻は公式に認められてはいるし、アンタの行動は間違っちゃいない。……ただ、『相手を選べ!』とは思うけどな」 独身であるマリアンヌに結婚を申し込むのはまだいい。所詮は他人事だし。だけど、愛情の無い仮初の関係だとはいえ、『結婚している』と宣言している僕らにするのは止めてくれ。(事実婚のままじゃなく、早めに届出の方もやっておくか)「そうか……ボクなりの誠意のつもりだったんだが、迷惑だったのかな」 「誠意?」 複数への同時求婚が何故に誠意を示す事になるのだと思いながら、不思議そうな顔をしているルスと共に、夫婦揃って首を横に傾げた。「これは完全に私事なんだけど……。——ボクの父親は、そりゃもう気の多い人でさ」 「だろうな」 シュバルツの言葉をぶった斬るみたいにツッ
「リアン。すまないが、食事はまだちょっと待っていられるか?」 前のめりになりながら口から涎を垂らし、尻尾を振っていたリアンに『待て』と言う。途端に瞳をウルッとさせて悲しそうな顔をしたリアンの頭を優しく撫でると、僕とルスは二人で玄関まで足を向けた。「どちら様ですか?」 誰が来ているのかはもう『たのもう』の一声からわかっているはずなのだが、それでも一応確認をするくらいの警戒心を意外にもルスは持っていたみたいだ。小さな弟と二人暮らしをしているからだろうな。彼女が一人暮らしだったら何の確認もせずに扉を開けていそうだけれども。「昨日、山猫亭で会ったシュバルツだ。早速隣の部屋に引っ越して来たから、ぜひその挨拶をと思って」 顔を向かい合わせて『なるほど』と頷き合う。彼はまだ単身でありながら、将来を見越して本当にファミリー向けの部屋を借りたみたいだ。だが本当に複数の嫁を娶る気ならそれでも全然部屋が足りないだろうから、まずはルスとマリアンヌの側で暮らしておこうという魂胆も多少はあるのかもしれない。当初の予定通り、ただここが、多くのギルドから一番近い賃貸物件であるというだけの理由のままかもしれないが。「今開けるね」と返事をしてルスが玄関を開ける。するとそこには、顔が隠れて見えなくなる程に大きな花束を持ったシュバルツが立っていた。 「驚いたかい?ルス、君への贈り物だよ!」 赤や白い薔薇などをふんだんにあしらった花束の横からひょいっと顔を出し、次の瞬間にはルスの方へその花束を差し出してくる。驚いた顔をしながらも、反射的にそれを受け取ろうとするルスの手よりも先に、「そりゃどうも」と不機嫌な声で答えながら僕が花束を受け取る。するとお次は即座に扉を閉めようと手を伸ばした。「待って!君にあげたわけじゃないよ⁉︎」 「知ってる。——じゃあな」 この度の憑依先であるルスのおかげで得た長い腕を有効に使い、扉の端を掴んでそのまま閉めようとすると、シュバルツがその身を犠牲にして挟まってくる。「うぐおっ!」と、何か巨大な物に踏みつけられた時みたいな声をあげても尚逃げようとしないでそのままでいる根性は認めてやろう。 「引越しの挨拶は済んだし、花も受け取った。もう用事は無いだろ?」 心底嫌そうな表情を隠す事なくそう告げると、「いやいやいや、用件ならまだあるぞ?」とシュバルツは体を扉に
翌朝。 目を覚ますと、今日は僕の方が目覚めが早かったのか、すぐ隣で眠っているルスの寝顔が目に入った。猫みたいに尖ったシルエットの獣耳がピクピクと軽く動き、少しだけ開いている口の端っこからは涎が垂れていて、無防備な姿がバチクソ可愛い。——だがすぐに、そう思ってしまった自分に腹が立ち、彼女を起こさない様にゆっくりベッドから這い出しつつ、脳内でルスのふさっとした大きな尻尾をこれでもかってくらいに踏み付けまくった。 ちゃんと着替えるのは面倒なので、着替えをした風に装う為に服装を変えておくかと決めて、昨日山猫亭に居た客の着ていた格好を真似てみる事にした。ゆったりめで丈の長いカウルネックの白いシャツとグレーのジョガーパンツ、外に出る時用にパンツと似た色のボタンアップブーツを靴箱の中にしまっておく。靴は別の場所から拝借してきた物だが、それ以外は自分自身の姿をちょっと変える要領で着替えているので、『脱ぐ』という行為が出来ない。だが、消し去る事は可能なので不自由はないだろう。(さて、早速二人が起きる前に朝食を用意しておくとするか) それこそ面倒だと、どこかから出来合いの品を頂戴する事も可能だが、早急にルスの心を僕のモノにしてしまうにはやはり手作りが一番だ。早く心酔させないと、僕の方が彼女の持つ善意に毒されてしまいそうだから、本当に急がねば。 問題は食材だが、これに関しては昨日きちんと買い揃える事が出来たので、今日は真っ当な料理が可能だろう。まず手始めにジャガイモとトマトのスープでも作ろうと決めて鍋を用意した。 ——昨日はあの後、山猫亭で昼ご飯を済ませ、マリアンヌの仕事が落ち着くのを待ってから家賃を払うと、僕達は逃げるみたいにして店を後にした。彼としては『つるぺた胸発言』に対しての謝罪と言い訳をもっと沢山したかったみたいだが、流石にリアンが暇を持て余し、ルスの尻尾で遊んだり噛んだりし始めたので、向こうも無理に引き止めようとはしてこなかった。せめてものお詫びにと、日持ちしそうなお菓子を大量に持たされはしたが。 その後いったんもらったお菓子を置く為に部屋に戻り、今度は露店の並ぶ市場へ向かった。 一昨日の夜は閑散としていた場所だったが、昼間はとても騒がしく、買い物に来る人達でとても賑わっていた。家族らしく、何か摘まみながら三人でデートでもと思っていたのだが、今度はリアンが
「はぁぁぁぁぁぁ⁉︎」 店内どころか、外にまで聞こえそうな声をマリアンヌがあげた。彼自身がこの店や周辺一体のオーナーでもなければ通報モノの大声だ。“男”丸出しの低い声だったからか、彼を“彼女”だと認識していたルスがかなり驚き、僕の履いているスラックスの太腿部分をぎゅっと掴んでくる。その甘えがちょっと嬉しいなと思っている自分に喝を入れつつ、「その夫です」と宣言して僕は軽く手を挙げてみた。「最初から『誰だ?コイツ』とは思ってはいたけど、ま、ま、まさか、一番有り得ないだろうと思った答えだったなんて…… 」 愛どころか恋すら理解していなさそうな(実際問題、マジで理解していないのだが)くらいに幼い容姿をしたルスの連れが、こんなオッサンでは確かに一番予想しない関係性だろう。しかも昨日まではこの町に居なかった、急に降って湧いた存在だし、当然か。「……あ、詐欺?詐欺ね?結婚詐欺。『お金あげるから結婚しろ』って言われて『うん』って答えちゃったんじゃないの?ルスちゃん!」 結婚詐欺としては辻褄の合わぬ内容を早口でまくし立て、僕の腕の中に綺麗に収まったままになっているルスの方へ、ぬっと筋肉質な腕を伸ばし、マリアンヌが彼女の右手をぎゅっと掴んだ。「お金なら私がいくらでもあげるから、そっちじゃなくて、私と結婚しときましょ!」 ごつい体型の顔だけ美人が、叫ぶわ半泣きだわでもう、この席周辺だけ完全に地獄絵図である。何故僕は、この短時間の間に二度も嫁(仮)が求婚を受ける様子を目にせねばならんのだ。愛情ありきで結婚したわけではなくても不愉快極まりない。「まさか、この色香に惑わされたの⁉︎駄目、絶対!こういうタイプの男はどこに行っても散々モテまくって浮気し放題よ!釣った魚には餌もやらず、ルスちゃんが浮気を責めたら『お前は黙って家に居ればいいんだ、面倒臭い奴め』って自分の行為を棚上げしてくるに決まってるんだからっ」 散々な言われ様だが、僕のこの容姿を充分評価しているみたいだ。五十代くらいのオッサンである点を除けば、彫りの深い目鼻立ちや少し垂れ目がちなのに意志の強そうな印象のある青鈍色の瞳、シミのない艶やかな肌質や、後ろにただ流しただけなのに様になる髪質などはかなりの高得点をつけられるものがあるので、マリアンヌが警戒心を丸出しにするのも納得である。「ルスちゃんみたいに純粋無垢な子には
「外にある掲示板を見て来たんだが、ここの大家と話は出来るかな?」 丁度昼時で食事をしに来ている客でごった返している店内を、真っ黒なマントで身を包んでいる男が堂々と横切っていく。身長と声からするとまだ少年の様だ。いかにもなとんがり帽子を頭に深くかぶり、手には外にある掲示板に貼ってあったであろう“空き部屋情報”の書かれた紙を持っている。そのまま持ち歩くには大きなサイズのものだからか、ぐるっと筒状にしているが、よくまぁあれを剥がして持って行こうって気になったものだ。「オーナー!賃貸の件での要件があるって方が来てますけど、奥の席にご案内しておいてもいいですか?」 ホール担当の女性が厨房に戻っていたマリアンヌに声を掛ける。彼がした『OK』の合図を見て、「こちらの方でお待ちいただけますか?」と店員が声を掛け、全身真っ黒な少年風の男が僕達の座っている席の方へ案内されて来た。「何か飲み物でもお持ちしましょうか?有料ですけど」 「じゃあ、オレンジ……いや、ホットコーヒーをブラックで!」 「ホットコーヒーですね。今は丁度忙しい時間なのでオーナーとお話するには結構待って頂く事になると思うんですけど、お時間は問題ないですか?」 「あぁ、問題ない」 不遜な態度でそう言うと、少年と思われる男は案内された席に座ろうとした。が、ちらっとこちらの席に視線をやったかと思うと、とんがり帽子とマントの隙間から少しだけ見えている顔を真っ赤に染めて、急にルスの方へぬっと腕を伸ばし、彼女の手を勝手に握った。「君!——ボクの、嫁にならないか?」 「はぁぁぁぁぁ⁉︎」 少年の声とほぼ同時に叫んだのは、夫(仮)である僕ではなくて、厨房からリアンのための料理を運んで来たマリアンヌの方だった。その隙に僕は少年の手を叩き落としてルスの隣に席を移し、彼女の肩を抱いて自分の方へ、これ見よがしに抱き寄せておく。愛情の伴っていない仮初の夫婦であろうが、夫婦は夫婦だ。憑依先でもあるルスを盗られまいと少年の顔をキッと睨む。「ちょ!そっちもそっちで何やってんのよ!」 怒った猫みたいに毛を逆立ててマリアンヌが怒っている。高身長のせいか、『山猫亭』という店名と同じヤマネコが怒っているみたいにも見えた。「あ、リアンちゃんのご飯持って来まちたよぉ」 急に声を甲高くしてそう言うと、マリアンヌは持っていた大皿