Chapter: 【第19話】夫婦の営みとその攻防③(桜塚イレイラ・談)(——『カイルは相当追い詰められている!』) 残留思念から意識が戻り、目前に迫る状況を再度理解した頭で、私はゲームのナレーションみたいにそう叫びそうになった。 これ、回避出来ないやつだ! いったい彼は、今この瞬間を何年待ちわびたんだろう? どのくらいお預けをくらっていたのだろうか? |黒猫時代《初めて》は『発情期じゃないから』と断られて行為が出来ず、今回は見た目で『まだ子供なのか』と思って諦めていたのに、『実は大人ですよ』とか言われたら、プツンと我慢の糸が切れるのは当然か。(だからって、受け入れられる話じゃ無いんだけどね!)「イレイラ……ねぇ、僕を受け入れて?触れさせて?いい加減にもう、君を抱きたいんだ」 甘い色のある声音で囁く声が耳に近い。意識が飛んでいたうちに距離はほぼ無くなっていて、ヘッドボードを使って壁ドンされているみたいになっていた。 カイルの吐息でキュッのお腹の中が疼く感じがして頰が熱を持つ。ヤバイ、体が勝手に受け入れ態勢に入っている気がする。そんな中、耳を甘噛みされ、体が快楽に震えた。「気持ちいい?こんなに震えて、可愛いねイレイラ」 カイルはクスクスと笑い、私の耳を撫でる。頰をぺろっと舐められ、小さなキスをそこに何度もしてきた。「好きだよ、どんな姿だって君が愛おしい……」 指で顎を軽く持ち上げられ、カイルの口が近づく。このままでは私のファーストキスが奪われてしまうと思うのに、近過ぎる距離に抵抗が出来ない。「あ、ま……——」 『待って!』の言葉がカイルの口の中へ消えていった。完全に私達の唇は一つとなり、彼の少しザラついた舌が私の中へ入ってくる。ニュルッと舌を他者に絡め取られる感じに、腰のあたりがざわつく。歯茎を丁寧に舐め、“人間”よりも長い舌が上顎まで届いてそこを愛撫しだした。 その行為のせいで思考が停止し、もっとと強請るようにカイルの白いシャツにしがみついてしまう。そんな私にカイルは、ご褒美をくれるみたいに全身を撫でてきた。 マッサージするみたいな撫で方じゃない。相手に快楽を感じさせるための愛撫をされていると、ハッキリわかるいやらしさがその手にはある。何処を撫でれば私がどう反応するのか、調べるみたいに上から下へと全身を丁寧に丹念に。年季の入った手の動きに私の体はアッサリ陥落してしまい、ビクビクと震える事で彼に自分の弱い
Last Updated: 2025-12-24
Chapter: 【第18話】夫婦の営みとその攻防②《残留思念》(イレイラ・談)『——ねぇ、お願い。イレイラ、コレ飲んで?』 ベッドの上で一人と一匹。カイルは“私”の前でお行儀よく正座をして座っている。その手にはガラス製の小さな瓶があって、キラキラと光って不思議な色をしていた。ベッドの側にあるスタンドライトの魔法光が発する灯りが瓶にあたると、それは青にも黄色にも見える。(何でだろう?——というか、コレは何だろうか?) 首を傾げていると、カイルが少し視線を逸らした。頰が赤い。まさか風邪でもひいたのだろうか?『きょ、今日は僕達の初夜だから……その、ね?“番”だったらする事が、あるよね?』 カイルの声がうわずっていて少し震えている。やっぱり風邪なんじゃないのだろうか?よくわからない事を言っていないでサッサと寝るべきだ。風邪はひき始めが肝心だというし。 “私”は枕の方へ進み、ポフポフと前足で叩いてみた。『さぁ寝ましょう』と言うつもりで。『え?あの、今日はこのまま寝るんじゃ無くてね?あのね、イレイラ、コレ飲んで?』 クイッと目の前に先程の小瓶を差し出される。さっきから見せてくるコレは何なんだろうか?パクパク口を動かして、“私”はカイルに説明を求めた。なのに、いつもならちゃんと直ぐに察して答えをくれるカイルが、今日は言葉を詰まらせて困った顔をする。 これは、“私”には言いにくいような物を飲ませようとしているなと直感的にわかった。その事に少しイラッとして、“私”はカイルの膝をペシペシと叩いた。『ゴ、ゴメン!だって、言葉にして言ったら、まるで“今のイレイラ”を否定しているみたいな気がして。僕はちゃんと君の、ありのままの姿が好きなのに!』 説明になっていない。“私”は瓶の中身が何かを知りたいのに。 会話での意思疎通が出来ないのは、やっぱり時々不便だと思う。カイルが“私”を召喚する時に、投げやりに描いた魔法陣の術式の弊害かもとも思うのだが、普段は困らないのでそのままに過ごしていたが……やはり、どうにかしてもらうべきだったろうかと少し後悔した。『えっと、あのね、実はこれ……人の姿に一定時間だけ変身出来る薬なんだ。その……お互いにこのままじゃ、で、できないでしょ?えっと、あの……体格の、違いで。その……い、挿れられ、ないよね?君に』(人に?“私”が?“私”はこのままの姿が好きなのに。しかも、いれる?何をだろうか?)『僕が猫の姿になってもい
Last Updated: 2025-12-12
Chapter: 【第17話】夫婦の営みとその攻防①(桜塚イレイラ・談) 意識が戻った後も私は浴槽の中でしばらく動けず、呆然としていた。まさか、自分の胸にある“痣”からも“お猫様”の“残留思念”を見てしまうとは思ってもいなかったからだ。 これは私が生まれた時にはもうあったものだ。そんなものに“記憶”が残っていたとあってはもう、自分の前世が『黒猫のイレイラ』である事を認め無い訳にはいかないなと思った。(でも、今までにだって何度も触れる機会はあったのに、それまでは一度も、何も起きなかったのは何で?) 何かきっかけが—— あ、『異世界召喚』か。 『召喚』され、『この世界に連れて来られた』のと『指輪』に『痣』が重なったのがトリガーになって、“残留思念”を読み取れたに違いない。(きっとそうだ) その事に気が付くと、今までの私の人生すら、決まった流れだったように思えてきた。 両親との早い別れ。 一人っ子である事。 親戚や親友のいない希薄な人間関係。 全て、いつか此処に戻るために用意されたみたいだ。 戻してもらえる事を願っていたみたいな……。 コンコンッ。ドアをノックする音で、私は思考の波から引き戻された。「イレイラ?大丈夫?」「あ……。——えっと、大丈夫ですよ?」 ドア越しのカイルに何を心配されたのか、一瞬わからなかった。 お湯がぬるい。もう随分長い事湯船に浸かったままだったみたいだ。いくら待っても出て来ない私をカイルは心配したのか。「お湯、温め直す?それともあがる?」「えっと、あがります」「そう、わかった」 湯船からあがり、用意してくれていたバスタオルで体を拭く。夜着や下着、化粧品の類が全て用意してあったのでホッとした。こういったところも『元の世界』と類似しているというのは本当に有り難い。 眠る準備を整え、髪の毛をタオルで拭きながら居間に移動すると、窓際に置かれたソファーでカイルがくつろいでいるのが見えた。どうやら本を読んで時間を潰していたみたいだ。「スッキリ出来た?」「はい、おかげさまで」「不自由な事があったら遠慮なく言ってね、直ぐに用意してもらうから」「大丈夫ですよ。——あ、でも、髪を乾かすのが大変ですね。何かこう、簡単に乾かせるような、便利な物とかあったりします?」 元の世界では風呂上がりの必須アイテムであった『ドライヤー』なんて単語を言ったって通じるはずがなく、身振り手振りで何をしたい
Last Updated: 2025-12-08
Chapter: 【第16話】散らばる記憶の欠片⑦《残留思念》(桜塚イレイラ・談)『さて、これから始めるけど祝詞の類は省かせてもらうよ。イレイラが飽きてしまうからね』 カイルは参列者に向かい同意を求めた。『まぁ、カイル達がそれでもいいのなら私達は構いませんよ。——ね?ウィル』 オオカミの獣耳を持つハクと呼ばれる神子が隣に座る男性に問い掛ける。『何だ、つまんねぇな。誓いのキスを冷やかしてやろうと思ってたのに』と、ライオンの獣耳を持つ神子のウィルが不貞腐れた顔でボヤいた。『冷やかしはいけませんよ。カイルが拗ねて、追い出されてしまいますよ?』 クスクスと笑い合うハクとウィルの二人はとても楽しそうだ。『お二人共お静かに願います。……カイル様、儀式を』 セナが二人を宥め、カイルには続きを勧める。そんな彼に対してカイルは首肯して応えた。『……それでは始める。イレイラもいいよね。もう後戻りはさせないよ』 有無を言わせない言葉に、“私”は頷く事しか出来なかった。 “私”が土壇場で逃げ出さない事に安堵したのかカイルが微笑む。その顔はどこまでも澄んでいて、とても穏やかだ。 一呼吸置く。すると、周囲から一気に音が消えた。カイルがカッと目を見開いた途端、彼の体から魔力が光を帯びて溢れ出し、綺麗な黒髪がフワッと浮く。 “私”の体を、カイルが両腕を伸ばし、高く掲げると、どこからともなくキラキラと輝く光が現れ、私の体をも包み出す。 彼の開いた口からは聴き取れない不思議な音が流れ出し、音楽を奏でているみたいだったので、カイルは古代魔法を発動させている事が“私”でもわかった。(これが、『結婚式』というものなんだろうか?) 想像していたものと全然違って不安が加速する。でも体が動かない。まるで見えない鎖で縛られていくみたいだ。 筆記具で描いてもいないのに、透明で、赤い色味をした魔法陣が祭壇から出現した。カイルと同じくらい大きな魔法陣が、彼の呪文に呼応して光を増す。 その魔法陣から二つの光が飛び出し、私達の方に近づいて来た。ゆっくりと、でも確実に。その光を目にした瞬間、カイルの口元が弧を描くように醜く歪んで見えた。『あぁ、イレイラ……僕のイレイラ。これで君は、永遠に僕のモノだ……』 彼の呟く声に、底の無い深淵でも覗き込んでしまった時のような恐怖を感じる。でも同時に、ゾクゾクした鈍い快楽も何故か秘めていて、自分でも驚いた。 飛び出してきた二つの光
Last Updated: 2025-12-02
Chapter: 【第15話】散らばる記憶の欠片⑥《残留思念》(桜塚イレイラ・談)『——嬉しいよイレイラ。やっと僕を受け入れてくれるんだね』 満面の笑みでカイルが“私”に微笑んでいる。黒くて小さな私の両手を彼はギュッと握り、地味に肉球を指でプニプニしつつ、“私”の額にそっとキスをしてくれた。 カイルは普段と違って真っ白な礼服を着込んでいる。黒い髪は後ろに流す様にセットされていて、端整な顔がよく見えた。両耳の上から生える羊のような角には七色に光る小さな宝石をシルバーチェーンに散りばめた装飾品で飾り付けされていて、シンプルなリースみたいでとてもオシャレだ。 黒曜石みたいに綺麗な瞳は熱を帯びながらしっかり私を見つめている。その事が何よりも嬉しい。『イレイラにはこれを着けてもらうね。外したらダメだよ?』 そう言うカイルの手には、とても小さなティアラがあった。多くのダイヤをあしらったそれは、小さくても存在感があり、女性の夢が詰まったしつらえだ。そのティアラには白いベールが着いている。光の加減で多種多様な光を放って見えるそれは、花嫁が頭から被る物のように見えた。(あぁ、まさか“私”相手でも、こんな物まで用意してくれたのか……) そう思うと涙が出そうになった。 スッと頭をカイルに差し出し、着けてくれとアピールする。言葉は通じなくても彼ならきっとわかってくれる。 予想通りにカイルは私の頭にティアラを乗せて、ベールで顔を軽く隠してくれた。魔法をかけて、動いたくらいでは落ちないオマケ付きで。『あぁ……。とても綺麗だよ、イレイラ。もっと色々言ってあげたいのに……今の僕は幸せ過ぎて、言葉が出ないや』 顔を真っ赤にしながらカイルが言葉を詰まらせる。困った様な顔をしているが、幸福感で溢れてくれている事が伝わってきた。 お礼を言う代わりにカイルの手に頬擦りをする。すると彼は“私”を縦に抱き、立ち上がった。『さぁ、式場まで行こうか』 その言葉に“私”は『ニャァ』と鳴いて答えた。 白に染まる長い廊下をカイルが“私”を抱えたまま歩いて行く。そして彼は、神殿内の最奥にある、各種儀式がある時にしか使用しない祈りの部屋までやって来た。 “私”が入るのは初めての場所だ。 こんな場所があったのかと周囲をキョロキョロ見渡していると、カイルがクスッと笑った。『好奇心から走り回ったりとかはしないでね。今日はいい子で大人しくしてくれないと、このまま此処で君の事を
Last Updated: 2025-11-28
Chapter: 【第14話】散らばる記憶の欠片⑤(桜塚イレイラ・談) ゆっくりと湯船に浸かり、私はほっと息をついた。薬草の粉末がお湯に溶けていて、まるで入浴剤を入れたみたいな感じになっている。保温効果もバッチリなうえ、綺麗な薄緑色になっているお湯を手ですくって、サァッと落とす。ふんわりと香る爽やかな匂いにうっとりした。「いいね、お風呂。やっぱコレがないと。ンンンー!生き返るよねぇ」 誰に言うともなく一人呟く。複数人で入っても狭くなさそうなくらい大きな湯船で脚をグゥーッと伸ばしたら、肩の力がやっと抜けてきた。思っていた以上に体は疲れていたみたいだ。「いいね!一人風呂」 本当は此処の使用人の方々が『洗うのを手伝う』と言ってくれたのだが、もちろん即座に断った。入浴を手伝わせるだなんて、どこの貴族の令嬢だ。マッサージをしてくれると言う提案はものすごく魅力的だったけど、それでもお風呂くらいゆっくり一人で入りたい。(服の上からでもわかるくらいのナイスプロポーション集団に、裸なんか見せてたまるか!) そんな本心はぐっと胸の内に押し込み、風呂場の使い勝手がわからなかったので最初の準備だけは頼んだが、体を洗うのだけは自分でやりたかった。 使用人の方々はそれで簡単に引き下がったのだが、問題はカイルだった。 『体を洗うのを手伝う』と散々駄々をこねたのだ。『前は僕が洗っていた!』と大声で泣きながら言われても、『ならお願いしますね』なんて頼めるはずがない。会ったばかりの男性に裸を晒すとか意味がわからない。彼にとっては猫を洗う延長でも、私にとっては全然全く違うのだ。『絶対に無理です。一人で洗えます!』『一人だと溺れるかもしれないから、僕が洗う!』 ——などと、アホ丸出しの言い争いをした末、私は逃げる様に風呂場に駆け込んで、すぐさま内鍵を掛けた。ドンドンとドアを叩いて何やら懇願され続けていたのだが、今は静かなのでセナさんに怒られたのかもしれない。「——そういえばコレ……」 ふと左手薬指に視線がいった。今は指輪の姿をした、黒いレース柄の元“首輪”である。真ん中にある小さな紅い宝石がまるで猫の目の様でとても綺麗だ。どう考えても、お猫様の品だ。「可愛いけど、なーんか今は複雑な気分だなぁ」 全身全霊で『カイル大好き!』を体現していたお猫様の記憶を追う度に、美形さんなカイルの事を、自分までもが好きなのかもしれないと、実は少しだけ勘違いし始め
Last Updated: 2025-11-25
Chapter: 【第12話】夜会①(アルカナ・談) 胸糞悪い惺流の算段を知っている身としては、此処で留守番なんかもっての外だ。高位貴族達の夜会だとはいえども、どうせ私の姿は見えない者ばかりだし問題は無いだろう。(叶糸相手には通じないけど、他が相手なら完全に隠す事も出来るのだし) ——そう思って私は、「私も夜会に行く、ぞよ。何かあれば、助けてやれるからな」と胸を張って伝えた。なのにどうだ。「無理じゃないかな」と即座に否定されてしまった。 「何故⁉︎じゃっ」 初対面時の『うわあぁー!』と叫んでしまったあの時の様な声で訊くと、「あー……」と少し気不味そうに叶糸がこぼす。「や、ほら、アルカナは小さくって可愛いから、会場内をウロウロしていたらボールみたいに蹴られちゃうんじゃないかな」 そうか、姿が見えないが故の弊害か。大学の校内は広いのでまだ未経験だが、ゴロゴロと蹴られに蹴られて会場中を転がる自分の姿を想像すると段々悲しくなった。永年この惑星を管理している我が身がただのボール扱いをされてしまうとか、悲惨でしかない。——と、その惨状ばかりに気を取られ、そもそも触れられない様にしたらいいだけじゃないかという考えにまで至らずにいると、急に叶糸が嬉しそうな表情をした。「あ、でもアルカナのドレス姿は見てみたいな」 手近な椅子に座り、当たり前の様に私を膝に乗せる。そして背後から優しく抱きしめながらうっとりとした声で言われたが、こんなずんぐりボディじゃ何を着ようが絶対に似合わないだろ。だが私は諦めきれない。 一度目は義家族に殺されるという惨事に見舞われた彼だが、二度目以降は全て、『婚約者』達が原因で死んでいるからだ。 今回の夜会の会場にその原因となった歴代の者達がいないとは限らない。相手は全て都内在住の高位貴族だったから参加している可能性が高いとも思うんだ。 「よし。ならば私も人の姿になって参加しよう、かのう」 やや振り返りつつキリッとした顔で言ったのに、また叶糸は顔を手で覆って悶えている。こちとらすごく真剣なのだが……だがまぁ、君が癒されているのなら良しとしよう。 「でも、どうやって?」「叶糸が、私を『変身も出来る者だ』と『認知』を書き換える必要がある、ぞな」 もう癖になりつつあるこのアホみたいな喋り方には高度なスルースキルを発揮しつつ、叶糸が「……『認知』、か」と呟き、唸りながら目を瞑る。多分、早速
Last Updated: 2025-12-29
Chapter: 【第11話】皮算用(アルカナ・談) この『|ハコブネ《惑星》』の『管理者』である私の『後継者』たる資格を持つ叶糸を救おうと、私が彼の元に来てから一ヶ月程経過した。その間は比較的平穏に過ごせていた方だと思う。まぁそうは言っても、義家族達から、小さいながらも保持している領地の管理や運営計画の書類作成や大学院の課題などを押し付けられてはいたけれど、理不尽な折檻が今は無いだけでも、見ていて多少はほっとした。 彼が大学の講義を受けている最中などの時間で、私は私で、自分の『お仕事』をひっそりとこなす。異空間に居る補佐達から送ってもらった惑星管理関連のデータを元に『ハコブネ』の環境の微調整をしたり、今後起こる可能性の高い災害の対策を立てたりなどなど。だけどこっちもこっちで|後継者問題《重要な用件》があるから、『|惑星の自我《ノア》』が不機嫌にならない程度にちょっとだけ手を抜いて。でもむしろ今は現地に居る分、リアルタイムで関われるから今までよりもしっかりと対応出来ている気がする。 夜になり、私が眠ると叶糸が色々と発散するお時間に突入するけれども(そのせいで起きてしまっている)、“欲”を程良く発散しているおかげでよく眠れるのか、出会った当初より彼はやや健康的になってきていると思う。友人の一人である古村にも『近頃はクマが薄くなったな』と言われていたし。嫌がらせで最低限にしか貰えていなかった食材も、庭で育てている収穫物も、私がこっそり豊穣系の魔法で増やしてあげているからきちんと食事も出来ているおかげもあろう。 ——まだしばらくはこんな日々が続くかに思えていた、ある日の事。 叶糸が大きめの平たい箱を抱えて、男爵家の敷地内にある彼の家に戻って来た。 「……それは何、じゃ?」 居間のテーブルの上に箱を置き、中身を出して状態の確認をしている叶糸を見上げながら声を掛ける。「んしょ、っと」と無自覚にこぼしながら椅子の上にあがってみると、いつの間にか叶糸が両手で顔を覆い悶絶していた。どうも自力で登る際に晒したプリケツがツボだった様だが、私の心はレディなのでめちゃくちゃ恥ずかしかった。 気を取り直してその様子をじっと見ていると、叶糸が「……|義父《あの人》から、夜会に行く用意をしろって言われたんだ」と教えてくれた。成る程、だからスーツのサイズ確認の為に広げてみているのか。 「そうなのか。……だけど、その服は君には小
Last Updated: 2025-12-23
Chapter: 【 幕間の物語① 】『叶糸』の一度目の人生(アルカナ・談) 『剣叶糸』の人生は、生まれる前からもう『不幸』になる事が確定していた。 平民の血筋の腹に宿ってしまったからだ。 エコー写真で、『獣人』であると確認出来た時点でもう貴族に売られる事が決まり、より高値で売れる先を両親は嬉々として探したそうだ。様々な貴族を相手にゴネにゴネ、最終的には男爵の爵位を持つ『剣』家へ養子に出すと決まった。 何処の家に売ろうかと考えるばかりで、彼の名前は、その辺にたまたまあった本を開いた時に偶然目に入った言葉をそのまま子供につけたらしい。そうでもなければまともな名前すらならなかったかもしれないから、そのテキトウっぷりには逆に感謝したくなった。 そう言えば別件で、産院と結託して平民の元に産まれた『獣人』を死産と偽り、即座に貴族に引き渡していた事件があった。貴族として名付けもされたおかげで、誘拐された子供のその後の人生はとても順風満帆だったそうだ。——それを読むと、あれは貴族なりの優しさだったかの様に思える程、『平民』出身の『獣人』は肩身の狭い人生が確定している事が悲しくてならない。 他の貴族を抑えて、男爵家が叶糸の|産みの《クズ》親達に最高額を提示出来たのは、ひとえに当時の当主であった『剣エイガ』の才覚のおかげであった。歴代最高を収益をあげる程に会社の業績は好調で、今の剣家はあの時の資産を食い潰して成り立っていると言っても過言では無い。 『犬』の『獣人』であった義祖父・エイガは『人間』しか産まれなかった実子や孫達に一握りの期待すら持てず、私財の九割をも投げ打って叶糸を『孫』として迎え入れたらしい。その分期待は相当大きく、経営学を筆頭に、経済学、歴史に数学などありとあらゆる分野の学問を、叶糸が言葉を理解し始めたと同時に叩き込み、詰め込むように教育し続けた。だが、スポンジみたいに全てを見事に習得していく叶糸の様子(幼少期から睡眠時間は四時間程度しか与えないという鬼畜っぷりだったそうな)を見て、『安い買い物だった』と満足していたそうだ。 だがそんなの、実子達にとっては面白くもなんともない。 エイガの息子達を筆頭に、長男の子として産まれた三人の叶糸の義兄達の不満は察するに余りある。義祖母や長男の嫁である義母からの反感は特に酷かった。『獣人を産めなかった』と長年肩身の狭い思いをしてきた彼女達は事ある毎に叶糸を、『教育』だの『躾』だの言
Last Updated: 2025-12-17
Chapter: 【第10話】大学にて(アルカナ・談) 午後になり、叶糸は『授業があるから』と残念そうな顔で大学の講義室に向かった。私はといえば、大半の者には姿が見えぬのをいい事に大学の敷地内を見学させてもらっている。(叶糸相手には通じないが、それ以外の者が相手なら完全に隠す事ももちろん出来るしな) 叶糸的にはずっと側に居て欲しかったようだが、何かある度にチラチラこちらを見て授業に身が入らないとかが物凄くありそうなので断った。(圧倒的はまでの癒し不足とはいえ、学生は学業が優先だからな。気を遣わねば) 国立の大学である此処『幻都魔術大学』は国内最高峰の大学というだけあって、施設の充実っぷりは半端ない。都内の一等地にありながらも広大な敷地を誇り、駅は構内直結だし、当然バス停も正門の目の前で、学生達を主な客層にしている洒落た商店街まで近傍にはある。周辺地域には身分別で選べる学生寮なんかも数多くあるらしく、申し分ない環境が整っている。 主体となっている魔術系の学科以外にも、叶糸の通う薬学科や錬金術、機械工学などの他に農学部まである。当然学生達の質も高くて皆勉学に対して真剣だ。受験シーズンだけじゃなく、入学後も常に相当勉強をし続けねばすぐ周囲に置いていかれる程苛烈な学生生活となるが、その分得られるものが大きいから入学を願う者は後を絶たない。就職は他校出身者よりも相当有利だが、その分『楽しい大学生活』とは無縁だ。だけど真面目に研究や勉学に取り組みたい層には天国の様な環境が約束されている。 実は、叶糸のニ歳年上の義兄である滋流もこの大学を目指していた時期があった。叶糸に作らせたテスト対策問題のおかげで好成績を取れていたせいで自分の力量を笑える程に見誤っていたからだ。だが実技試験の結果が大学の入試を受けられるレベルには達していなかったせいで、受験すら出来なかった。魔法科目の実技は本人でなければ受けられないし、似ても似つかない二人では叶糸を替え玉に仕立て上げる事も不可能だったから、もしも受験資格をどうにかして得ていようが、結局どうにもならなかっただろうな。 『人生に箔が付くから』という理由だけで憧れていた学校に、義弟の叶糸がトップの成績で合格し、入学式では新入生代表として挨拶までするとなった時のキレ方はもう異常者そのものだったとか……。叶糸に利用価値が無ければ、それこそこの時点で殺していたかもしれない程だったらしい。(
Last Updated: 2025-12-11
Chapter: 【第9話】君に伝えるべき事③(アルカナ・談)「……あーでも、このままでもいいんじゃないかな」 開き直った様に言われたが、ちょっと寂しそうな顔をされてしまっては反発する気にもなれない。 「『形を持たぬ者』であるなら余計に、な。姿形があった方がこうやってコミュニケーションも可能になる。まぁ、それでも魔力が低い者には見えないみたいだけど、それは返って好都合だよな」(だからって何も『マーモット』のままである必要はないのでは?) とは正直思うが、……私をモフッている時の叶糸の様子を思い出し、渋々ながらも「わかった、ぞよ」と返しておいた。 「まぁ、しばらくはこのままでいるとしても、『管理者』である私は食事などの必要がない。なので君は、自分の食事を削るような真似はもうするんじゃないぞ、な」 「あー。気付いてたのか……」 「気付かぬはずがないだろう?」と言いつつ、彼の膝の上で体の向きを変え、対面の状態になる。決して、振り返ったままでいると食い込む肉が邪魔過ぎた訳では、にゃいっ。「しっかり食べて、しっかり寝て、より良い人生を君に送ってもらうために私は来たの、じゃよ」「……個別の案件には不干渉なんじゃ?」 私が言った『文化や文明に関してはもうここまで成熟してしまうと下手に手出しを出来なくて』の部分を叶糸はそう受け取ったのか。 いや、まぁ、実の所『管理者』は全権を委ねられているが故に個々への人生や環境への干渉や微調整もやれる。やれるのだが——(そこまで手を出すと、過剰労働で私の心が死ぬっ!) 私が今の任に就いた時代よりも人口が増加しているのもあって、現状ですらも『寝ずの番』みたいな状態が続いていて、もう頭も心もパンク状態なのだ。だけど、自分の個体としての『名前』を記憶から失い、体の原型を保てない程なのだとは、お互いの今後のためにも黙っておく事にしよう。『そんなに大変なら、後継の件は辞退する』だなんて言われては困るしな。「『君』は、『特別』なんじゃ」 そう口した途端、まるでこのタイミングを狙ったかの様に強い風が吹いた。私の『補佐』達が『演出』を加えやがったのだろう。 「……『特別』?」と叶糸が噛み締めるような声で呟く。言われた経験のない言葉だったのか、マーモットから言われたからなのか。目が少し見開き、私が自重で転がり落ちてしまわぬようにと支えてくれている手に軽く力が入った。 「叶糸」 改
Last Updated: 2025-12-05
Chapter: 【第8話】君に伝えるべき事②(アルカナ・談)「よし。まずは、この『|ハコブネ《惑星》』についての話を先にしようか、のう」 「小学や中学の時点で全て習っているぞ?」 「あ、いや。地理、構造や主成分とかに関しての話ではない、のじゃ。もっと根底の、始まりについてといった所だ、じゃな」などと、己の言葉遣いへの違和感をガン無視し、遠い目をしながら私は、私も前任の『管理者』から随分昔に聞かされた話を彼に語り始めた。 ——悠久の昔。 原初の宇宙に黒い靄の様なモノが誕生した。意思があるが、ただそこに『ある』だけで、何の目的も存在理由も無く、真っ暗な宇宙の中で身近にある全てを強欲に飲み込みながら、その『モノ』は、ただただ意味も無く彷徨い続けた。『自我のあるブラックホール』みたいなモノであると言えば多少はわかりやすいかもしれない。 永い永い年月を経て、その『モノ』は『とある惑星』の存在に気が付いた。 それは、青く輝く美しい惑星—— 『地球』だ。 どの星よりも青く綺麗に輝き、暗黒の宇宙空間の中で異彩を放っているその惑星に異常な程強い興味を抱いたが、その『モノ』が近づけば全てを飲み干してしまう。欲しい欲しいと我慢が出来ず、太陽系の絶妙なバランスをいとも簡単に壊せてしまう自分ではこれ以上近づく訳にはいかない。失わぬ為にと我慢に我慢を重ね、遥か遠くからただ見詰める事に徹した。 じっと、じーっとひたすら観察し続けるうち、その想いはもう『恋焦がれる』に近い感情へと昇華した。だが、その想いは応えてもらえる様なものではない事はわかっている。強く深いこの想いは永遠に届かず、押し付ける事も、欠片であろうと認知すらしてもらえない。だからって、せめて寄り添おうと近づけば腹の中に収めてしまってもう『観る』ことすらも出来なくなる。そのせいで悶え苦しみ、苛立ちから飲み込んだ星の数はもう、数え切れぬ程になった。 気が狂いそうな日々を悶々と過ごすうちに、その『モノ』は、ふっととんでもない考えに行き着いた。 己も、『アレ』と同じになればいいのでは?——と。 “素材”と言える物は、それこそ星の数程腹の中にある。思い付くまますぐに粘土のように我が身を変化させ、その『モノ』は自分自身を『地球』に似た姿に変えていった。青い海、広大な大地、清浄な大空と無数の植物。 ——こうして、『超越者』とも呼べる程のその『モノ』は、自らを『コピーキャ
Last Updated: 2025-12-01
Chapter: 【第12話】約束 初めて『言葉』を発してから数日後。 カラミタが深い眠りから目を覚ますと、目の前には長男であるセリンが居た。しかも彼の大きな腕の中に抱えられているという状態で。反射的に「れぉにょ——」と舌足らずな状態のままレオノーラの名を呼ぼうとしたが、「シー。お静かに。母さんはまだ寝ていますから、そのままにしてあげませんか?」と口元に指を立てながら言われた。だがカラミタは顔を顰め、それでも尚彼女を呼ぼうとする。そんな彼をセリンがレオノーラの近くにまで敢えて運んだ。そして「……貴重な寝顔が見られてよかったですね」と小声で言う。するとカラミタがぐっと強めに口を閉じた。いつも自分よりも先に起きているレオノーラの寝顔を見られて歓喜している様だ。 少しの間。二人は揃って、眠るレオノーラの寝顔を観察した。早朝だからか彼女が起きる気配は無い。外もまだ薄暗く、やっと朝日がかろうじて姿を現したかどうかといった頃合いだ。他の部屋で休む兄弟達が起きている様子もなく、どうやらセリンとカラミタだけがかなり早く起きてしまったみたいだ。「…………♡」 セリンがちらりと視線をカラミタの方へやると、彼はいつも通りにレオノーラをじっと見ていた。その表情は完全に恋焦がれている者の目で、決して『赤子』が『親』に向ける視線ではない。「カラ……」 愛称で彼を呼び、セリンはとても小さな声で「少し、僕とお喋りしませんか?」と声掛けた。いつもなら問答無用で『ヤッ!』と拒絶してレオノーラにしがみついて離れないカラミタだが、今彼女は眠っている。普段ならば『赤子の特権』とばかりに我儘を突き通す彼だが、この寝顔を崩すのは流石に忍びない。ただ、寝起きのぼんやりとした表情にも興味があって、カラミタの心はしばらく揺れた。「僕との話が終わったら、ベビーベッドじゃなく、母さんのベッドに降ろすという特典をつけてあげますよ」 普通の赤子になら絶対に言えない台詞だが、セリンはカラミタであれば問題無いという確信を持ってそう提案する。するとカラミタは黒い瞳をキラキラと輝かせながら何度も首肯を返した。「では、まだ寝ている人が多いので外に行きましょうか」「ぁぃっ」と返事し、カラミタの小さくて黒い手がセリンの服をキュッと掴む。もう一年近く一緒に暮らしているのに初めての事で、セリンのドラゴンにも似た口元が優しく綻んだ。 ◇ 二
Last Updated: 2025-12-25
Chapter: 【第11話】成長 保護すると早々に決めたはいいものの、内心では『赤ん坊の育児なんて私が本当に出来るんだろうか?』とレオノーラが心配している。出産経験も無く、育児に関する勉強をしてきたその道のエキスパートでもなし。『幸いにして人手の多い家だから何とかなるんじゃ?』という甘えは無かったとは正直言えない。セリンが文字の読み方を教えてくれたおかげで、子供達を保護するたびに育児関係の本だけは沢山読んではきたが、知識だけで実地に挑むのには不安がある。赤ん坊が相手では些細なミスも命取りになりかねないから、絶対に失敗は出来ないというプレッシャーも。 だけど、カラミタの『子育て』は実に拍子抜けするものだった。 生後間もない赤ん坊は三、四時間毎にお乳をあげると育児書には書いてあったのに、彼は爆睡タイプだった。一度寝ると朝まで、下手をすると三日三晩寝続けて『ちゃんと生きてる⁉︎』と皆が心配になったりもした。でも、思い返してみると上の四人も、もっと小さい頃には寝ている事が多かった。最長で一ヶ月間も起きなかった子も居る。(……あぁ、コレもまた『世界樹』のせいか) 彼女が今更そう気が付いたのは、五男となったカラミタの寝顔を見ている時だった。『きっと世界樹から受ける恩恵を、こうやって長く眠る事で体に馴染ませ、作り変わっていっているのだろう』と。 じゃないと、『魔族』であるカラミタが此処で生きていくには無理があるからだ。 実は、そうであると知ったのは、『魔族』の赤ん坊を保護して二、三ヶ月程も経過した後だった。子供達の間で『これを機に、魔族に関して真面目に研究してみる』という流れになり、長い歳月を掛けて拾い集めていた文献を漁っていく中で発覚したらしく、『——カラ、ちゃんと生きてる⁉︎』とアイシャ達が慌てて走って来た時、レオノーラはかなり焦った。でもよくよく考えると納得しか出来ない。『魔族』は世界樹のある大陸の中央部に行けば行く程出現報告が極端に少なくなっていく。世界樹が拒絶しているのか、魔族が世界樹を毛嫌いしているのか。魔族が世界樹に近づかない理由は不明なままで、その理由次第ではカラミタが死んでしまうのでは?と心配したのだが、保護してから一年近く経った今でも彼は元気いっぱいだ。「……でも、小さいねぇ」「あ、うぅー」と言いながら、レオノーラが腕に抱えているカラミタは『我関せず』といった様子で彼女の髪
Last Updated: 2025-12-19
Chapter: 【第10話】『天災』「ところで、この子の性別って女の子?それとも男の子かなぁ?」 本で調べた方法によると布に染み込ませて飲ませる方法もあるみたいだが、大人しい赤ん坊だし、それなら衛生的にもこっちの方がいいだろうという理由でヤギのお乳をスプーンで少しづつ飲ませながら、レオノーラが周囲に集まって観察している四人に訊いた。 「男でしょうね」 「男の子ですよ」 「男に決まってるだろ?」 「むしろさぁ、何だってまた、この子が男の子以外の可能性なんか持っちゃってんの?」 長男のセリンを筆頭に、順々にそう指摘され、「——え、むしろ何で、みんなこそ『男の子』って断言出来るの?」とレオノーラが驚きながら返した。「だって、ちゃんと見てみて?このモチモチの柔肌、ぷりんとした輝くほっぺに、真っ黒ではありつつも後光さす小さな足とこのお手々!ふくよかさに溢れた溝ある腕と脚!そして何よりもこの大きな鱗で最大の急所が見事に覆われているから、完全に性別不明だよね?」 この魔族の赤ん坊の肌は全体的には白いのだが、手などの末端に近づくにつれ真っ黒になっている。爪と肌の間に境界線がまるで無く、今は丸い指先だが本人の意思次第で鋭く変異しそうな片鱗がある。レオノーラからちっとも視線を逸らそうとしない瞳の色は光をも反射しない程に黒く、漆黒の闇や深淵を他者に連想させた。まだ細くて柔い髪は綺麗な紺色で、両耳の上には大きな角が既にもう左右それぞれに生えている。生後まもないからなのか、まだその角は柔くてそっと触れると少しへっこんだ。尾骶骨の辺りからは爬虫類にも似た長い尻尾があり、股間の急所部分は大きくて黒い鱗で覆われている為一目では性別がわからないのに、『何故四人とも断言出来るの?』とレオノーラだけが困惑顔になった。 「まぁ、その鱗のせいで性別の判断が難しいという母さんの言い分は理解出来ます。ちなみに、竜人族も普段はこの子の様に鱗で急所が覆われているので、その鱗は急所の保護の為であると断言出来ますよ」 「おぉぉ!『魔族』の生態なんてほぼほぼ知られていないから、コレって地味に大発見だね。他種族との共通点とか調べたら奥深そうっ」 研究や勉強好きなアイシャはセリンの話に興味津々といった様子だ。「なぁなぁ。それよりもさ、コイツの名前ってどうするんだ?」 リトスの問いに対し、レオノーラ達が『そうだった!』と表情を変
Last Updated: 2025-12-15
Chapter: 【第9話】受け入れ体制 あの後すぐに二度目の転移魔法を使って自宅に戻った。裸のままで、しかも首も座っていない歳の子だったため、レオノーラは着ていたローブを脱いで、魔族の赤ん坊をそれに包んで抱いている。 「母乳の代わりに、どうやらヤギのお乳で代用出来るみたいですよ」 「そうなんだ?良かった」 家に到着するなり早速代替え品を調べてくれたセリンに、安堵した様子でレオノーラが返した。 「赤ん坊の服なんて流石に無いからウチがちょっと作ってくるよ。あ、テオが昔着てた服ちょっといじるねー」 「多分衣装棚の一番下にしまったままだと思いますから好きに使って下さい。——じゃあ僕は、ベビーベッドの代わりになりそうな物を倉庫から探して来ますね。無かった場合は急いで作っておきます」 今度はアイシャが赤ん坊の服の用意を始めた。まだ『魔族』を拾った事に対して困惑気味ではありつつも、それを隠してテオドールもきちんと対応する。どうやら、この件に私情は持ち込むべきじゃないと決めたみたいだ。 即座に保護を決めて連れ帰ったはいいが、家には赤ん坊に必要そうな物など一つとして無い。既に子供が四人も居る家庭ではあれども、一番小さくても三歳からの子育てだったのだから仕方のない事だった。 「んじゃ俺はヤギのお乳搾って来ようか?」 そう言うリトスの頭を優しく撫で、「そうだな。頼めるか?」とセリンが言う。 「リトスー、お乳を入れる瓶はちゃんと先に煮沸すんだぞ」とアイシャが声を掛けたが、「……『しゃふつ』?」と首を傾げたもんだから、リトスの方へ走って戻り、「おっし。じゃあ煮沸だけは手伝ってあげるから、こっち来なよ」とキッチンに兄を引っ張って行った。 「あれじゃ、どっちが兄かわかりませんね」 「ですね」 笑うテオドールとセリンの様子をじっと見上げ、レオノーラが感心している。(ウチの子達、四人とも能動的で偉いなぁ) 帰宅後すぐに動き出した四人とは違い、『母親』であるレオノーラはまだ何も出来ていない。そんな自分の自己評価を下げつつ家の中に入り、各部屋を回って柔らかそうなクッションを家中から集めて床に並べた。そして彼女は早速そこに一旦赤ん坊を寝かせようとしたが、ぎゅっと強く服を掴まれて離して貰えなかった。 「……あちゃぁ」 だがこのままでは何も出来ない。連れ帰った責任は自分にあるのだから皆みたいに行動しな
Last Updated: 2025-12-09
Chapter: 【第8話】運命的な出逢い 転移魔法を発動させ、レオノーラ一家は世界樹の北側に広がる深淵の森の深部近くに降り立った。 「ちゃんとみんな居る?大丈夫?」 彼女が問い掛けると、四人の子供らはそれぞれが無事を伝えた。 世界樹を中央部に抱くこの一帯には様々なタイプの飛竜やフェンリルなどといった高位種の魔物が数多く棲息している。その中でも最も力強い特殊個体は『聖獣』とも呼ばれ、世界樹を守護していると“古代史”や“伝承”でも語られている。世界樹に近づけば近づく程に強い個体が多くなるが、それらは往々にして“善性”が強く、外界に生息する魔族、ゴブリン、オーク、コボルトやゴルゴンなどといった魔物達とは一線を画す。だからか“強い悪意”を向けず、尚且つ世界樹に近付きさえしなければ、基本的には襲っては来ない。 だがそれは、あくまでも『基本的には』であり、『絶対』では無いので結局は近づかないのが最善だ。 人々の暮らす地域に近づいていくと、『深淵の森』は、徐々に、恵みをもたらす『母なる森』と化ていく。『冒険者』などといった職に着く者達ですら入って来るのは中間地点辺りまでで、こんな深部にまで来るのは彼女達くらいなものだ。世界樹の恵みを存分にその身に染み込ませている彼女らはもう、聖獣達にとっては『世界樹の一部』であるため襲われない。 だがしかし、レオノーラの魔力残滓だけを辿って転移して来た者達であれば、その先の運命は……火を見るよりも明らかである。「……此処まで来そうかい?」 セリンがそう問い掛けながらそっとリトスに近づくと、彼はぶんっと首を横に振った。 「大丈夫。テオとアイシャがわざと魔力を散らして、沢山わかんなくしてくれてたから」とリトスがセリンに小声で伝える。セリンも一応周囲を確認したが……《《特異な者の気配が一つあるだけ》》で、気配や臭いに過敏なセリンの言う通り、町からの追尾者達の姿は何処にも無かった。「……テオ」 「えぇ。僕も気が付いていますよ」 追尾者の心配はせずに済んでも、別の特異な気配の存在が気になり、セリンがテオドールを呼んだ。気配が漂う位置は低く、どうやらかなり近い。でも周辺には聖獣どころか高位の魔物すらも居ないみたいだ。「——ぅ、ぁぁ」 か細くて小さな声が微かに五人の耳に届く。どうやらすぐ近くに生き物が居る事は間違いないようだ。 声の正体が気になり、
Last Updated: 2025-12-03
Chapter: 【第7話・こぼれ話】母の知らぬ裏側(セリン・談) 年に二度、春の終わりくらいと、冬が始まる少し前頃の時期で半年分の日用品をまとめ買いする為、僕らは皆で町に出る。最初の四年間は僕と母だけで、次男となったテオドールを保護して以降の四年間は三人で買い物に行く様になり、去年の春の終わりに我が家の三男となったアイシャを連れて同年の冬近くに町に行き、一歳歳上のセリンを保護した事でアイシャは三男から四男になった。 僕らが買い物に行く町はいつも違う町だ。 辺境伯に一時的に保護されていた僕、生まれた当初はまだギリギリ貴族だったテオドール、去年までは錬金術師の弟子だったアイシャには身分証があるのだが、スラム育ちだった母には身分証が無い。母さんに『飼ってくれ!』なんて声を掛けてきたセリンもそうだ。魔族に婚約者を惨殺されたせいで闇落ちした錬金術師の実験体だったセリンは試験管の中で作られた『キメラ獣人』である為、そもそも身分証なんてあるはずがなかった。(……保護した時のセリンの体内はそこかしこが壊れ掛けていてボロボロだった。母さんが押し負けて保護し、世界樹からの恵みを得ていなければもうとっくに死んでいただろうな) 連れ帰り、僕がセリンに回復魔法を施した時にポツポツと話してくれた事なので、母さんはあの子が『キメラ獣人』であるとは知らない。多分珍しい色をした『豹の獣人』くらいに思っているだろう。 そんな二人は王都のように身分証が無いと入れない街には行けない。なので身分証がなくても入れ、ある程度の活気があり、品物の買取もしている店がある町を事前に選んでから買い物に出る。毎度違う町に行くのはほぼほぼ老化の止まっている母の為だ。何年経っても若いままとか、『エルフ族』ならば普通でも、母が『ヒューマ族』であるというだけで『バケモノ』扱いになりかねないから。 小さな村では半年分にも及ぶ物資の購入は出来ないから、対象となる町の数は自然と限られてくる。なのでいずれは僕と出会った町に、また向かう日も来るだろうな。 「——母さん!早く早くー」 「いやいや。アイシャが待て、急かすな。あんまり焦らせると母さんが転ぶだろ」 「そんなに先行きたいなら、俺と行こうぜ!アイシャ」 「母さんは焦らずに僕と一緒にいきましょう。ね?」 「……う、うん」と言って、僕が差し出した手を母が取る。先を行くセリンとアイシャはまだ小さい為、かなり賑やか
Last Updated: 2025-11-29
Chapter: 【第11話】コレでは、ただの『同居』では?(スキア・談) 討伐ギルドのある通りからまた少し奥の方へ進み、広めの路地を住宅が多く並ぶ通りへ向かうと、ルスの弟・リアンを預けている保育所がある。 入口から中に入った途端、開口一番説教されてしまった。『ご自分で、この時間までと言っていた時間通りに迎えに来て欲しい』と。僕らよりも先に討伐ギルドの方から伝書鳥が送られてはいたらしく、深刻な事情があっての延滞である事は理解しているものの、それでも人手が足りていない現状では連絡無しのまま延滞されるのは非常に困るのだとか。(……まぁ、向こうの言い分も理解出来るが、一人寂しく森の中で瀕死にまでなっていた者に対して言う台詞では無いのでは?) ついそんな事を考えて、すぐにかぶりを振った。僕らしくない考えがふと無意識のうちに浮かんでくるこの感覚は初の経験で、なんだか気味が悪い。 「すみません、すみません」 何度も頭を下げてルスが平謝りし、延滞料金を支払った。今日は報酬をかなり多く貰えたので痛くも痒くもない額ではあったものの、待ち疲れて眠るリアンを腕に抱えて家に戻ろうとしているこの道中、ルスはずっと凹んだままでいる。 そんな嫁の横で、僕は義弟となったリアンをじっと観察していたのだが……ルスに取り憑いたおかげで得られた“知識”と、ここ数日分の“記憶”の中にあるリアンの姿と、今目の前に居る彼の容姿とが、どうも違う事が気になった。彼女の認識上のリアンは丸々と太った愛らしい子犬みたいな印象なのだが、実際彼女の腕の中で眠っているリアンは—— どう見ても、巨狼・フェンリルの赤ちゃんだ。 小さくとも、細長い体躯とアイスブルーと白い毛色、隠しきれぬ禍々しいオーラを微弱に纏う点や、狼の様な凛々しい顔立ちは過去に聞き齧った特徴と一致する。 フェンリルはドラゴンとも並ぶ程の希少種で滅多にお目にかかれない。喧嘩別れした知人の一人がドラゴン族だったが、それも随分と昔の話である。(という事は、ルスはフェンリルの獣人なのか?) 逃走時の彼女の様子を思い出す。 通常のオオカミや犬の獣人ならば納得出来るレベルではあったが、彼女までフェンリルだと仮定するにはあまりに運動能力が低い。奴らは好戦的で肉弾戦が得意な種族のはずだ。だけどルスは戦闘が得意な様には見えないし、コボルト達から逃げる時に獣化していなかった事を考えると、やはり違う気がする。既に得たルス
Last Updated: 2025-12-26
Chapter: 【第10話】討伐ギルド・後編(スキア・談)「——つまりは、『助けてもらった優しさに触れて、この人に一目惚れした』と言うわけね?」 腕組み状態にあるシリルが要約を口にしながら訊いてくるが、どう見たってルスの話を信じている感じではない。だが、僕らが所詮は『仮初の夫婦でしかない事』や『契約を交わして、僕がルスの身に取り憑いている状態にある事』をきちんと伏せた上でルスが事実説明をやり遂げたので、ひとまずは良しとしよう。 「はい。スキアさんが森の中で倒れているワタシを見付けてくれていなかったら、あのまま獣の餌食になっていたかもしれませんから」 ルスは一言も『一目惚れをした』とは言っていないのだが、反射的に訂正するというバカはせず、話の補足をしていく。 「で?コボルト達はどうなったんですか?」 「崖下までは追って来なかったので、多分諦めてくれたんじゃないかと」 クレアの問いにルスが答えると、「じゃあ、早急に野良コボルトの討伐依頼を作っておくわ。町に住むコボルト族の者達の理解も得ておかないといけないわね。あとは、しばらくはゴブリン討伐を控えた方が良いかしら」 シリルが今後の流れを組んでいく。ルスを追っていたコボルト達はとっくに僕が始末しているのでその必要は無いのだが、敢えて伝える方が不信感が増しそうなので控えておこう。 「でもぉ、ゴブリンくらいしか狩れなかったのってロイヤルさん達のパーティーくらいでしょう?他の人達ならコボルトに遭遇しても対応出来ると思うけど」 アスティナの言葉に、「それもそうね」とシリルが同意する。結局、野良コボルト討伐依頼を新たに作成はするが、ゴブリンの討伐も引き続き継続して張り出される事となった。奴らは放置すると鼠算的に増えるので懸命な判断だと僕も思う。(使い捨ての兵としては優秀だったが、自分が人間側に立ってみると面倒な種族だよな) 魔族側についていた時の事を一人振り返っていると、頬に指を当ててアスティナが軽く首を傾げた。ルスよりもずっと年上だろうに、可愛らしい容姿のせいでその仕草が似合っている事が地味に怖い。 「……それにしてもぉ、ロイヤルさん達三人は一体何処に行ったんでしょうねぇ?」 町まで無事に辿り着いたのならちゃんと助けを呼びに行くくらいの良識が奴らにもあるとアスティナは思っていたのか、『まさかぁ、そうじゃなかったのぉ?』と不思議でならないみたいだ。
Last Updated: 2025-12-22
Chapter: 【第9話】討伐ギルド・前編(スキア・談) ルスの目的地である討伐ギルドは、|ソワレ《この町》の目抜き通りからは一本逸れた通りにある。煉瓦造りのその建物の周辺には薬を扱う店や防具・武器屋、質屋などが数軒あるが、それよりも酒屋や飲み屋の方が多く並らぶ。そのため昼間は比較的静かな通りなのだが、日の暮れた今では酷い有様だ。討伐依頼などをこなして得た稼ぎの全てを使い倒す勢いで酒を煽る者がいたり、喧嘩になって殴り合う奴らもいて、とても騒がしい。 初めて来た町なのに、この通りが昼間どんな様子なのかを僕が知っているのは、全てルスと契約したおかげだ。 “影”を経由して色々な物を入手出来る以外にも、契約対象となった者の“知識”などを読み解く能力を僕は持っている。現状僕が自在に読めるのは“知識”の方であり、“記憶”の方は契約印がもっと彼女の体に馴染んでいかないと多くは望めない。だが此処数日間程度の記憶は既に得ておいたから、この後の行き先くらいは全て把握済みだ。 魔物側での活動期間が長かったため、残念ながら今の僕には人間側の知識が乏しい。なので町に入ってすぐに彼女の“知識”の方も少しだけこっそり読ませてもらったのだが—— ルスの“知識”は、何かがおかしい。 色々な知識をそれなりに得てはいるみたいなのだが、どれもこれもが浅いのだ。例えば『トマト:赤くて丸い野菜。酸味が強い物や甘めの物など、品種によって味の系統が少し違う』などといった具合に、妙に説明文めいた覚え方をしている。それに加えて“知識”に関連付けて思い出せる経験などがほとんど無く、どれも“本”や“聞き齧って得た簡単な知識”でしかないといった印象だった。 貴重な人材であるはずのヒーラー職に従事している割には着ている装備も貧相だし、弟を預けている保育所の延長代金をやたらと心配する程お金が無い点も不思議でならない。(人の事をどうこう言える立場ではないが、ルスに関してはどうも疑問点が多いな……) そんな事を考えていると、ルスがギルドの入り口前に立ち、「スキアはどうする?外で待つ?」と訊きながらこちらを見上げてきた。 「もちろん一緒に行く。僕達は“夫婦”になったんだからな」 にっと笑い、ルスの手を取って指を絡めていく。そして少しでも夫婦らしく見える様に恋人繋ぎってやつをやってみた。僕らしくないサービス精神だ。 相当若くは見えるが所詮はルスも年頃の娘であ
Last Updated: 2025-12-16
Chapter: 【第8話】いざ、仮初の夫婦に(ルス・談)「目を瞑ってろ」と言われ、一秒後には「もう開けていいぞ」とスキアが許可をくれる。指示通りに行動しはしたが、ワタシにとってはただ瞬きをしたにすぎなかった。 なのに、たったそれだけの間でもう、目の前の情景は一変していた。 森の中に響いていた獣の遠吠えも、梟の鳴き声も消えて、耳に届くのは町の騒がしい営みの音に変わっている。喧嘩でもしているかのような怒鳴り声、店への呼び込み、酒を飲んで歌う人達の声が聞こえ、『町に戻って来たんだ』と実感した。平和そのものの音を聴き、ちょっと嬉しくなる。コボルトの群れをこの町から随分遠く引き離したのだ。 かなり大袈裟かもしれないが、今夜のこの光景を守ったのは自分なんだと考えてしまう。「な?一瞬で戻れただろう?」「すごいね、ありがとう!」「あぁ、そうだ。ついでにコレを渡しておくよ。アンタのだろう?」 お互いの体を包んでいた両腕を同時に解くと、彼は半透明の魔法石を差出してきた。水晶にも似た石の周囲にはぐるっと細いリボンが巻き付いているみたいにしてライン状の魔法陣が描かれている。討伐と遺体の回収といった依頼を無事にこなして、要求された数を満たしている証だ。「…… もしかしたら、ロイヤルさんに渡したやつ、かも?」 見覚えはあるが確信はない。三十体のゴブリンを倒し、魔法石の中にその遺体を収納した後は、確かにパーティーのリーダーだったロイヤルさんに渡したのに。 首を傾げ、「どうしたの?コレ」とワタシが訊くと、スキアは少しの間の後に「——拾った」と言ってニコッと笑った。「逃げる時に落としたんじゃないのか?」「そっか、成る程」 確かにあり得る。あの時は皆かなり慌てていたし、一目散に走れば何を落としてしまっていてもおかしくはない。ワタシもなけなしのお金で買った杖をなくしたし。まぁ、もっとも、自分の場合は逃げる流れで身を軽くしようと捨ててしまったのだけれども。「じゃあ、保育所に弟を迎えに行く前に討伐ギルドに寄ってもいいかな。これを渡してワタシの分の報酬を受け取ってこないと」(じゃないと、リアンを預けている保育所の延長料金が払えない!) 休まずに働けども収入が少なく、その日暮らしのようなギリギリの生活をしているせいで、残念ながら貯金なんかほぼゼロなのだ。「わかった。じゃあ、そうしようか。——そうだ、歩きながら今後の僕達の関係性を決
Last Updated: 2025-12-10
Chapter: 【第7話】契約③(スキア・談)「——な、なっ!」 『喉の奥で声が詰まる』という感覚を久々に感じた。六年ぶりに肉体を得たのだと実感出来るのは嬉しいのだが、何もこんな実感の仕方じゃなくったっていいと思うんだが……。 「ど、どうでしょうか?」と僕に訊くルスの声はちょっと弾んでいる。自分の想像した姿を、僕が気に入ったか否かを早く知りたいみたいだ。 「どうって……。いや、あ、んー……」 率直な感想を口する事は咄嗟に堪えた。 僕はサポート系の魔法を扱う以外にも、“影”を経由して色々な物を入手する事が出来る。人様の私物をこっそり拝借しているので、突き抜けた善人であるルスにはその点を伏せておく事にした。——そんな手段で用意したとも知らずにランタンを片手に持って、こちらを照らしてくれているルスの表情はとても明るい。さっきまでは遺体と見紛うレベルで全身が破損していた者とは思えない程嬉しそうな顔だ。「……おっさん、だな」 ランタンと同じく、影を経由して他から拝借した手鏡を持ち、眉間に少しの皺を寄せながら呟いた。口汚く、否定的な意見を言葉にしなかった自分を褒めてやりたい。 「実は、ワタシの名付け親になってくれた人を想像してみたの。もう随分と会えていないから、また会いたいなぁとも思って」 「名付け、親……?あぁ、そっか」(それなら、納得だ) “僕”に名前をつけたルスはどう見てもまだ“少女”と形容する事しか出来ない容姿だが、一般的に名付け行為をするのは、それなりの年配者だもんな。 この酸いも甘いも知ったような落ち着いた顔立ち、少し垂れ目がちで小皺のある目元、緩く後ろに撫で付けた前髪からは妙な貫禄が漂い、顔の雰囲気からは妙な色香まで感じられる。ボディの方までは彼女の想像力があまり及ばなかったおかげで勝手に補正が入り、百九十センチはあるであろう高い身長に見合う逞しい体に出来たのは救いだった。これで……ビール腹で全身が脂肪ばかりの体にでもされていたら、最速でルスに殺意を抱いていた所だ。でも——「……なぁ。僕の“口調”や“声質”からして、もっと違う容姿は思い浮かばなかったのか?」 “影”そのものであり、そのせいで肉体の無い僕が、唯一“僕”という存在を主張出来るのが『声』だ。少年めいた声質なせいで、この五十代前半といった感じの容姿にはちっとも似合わない。 「……えっと、そう、だね。
Last Updated: 2025-12-04
Chapter: 【第6話】契約②(とあるイキモノ・談)『……なま、え……』 「うん。……何て、呼べばいいのかな」(知るか!そんなの。——あぁもういい、勝手にしろ) と、心の奥底でだけ悪態をつく。 『ア、アンタの好きに呼べばいい。別に僕は“お前”でも“アンタ”でも、“おい”って呼ばれようが、反応はするんだし』 そもそも持っていないものを教える事なんか出来やしないんだ、これ以上は訊かないで欲しい。そんな気持ちでいたせいか、随分と投げやりな声色になってしまった。 「好き、に……?」 『あぁ、好きにしていい』 僕がそう言うと、“ルス”と名乗った少女の口角が少しあがった。「……じゃあ、“スキア”って呼ぼうかな」 楽しそうに笑顔を浮かべているみたいだが、何処もかしこも血塗れなせいで少し怖い。これではまるで猟奇殺人鬼みたいだ。 『スキア?』 「そう、“スキア”。意味はねぇ、確か……“影”だったはずだよ。姿は見えないけど、こうやって、“影”みたいに優しく傍に居てくれているから」 僕に心臓があれば、ドキッとしていたに違いない。 まさか僕が、実体を持てぬ時は『影』に溶け込んで生きるしかない存在であると、ルスはわかっていてこの名前を選んだのだろうか?生き物達が負の感情を抱き始め、それらが少しづつ影の中で蓄積されて、ついぞ意思を持ったイキモノが僕であると、彼女は知って……? ……いや、そんなはずは無いか。 誰にも知られず、契約により『|真実《そう》』と知った|契約者達《相手》も今まで全て、食い潰して生きてきたんだから。「別の、名前がいい?」 僕が黙っていたせいか、ルスの声は少し不安げだ。 『いや、大丈夫。……“スキア”か、良いんじゃないかな』 その名を口にしていると、じわりと自分に馴染んでいく感じがする。一度も経験の無い、何だかとても……不思議な感覚だ。『じゃ、じゃあ、早速契約を交わそうか』 「あぁ、うん……。そうだね」 返事をし、ルスがゆっくりと頷く。何とかそのくらいは出来るまで回復が進んできたみたいだ。(マズイな、予想よりも回復が早い) 早く契約を結ばないと、気が変わって『やっぱりやめる』と言い始めるかもしれないし、僕と契約する事のデメリットを訊かれたりもするかもしれない。だが、名前と同じく、『そんなものは無い』が答えなので焦る必要はないのだが…
Last Updated: 2025-11-30