夜。星が近くにあるような感覚――
ここは天空都市〈フリューゲル〉の外縁、風の神殿の裏手。 旅の仲間たちは、焚き火を囲んでいた。風の音も遠のき、街灯の届かぬ静寂の中。
戦いの熱も冷め、自然と話題はやわらかくなっていく。「なあ……もし、元の世界に戻れたら、何をしたい?」
ルークが、不意に切り出した。
誰もすぐには答えなかった。
だがそれは、口を閉ざす理由ではなく、想いを探す時間だった。「……帰ったら、母ちゃんに言うんだ。『もう働くな』って。」
アベルがぽつりと言った。
「ずっと、ひとりで店、守ってたからな。俺はもう、大丈夫だって、言いたい。」
「……ええ子や。」
アマネの声が、いつもより少し低く、優しかった。
「ぼくはね……ふつうの学校に行ってみたいな。」
ショウが、小手の中から声を漏らす。
「みんなと同じ時間に起きて、同じ制服着て、同じ教科書読んで……すっごくつまんないって言ってみたい。」
その言葉に、誰かが「それ、最高の贅沢だよな」と呟いた。
「わたしは……どうだろう。」
リィナが空を見上げる。
「何もない場所にいたから、“帰る”って言える場所がない。でも……誰かの帰る場所にならなきゃって、思うようになった。」
それは、確かに彼女が変わった証だった。
そして、銃――主人公の声が静かに響く。
「……俺は、神に言われたんだ。“魔界を滅ぼせば、身体と魂を戻してやる”って。」
「やっぱり、お前だけ何か知ってるのか?」
アベルが身を乗り出す。
「多少な。でも……奇妙なことに、肝心の“自分自身”の記憶が曖昧なんだ。」
「え……?」
「名前も、家族も、通ってた学校も……断片はある。けど、どこかに靄がかかったみたいに、全部が中途半端なんだ。」
誰もすぐには言葉を返せなかった。
「他の武器たちは、それぞれの過去を語る。でも俺だけ、思い出そうとすると、神の言葉だけが先に浮かぶんだ。“使命”だけが、やけに鮮明に。」
「それって……どういうこと?」
リィナがそっと尋ねる。
「わからない。けど、たぶん――“俺が何者だったか”は、この旅の先で知ることになる。」
火がぱちりと鳴った。
風が通り抜け、誰かの髪を揺らした。それぞれの“帰りたい場所”は、遠く、優しく、まだ見えなかった。
だが、焚き火のあたたかさだけは、確かにそこにあった。
安らぎの都市を突如襲った混乱――沈黙の霧が支配する中、リィナたちは戦火に巻き込まれていく。霧の中からは、人々の悲鳴と怒号。精神を蝕む干渉により、善良な市民たちが互いに牙を剥き始めていた。「……ネーヴァ・ヴォイド。四天王の一人か。」アベルが眉をひそめながら言う。フィアとセイヤは、別の地点で救助活動を続けていた。フィアの足元を飛び交うコウジが、軽薄な調子を押し隠しながら叫ぶ。「こりゃあ……笑ってられる空気じゃないな。フィア、どうする?」「……コウジ、私たち、もっと空を高く飛ぼう。」フィアの瞳に、強い意志が宿る。「高く?今はそんな余裕――。」「違うの。上空から“全体”を見なきゃ、戦えない相手なのよ……。」フィアがブーメランを両手で掲げると、コウジの身体が淡く光り始めた。「おいおい、まさか……。」「いくよ、コウジ。……覚醒!」天空に奔る閃光。 風を裂く音とともに、ブーメランが弧を描いて飛ぶ。 その軌道は、空間の歪みを切り裂くような異質さを孕んでいた。「風は、道を選ぶ。私は――人々のために飛ぶ!」コウジの声が一変し、芯のあるものに変わる。「ようやく……俺にも“風”の感覚が戻ってきたぜ。行こうぜ、フィア!」同時に、氷の都市から来たセイヤも、カンテラを掲げて祈っていた。「……この光よ、人々を導いて……!」「セイヤ、君の灯火を信じてる。今こそ、“君”が誰かの道標になる番だよ。」カンテラの中で揺れていた火が、突如として輝きを増し、都市全体を包む光の柱へと変わった。「……先生……ありがとう……僕、もう迷わない。」灯火と風――二つの“覚醒”が都市に再生の風を吹き込む。ネーヴァ・ヴォイドの霧がわずかに後退し、人々は正気を取り戻し始めた。「……風が、吹いている……。」「……灯が、見える……!」静けさが戻ったその空の下、フィアとセイヤが互いに頷
久方ぶりに、旅の仲間たちは最初の都市――〈エルデン・ルクス〉へと帰還した。かつて絶望の中で旅立ったこの場所は、彼らの戦いと勝利を讃えるように、穏やかな光を宿していた。花が咲き、広場では子供たちが笑い、旅の疲れを癒す甘い香りのパンが市に並ぶ。「……戻ってきたんだね、ここに。」リィナが小さく呟くと、ナギの声が肩越しに応えた。「ここが始まりだったからこそ、終わりの地にはしたくないな。」それぞれの仲間たちも、思い思いの時間を過ごしていた。カイルとショウは鍛錬を怠らず、ナギとリィナは露店の食事に舌鼓を打ち、アベルは「信仰が復活したとか何とか」で神殿の奥に隠れていた。アマネはそれを笑いながら、診療所で子どもたちの怪我を癒していた。安らぎは、確かにそこにあった。……だが、それは長くは続かなかった。夕暮れ。遠くから、奇妙な叫び声が響く。「やめろ!なんで、お前が、俺の頭の中に……!」スラム街。貧困と憤怒が蓄積した場所。そこに、霧が満ちていた。淡く、灰色の靄。まとわりつくように、心を蝕むそれは――「ネーヴァ・ヴォイド……!」タカフミが叫んだ。「奴が……精神に干渉してる。怒りや恐怖を増幅させて、住民たちに幻覚を見せて……互いを敵と思わせてるんだ!」暴動はあっという間に広がり、住民たちは理性を失って牙を剥いた。「落ち着いて!あなたの敵じゃない!」レオナの声も届かず、暴徒の一団が襲いかかる。「くっ……ナギ、援護を!」「了解ッ!」炸裂する音。弾丸が、襲いかかる住民の武器を弾き飛ばす。「俺たちは敵じゃねぇんだよ!」一方、スラムの奥、祭壇跡に立つ霧の影――それこそが四天王の一柱、ネーヴァ・ヴォイド。「……騒げ、騒げ。お前たちの“安らぎ”など、幻想に過ぎぬ。」彼の声は直接、心に響いた。姿なき存在、精神の淵から這い出した者。
焼け跡の都市――そこは、かつて命が交錯した場所。今は風が煤を巻き上げ、瓦礫の間にかすかに残る熱が、惨劇の痕跡を語っていた。リィナたちが踏み込んだその地の中心に、影のように立っていたのは、漆黒の大剣を背負う男と、その剣を手にする、頬に古傷を持つ青年だった。「……どけ。」青年が発した低い声の瞬間、空気が切り裂かれる。振り抜かれた大剣の剣圧が、周囲に潜んでいた幼体の魔物たちをまとめてなぎ払い、空気が悲鳴を上げた。「あれが……“神の大剣”……!」ルークが小さく呟いた。だが、その目には戦慄が走っていた。この力は、ただの破壊ではない。何か、哀しみをまとっている。「……あれが、彼だ。」アマネがぽつりと呟いた。「滅びの都市にいた使い手。……戦うと誓った者。」リィナが顔を上げる。都市の名は、すでに記録にさえ残っていない。だが、その地で起きた悲劇は、神の武器たちの記憶の深部に、確かに刻まれていた。――精神を蝕む力。ネーヴァ・ヴォイドという名の、異界からの干渉者によるもの。人々は互いを信じられず、狂い、殺し合った。大剣使いの男は、ただそのすべてを見届けることしかできなかった。「……俺には、止める力がなかった。」その言葉に、青年の背に背負われた黒い剣が、かすかに震える。「お前は、悪くない。……俺が、もっと早く気づいていれば。」それは、大剣の声だった。かつてバスの運転手だった男の魂。彼は人を救えず、乗せた命を守れなかった罪を背負い、今もなお使い手と共に戦い続けていた。「名乗る気はない。だが……同じ旅路にいる者だと理解するなら、剣を向けるな。」
焼け落ちた街の中心に、揺らめく焔が静かに残った。灰色の瓦礫の間、足元には転がる脆い鎧片と、散らばった鍛冶道具。そこに、タカフミとレオナ、アマネとアベルの姿があった。戦いを終え、傷だらけではあるものの──確かな意志がその佇まいに刻まれていた。工房から一歩外に出ると、そこには出迎えの人々。鍛冶師や家族、子供たち、避難所で不安を抱えていた老人すらが、彼らを見つけて歓声を上げた。「…………!」レオナの胸が、固くなる。だが緊張の糸が、ふっと緩んだ瞬間でもあった。「お帰りなさい! 皆、あなたたちの帰りを待ってました!」老鍛冶師が震える手でアベルの腕を掴む。彼の目に、安堵と誇りが揺れていた。アベルもまた、ぎこちない笑顔を返す。「……ま、まあな。俺ら、無事だぜ。街も、大怪我はねぇさ。」そう言ってアベルが杖を掲げると、それを囲んでいた子供たちから歓声が沸き起こった。「お兄ちゃん、魔法、すごくてかっこよかったよ!」「お姉さんの本、ページが光ってた! おうちに帰って、また読んでよかったねって言いたいよ!」タカフミの表紙が、ふわりと震えた。 レオナもまた、ゆっくりと微笑み返す。「ありがとう、みんな……私達、本当に帰ってこられたんだね。」レオナの声は震えていたが、その微笑には揺らぎがなかった。その夜、街の広場では、小さな宴が開かれていた。残された鍛冶炉が焚かれ、暖かい煮込みスープとパンが並ぶ。真っ黒な煤煙の下、笑顔が溢れる。アベルは煙草を咥えながら、饒舌に街の噂話を語る。アマネは魔法で小さなライトを灯し、足元の子供たちに優しい光を落としていた。レオナは子供達に囲まれ、タカフミの魔導書の頁をめくっては、物語を語っている。「これはね、“勇気の始まり”っていう伝説の章なんだよ……。」その柔らかな語りに、子供たちが目を輝かせていた。 タカフミもまた、
崩れた地面に、グロムの大剣が突き刺さる。轟音と共に炎が収まり、旧鍛冶都市に静寂が戻った。「……終わった、のか?」アベルが呟いたその瞬間、突如として空気が震えた。――カン。どこかで金属が打ち合わされる音。火の塔の麓、まだ炎がくすぶる鍛冶工房から、灰を纏った男が歩み出てくる。「待っていたよ、裁きの者たち。」それは、都市の“記録守”を名乗る男――オルネウスだった。法衣のような衣をまとい、手には古びたハンマーと天秤を携えている。「グロム・ザ・スコーチ、その魂は……焼き尽くされたのではない。封じられていただけだ。」彼の言葉に、タカフミが目を見開いた。「まさか、彼は……。」「かつてこの都市で最も優れた鍛冶師だった。人として、火と鉄を愛した。だが、魔界の侵略と共に記憶を失い、焔の王と成り果てた。」天秤が傾く。オルネウスはその均衡を見定めるように目を閉じた。「だが彼は、最後の瞬間に自らを取り戻した。記憶の灰の奥に、まだ人としての“誇り”が残っていた。」静かに、彼は地に伏したグロムの胸へと歩み寄る。「今一度、裁定の時だ。」天秤の皿に灰が乗せられ、もう一方に、一本の小さなナイフが置かれる。「……これは?」「彼が最初に鍛えた刃。幼き頃、妹のために削った“ただのナイフ”だ。戦うためでなく、果物を切るための刃。それが……彼の原点。」刹那、光が走り、灰が天秤の上で弾けた。――火の精霊が、応えたのだ。「グロム・ザ・スコーチ、その魂は許された。よって、灰は都市に還り、炎は次代へと受け継がれる。」その言葉と共に、焼け落ちた工房に火の精霊たちが集い、赤く小さな灯がともる。「ここから、また鍛え直せ。人と、武器と、誇りを。」オルネウスの瞳は、戦いを終えた神の武器たちを見つめていた。「お前たちが持つ力……それは、“破壊”ではなく“継承”のためにある。次なる戦いも、忘れるな。人の
次なる戦場は、焼け落ちた旧鍛冶都市の中心部。灼熱の炎をまとい現れたのは、魔界四天王のひとり――グロム・ザ・スコーチ。「よくも……俺の、思い出を!」咆哮と共に振るわれる大剣が、大地を割り、溶岩のような熱波が吹き上がる。迎え撃つのは、神の魔導書タカフミと使い手レオナ、神の杖アマネと神官アベルのペア。「この地を焼かせるわけにはいきませんよ、ええ、絶対にねぇ……。」アマネが杖を握りしめる。その口調はいつもの穏やかな老婦人のまま。だがその声には、揺るがぬ決意が宿っていた。「レオナ……お前が俺のページをめくってくれたとき、俺は初めて、もう一度生きてもいいって思えたんだ。」タカフミが囁くように語ると、レオナは頷き、ページを広げた。「あなたとなら、どんな過去も、力に変えられる……そう思えたの。」魔力が収束し、書の頁が炎を帯びて舞う。一方、アベルは煙草を口から抜き捨て、杖に視線を落とす。「行くか、婆さん。……俺の信仰ってやつを、ちょっとだけ見せてやるよ。」「おやおや、楽しみだね。ま、転ばないようにしな。」ふたりの心が重なるとき、魔導書と杖に眩い光が走った。「覚醒――神の儀、開始します。」レオナとタカフミの魔導書は、無数の術式を空間に描きながら、巨大な魔法陣を展開する。「“審きの光よ、すべての過去を抱いて照らせ!”。」アベルとアマネの杖は柔らかい癒しの光を広げ、戦場の全域に浄化の波を送り出す。「“命をつなぐ光よ、未来を怖れる者に温もりを与えな!”。」炸裂する浄化の光と、灼熱の炎が激突し、戦場は一瞬にして白く染まった。だがグロムは、なおも立っていた。「これが……神の覚醒か……だが、まだ……足りん!」彼の叫びとともに、都市の片隅から新たな魔物の群れが湧き上がる。「こんな時に……!」アベルが歯を食いしばる。「アマネ、行くぞ!」「ええとも、あたしの