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一樹に胸ぐらを掴まれながらも、雲雀は微塵も怯えることなく、むしろ不敵な笑みを浮かべた。彼女は小首を傾げ、挑発的な目で光森家の三人の顔を順に見つめた。「私が琴葉を陥れるたびに、あなたたち、全部信じたじゃない。私がちょっと目を潤ませただけで、琴葉がいじめたと思い込む。私が涙を一粒こぼしただけで、琴葉が悪魔だと思い込む。私が嫉妬されたって言えば、あの子を部屋に閉じ込めて一歩も出させない。ねえ、自分で言ってみなよ。あなたたちこそが、あの子を死に追いやった元凶なんじゃないの?」涼子は全身をビクッと震わせ、みるみる顔面が蒼白になっていく。雲雀の視線が一樹に移る。その口元には嘲笑が浮かんでいた。「お兄ちゃんもね。私が適当に手紙をでっち上げただけなのに、あっさり信じ込んでくれたじゃない。裏を取ろうともせず、5億も振り込んじゃってさ。胸に手を当ててよく考えてみなよ。本当は実の妹のこと、これっぽっちも信用してなかったくせに。今更になって愛情深い兄のフリなんかして、反吐が出るわ」図星を突かれた一樹は、激怒して吠え立てる。「黙れ!お前は彼女を殺しただけじゃ飽き足らず、遺体の処分まで好き勝手に決めたんだろう!」「あの承諾書にサインしたのは、私じゃないわよ」雲雀が不意に彼の言葉を遮り、光森家の三人は呆然と立ち尽くす。雲雀は一樹を見つめ、一言一言はっきりと言い放つ。「お兄ちゃん、あの絶縁協議書にサインした時、ちゃんと中身を読まなかったでしょ?その中に、琴葉の死亡届と臓器提供承諾書が紛れ込んでいたのよ。気づかずに自分の手でサインしたのは、他ならぬお兄ちゃんなんだから」一樹の顔から、一瞬にして血の気がサーッと引いていく。彼は、あの日のことを唐突に思い出す。5億円を振り込んでからしばらく経ったある日、追加の書類が送られてきた。これで正式に縁を切る手続きが完了すると言われ、渡された分厚い書類の束に、彼はもう目を通す気力すら残っていなかった。込み上げる苛立ちと嫌悪感のまま、最後のページまで無造作にめくり、自分の名前だけを書き殴った。つまり、彼がこの手で琴葉の死亡届にサインし、自らの手で妹の臓器提供に同意していたのだ。一樹は膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。両手で顔を覆い、獣のような慟哭を上げた。……雲雀は刑務
一樹は大きく息を吸い込むと、かすれた声で告げた。「雲雀、琴葉が死んだ」雲雀は一瞬呆然とし、目をわずかに見開く。途端に信じられないといった表情を浮かべ、目元を赤く染めながら、震える声で尋ねた。「お姉ちゃんが死んだ?どうして?」彼女は唇を噛みしめ、一樹を見上げて、恐る恐る探りを入れるような口調で言う。「お兄ちゃん、その話……嘘だよね?お姉ちゃんって昔から演技が上手だったこと、みんな知ってるでしょ。また同情を引くために芝居を打って、隙を見て私を追い出そうとしてるんじゃない?」言葉を重ねるうちに、その声には拗ねたような響きが混じり始め、哀れっぽく俯いてみせる。これまでなら、彼女がこんな顔を見せるたびに、光森家の誰もが胸を痛めて彼女の肩を持ち、矛先を「分からず屋の琴葉」に向けてきた。しかし今回ばかりは、リビングは死んだように静まり返っている。光森家の三人が、まるで赤の他人を見るような冷たい目で彼女を見つめていた。「俺たちはこの目で、琴葉の遺体を見てきたんだ」雲雀の表情が、一瞬強張る。彼女は目を伏せて涙を絞り出すと、手の甲で目尻を拭いながら、か細い声で呟いた。「そんな……どうして……はぁ、そもそもお姉ちゃんが勝手に姿を消したのがいけないのよ。逃げ出す時にお母さんを見捨てたとはいえ、一応は光森家の人間なんだから、帰ってきて謝ればよかったのに。そうすれば、こんな結末にはならなかったはずよ……」――今になってもまだ、私に罪をなすりつけようとしている。涼子の堪忍袋の緒が、とうとう切れる。勢いよく立ち上がると、雲雀の頬を力任せに平手打ちした。打たれた勢いで顔を背けた雲雀の、色白の頬に、真っ赤な手形がくっきりと浮かび上がる。「この人でなし!」涼子は全身を震わせ、目に涙を滲ませながら怒鳴りつける。「今になってまだ嘘をつくつもり!?あの時私を救ってくれたのは、あなたなんかじゃない。琴葉だったのよ!」雲雀は頬を押さえ、信じられないという顔をする。「お母さん、どうしたの?あの時お母さんを助けたのは私だよ。誰かに変なこと吹き込まれたんじゃないの?」その視線が総一郎と一樹へと移り、泣きそうな声で訴える。「お父さん、お兄ちゃん、私のために何か言ってよ」一樹は嘲るように笑い出す。
光森家の面々は、真っ先に「あり得ない」と思った。虫も殺せないほど心優しく、誰からも「性格が良くて素直な子」と褒められ、大声を出すことさえできない――それが雲雀だ。そんな彼女が、こんなことをしでかすはずがない。涼子が誰よりも早く首を振り、きっぱりと言い切った。「そんなはずないわ!雲雀は本当に心優しい子なんだから、きっと何かの誤解よ。一樹、もう一度よく調べ直してちょうだい」しかし、調査が進めば進むほど、三人の顔色は、少しずつ土気色に変わっていった。銀行の入出金記録、通話履歴、振込明細――どの手がかりも、最終的には同じ人物へとたどり着いていた。雲雀はあの手紙を偽造し、私の死に関するすべての情報をもみ消しただけでなく、私の死そのものにまで深く関与していたのだ。一樹は三日三晩をかけ、あらゆる人脈を駆使して、ついにあの事故を起こしたトラック運転手を見つけ出した。脅したりなだめたりを繰り返した結果、ようやく相手の口を割らせることに成功した。「誰かに頼まれたんです」運転手はうつむきながら白状した。「女でした。俺に2000万振り込んで、ひき逃げしろって。後始末は自分がやるからって」一樹がその振込元の口座を調べると、2000万円という金は、3回に分けて別々の個人口座から振り込まれていた。そして調査の行き着いた先は――またしても、雲雀だった。涼子はその場で気を失って倒れた。総一郎は一晩で10歳も老け込んだようになり、その両手は絶え間なく小刻みに震えていた。一樹はソファに座り込んだまま、3時間もの間、一言も発することができなかった。目頭は乾ききって痛むのに、もう一滴の涙も流れてはこなかった。彼らが目に入れても痛くないほど大切に育て上げた雲雀が、実の娘である琴葉を、その手で殺していたのだ。3日後、雲雀が旅行から帰ってきた。両手には高級ブランドの紙袋をいくつも提げ、顔には屈託のない満面の笑みを浮かべている。「お兄ちゃん!ちょっとは手伝ってよ」彼女はわざとらしくむくれて一樹を睨むと、買い物袋を彼の目の前で揺らして見せた。「お土産に買ってきてあげたのに。いらないの?」けれど、誰も答えない。雲雀は一瞬きょとんとしてから、ようやく家の中の異様な空気に気がついた。総一郎と涼子はソファに座ったま
光森家の面々は途端に言葉を失った。呆然としたまま、壇上に並んだ子供たちを見つめている。そうだ、この子たちは皆、琴葉が救ったのだ。琴葉が、悪い子であるはずがない。先頭に立つ女の子は、大きな瞳を輝かせている。その微笑む様子が、なぜか琴葉の面影と重なって見えた。「琴葉……」涼子は突如として声を上げて泣き崩れ、長く抑え込んでいた感情がとうとう決壊した。総一郎は顔を背け、肩を微かに震わせている。一樹は目を赤くし、唇を固く引き結びながら、喉仏を上下させた。彼らはようやく悟ったのだ。私は、本当に死んでしまったのだと。彼らが口を極めて「意地悪でわがまま」と罵った娘。いっそ家に戻ってこなければよかったとまで憎んだ琴葉は、本当に死んでしまったのだ。……光森家の強い懇願を受け、菊之助は彼らを私の遺体の元へと連れて行った。解剖室の冷たい白い照明が私の顔を照らし出す。まるで眠り姫のように、静かに横たわっている。かつては泣いたり笑ったりと、生き生きとした表情を浮かべていたはずのこの顔に、今はただ、青白さと静けさだけが残っている。涼子は解剖台にすがりつき、震える手を伸ばした。けれど、その手は宙に浮いたまま、冷たくなった私の頬に触れることを躊躇っている。「彼女は当時、やっとの思いで雪山から下りてきたんだ。全身が凍傷だらけで、体はほとんど動かせない状態だった。救助隊は先に彼女を病院へ運ぼうとしたが、彼女は頑として、母親を先に助けてほしいと言い張ったのだ。自分はまだ持ちこたえられるから、道端で待っていると」菊之助はふうっとため息をつく。世の酸いも甘いも噛み分けてきたその目にも、薄らと涙の膜が張っていた。「ところが、まさかそこへ暴走したトラックが突っ込んでくるとは……病院に運び込まれた時には、もう助からない状態だった」それを聞いた涼子はもう耐えきれず、私の遺体のそばに崩れ落ちるようにして寄りかかり、堰を切ったように溢れた涙が、私の青白い手の甲へと零れ落ちていく。「琴葉、ごめんなさい……お母さんが悪かったわ。あなたを責めるべきじゃなかった!あなたはお母さんを見捨てたわけじゃなかったのね!」その声は悲痛に満ち、ひどく掠れている。「お母さんがあなたを誤解していたの……ごめんなさい……死ぬべきだったのは、お母さんの方
声を上げたのは、一人の老人だった。杖をつきながら、人ごみからゆっくりと歩み出てくる。その背筋はピンと伸び、両目は鷹のように鋭い。彼の姿を見た者は皆、一様に畏敬の表情を浮かべる。それは光森家の面々とて例外ではなかった。「九条様……?どうしてこちらへ」この方は、東都の権力の頂点に君臨する九条家の当主――九条菊之助(くじょう きくのすけ)。その鶴の一声で、都中を震え上がらせるほどの実力者だ。彼は今、険しい面持ちで一樹をじっと見据えている。一樹はようやく冷静さを取り戻し、どうにか呼吸を整えると、必死に弁明した。「九条様、この宴を仕組んだ者が、意図的に我が光森家を陥れようとしているのです。決して九条様に対して失礼を働くつもりはございません」言い終わらぬうちに、菊之助が静かに口を開いた。「このチャリティーディナーを主催したのは、このわしだ」一樹の表情が、一瞬にして凍りついた。菊之助は感情の読めない眼差しを彼に向けた。「お前は、わしが故意にお前たちの仇をなそうとしていると、そう言いたいのかね?」一樹は口をぱくぱくと動かすが、言葉ひとつ出てこない。菊之助はもう彼に目もくれず、スクリーンに映る穏やかな顔へと向き直る。その眼光から鋭さが消え、代わりに滲み出てきたのは、心からの敬意だった。「この特別な受賞者も、このわしが選んだのだ。先日、旧友を訪ねたところ、彼がちょうどこの解剖学教室の教授でな。その口から、このお嬢さんの話をたまたま耳にしたのだ。若くして非業の死を遂げながらも、その心はどこまでも清らかで、見ず知らずの他人を救うために、己のすべてを惜しみなく差し出した……」彼は言葉を切り、ため息をもらした。「立派なことだ。実に、感服するよ」総一郎の手に握られていたグラスが、床に滑り落ちて砕け散る。跳ねた中身がスーツを汚したが、本人は全く気にも留めていない。涼子の両目からは一切の生気が失われ、唇がわなわなと震えていた。まるで魂が抜けてしまったかのようだった。一樹に至っては、もはや状況が理解できずに立ち尽くし、指一本動かすことすらままならない。しばらくして、彼はようやく、自分のものとは思えないほどかすれた声を絞り出した。「九条様……それでは、この写真は……本物なのですか?」菊之助は振り返ると
司会者は、スマホに届いたファイルを巨大なスクリーンに映し出した。写真が表示された瞬間、会場にいる誰もが思わず息を呑む。「まさか……遺体はここにあったなんて」私も人々の視線を追い、そちらへ目を向けた。解剖台の上には、私の体が静かに横たわっていた。両手はそっと胸元で組まれている。目は静かに閉じられ、伏せられた睫毛の影が落ちる血の気のない顔にはなんの感情も浮かんでいない。まるで眠っているかのようだった。その傍らには、一枚のプレートがぽつんと立てられている。【献体番号231】「琴葉さんは本当に死んでいたんだ」「しかも臓器だけじゃなく、献体までしたっていうのか」「道理で光森家がずっと遺体を見つけられなかったわけだ……まさか解剖実習の献体になる道を選んでいたなんて」さざ波のように広がるひそひそ話が、一言一言、光森家の面々の胸に突き刺さる。涼子は血の気を失ってふらりとよろめいた。今にも倒れそうになったところを、総一郎がとっさに支えた。総一郎は唇を震わせながら、スクリーンに映る青白い顔を見つめ続けている。何か言おうとしているのに、言葉がすべて喉の奥でつかえて出てこなかった。誰よりも激しく反応したのは、一樹だった。彼は勢いよく立ち上がり、ガタンと大きな音を立てて椅子を倒した。そして血走った目でスクリーンを睨みつけ、叫んだ。「あり得ない!お前らが仕組んだ嘘に決まってる!」彼の声が広い会場に響き渡る。「この写真は偽物だ!」一樹は司会者の鼻先に指を突きつけんばかりの勢いで、鬼の形相で凄んだ。「お前らは全員、あいつに雇われた役者だろう!あんな自分勝手で、人をいじめることしか頭にない女が、死ぬわけがない!しかも、自分の遺体まで献体しただと?」彼は鼻で笑ってみせるが、その声は明らかに震えていた。「馬鹿馬鹿しいにもほどがある!」だが、この瞬間どれほど動揺しているか、一樹自身が一番よく分かっていた。彼は、私を憎んでいる。面と向かって、何度もそう言われた。「お前は何のために光森家に戻ってきたんだ、家の中をめちゃくちゃにするくらいなら、どこかで野垂れ死にすればよかったんだ」と。けれど今、私が本当に死んでいるかもしれないと知った瞬間、彼の中に湧き上がってきたのは、名状しがたい恐怖だった。その恐怖