LOGIN【2015年5月】離婚から3ヶ月、俺の生活は空虚だ。ステアリングタワーの最上階に君臨する父の冷徹な目や、ガラス張りのオフィスでの会議の重圧に追われる日々。「後継者たれ」という父の命令や、書類の山、数字の羅列。それが俺のすべてとなった。俺の離婚報道は、ささやかながら世間を賑わせた。離婚のきっかけや原因は何だったのかという突撃の取材も電話で舞い込むようになり、社員達にはすべてシャットアウトするよう通達された。それでも「モラハラが原因か?」「夫の不倫か?」などの記事が書かれ、もしかして遥花や百合子が記者に情報を売ったのかと慌てて雑誌を買い漁り、読み込んだりもした。だが載っている情報はどれもデタラメで、記者の妄想の域を出ない話ばかり。SNSの反応を見ても、誰も信用してないようで胸をなでおろす。一方、ステアリンググループ企業の株価は、なぜか軒並み急騰したりもした。「総帥の息子が離婚したことで、グループとしても注目を浴びたんだろう」「これならどんどん入籍してもらって、どんどんバツを重ねてもらわないと」などと、株主たちの勝手なネットの書き込みを見ては、辟易とした。逆に遥花の養父母が経営するルミナスコーポレーションは、大きく株価を落とした。取引については離婚後も変わらず続けるという約束が交わされはしたが、その次の月には早速、出荷の枠が減らされていた。これを株価のせいだけと捉えてよいものか。会社と会社の関係性も、人間関係となんら変わることはない。信用を失えば希薄になっていくだけだ。父はさっそく、俺の次の婚姻先を考えているようだった。「心配するな。信用が絶たれたとしても、新たな信頼関係を築けば良いのだ」。珍しく優しい言葉をかけてくれながらも、太くて真っ白の眉毛は強張っていた。結局俺は、駒としか見られていなかった。また繰り返しだ。別の取引先と政略結婚が結ばれ、またグループの利益のためだけの、愛のない生活が始まる。遥花との生活の方がよほどマシだったと思うだろう。夜になると、遥花の涙が頭をよぎる。あの夜、俺は彼女を「浅ましい」と嘲り、銀行カードを投げた。妻だった女性にそんな態度を取ってしまったことが、自分でも信じられなくなる。「離婚しましょう」と突きつけられた声、去っていく彼女を乗せた車のテールランプ。それらの記憶が、いまだに胸を締め付けてくる。あの時の俺は、何かに憑りつかれていたようだった。いや、あれこそが俺の本性なのだ。卑屈に生きてきたせいで、いつの間にか悪魔のような精神を心の中で育ててしまっていた。俺はそれを自覚し、受け入れなきゃいけないと思い始めていた。百合子との関係も、曖昧に放置したままだ。あの傷跡や、彼女の涙ぐんだ目を思い出しては時折心が揺さぶられるが、まだ疑いも拭えない。もちろん、俺の考え過ぎのような気もする。ハニートラップであればあの日の出来事を週刊誌に売っていたとしても不思議ではない。だが少なくとも、そんな事実はまだ確認されていない。ステアリングタワーのカフェで、昼休みの喧騒の中、俺はコーヒーカップを手に、無駄な思考を巡らせていた。百合子の目的は何なのか。俺と遥花を別れさせることか? その目的が不明でも、達成された今、俺に近づく理由もなくなったのではないか。このまま自然消滅ということもあり得るが――。「大道寺さん、おひとりですか?」ふと、俺の考察を否定するように、目の前に百合子が立っていた。まるで俺の心が誰かに読まれているかのようだ。「最近、お疲れのようですね。前の席、よろしいですか。少しお話ししたいことがあって」スーツに身を包み、柔らかい笑顔をたたえている。手には会社のロゴが記載された封筒――また仕事を装っているようにも見えるが、少なくとも拒否する理由はなく、権利すらないような気がした。コーヒーカップを置き、俺は頷いて、席をすすめる。「まず……大道寺さんに謝りたくて」と、手にしていたカフェオレのマグカップを置くや否や、彼女は頭を下げる。「私が離婚の原因なんですよね……あの日、いきなり家に行ったりなんかしたから。きっと遥花さんに、不倫を疑われたんですよね」それはまったくその通りだが、今さら百合子を責めたところで遥花が戻ってくるわけじゃない。大事な社員に、しかも女性相手に、無駄な怒りをぶつけるわけにもいかない。そこまで落ちぶれてはいない。「気にしないでくれ。元々、妻とはうまくいっていなかったんだ。むしろ君には、きっかけを作ってくれたことに感謝したいくらいだ」そう言って俺は作り笑いを浮かべる。言った後で、また失敗したかもしれないという気持ちがわいた。無駄な怒りをぶつけることは抑えられたが、これではまるで嫌味を言っているようだ。「感謝だなんて……でも、良かった。怒ってないんですね」百合子は微笑む。その笑顔は自然で、演技でやっているのであれば女優レベルだ。俺の方がまだ、よほどぎこちない表情になっていたに違いない。「ねえ、悠真さん」百合子が声を低くする。「実はもう少し、込み入った話がしたくて……あちらに席を移動しても良いでしょうか」と、カフェの個室を指さし、俺を誘う。俺の警戒心が上がる。だが、次の台詞を聴くと、従わないわけにはいかなかった。「私の、この手首にある傷のことについて話したくて……大道寺さん、いえ、悠真さんが、いつも気にされているようですから」
「私はもう一人の香澄、sophilaよ」そう言った香澄は、私の知っている香澄とは完全に別人だった。いつもオタクっぽくて、中二病っぽいところもあるけれど、ここまで雰囲気が違うことは初めてだ。まるで女優のように違う人物を演じているような。ただ、侵入してきた五人組を撃退した彼女は、まるで容赦がなかった。強くて、カッコよかったけど、同時に「怖い」という感情も湧いた。「血が出てるよ……大丈夫?」さっきナイフを持っていた五人組のうちの一人から、思いっきりお腹に膝蹴りを食らったところも見ていたし、その後、壁に背中をぶつけたところも見ていた。私自身も突き飛ばされ、肩から床に倒れた痛みがまだ残っているのに、彼女はそれ以上に辛い筈だ。けれど、香澄――いや、sophilaと名乗った彼女は、ニッコリ笑う。そして抱いていた蓮を私に差し出した。「すぐに終わらせるから。そうしたらすぐに、香澄を返してあげる」「終わらせる……って、何を?」妙な胸騒ぎがした。sophilaは、一体何をしようとしているのか……。「決まってるでしょ。侵入者たちを殺さなきゃ。あいつら、すぐに目覚めてまた襲ってくるよ」と、私に背を向けると、床に落ちた敵のナイフを拾い上げるsophila。「ま、待って! そんなことしなくても……嘘でしょ、やめて!」私の叫びに、振り返るsophila。キョトンとした顔をしながら。「どうして? こいつら、遥花と双子を襲った危険なやつなのよ」「そ、そうだけど……もう警備会社の人たちも来るはずだから! 殺したりなんかしたら、香澄……sophilaが悪者になっちゃうよ!」「警備会社? ごめんね遥花。警備会社の人は来ないんだ。だって、私がハッキングして、来ないようにしたから」……え? 何を言ってるの……?と、警報のサイレンと赤い警告灯が同時に止まる。部屋には双子の鳴き声と、五人組のうめき声だけが響いていた。「さて、と。じゃあすぐに楽にしてあげるね……」ナイフを持ったsophilaが、五人組のうちの一人の元へ向かう。心臓を目掛けて、ナイフを構えた。「だ、ダメ……やめてーっ!」と、私が叫んだとき、ベランダの外から、新たな人物が入って来た。すぐにsophilaは反応するが、新たな侵入者の方が動きは速い。sophilaがナイフを持つ腕を素早くつかみ、締め上げた。「うっ
警報のサイレンが部屋中に轟き、赤い警告灯が壁を血のように染めていく。蓮と菖蒲の泣き声が、それに重なる。割れた窓から吹き込む冷たい夜風が、カーテンをはためかせ、ガラスの破片を床に散らす。五つの影が、双子を抱えてベランダへ向かおうとしている。そして愛する遥花は床に倒れ、肩を押さえてうめいている。状況は最悪。そんな中で私――sophilaは目覚めた。いや、これは正確ではない。私の意識は常に香澄と共にある。状況が最悪なのもわかっていたし、今何をしなければいけないかもわかっている。"遥花を、双子を助けたい”香澄は私にすべてを託した。影の5人から双子を取り返す。香澄はそれを望んでいる。私は、香澄が望むことをやる。五人の影は、プロだ。黒いマスク、手袋、そして無駄のない動き。一人ひとりが、訓練された体躯を持っている。私には武術の知識がある。香澄が昔、格闘ゲームやアクション映画、雑学本で覚えた技の断片――『ストリートファイター』の“昇龍拳”、『鉄拳』の“風神拳”。映画で見たジャッキー・チェンの"酔拳"。すべて、香澄の記憶の断片。ほとんど忘れていたものだが、私の潜在意識にはすべて残っている。私はそれを取り出し、体に落とし込む。でも、体は香澄のもの。体は鍛えていないし、筋力はない。技は出せても、見よう見まね。威力は半分だ。それでも、香澄の願いのためなら、やるしかない。幸いなことに、相手はこちらが非力な女二人だけだと思って、油断してこちらに背中を見せている。最初の一手で、すべてが決まる。最初に、蓮を抱えた右端にいる人物から攻める。一気に間合いを詰め、ターゲットの首筋に手刀を入れる。雑学本で読んだ「気絶技」の応用だ。敵の体がガクンと傾き、蓮を抱えた腕が緩む。私は素早く蓮を受け止め、敵を床に押し倒した。ドサッ、と音を立てて気絶。蓮は私の腕の中で泣きじゃくるが、怪我はない。まずは一人目だ。他の数人が振り返る。「何ッ!?」「女が……!」と驚きの声を上げるが、遅い。そばにあったクッションの上に蓮を優しく置き、次は菖蒲を抱えた人物の背後に回り込む。相手が振り向く前に、背中の腎臓付近に肘打ち。映画で見た「急所攻撃」。普段なら絶対にやってはいけない危険な技だ。相手がうめき、菖蒲を抱えた腕が震える。私は菖蒲を奪い取り、敵の膝裏を蹴って崩す。二人目。三人目が、菖蒲を腕に抱えたままの
【2016年2月15日(月)午前2時】窓ガラスが砕け散る音がしたと同時に警報が部屋中にけたたましく響き渡り、部屋全体に赤い警告灯が点滅し始める。あまりの衝撃でベビーベッドの蓮と菖蒲も目を覚ましたのか、すぐに二人の泣き声が重なって部屋中に広がった。「うわあああ!」「きゃあきゃあ!」――いつもの可愛らしい声じゃなく、恐怖に満ちた本気の叫びだ。例の襲撃から警備会社を入れたけど、こんなに騒がしくなるなんて。パニックになりかけながらも、咄嗟に遥花を抱き寄せた。「あ、あなたが隆一? と、とうとう来たわね……すぐに警備員が駆け付けるわよ。こんな強引な手を使って、どうする気……?」窓の外にいる、まるで悪夢から這い出してきたような黒いシルエットに向かって叫ぶ。震える声で、心臓が喉までせり上がるかと思いながら。クリスマスの夜、神崎にナイフを突きつけられた恐怖がフラッシュバックする。でも、大丈夫だ……いつこうなっても良いようにと何度もシミュレーションした。部屋には催涙スプレーなど武器もある。相手はたった一人、大丈夫だ、私たちで撃退できるはず……。だがその直後、ベランダにロープが引っかかる音がして、複数人が登ってくる。やがて窓から手を突っ込んで鍵を開けると、部屋の中に侵入してきた。黒いマスクと手袋、動きに無駄がない。全部で5人もいる。「さすがにそっちも数を揃えてきたってわけ……?」恐怖で声が上ずる。体がすくんで、足も動かない。その間に敵は部屋に入り、ジリジリとにじり寄ってくる。彼らがすぐ近くまでやってきて、遥花をかばいながら、私は目を閉じることしかできない。……が、私たちに興味も示さず、彼らはすぐ横を通り抜け、ベビーベッドへ向かった。そして一人が泣き叫ぶ蓮を、そして別の一人が菖蒲を抱き上げた。「ま、待って……私たちの大事な子供たちよ……連れていかないで、お願い!」泣いて懇願することしかできないなんて。しかし、黒い影たちは一切耳を貸さない。まるで感情のないロボットのように動き、泣き叫ぶ双子を連れてベランダから出ていこうとする。「……ダメ! 返して!」咄嗟に私の腕の中から離れた遥花が、双子の片方を抱く影に飛びかかる。ダメだ、無茶だ!「……きゃっ!」ドタン!案の定、傍らにいた別の人物に突き飛ばされ、肩から床に倒れる遥花。その瞬間、私の中で何かが弾けた。――お
【2016年2月14日(日)】双子が生まれて4ヶ月。蓮も菖蒲も首がすわり、寝返りを打ち始めた。少しずつ「人」になってきている。今日も二人はベビーベッドで並んで、ぬいぐるみを蹴りながら「キャッ、キャッ」と声を上げている。徐々に表情も豊かになり、今は楽しそうに笑っている様子だ。香澄は契約社員になって在宅勤務が増えるはずだったのに、逆に忙しくなった。朝から晩までパソコンに向かい、ブツブツ呟いているかと思えば、急に「ちょっと出かけてくる!」と飛び出していく。そんな風に忙しい香澄の代役として、先月の半ばあたりからベビーシッターさんも来てもらうようになった。おかげで育児ストレスはあまり感じずに過ごせているが、一体、香澄は何の仕事をしているのか。尋ねても「地球の平和を守ってるのです!」なんて誤魔化すばかりだ。「香澄、日曜なのに、また出かけるの?」「うん、ごめん! 今日は絶対早く帰るから!」今朝も香澄はそう言い、慌てて玄関を飛び出していく。「あっ、遥花! 玄関ドア用の補助ロック、絶対に忘れちゃダメだからね!」でも、そういう注意はいつも忘れずに。留守が増えても、私たちのことを大切に思ってくれてるんだという気持ちは伝わってくる。だから今日は、特別なことをすることにした。今年で65歳になるという、紫パーマヘアーのベビーシッター・万田(まんだ)さんに双子の面倒を見てもらい、自分はキッチンに立つ。オーブンを170度に予熱し、バターとビターチョコを湯煎で溶かす。香澄が好きだから、チョコは70%のビターを多めに。溶けて艶やかになったチョコの、甘い匂いが立ち上る。卵を割り、黄身と白身を分けて、白身はしっかり角が立つまで泡立てる。砂糖を加えながら「香澄、喜んでくれるかな」と呟く。黄身にチョコと溶かしバターを合わせ、小麦粉をふるい入れ、ゴムベラでさっくり混ぜる。最後にメレンゲを3回に分けて加え、ツヤツヤの生地を型に流す。焼けるまでの40分、キッチンに広がるチョコの香りに胸がきゅんとする。焼き上がったガトーショコラはふわっと膨らみ、表面にぱりっとした皮。ナイフを入れると、しっとり濃厚な香りがもう一度立ち上った。香澄の好きな、ほんのりビターな味。今日だけは、全部香澄にあげたい。万田さんは、「まあ、遥花ちゃん上手! 香澄ちゃん喜ぶわよ~」と笑ってくれた。双子も喜ぶように、
松山支社の支社長室は、冷たい空気が張り詰めていた。窓の外は強い風が吹き、ガラスを細かく震わせる。俺は支社長のデスクの前に立ち、周りを囲むように集まった連中を見回した。老若男女、十数人。全員が、香澄にハッキングしてもらった例のLINEグループにいた"組織”のメンバーだ。「人数は合っているようだ。逃げ出すやつが1人もいなくて助かった。よほど強い団結力のようだな」皮肉も込めながら俺は言う。目の前の連中は、表情も様々だった。ある者は俺をにらみ、ある者は恐怖に怯え、ある者は全くの無表情で何を考えているやらわからなかった。無表情のやつに関しては、仕草からしてまるで佐伯敏夫のようでもあった。「お前たちが大道寺家に対して快く思っていないことはわかっている。だからと言って仕事の遅延や隠ぺいが許されていいことじゃない」一人のメンバーが開き直って言う。「じゃあ、どうする気じゃ? 減給にでも処す気ね? それとも懲戒解雇ね?」俺は答える。「そうだな、それも視野に――」と、連中は一斉に動き出した。女たちが距離を取って離れ始める一方で、男たちはスーツの上着を脱ぎ捨て、シャツ一枚でたくましい体を見せつけるように俺を取り囲む。「……何の真似だ?」「決まっとるじゃろ。おどれボコボコにしちゃる。箱詰めにして、クール便で東京に送りつけちゃる!」よく鍛えられた体の男たちが迫ってくる。「嘘だろ……暴力で反抗する気か? そんなことしたら貴様ら、解雇どころか警察沙汰だ。社会的に終わるぞ?」「知ったことか。ここは東京やないんじゃ! 祭りやったらケンカになるのも当たり前の松山だぞな」「わざわざこの部屋におどれに恨み持つ者ばっかり集めたのが仇となったな。愚か者!」どうやら話の通じる相手じゃないらしい……。最初に飛びかかってきたのは、30代後半に見える筋肉質の男。いきなり俺に顔に向かって右ストレートを繰り出してきた。咄嗟に目をつぶる――。が、痛みは一向に襲ってこない。目を開くと、俺の後ろからボディガードの熊谷――bearが前に出て、拳を受け止めていた。「下がっていろ、大道寺。ここは俺の出番だ」bearの声は低く、静かだった。男の拳が、今度はbearの顔面に向かう。だが、bearはわずかに体を捻り、男の腕を掴んだ。次の瞬間、「大外刈り」。男の体が宙を舞い、背中から床に叩きつけられ、
東南アジアとの交易に関する資料の整理を任されて、もう3日目。部長から「完璧に仕上げろ」と言われたけど、何度もダメ出しを食らってる。「ここは数字が合わない」「この表は見づらい」「もっと簡潔にまとめろ」……。あたしはパソコンに向かいながら、歯を食いしばった。資料は修正コメントだらけで、もはや何から手を付けたら良いかわからない。すでに直したところも重ねて指摘が入り、一周回って「これ元の記載に戻っているだけでは?」と思うような箇所も多い。もちろん、それが大事な仕事であるなら何を言われたって直すのが私だ。しかしそのモチベーションを下げている原因が一つある。それはこの仕事が、総帥の息子である大道寺悠真の肝いり施策だから、ということだ。たまたまにしては都合が良すぎる。円城寺家の出身であるあたしに、わざとこの仕事を押し付けているのではないか。大道寺家め、絶対に許すものか。※昼休み。食堂で女性社員同士でコーヒーを飲んでいるとき、オフィスビル全体にアナウンスが鳴り響いた。「大道寺悠真だ。本日、東京の本社から、抜き打ちで社内調査に来た。これからこの松山支社内で不正な仕事の遅延行為や隠ぺい行為などがないか調査させてもらう」「え、大道寺悠真……って、誰?」「何か聞いたことあるけど……偉い人?」「大道寺ってさ、確か社長? の苗字よね……いや、違う? なんやったっけ」女性社員たちは暢気だが、あたしだけ血の気が引いている。まさか……大道寺家の人間が直々に現れるなんて! 総帥の御曹司の急な訪問に、食堂の社員たちは顔を見合わせ、ざわめき始める。あたしは、スマホを握りしめ、"組織"のグループLINEにすぐメッセージを打つ。「大道寺悠真が来た! どうする?」返事はすぐ来た。「落ち着け。まずは様子を見ろ」「隆一様に報告だ!」「それより、悠真を東京に送り返す方法を考えろ」心臓がドクドク鳴ってる。※オフィスに戻ると、悠真が部長と話していた。例の交易資料のダメ出しを食らっているのだろうか。部長の顔は青ざめている。悠真の隣には、ガタイのいいスーツ姿の男がいた。あれが、噂になっていた悠真の秘書の佐伯敏夫だろうか? あんなにマッチョなだったとは……。悠真は、冷たい目で社員たちを見回す。私はすぐに視線を下げ、PCに向かうフリをしながらLINEグループに書き込んだ。「大道寺悠真