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第9章 遅れてきた青春*悠真

last update Last Updated: 2025-09-06 20:21:09

【2015年9月】

定時はとうに過ぎてしまっていた。百合子から受け取ったLINEに従い、慌ててステアリングタワーを出ると、エントランスで待っている彼女を見つける。

「待たせて悪かった……出る直前で、急に客先から電話がきてしまって……」

「もう、悠真さんったら、謝らないでいいのに」

百合子はクスリと笑う。

「ぜんぜん待ってないわ。スマホで読書も英会話もゲームもできるし、ドラマの消化までできちゃうもの。それに私たち、もう付き合い始めて4ヶ月よ。気兼ねなんてする必要ないじゃない」

“付き合い始めて4ヶ月”というワードにドキッとし、つい周りを見回してしまう。社員の誰かが聞いていなかっただろうか。

俺たちが恋愛関係にあることは、ネットでも一部で妙な噂になっていた。今さら隠そうとしても手遅れだとは思うが、こう、百合子のように明け透けにするのもどうかと考えてしまう。

「行きましょ、悠真さん。それとも……ダーリンって呼んだ方が良い?」

「ダーリン……は、止めてくれ……ともかく、行こうか、百合子君……」

「もう、照れ屋なんだから」

俺の腕に捕まりながら彼女は言う。何やら今日は一段と甘えてくる。恋人同士になったのに、いまだに変な気恥ずかしさを感じてしまうのはなぜか。

何やら、遅れてきた青春の中にいるような感覚だった。これまではグループの総帥である父に従って生きてきた。百合子と付き合うということは、それと反した行動だ。初めて俺は、自分の意志で一人の女性を好きになり、「恋人」という甘酸っぱい関係になっている。

ただ、そういう風に女性と付き合ったことなど今までなかった俺は、百合子に導かれるままだ。今日はドライバーにも暇を出し、夜景がきらめく東京の街を、徒歩で予約していた高級フレンチレストランへ向かう。それを提案してきたのも百合子だった。

道すがら、百合子が商業ビルのショーウィンドーを指さし、「見て!」と声を上げる。そこには純白のウェディングドレスが飾られている。

「ねえ、悠真さん、私に似合うかな?」

その笑顔を見て、彼女が真に求めているものを思い、生唾を飲んだ。百合子との関係を続ければ当然、結婚という話も出てくるだろう。しかし、総帥――あの父親が、ダスクコーポレーションという落ち目の企業の娘との婚姻を許してくれるわけがない。

だが、彼女の希望に満ちた瞳を見ていると、やはり彼女こそ運命の女性
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