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第0843話

Author: 十六子
瑠璃の言葉を聞いた瞬間、隼人の目にかすかな動揺が走った。

だが、すぐにその目は冷たさを取り戻す。

「そんなことを言うのは、瞬の子を守りたいからだって分かってる。でも、千璃、この手術は避けられない」

「隼人!もし無理やりこの手術をさせたら、私は一生あなたを許さない!」

瑠璃は冷酷な表情の彼を睨みつけ、激しく怒りをぶつけた。

「私のお腹の子を傷つけるなら、まず私を殺してからにして!」

彼の横をすれ違いざまに通り過ぎながら、彼女の手は小さく震えていた。

もしさっき自分が確認しなければ、今頃もうあの子は――。

その事実を思い浮かべるだけで、背筋が凍りついた。

だが、瑠璃が遠ざかる間もなく、隼人は彼女の腕を掴んだ。

「離して!」彼女は必死に抵抗する。

「この子は産ませられない」

隼人はそう強く言い放ち、突然瑠璃の腰を抱え上げ、そのまま手術室へ向かって歩き出した。

瑠璃の心臓が沈み込む。

「隼人、やめて!お願い、私の子を傷つけないで!隼人!」

彼女は必死に彼のシャツを掴み、力を込めて引き止めた。だが男は一切動じなかった。

「隼人!この子はあなたの子なのよ!それでも、そんなことをするの?後悔するわよ!」

「たとえ俺の子だとしても、産ませるわけにはいかない!」

男の怒声が響き、喉が詰まったように言葉が苦しげに漏れた。

その言葉を聞いた瑠璃は動きを止め、涙で赤く染まった瞳を大きく見開いた。

「今……なんて言ったの?隼人、あなた、今なんて……」

彼女の視線を正面から受け止めながら、男は言った。

「この子は……産んじゃダメなんだ」

その言葉は鋭い刃のように、瑠璃の心を切り裂いた。

隼人はそのまま彼女を手術台へ運び、茫然としている彼女の隙をついて医者に目を向けた。

「麻酔を打ってくれ」

瑠璃は我に返り、激しく抵抗したが、その瞬間、針が彼女の腕に刺さった。

視界がかすむ中、男の背中が見えた。毅然とした、その凛とした後ろ姿が。

絶望と怒りが胸に渦巻き、彼女は叫んだ。

「隼人!きっと後悔するわ!私は……あなたを憎む!」

隼人は手術室の外に出た。もう、中から瑠璃の声は聞こえなかった。

彼女はすでに麻酔で意識を失っている。

あとは簡単な中絶手術が始まるだけだ。

彼は無表情のまま手術室の前に立ち尽くした。

まるで心が見えない網に覆われ
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