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第823話

Author: 栄子
哲也は【光風苑】の文字を見て、思わず口元を緩めた。「ここが、これから僕とお父さんとお母さんの新しい家なんだ」

「そうだよ、光風苑は君たち家族3人の家、万葉館は皆の家だ」真司は笑いながら、哲也に尋ねた。「哲也、嬉しいか?」

哲也は曽祖父を見て、力強く頷いた。

彼はとても嬉しかった。

......

夕暮れ時、空は紅く染まっていた。

ロールスロイスが光風苑の庭へと入っていった。

車が止まると、真奈美が降りてきた。

すると、光風苑の家政婦である久保梨花(くぼ りか)と二人の若い使用人が出迎えた。そして3人揃って深々と頭を下げた。「大輝様、新井様、ご結婚おめでとうございます!」

まるで事前に練習したかのように、揃っていて、よく通る声だった。

真奈美はきょとんとした顔になった。

大輝が近づいてきて、真奈美の様子がおかしいのに気づき、冷たく言い放った。「なんだ?念願叶って石川家の嫁になったのに、嬉しくないのか?」

真奈美は大輝をちらりと見たが、彼の皮肉には特になにも返さなかった。

二人は籍を入れたとはいえ、真奈美は分かっていた。大輝はまだ彼女に深い偏見を抱いているのだ。

籍を入れたのは哲也のためであり、石川家の親御さんを納得させるためだけなのだ。

真奈美は今でも大輝を愛していたが、以前ほど彼に期待することはなくなっていた。

このような結果に、彼女は満足していた。

若い頃からずっと好きだった人が、今では夫になった。たとえ彼が彼女を愛していなくても、一緒に暮らすことができる。もし、このままうまくいけば、いつかは一緒に年老いていくことができるだろう。

そしていつか、彼女の名も彼と同じ墓石に刻まれることになるだろう。

そう思うと真奈美のまつ毛が震え、熱い涙が突然こぼれ落ちた。

「どうした?泣いてるのか?」

男の指が彼女の頬の涙を拭った。

真奈美は我に返り、大輝を見つめた。

彼女は泣きたかったわけではなく、最近はどういうわけか涙もろくなっていたのだ。

「ううん、ゴミが入っただけ」真奈美は手で目をこすりながら、落ち着いた様子で言った。「荷物がまだトランクにあるんだけど」

「久保さんたちが持ってきてくれる」大輝は真奈美を見て、真剣な眼差しで言った。「部屋でも見てみるか?」

真奈美は頷いた。

彼女の冷たい手を、男は大きな手で包み込んだ。

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