LOGINほどなくして、3階から降りてきた美紀は寝室を覗き、航太がまだ薬で眠っているのを確認すると、彼女は安心して家を出た。そして、出かける前に彼女は地味な普段着に着替え、帽子とマスクを身に着け、わざわざ別荘の裏口から出て行っただった。裏口を出ると、黒いワゴンが待っていた。美紀が車に乗り込むと、ワゴンは一路、山を下り始めた。そして、中心街に入った後、南の方角へと車を走らせた。30分ほど走ると、黒いワゴンは港近くのマンションへと入った。車は地下駐車場のエレベーター前で止まり、美紀は降りて、まっすぐエレベーターへと向かった。エレベーターは最上階まで上がり、ドアが開くと、美紀は中から出てきた。そこは、ワンフロアに一世帯しかない住宅のタイプで、プライバシーが守られていた。美紀は鍵を開けて、そのまま中へと入って行った。ドアが閉まると、彼女は誰かに抱きしめられた。「やっといらっしゃいましたね!」金髪の男は美紀を抱きしめ、すぐにキスを始めた......男の名はアントニオ。25歳。女心をくすぐるのが上手な相手だった。美紀がアントニオと知り合ってまだ1ヶ月も経っていなかった。前回、海外のバーで純玲を探していた時、個室で彼と純玲が一緒にいるところを偶然見つけたのだ。その時、美紀が怒る間もなく、数人の男たちが個室に押し入ってきたのだった。美紀は慌てて純玲を守ろうとしたが、若いアントニオは、体格のいい数人の男たちに借金の返済を迫られていた。彼がホストになったのも、借金を返すためだった。その借金取りはたちが悪く、美紀と純玲がお金持ちだと分かると、二人に目を付けた。美紀はまた純玲を守るため、仕方なく1億円を彼らに支払った。男たちは金を受け取ると、それ以上は何も言わず、アントニオに警告を告げて立ち去った。すると、アントニオは美紀の前で、何度も感謝を繰り返した。その場で美紀は彼を相手にする気になれず、純玲を連れて立ち去ろうとした。ところが、アントニオは追いかけてきて、美紀と純玲に恩返しをしたいと言ったのだ。純玲はアントニオの顔とスタイルに惹かれ、彼を引き留めたかった。しかし美紀は、あの男たちが簡単にアントニオを諦めるとは思えなかった。それに純玲は元々わがままで、もしアントニオという不安要素を抱え込んだら、問題が大きく
「咲玖」それを聞いた美紀は笑った。「やっぱり、全部知ってたのね!」咲玖は美紀を睨みつけた。「私が航太を愛してるから子供を産んだと思ってるの?違う!航太が私を海外で監禁して、子供を産ませたのよ。私には拒否する権利なんてなかった。子供たちが生まれた後、一目見ることさえ許されずに、すぐに連れて行かれた!美紀、あなたは航太にとって都合のいい女だった。そして私は、航太にとって我妻家の血筋を残すための道具でしかなかった。航太からしてみれば、私たちは一緒、どっちも利用するだけの相手よ!航太が私を愛してたと思ってるの?違う!彼が私を選んだのは、彼自身に頼れる家族がいなかったからよ。だから、池田家の代々受け継ぐ優秀な遺伝子が欲しかった。結局彼が愛していたのは、いつだって自分自身だけよ!」「よくわかったわね。でも、気づくのが遅すぎたんじゃない!」美紀は髪を振り払い、立ち上がって咲玖を見下ろした。「咲玖、私はあなたがいい家に生まれたことを妬んでいた。何もしなくても私より多くのものを手に入れるあなたを妬んでいたのよ!あなたは海外で自由はなかったかもしれないけど、何の心配もなく暮らしていた。でも、私は?私は航太と結婚して何年も、子供たちを育ててきたのに、遺言状にはこの家しか振り分けてもらえなかった!私は我妻家の墓にすら入れないのよ!ハハハ、咲玖、それで私はあなたを妬まずにいられると思う?航太を恨まずにいられると思う?」「航太を恨むなら、彼に復讐すればいいよ!どうして私に関係してくるのよ!」咲玖は美紀に向かって怒鳴った。「美紀、昔、私と兄はあなたに手を貸したはずよ。その恩をあなたはあだで返すだけでなく、今度は私の子供にまで害を及ぼす気?なぜそんな酷い真似ができるの!」「あなたたち兄妹って、本当に愚かね!」「ええ、私たちは愚かだった......」咲玖は冷笑し、血走った目で言った。「でも、お天道様はみてるから。美紀、あなたはこれまでたくさんの人の命を奪ってきたんだから、いつか必ず報いを受けるはずよ!」「報い?」美紀は冷たく笑った。「私が報いを受けることを恐れていたら、今のような地位には立てなかったでしょうね。咲玖、航太は確かにあなたを大事にして、守ってくれていたのね。今でもそんな呑気なことが言えるなんて。教えてあげる。航太の本当の遺言状は誰にも知られ
部屋には小さな仏壇があって、そこには3つ揃って位牌と骨壺が安置されていた。美紀の両親と弟・中川亮(なかがわ りょう)の位牌だ。そして位牌の前には香炉が置かれていたが、中は空っぽで、線香をあげた跡もなかった。つまり、ここ数十年、美紀は一度も戻ってきていないということだ。「当時、中川さんは三人それぞれに盛大な葬儀を執り行い、縁起の良い場所に埋葬したと言っていたのに、今、三人の骨壷はここに......」浩平は眉をひそめた。「彼女がわざと、彼らを埋葬しなかったのか?」「どうやら、埋葬したくなかっただけではないようね」音々は部屋に視線を巡らせた。「見て、窓や壁、それにドアにも、お札が貼られているの」浩平はあたりを見回し、その通りだと確認した。「調べてもらったんだけど、これらのお札はT国のお寺のものらしいの。要するに、死者の魂を閉じ込めるためのお札なのよ。閉じ込められた魂は、あの世へ行くことも、生まれ変わることもできない」それを聞いて、浩平は驚きのあまり、言葉を失った。音々は肩をすくめた。「私は無神論者だから、こんなことは信じないんだけどね。でも、中川さんがこんなことをするってことは、後ろめたいことがあるってことよ。きっと、三人が死んで怨霊になって復讐しにくるのが怖いから、こんなもので心を落ち着かせているのよ」「で、どうするつもりだ?」浩平は、音々が自分を呼び出したのは、既に何か計画があるからだと分かっていた。「嘘をついた人間には、それなりの報いを受けさせないと」音々は浩平を見据えた。「我妻監督、ある芝居の演出をお願いしたいの」それを聞いて、浩平は眉をひそめたがそれでも、「分かった」と答えた。二人は相談を終えると、すぐにその場を後にした。帰る前、浩平は音々に尋ねた。「この10ヶ月、一体どこに行っていたんだ?」「ある島に行ってたの」音々は落ち着いた様子で言った。「そのついでに、子供を産んできたの」その言葉に、浩平は再び言葉を失った。......その頃、H市、山手高級住宅地にある別荘では、美紀は航太に薬を飲ませ、彼が眠りについたのを見届けてから、寝室を後にした。夜も更け、辺りが静まり返ると、美紀は3階へと向かった。彼女は鍵を取り出し、ドアを開けた。部屋の隅では、手足を鎖で繋がれた女がうずくまっていた
食いしん坊の悠翔は小さな口が哺乳瓶に触れると、すぐに吸い付くようにくわえ込み、勢いよく吸い始めた。そして、そのミルクを飲むその姿は、雄太の心を鷲掴みにした。「今夜は、悠翔くんと一緒にここに泊まっておけよ」「いや、大丈夫だ」輝は言った。「木村さんと山下さんには先にスターベイに戻ってもらってる。子供たちの荷物やベビーベッドの準備をしてもらうように頼んだから、後で帰るよ」「悠翔くんを連れて一人でスターベイに住むのか?」雄太は少し心配そうに尋ねた。「一人で大丈夫なのか?」「音々が出産したあと、悠翔の面倒はずっと木村さんが見てくれてたんだ。今回も、彼女は音々に頼まれて手伝いに来てくれたんだ」「そうか......」雄太は頷いた。「もう準備万端なんだな。それなら、俺が口出しするのも野暮だな。もし何か困ったことがあったら、いつでも連絡してくれ。それとも、幸子にも手伝いに行ってもらおうか?」「いや、大丈夫だ」輝は言った。「もう新しい住み込みの家政婦を探しているし、また、時間を見つけては悠翔を連れて会いに来るよ」「ああ、分かった」......それから、輝がスターベイに戻ると、稜花は既にベビーベッドなどを準備しておいた。小さな布団や枕はS国から持ってきたものだったので、悠翔の慣れ親しんだ匂いがするのだ。だからだろうか、悠翔は新しいベビーベッドに寝かされると、すぐにぐっすりと眠ってしまった。ベビーベッドにはキャスターが付いているので、昼間は稜花が子供部屋に置き、夜になると輝が寝室に移動させるようにした。「岡崎さん、昼間はお仕事、夜は夜泣きで大変じゃないですか?お体壊さないか心配です」稜花は言った。「この時期の赤ちゃんは夜泣きが頻繁ですから、夜は私が面倒を見ましょうか?」「大丈夫だ」輝は優しく微笑んだ。「音々はお腹を痛めて、大変な思いをして産んでくれたんだ。それに比べたら、子供の世話くらい、苦労のうちに入らないよ」輝の言葉を聞いて、稜花は心の中で、さすが音々が見込んだだけの男は間違いない、と改めて思った。......一方で、H市、スラム街。タクシーはスラム街の中に入れないため、入り口で停車した。浩平は料金を払い、車から降りると、スラム街の中へと足を踏み入れた。さらに奥へと進むと、細い路地が入り組んでいた。そこ
ほどなくして、雄太は尋ねた。「子供の名前はもう決めたのか?」「まだなんだ。音々は私かあなたに決めてほしいって言うから、おじいさん、初ひ孫なんだし、あなたがつけてよ」そう言って輝は雄太を見つめた。雄太は複雑な心境になった。あんな酷い態度を取ったのに、音々は自分に恨みを抱くどころか、子供の名付けまで頼んでくるなんて......そう思うと、雄太の罪悪感はさらに深まった。彼はひ孫を見つめながら言った。「名前は簡単に決められない。この子の生まれた時間は知っているか?生年月日と出生時間を見てから決めないと」音々が持たせた荷物の中には、つっきの出生証明書もあった。そこには役所で出生届を出すために必要事項も記入されてあった。輝はその記載事項からつっきの生まれた時間を見つけると、雄太と健一にすぐにその情報に基づいて名前選びを始めた。そして、いろいろと悩んだ末、ようやくよさげの名前を決めることができた。そこで、雄太はその悩みに悩んだ名前を輝に告げた。「岡崎悠翔(おかざき ゆうと)にしよう。『悠』は悠々自適、『翔』は大空へと羽ばたく。この子には自由に大空へと羽ばたいて、活き活きとした人生を送ってもらいたい」「岡崎悠翔......」輝はその名前を口ずさみ、とても気に入った様子だった。「岡崎悠翔か......悠々自適に大空へと羽ばたく。音々もきっと喜んでくれそうだ。私も音々のそういうところに惚れてきたからな」それを聞いて、雄太は内心で思った。こいつ、重症の恋愛体質だな。「そろそろ悠翔くんの出生届を出さないとな。星城市に帰らないといけないが、両親には連絡したのか?」雄太は尋ねた。「まだだ」輝は言った。「出生届のことはお母さんに任せるよ。私はしばらく星城市に帰らないでおくから」「お前が帰らないで、誰が悠翔くんの世話をするんだ?」雄太は眉をひそめた。「お前は仕事があるし、俺は年寄りだ。俺たち二人で子育てできるとでも思っているのか?」彼がそう言った途端、悠翔は顔をしかめ、おむつの中で何かがゴロゴロと音を立てた。すると、雄太は眉をひそめた。「今の音は何だ?」「うんちしたみたいだ」輝は立ち上がり、手を差し出した。「この子、綺麗好きだから、すぐに替えてやらないと泣き出すぞ......」すると、その言葉とほぼ同時に、悠翔は泣き始めた
我妻家の子供たちは皆、成人するとそれぞれ個別の住居を与えられているのだ。浩平は詩乃を彼女の住まいに送ると、長居することなく、自分の家へと車を走らせた。だが、帰る途中で彼は車を降り、運転手にはそのまま家へ向かうように指示した。そして、タクシーを捕まえて言った。「すみません、スラム街まで」スラム街へ向かう車内で、浩平はラインを開いた。音々からメッセージが届いてあって、そこに住所が書かれていた。それは、かつて中川家が住んでいた家だった。音々からのメッセージにはこう書いてあった。【少し気になる情報を見つけたの。純玲さんの出生の秘密に関係しているかもしれない。今すぐ来て】浩平は返信した。【15分くらいで着く】......最近、純玲は医療ミスを起こして大騒ぎになった。美紀は純玲を庇おうと、被害者遺族にお金を渡してなんとか示談を進めていたのだ。遺族は示談に応じたが、病院は純玲を停職処分にした。恥をかかされたと感じた純玲は、院長や幹部たちに猛抗議した。確かに病院は我妻グループ傘下の私立病院だったが、今回の医療ミスは明らかに純玲の不手際によるものだったので、非は純玲にあった。しかし、美紀は事を大きくしたくなかった。夫に知られるのを彼女も恐れていたから、事態収拾のため、純玲を一旦海外へ送り出した。純玲も表向きは海外留学ということにしていたが、実際には海外で若い男と遊び呆けているらしい。浩平はそういう純玲の性格や、彼女がこれまでしてきた数々の行動を、どうしても理解できなかった。祖母が言っていた通り、純玲は我妻家の人間とは全く似ても似つかないのだ。そもそも、H市での純玲の評判は、美紀が裏で多額の金を積んででっちあげたものだった。実際、純玲が執刀した手術は10件にも満たない。それもその度他の専門医が付き添ってもらって行ったものばかりで、彼女自身は手術室で助手よりも暇そうにしていたくらいだ。そんな数少ない純玲が執刀した手術も、ごく基本的な簡単なものばかりだった。なのに、そんな簡単な手術でさえ、彼女は人を死なせてしまうほどなのだ。だから、彼は今、音々から純玲の出生に秘密があると聞かされて、全てが腑に落ちたように感じた。だが、一体どんな秘密が隠されているのだろうか?浩平には検討がつかなかった。......一方で、北城。







