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第1070話

Author: 連衣の水調
書斎で仕事をしていた胤道は、静華が入ってくるなり、その体を自分のもとへ引き寄せようとしたが、静華はそれを制し、ただ書類を彼のデスクに置いた。

「これは何だ」

「私が毎朝口にしている朝食から、検出されたものよ」

胤道はそれを受け取り、検査結果に目を通した瞬間、その眉間に深い皺が刻まれた。

表情から温度が消え、書斎の空気が凍てつく。手の中の書類が、怒りを抑えきれない主の手によって無残に握り潰された。

「誰の仕業だ!」

静華は冷たく問い返す。

「心当たりがないとでも言うつもり?」

胤道は目を細めた。

「神崎か?」

静華は、綾から受け取った映像を胤道に渡した。

「これが、神崎さんが薬を入れた証拠。でも、分かっているわ。現行犯でなければ、彼女は決して非を認めないでしょう。

だから今日、あなたは階下で一部始終を見届けて。もし私の言った通りなら、彼女を……刑務所に送るわ」

胤道は、自分の子供が危うく害されるところだったという事実に、言葉にならないほどの殺意をその瞳に宿らせた。

「本当に奴の仕業なら、刑務所に入れるだけでは済まさん。神崎家ごと、この業界から消し去ってやる」

二人が一緒に階下へ行くと、ソファに座っていた香澄は、その姿を見て慌てて立ち上がった。

「森さん、野崎さん、いらっしゃったのですね。すぐに朝食をお持ちしますわ」

香澄は、朝食をテーブルに運んできた。

だが、胤道も静華も、それに手をつけようとしなかった。

香澄は状況が飲み込めず、尋ねた。

「今日の朝食は、お口に合いませんでしたか?」

その言葉が終わるや否や、玄関から不意に一団の人間が入ってきた。

香澄が呆然とする中、先頭に立つ綾が手袋をはめ、静華の手から パンを受け取ると、袋に入れて検査員に手渡した。

その一連の動作には一切の無駄がなく、香澄の表情は瞬時に青ざめた。彼女は無理に平静を装って言った。

「森さん、これは……一体どういうことですか?」

胤道は凍てつくような顔で、手にした報告書を香澄に投げつけた。その紙の角が、香澄の脚をかすめて僅かに肌を傷つける。

「それは静華の朝食から検出されたものだ。どう説明するつもりだ?」

香澄は書類を拾い上げ、それに目を通した瞬間、表情にありありと動揺の色が浮かんだ。

彼女は必死に首を振り、みるみるうちに目を赤くして訴えた。

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