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第10話

Author: 雲間探
しかしそこまで深く考えず、玲奈は青木家に戻ったのだろうと思った。

風呂に入ろうとした時、ふと思い出した。これまで玲奈が青木家に帰る時は、いつも茜を連れて行っていたことを。

今日は珍しく娘を連れていかなかった。

もしかして青木家には戻っていないのか?

いや、青木家で何かあったのかもしれない。

午後、和真が言っていた言葉が頭をよぎり、そうに違いないと確信した。

足を止めたが、関わるつもりはなかった。

翌朝、智昭は朝食を取りながら茜に言った。「入学手続きは済んだから、明日の朝、学校に行くように」

「わかったよ」茜は小さな鼻を皺めた。「じゃあ、明日パパが学校まで送ってくれる?」

「時間がないかもしれない」

「そっか」茜は目を輝かせた。「じゃあ優里おばさんに電話して、送ってもらおうかな」

智昭が何か言おうとした時、携帯が鳴った。

本家からだった。

電話に出ると、藤田おばあさんの声が聞こえてきた。

「帰国したって聞いたけど?」

「ええ」

「茜ちゃんも一緒?」

「ええ」

「久しぶりに会いたいわ。今晩、玲奈と一緒に茜ちゃんを連れて食事に来なさい」

「わかりました」

老夫人は続けた。「玲奈は?ちょっと話をさせて」

「いません」

「こんな時間にいないって、どういうこと?」

「青木家に戻ったんじゃないでしょうか」

「じゃないでしょうか?あなた、妻がどこにいるのか全然把握してないの?」

智昭は黙った。

「あなた……」

老夫人はため息をついて、黙り込んだ。

ここで初めて智昭の声が柔らかくなった。ただし、話題を変えた。「食事は?」

「もう腹が立って食べる気もないわ!」

智昭は笑みを浮かべた。

相変わらず落ち着いて朝食を続けている。

老夫人は知っていた。この孫は幼い頃から自分の考えを持っていた。

今の玲奈との結婚生活は、智昭にとって既に大きな譲歩だった。

智昭の性格上、たとえ彼のためを思ってのことでも、あまり強く押し付けてはいけない。

そう思うと、ため息をついた。「もういい。おばあちゃんはあなたに何も言うことはないわ。もう!」

「ええ、夜に」

「あなたったら……もう!」

老夫人は怒って電話を切った。

茜は最初あまり聞いていなかったが、後半になって少し気になった。「パパ、誰?」

「ひいおばあちゃんだ」智昭は玲奈に電話をかけながら言った。「今夜、食事に行くように言われた」

老夫人は茜にとても優しく、茜も老夫人が大好きだった。「うん、いいよ!私も久しぶりにひいおばあちゃんに会いたかった」

智昭は携帯を見ながら「うん」と返事した。

その頃、玲奈も青木家で朝食を取っていた。

智昭からの着信を見て、少し躊躇した。

もう彼からの電話に喜びや嬉しさを感じることはなかった。

二秒ほど迷ってから電話に出た。「はい」

「おばあさんが今夜、食事に来るように言ってる」

玲奈は「……わかりました」と答えた。

「夜、子供を迎えに来てくれ」

玲奈は彼の家に戻りたくなかった。それに、たとえ自分が娘を迎えに行っても、娘は喜ばないだろう。

無駄な努力をする必要はない。

「運転手に送らせましょう。私は仕事が終わってから直接車で行きます」

ちょうど退社時間は渋滞のピーク時。

確かにそうするのが一番効率的だ。

でも、これまで茜のことに関しては、玲奈はいつも自分でやりたがり、面倒とも思わなかった。

今の玲奈の言葉に、智昭は少し驚いた。

ただ、これは些細なことだ。深く考える必要はない。

「わかった」

そう言って、電話を切った。

今度は茜も智昭の電話の相手が誰だかわかっていた。

「ママ?」

「ああ」

「じゃあ、ママも一緒にひいおばあちゃんのところに行くの?」

「ああ」

茜は反射的に眉をひそめた。

ママに会いたくないわけではない。

ママが嫌いなわけでもない。

実際、ママにはずっと会っていないし、ママからも今までにないほど長く連絡がなかった。

今、ママのことを考えると、少し寂しい気持ちもあった。

でも、ママが今夜みんなと一緒に本家に行けるということは、今日出張から戻ってくるということ……帰国して次の朝目が覚めた時、ママが出張に行っていたことを知った。

ママが家にいないと知って、とても嬉しかった。

ママが出張している間に、優里おばさんともっと一緒にいられると思った。

だって、ママが出張から戻ってきたら、もう優里おばさんとはあまり会えなくなるから。

だから、ずっとママが遅く帰ってくることを願っていた。

まさか二日でママが戻ってくるなんて。

ママが戻ってきたら、きっと明日優里おばさんに学校まで付き添ってもらうことを許してくれない。

明日の夜の優里おばさんのレース観戦も、ママが知ったら絶対に行かせてくれないだろう。

そう思うと、途端に気分が悪くなった。

しかも、さっき優里おばさんに明日の朝の送迎を頼んで、もう承諾ももらっていた。

どうしよう……

茜は元気をなくした。「パパ……」

智昭は彼女を見た。「何?」

パパに頼んでママを説得してもらうこともできるけど、そうしたらママは怒って、パパと喧嘩になるかもしれない……

もう嫌になっちゃう!

茜は朝食の食欲を失った。

でも、明日の学校のことは譲歩してもいい。ママに送ってもらってもいい。

でも明日の夜の優里おばさんのレースは、絶対に見に行きたい。

そう思って、智昭に甘えるように言った。「ね、明日の夜、優里おばさんのレースを見に行く約束してくれたでしょ?でもママが知ったら絶対に行かせてくれないから、ママには内緒にして。明日ママが聞いてきても、パパが適当にごまかしてくれる?」

「わかった」

智昭の約束を得て、茜の気分は少し良くなった。

しばらくして、智昭は朝食を済ませ、出かけた。

……

玲奈は今日、会社で智昭と会うことはなかった。

昼頃、青木おばあさんから電話があり、『さくら亭』で一緒に昼食を取ろうと言われた。

『さくら亭』は藤田グループの近くにあり、玲奈は徒歩で数分のところだった。

玲奈が会社を出て、『さくら亭』の入り口の角に差し掛かった時、誰かの声が聞こえてきた。「智昭、さっきは助けてくれてありがとう。君の協力がなければ、いくら苦労しても、このような契約は取れなかっただろう。本当に感謝している」

この聞き覚えのある声……

玲奈は立ち止まった。

覗き込むと、実の父親である大森正雄(おおもり まさお)の横顔が目に入った。

その時、智昭が答えた。「おじさん、そんな」

玲奈はゆっくりと拳を握った。

智昭の声は普段より柔らかい。

このような態度で接せられるのは、普通、彼が重要視する人だけだ。

でも、智昭が正雄を重視しているのは、彼女のためではないはずだ。

智昭が正雄を助けるのも、彼女のためではありえない。

結局のところ、正雄が母と離婚して以来、彼女と正雄はほとんど会っていない。

正雄が今、娘として認めているのは優里だけだ。

彼女と正雄の間には、もう父娘の情など存在しない。

案の定、正雄は続けた。「優里が一人でここにいるのを、私も妻も心配している。これからも彼女のことを頼むよ」

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Comments (1)
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みるく
別なものは誤字脱字や翻訳が訳のわからないものが多いけど、これはそれが無いので読みやすいし同じような内容でも面白い
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