その後数日、玲奈は時間を作って、さらに2、3回の交流イベントに参加した。その際に優里と2度ほど顔を合わせた。だがその2回とも、智昭は彼女と同行していなかった。3月に入り、雨の日が増えてきた。玲奈が交流イベントを終える頃には、外は雨になっていた。傘は持っていたが、車に置き忘れていた。彼女は建物の入口へ向かい、雨が弱まったら出ようと考えた。入口に着く前に、優里の姿が見えた。優里は誰かと話していたが、彼女に気づくと笑みが少し消えた。その時、傘を差した智昭の姿も玲奈の視界に入った。おそらく、彼は優里を迎えに来たのだろう。彼は自分のコートを脱いで、優里の肩にかけた。周囲で雨宿りしていた人たちは羨望の目を向け、「わあ」と驚きの声を上げる者もいた。その時になって初めて、智昭は彼女に気づき、動きを止めた。玲奈の顔には何の感情も浮かんでいなかった。智昭は視線を逸らし、再び傘をきちんと差して、優里と共に去っていった。今日は風も強く、彼が優里にコートを渡したおかげで、傘の中に雨が吹き込んでも濡れずに済むだろう。智昭のこの行動は、かなり細やかな気遣いと言える。間もなく、二人の姿は建物の出入口から見えなくなった。しばらくしてから、智昭の運転手が駐車場から傘を持ってやって来て、「奥様、旦那様がこの傘をお渡しするようにと」と言って差し出した。玲奈は傘を受け取らず、言った。「いいです、持ち帰ってください」前に藤田おばあさんが、茜のためにって言って、智昭は彼女とうまくやっていくって約束した。この前の座談会では彼女を気遣ってたし、今回は優里の目の前で傘まで届けさせて……優里がああやって智昭に彼女へ傘を届けさせたってことは、自分と智昭の関係にそれだけ自信があるってことなんだろう。智昭が彼女に気持ちなんてないのはわかってて、ただ茜のために、必要な時だけ少し気にかけてるって理解してるから。智昭の運転手はためらいがちに「でも……」と返した。玲奈は言った。「彼は気にしないから、帰っていいですよ」玲奈の強い態度を見て、智昭の運転手は仕方なく傘を持って立ち去った。その後、智昭の運転手が再び現れることはなかった。だが、雨は一向に止む気配を見せなかった。玲奈は時間を確認し、このまま待つか、それとも雨の中を
玲奈と礼二の周りには多くの人が集まっていた。尚之と薮内が近づくのを見て、周囲の人々が声をかけようとした瞬間、尚之はにこやかに首を振り、声を出さぬよう合図した。そのまま彼らは端に立ち、礼二と玲奈が周囲の質問に答える様子を静かに聞いていた。この交流イベントには名門大学出身者が多く集まっていた。能力も教養も備えた人物は少なくなかった。玲奈と礼二は質問に応じるだけでなく、時折、彼らと対等に話せる人物とも出会った。彼らの応答を理解できるほど知識がある者は興味深そうに聞き入り、ついていけない者は、原材料や製造条件の話にまるで異世界の言語でも聞いているような顔をしていた。薮内と尚之は明らかに前者だった。優里もおおよそは理解できていた。実のところ、玲奈と礼二はやり取りを始めてすぐに、自分たちと他の参加者との間にある差を実感していた。だからこそ、彼らは無意識のうちに話題を分かりやすく噛み砕いていた。薮内と尚之は、終始興味深そうに聞き入っていた。彼らがさらに聞き入ろうとしたその時、前方から「あっ、川野辺教授と薮内教授だ!」という驚きの声が上がった。玲奈と礼二はふと動きを止め、視線を向けると、確かに尚之と薮内、そして智昭、優里、清司の三人がそこにいた。玲奈と礼二は、智昭と優里たちの存在を当然のように無視した。尚之が来たからには、礼二は話を止め、玲奈と一緒に挨拶へ向かった。「川野辺教授、薮内教授」尚之は笑顔で二人を見て、手を打ちながら言った。「さすがは真田先生のお弟子さん、本当に見事だ」礼二が笑みを浮かべ言葉を発する前に、尚之は続けた。「君が優秀なのは驚かないが、君のそばにいるこの若い女性がまったく遜色ないのには驚いたよ」そしてにこやかに尋ねた。「紹介してくれないか?」礼二は一瞬うなずき、紹介した。「青木玲奈です。うちの長墨ソフトの技術スタッフです」「なるほど、長墨ソフトの技術者か」尚之はそう言って頷き、「君だけじゃなく、君に並ぶほど優秀な若手が他にもいるなんて、長墨ソフトが成長しているのも納得だ」と続けた。礼二は穏やかに答えた。「恐れ入ります」薮内も前に出て、二人に挨拶を交わした。玲奈がこれほど流暢に話しているのを聞き、優里は確かに少し驚いていた。どうやら玲奈もただの馬鹿ではないらしい。礼二が
首都科学技術協会などが共催する科学技術学術交流会は、2日前から正式に開催されていた。今回の科学技術交流会は1ヶ月にわたって開催され、交流イベントはおよそ200回にのぼる。科学技術界、産業界から多くの教授や専門家が参加していた。長墨ソフトも招待企業の一つだった。ちょうど今日の午後は、玲奈と礼二がともに関心を持つ「先進材料」分野のメインセッションであり、玲奈は病院から戻ると、礼二と長墨ソフトの技術者たちと一緒に交流会場へと向かった。礼二は長墨ソフトを代表して出席し、前列には彼専用の席が用意されていた。玲奈は長墨ソフトのスタッフ数名と共に、係員の案内に従って後方の席に座った。早めに会場入りして席についてしばらくすると、玲奈は智昭、優里、清司の三人が入ってくるのを目にした。三人もまた、玲奈の存在に気づいた。彼女を見ても、優里と清司は特に驚いた様子はなかった。ただ清司だけは、彼女がただの見物に来たと思っていた。優里は気に留める様子もなく、玲奈を一瞥しただけで視線を戻した。智昭も一度玲奈に視線を向けたが、そのまま前列の席に着いた。礼二は彼の姿を見ると、唇をゆがめながらも無視するように視線をそらした。それでも智昭は気さくに微笑んで声をかけた。「湊さん」「……」もう彼とは親しくないし、会っても挨拶する必要はないって言ったのに、なぜそれが通じないんだろう?十数分後、交流会は正式に始まった。工学アカデミーの教授が登壇し、「先進材料」分野について説明しながら、会場の参加者たちと意見を交わした。真田教授は特別な立場にある。玲奈と礼二は数えきれないほど多くの先進材料に触れ、研究してきた。今日の会議で教授が取り上げた多くの材料について、玲奈と礼二は名前を聞いただけで、その特性や原料、製造条件まで把握していた。彼らの知識は広く、ある分野の先端技術については他よりも深く理解していた。だが、世界は広く、すべてを知ることはできない。多くの視点を得ることで、彼らにとって新たなインスピレーションにつながる。だからこそ、二人は真剣に耳を傾けていた。優里もまた真剣な眼差しで話に集中していた。今や科学技術の進歩は急速で、先進材料分野は非常に広範だ。彼女がそれまで聞いたことすらない材料や知識も多く、ましてや
玲奈は何か言おうとした。その時、智昭の携帯がまた鳴り始めた。おそらく優里からだろう。智昭はドアの方へ歩きながら、優しい声で電話に出た。「大きな問題じゃないから、そんなに心配しなくていい……」智昭が外での通話を終えて戻ってくると、茜は目を覚ましていた。二人の姿をぼんやりと見て「パパ、ママ」とつぶやいた。玲奈と智昭は同時に「うん」と応えた。まだふらついていたのか、茜はベッドに横たわったまま智昭と玲奈を交互に見て、それから眉を寄せて再び眠りに落ちた。茜の眠りを妨げないよう、智昭と玲奈は自然と黙ったまま静かにし、彼女が深く眠ったのを見計らって智昭が玲奈を見て言った。「泊まるのか?」玲奈は何も言わなかったが、動かずに座っているその姿が答えを示していた。智昭もそれ以上は何も言わなかった。だが彼もその場を離れず、向こうのソファに腰を下ろした。玲奈はベッド脇の椅子に座ったまま、やがて眠りに落ちた。再び目を覚ました時、外はすでに明るくなっていた。そして彼女は、いつの間にか茜のベッドに寝かされていた。玲奈は一瞬戸惑った。たしか昨夜は——彼女は言葉を切り、ソファの方を見た。智昭は頬に手を当て、ソファでもたれかかるようにして眠っていた。ちょうど目を覚ましたのか、それとも視線に気づいたのか、彼はふと目を開け、彼女と目が合った。玲奈はそのまま視線を外し、昨夜自分をベッドに運んだのが彼かどうかは、あえて訊ねなかった。智昭もそのことには触れなかった。彼は組んでいた脚をほどき、彼女が起き上がるのを見ながら尋ねた。「朝食は家で食べる?それともここで?」玲奈はその問いに答えなかった。どうするかは、彼女の中で決まっていた。智昭は彼女が無視を貫くのを見ても怒らず、それ以上は何も言わなかった。しばらくして、茜が目を覚ました。医師が診察に来た時、執事と田代が弁当箱を持って病室に入ってきた。玲奈を見るなり、二人は揃って「奥様」と声をかけた。その呼び方に、玲奈はわずかに眉をひそめたが、何も言わなかった。執事と田代は朝食をテーブルに置いた。朝食には、智昭の指示で玲奈の分も含まれていた。執事は玲奈に向かって言った。「奥様、よろしければ朝食をどうぞ」玲奈は首を横に振り、朝食を食べていた茜に声をか
午後、玲奈が会議中だった時、茜からまた電話がかかってきた。玲奈は画面を見るなり、何も考えずすぐに通話を切った。電話を切った直後、茜はまたすぐにかけ直してきた。玲奈は眉をひそめたが、それでも出なかった。今度は、茜からの着信はもうなかった。玲奈はそのまま会議を続けた。数分後、再び携帯が鳴った。今度は、智昭からだった。玲奈は唇をきゅっと結び、電源を切った。会議が終わった1時間後、ようやく電源を入れ直した。電源を入れると、智昭からのメッセージが届いていた。【茜ちゃんが学校の階段から落ちて入院した】玲奈は一瞬呆然とし、頭の中が真っ白になった。携帯とバッグをつかむと、慌てて会社を飛び出し病院へ向かった。病院に着いた彼女は、すぐに智昭に電話をかけて病棟を確認した。智昭はすぐに電話に出て、病室の番号を伝えた。VIP病棟のフロアに着くと、玲奈は急いでドアを押し開けた。中に入った途端、病室には椅子に座った智昭と、ベッドに横たわる茜の姿が見えた。茜は顔色が悪く、頭に包帯を巻いていた。だが、玲奈を見ると力なくも嬉しそうに呼んだ。「ママ……」玲奈は慌てて問いかけた。「大丈夫?先生はなんて?」「脳震盪で、深刻ではないって」智昭が答えた。玲奈はそれを聞いて、ふっと息を吐いた。「それならよかった」そのとき、智昭が尋ねた。「食事はした?」今日の会議は長引いており、今はすでに七時を過ぎていた。玲奈はまだ食事を取っていなかった。彼女は首を横に振った。智昭は何も言わず、携帯を手に取り、食事の手配を指示した。茜は玲奈と半月以上会っていなかった。今は気力もなく、ぐったりした様子で玲奈の胸に顔を埋めたまま、何も話さなかった。玲奈は彼女をそっと抱きしめながら、声をかけた。「つらいなら、少し眠ってもいいよ」茜はかすかにうなずいた。「うん……」茜は彼女の手を握ったまま目を閉じて横になったが、眉間にはずっと皺が寄っていた。やがて、ようやく眠りについた。そのころ、智昭が手配した夕食が届けられた。智昭は彼女に言った。「少し食べたらどうだ?」玲奈はそれを受け取らず、きっぱり言った。「自分が何を食べたいかは、自分で決める」智昭はその言葉を聞き、彼女を一瞥したが、無理に押し付けることはしなかった。
片方おじいさんは本気で怒っていた。彼は智昭を完全に無視し、玲奈を見て言った。「行こう、玲奈ちゃん。じいさんがご飯に連れて行ってやる」玲奈は茶碗を置き、立ち上がって言った。「はい」そう言うと、片方おじいさんは智昭に一瞥もくれず、玲奈と一緒に屋敷を出ていった。智昭はソファに腰を据えて落ち着いて茶を飲み、追いかけることも、引き止めることもしなかった。優里は玲奈と片方おじいさんの去っていく背中を見て呟いた。「これは……」智昭は言った。「大丈夫、時間が経てば落ち着くよ」つまり、時間が経てば、片方おじいさんも現実を受け入れ、やがて彼女を認めるだろうということか?……玲奈と智昭の結婚生活、特に結婚してからの二、三年を、片方おじいさんはずっと見てきた。智昭は最初から玲奈に好意を持っていなかった。今では、別に想いを寄せる相手までいる。智昭は藤田おばあさんや片方おじいさんといった年長者たちとも、関係は良好だった。だが、彼はもともと目上の人に意見されて行動を変えるようなタイプではなかった。だから、藤田おばあさんであれ片方おじいさんであれ、智昭と優里のことを良く思っていなかったとしても、実際に止めることも、説得することもできなかった。片方おじいさんがいくら怒っても、結局は一人で鬱憤を抱えるしかなかった。そう考えると、片方おじいさんは玲奈の手の甲を軽く叩きながら言った。「この数年は……ああ」玲奈には、それが彼の優しさと労りから来るものだとわかった。玲奈は少し笑って言った。「私はもう過去のことは吹っ切れました。今は自分の新しい生活もあって、元気にやってます。片方おじいさん、心配いりませんよ」片方おじいさんは穏やかに笑った。「それならいい」食事を終え、玲奈が片方おじいさんを片方家本宅まで送った頃には、智昭と優里の姿はもうなかった。おそらく、智昭と優里が片方家を出たあと、茜に構わなかったのだろう。玲奈が片方家を出る頃、茜から電話がかかってきた。玲奈はその画面をじっと見つめたが、電話には出なかった。その晩、玲奈が青木家に戻って夕食をとっていると、テーブルの上に一枚の招待状が置かれているのを目にした。玲奈が封を開けてみると、それは藤田おばあさんの七十五歳の誕生日パーティーの招待状だった。藤田おばあさんの