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光輪の檻

Author: 吟色
last update Huling Na-update: 2025-08-09 23:29:33

継承が終わった直後、部屋の空気はまだ重かった。

カナは椅子に腰掛けたまま、額に浮いた汗を拭うこともできずにいる。吐き気と頭痛が交互に押し寄せ、呼吸が浅くなる。

「このまま引き上げるべきだ」

セツが低く言った。声に感情はなく、ただ判断を下すような響きだった。

「でも……」

ミナが端末から顔を上げる。「中枢ブロックがまだ残ってる。未回収の記録もある。この状態で外に出たら、次に来る時は封鎖されてるかもしれない」

カナは返事をしなかった。視界の端でノアが心配そうにこちらを見ている。

アキラはカナの肩に手を置き、ほんのわずかに力を込めた。

やがてセツが短く息を吐く。「行くぞ。長居は得策じゃない」

廊下は異様に真っ直ぐで、先が見えないほど暗い。

壁のランプはところどころ壊れ、影が揺れている。足音だけが響き、外の世界と隔絶されている感覚が強まっていく。

途中、「幸福メトロノーム」の設置区画を通過した。

かつては笑顔を検出し、一定のリズムで点灯していたであろう装置は壊れ、赤ランプが不規則に点滅している。

かすかなガスの匂いが鼻をかすめ、アキラは無意識に呼吸を整えた。

ノアが足を止めた。

視線は壁に向けられているが、その表情は何かを“聴いて”いるようだった。

「……今、何か音がした?」

ノアの問いに、誰も答えない。代わりに、小さな機械音が「ピ」と短く鳴り、廊下の奥で反響した。

アキラは眉をひそめ、視線を先に送る。

暗がりの奥に、何もいないはずの空間が妙に“在る”ように感じられた。

誰も声を出さないまま、一行は再び歩き始めた。

息が詰まるほどの沈黙の中、奥へ奥へと進んでいく。

廊下を抜けると、広い中庭のような空間に出た。

天井は高く、所々が崩れ落ちて夜の闇が覗いている。雨が降った形跡はないのに、床は薄く濡れ、靴底が吸い付くような音を立てた。

中央には壊れかけた受付カウンターがあり、その奥に複数の扉が並んでいた。

どれも古びてはいるが、不自然に“使用中”のランプが灯っている。

「電源が死んでるはずじゃ……」

ミナの声が細く揺れる。

アキラは扉に近づこうとしたが、セツが手を伸ばして制した。

「……待て。向こう側に“何か”いる」

そう言って耳を澄ます。

カチ、カチ、と金属を軽く叩くような音が、奥の扉から響いてきた。

規則性はない。だが、完全な偶然とも思えない間隔だ。

ノアがカナの袖を軽く引
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