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#41.第十四話「焚火から始まる新しい日常」②

Penulis: あともす
last update Tanggal publikasi: 2026-09-01 11:03:54

 また、別の日。

 司祭館にある書類の作業場には、蜜蝋と乾いた羊皮紙、そしてインクの匂いが混じっていた。

 午後の光が高い窓から斜めに差し込み、木机の上に積まれた帳簿や紙束を淡く照らしている。

 その中央で、アーサーはひどく真剣な顔をして羽根ペンを走らせていた。

 ミサの説教を書いている時よりも、聖務日課を確認している時よりも、あるいは告解の内容を思い返している時よりも、よほど深刻そうな顔である。

 傍らに置かれた紙束の表紙には、几帳面な文字でこう記されていた。

『養蜂箱増設の覚え』

「……養蜂箱増設の覚え?」

 横からそれを覗き込んだアリスが、何とも言えない顔をした。

「村での販売分を増やしたのも、その一環?」

 アーサーは羽根ペンを止めず、真顔のまま答えた。

「三十%も収穫報告が減らされたんだよ? だったら、その分を僕がどう使ったっていいだろ。蜂蜜で救える命は多いんだし」

 その声には、静かな怒りがこもっていた。

 だが、内容は蜂蜜である。

 真剣なのは分かる。分かるのだが、作業場の空気はどこか妙に締まらなかった。

 そばで椅子に腰かけていたルーシーが、ぱちぱちと瞬きをしてから、
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  • 神父と白い野獣   #42.第十四話「焚火から始まる新しい日常」③

     夕方の空が、森の端からゆっくりと茜色に染まり始めていた。 ウルフの寝床になっている納屋の近くでは、小さな焚火がぱちぱちと音を立てている。 焚火の上では、魚や肉を刺した串がじゅうじゅうと美味しそうな音を立てていた。脂が火に落ちるたび、香ばしい匂いがふわりと広がる。「はい、アーサー。これは熱いから気をつけて」「ありがとう、母さん」 エレインが久々に明るい顔で食事を配っていた。 アーサーは受け取った皿を両手で持ちながら、その穏やかな表情をしばらく見つめてしまう。「どうしたの?」「ううん。何でもない」 アーサーは小さく笑って、焚火のそばへ腰を下ろした。 隣ではルーシーが串の魚を大事そうに持ち、アリスは肉の焼け具合を見ながら、火の向きを少し整えている。「これ、もう食べていい?」「まだ。外だけ焦げて中が生だったら嫌でしょ」「アリスって、食べ物のことになるとすごく真剣だよね」「そりゃ、食べ物のことだからね。でも食べ物に一番うるさいのはアーサーでしょ!」「確かにそうね!」 そう言ってアリスはアーサーに悪戯っぽい笑みを向けた。 そんなやり取りに、アーサーは「え!? そうかな??」と頭を掻きつつ楽しそうに笑った。(何か、変な感じだ……) アーサーは焚火を囲む顔ぶれを見渡して不思議な気持ちになる。 少し前まで、こんなふうに皆で火を囲んで食事ができる日が来るとは思っていなかったからだ。 ルーシーは疑いを晴らし、村の空気も少しずつ落ち着きを取り戻している。ウルフも、まだ仏頂面ではあるが、教会の敷地内にいることを拒まなくなった。 もっとも、そのウルフだけは焚火の輪の中で一人、ひどく疲れた顔をしていたが。 連日のようにアーサーに構われ、ルーシーに礼を言われ、アリスに面白がられ、エレインには食事の心配までされている。森で一人静かに過ごしていた時とは、まるで違う騒がしさだった。「ウルフさん、お肉もう一本食べる?」「……いらん」「でも、さっきから魚しか食べてないよ?」「寝る前に肉を食べ過ぎると体がちゃんと休まらないし、もう十分食っている」 ウルフは低く答え、串焼きのローチにかぶりついた。 その横顔は、戦場帰りの兵士というより、群がる子犬に追い回された狼のようだった。 アーサーはその様子を見て、しみじみと息を吐く。「これが平和ってやつかな

  • 神父と白い野獣   #41.第十四話「焚火から始まる新しい日常」②

     また、別の日。 司祭館にある書類の作業場には、蜜蝋と乾いた羊皮紙、そしてインクの匂いが混じっていた。 午後の光が高い窓から斜めに差し込み、木机の上に積まれた帳簿や紙束を淡く照らしている。 その中央で、アーサーはひどく真剣な顔をして羽根ペンを走らせていた。 ミサの説教を書いている時よりも、聖務日課を確認している時よりも、あるいは告解の内容を思い返している時よりも、よほど深刻そうな顔である。 傍らに置かれた紙束の表紙には、几帳面な文字でこう記されていた。『養蜂箱増設の覚え』「……養蜂箱増設の覚え?」 横からそれを覗き込んだアリスが、何とも言えない顔をした。「村での販売分を増やしたのも、その一環?」 アーサーは羽根ペンを止めず、真顔のまま答えた。「三十%も収穫報告が減らされたんだよ? だったら、その分を僕がどう使ったっていいだろ。蜂蜜で救える命は多いんだし」 その声には、静かな怒りがこもっていた。 だが、内容は蜂蜜である。 真剣なのは分かる。分かるのだが、作業場の空気はどこか妙に締まらなかった。 そばで椅子に腰かけていたルーシーが、ぱちぱちと瞬きをしてから、無邪気に口を挟む。「でも、アーサー、趣味って言われたのが一番怒ってたよね」「…………」 アーサーは無言でペンを置いた。 そして、次の瞬間、力尽きたように机へ突っ伏した。「趣味じゃない……これは教会の慈善事業で、診療所の薬材確保で、村の栄養改善で、蝋燭の原料調達で……」 机に額を押しつけたまま、くぐもった声でぶつぶつと言う。 アリスは苦笑しながら、彼の肩を軽く叩いた。「で、でも、高価な蜂蜜が安価で手に入って嬉しいって、みんな喜んでたから。ね?」「……それは、よかった」 アーサーは机に突っ伏したまま、少しだけ声を和らげた。 その様子を、作業場の隅に腰を下ろして眺めていたウルフが、深々と呆れたように息を吐く。「よく分からん」 蜂蜜の収穫量を増やしただけで、なぜここまで人が沈み、慰められ、計画書まで作るのか。 武人の彼にはまるで理解できなかった。 ウィンドル川の浅瀬では、今日も村人たちが思い思いに手を動かしていた。 女たちは桶を並べて衣類を洗い、若い男たちは道具についた泥を落とし、子どもたちは大人たちの邪魔にならない範囲で水際を行ったり来たりしている。 夏の陽

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     村人たちをすべて家へ帰した後――。 期待に胸を膨らませたトーマスが司祭館へ足を踏み入れると、そこにはウルフ、アリス、ミルナー夫妻、ピーター、そしてアーサーの母エレインがずらりと並んで待ち構えていた。さらに床には、顔へ袋を被せられ、縄で縛り上げられた羊飼いたちまで転がされている。 その異様な光景に、トーマスの思考は一瞬止まった。 呆然としたまま視線を巡らせる。すると部屋の奥には、本来なら資料室にあるはずの税務や経理関係のロール紙、帳簿の束が積み上げられていた。 次の瞬間、トーマスは激昂して叫ぶ。「これはどういうことだ、泥棒どもが!!」 ひと目で、それが代官邸から持ち出された機密資料だと分かった。同時に、自分がまんまと嵌められたことも悟る。「アーサー、貴様! 私を騙したのか! 誠実であるべき神の子が! 日中、私に語った言葉は偽りだったのか!?」 怒声を浴びせられても、アーサーは驚くほど冷静に首を横へ振った。やがて一本のロールを手に取り、静かに前へ進み出る。「いいえ、トーマスさん。あの時、あの瞬間に貴方へ吐露した気持ちに嘘はございません。貴方が私へ長くご指導くださったことは、まごうことなき一つの真実です。師の教えに背いた自分を恥じ、心から謝罪もいたしました」 その落ち着き払った返答に、トーマスはますます顔を紅潮させる。「ではこれは一体なんだ! どうして我が家に置いてあるものがここにあり、いなくなったはずの流浪人の野蛮人が居て、羊飼いが居て、それにミルナーまでここにいるのか!?」 唾を飛ばさんばかりに怒鳴るトーマスへ、アーサーは一歩も退かず、真っ直ぐ視線を返した。「私が自分の間違いを認めたことと、皆が貴方へ確かめたいことがあるのとは、別の話です。ゆえに、こうして集まっていただきました。代官殿」 その言葉に、周囲の面々も黙したままトーマスを見据える。「確かめたいことだと!?」 声を荒らげるトーマスへ、アーサーは今度こそはっきりと言い切った。「そうです。一つは森の警備犬のこと。警備犬を管理する羊飼いたちが、私たちの生活の要であるウィンドル川で、犬を危険な薬品で洗っていたこと。そして何より、ペンストレイト様へ納めている領民の税についてです!」「それは……」 そこまで聞いた瞬間、トーマスの顔から血の気が引いた。 ついにアーサーは、もはや看

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     その晩、夜のミサを終えて数時間後の夜半。ウルフの粗末な天幕(テント)が残された結界の前には、日曜ミサ用の最も豪華な祭礼服を纏ったアーサーと、上等な礼服の上から教会より渡された儀礼用の白い豪華なローブを肩に掛けたトーマスが並んで立っていた。 周囲には、儀式の知らせを聞きつけて集まった村人たちが幾重にも取り巻き、二人の様子を固唾を呑んで見守っている。夜気の中、無数の松明だけが赤々と揺れていた。 アーサーは静かに息を整えると、周囲の村人たちをゆっくりと見渡した。集まった人々の顔には、不安と期待と好奇の色が入り混じっている。やがて松明の明かりに白いローブを輝かせ、ひときわ目立つトーマス代官へ視線を向け、短く敬意を示すように頷いた。「集いし兄弟姉妹、そしてトーマス代官殿。この夜半、恐れと不安の中、ここに集まってくださった皆様に、主の平和がありますように。 我らが代官殿は、疫病の蔓延を防ぐため、公衆の安全を第一に考える賢明な措置として、この隔離の縄を張られました。この縄は、病が広がるのを防ぐ物理的な境界として、その役目を果たしました。これには感謝せねばなりません」 厳かな声が夜の広場へ響き渡る。 その言葉に、トーマスが一瞬満足げに頷くのを、アーサーは見逃さなかった。 だが、そ知らぬふりで説法を続ける。「しかし、皆さんの顔を見てください。そして、ご自身の胸の内へ耳を澄ませてください。縄が張られてもなお、病への恐怖と、隣人への疑念は消えてはいません。 これは、病とは別の、魂の病です。人が張った縄は、肉体の病の広がりを止められても、魂に巣食った呪い――すなわち、神への信頼を失った我らの『疑念』を断ち切ることはできないのです。 神は、私たちに『見知らぬ者を恐れるな』と命じておられます。この縄が今や、我らの心を縛る『不信と恐怖の鎖』となってしまっている。これこそ、真に清められるべき穢れなのです」 松明の火が揺れるたび、集まった村人たちの顔にも明暗が走った。誰も口を開かず、ただアーサーの声に耳を傾けている。「故に、本日、私はこの場に立っています。人が張った縄の効力を、神の絶対的な慈悲と力をもって完成させるために。 この儀式は、縄を破るものではありません。代官殿の賢明な隔離の措置の上に、神の永遠の権威を重ね、この結界を『恐怖の象徴』から『神の慈悲による解放の記念

  • 神父と白い野獣   #48.第十三話「崩れた威光」①

     一行が代官邸へ着くと、従者に導かれて行き着いた先は、謁見室ではなく応接間だった。 トーマス・バートンは、暖炉の前に置かれた背の高いアームチェアへ深く腰掛け、両手を革張りの肘掛けに置いていた。室内の空気は重く、温かい。謁見室から続く通路の先に位置するこの応接間には、昼間であっても外の騒々しさがほとんど届かない。 窓際の光が差す場所では、妻が白い布地へ針を進めている。刺繍糸が細かく、規則正しく布を擦るたび、トーマスは満足感を覚えた。この静謐な空間こそ、自分がこの屋敷で享受する権力と秩序の象徴だった。彼は妻の存在を、意識的に、そして無言の道具として用いている。(この静けさの中で、あの若造はどれほどの苦痛を感じるだろうか?) トーマスは、数分後に会う予定のアーサー・クロムウェルのことを考えていた。司祭代理という聖職にある若者が、自ら「謝罪と相談」のために訪れる。これは、ウルフの件で仕掛けた小さな揺さぶりの勝利であり、自らの支配が教会の権威にまで及んだという、公然たる証明に等しかった。 短くノックが響いた後、従者が重い扉を開け、声を上げた。「旦那様、クロムウェル司祭代理様がお見えになりました」 トーマスは微動だにしない。許可を待たず、従者は一歩下がって扉を開け放つ。 入室したアーサーの視線は、まず窓際の妻へ向けられ、次いで部屋の奥、暖炉の前に座るトーマスへ移った。外光を背にした妻の姿は影となり、顔の表情までは読み取れない。一方、暖炉の光に照らされたトーマスの顔は、冷たい岩のように明確だった。 トーマスの目に映るアーサーは、完璧な司祭服を身につけているにもかかわらず、顔色は昼の空のように青白い。手に持った帽子を握る指先には、汗まで滲んでいるように見えた。(さて、この羊は、いかにして私を欺こうとするだろうか?) 内心で笑みを噛み殺しながら、トーマスは最も権威ある主人のように、厳かに口を開いた。「よく来たな、アーサー。座りなさい。妻もいる。遠慮はいらないよ」 そう言って視線だけをアーサーの背後へ流す。そこに立つピーターと目が合うと、相手は軽く会釈し、何も言わず応接間の外へ姿を消した。 完全に一人残されたアーサーは、不安を隠しきれない面持ちで立ち尽くしている。その様子に、トーマスの胸の内はひどく高揚していった。 アーサーはひどく憔悴した様子で、暖炉を

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