Share

【15】①

last update Last Updated: 2025-08-28 22:00:23

「はぁ~、今日も疲れたね」

「そうだね」

 生理検査室での実習が続く週の半ば。

 夕方、ロッカーで着替えを終えた私と翠は、それぞれバッグを抱えて職員用通用門へ向かう廊下を歩いていた。

 翠がオーバーにため息をつく横で、私がうなずく。

 すると突然、彼女がぴたりと立ち止まり、くるりとこちらを向いた。

「もうっ、瑞希。ここ最近ずーっと顔が暗いよ! どしたの?」

 ちょっと怒ったような顔で言うと、小首を傾げて覗き込んでくる。

「えっ」

「私が気づかないと思う? 今週は新庄さん、静かだけど……実習以外のとこでなにか言われたとか?」

「ううん、そういうんじゃないよ」

 ――そんなに暗かったのかな、私。

 落ち込んだ様子を見せないよう気をつけていたはずなのに。

 改めて翠の鋭さに驚きつつ、私はなんでもない風に首を横に振った。

 言われてみれば、たしかにここ数日は新庄さんから指摘されていない。巡回に来ても、私の班には目もくれずに別へ行ってしまうくらいだ。

「じゃあ亮介のこと?」

 不意に出された名前に、胸がちくりとした。

 実習が始まってからは班が分かれ、彼とはほとんど顔を合わせていない。

 お互い実習に追われていて、キャンパスと違い昼休みを合わせることもできなくなった。

 廊下ですれ違うことはあるけれど、交わすのは挨拶くらい。会話らしい会話は、ここしばらくなかった。

 それでも彼は気遣ってくれていて、夜や休日に「実習どう?」「元気?」とメッセージをくれる。

 最後に届いたのは日曜の朝。ある実習の感想を綴った内容だった。

 ……でも、私は返せていない。正確に言えば、返す気力がなかった。

 あの夜の兄とのやりとりで、心をすり減らしてしまったから。

「それも違う。ただ……ちょっと疲れてるだけ」

 返していないメッセージ

Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 禁愛願望~イケメンエリート医師の義兄に拒まれています~   【15】④

     自宅に戻ると、家の中は静まり返っていた。 両親はふたりとも勤務中で、まだ帰宅していない。誰もいないのは寂しいけれど、無理に元気な顔を作らなくていいのは助かる。 私はそのまま二階の自室へ向かい、バッグを放り出すように床へ置くと、力尽きたようにベッドへ倒れ込んだ。 シーツに顔を押しつけ、ぎゅっとまぶたを閉じる。『あなたのおかげで、また付き合い始めることができたの。今、すごく幸せ』「っ……」 忘れようと思っても、新庄さんの言葉が何度も脳裏で再生される。 頭のなかに強制的に浮かび上がってきて、どうしても振り払えない。 ――兄と新庄さんが付き合っている? 本当に?  だって、土曜の夜に兄と話したとき、そんな素振りはまったくなかったのに。『疑わしいなら、漣に直接訊いてみたら? かわいい妹になら、本当のことを話してくれるんじゃないかな」』 彼女の声が甦る。 ……そうだ。本人に訊けばいい。 正直、怖さもある。 けれど、きっと大丈夫。あの夜、私を「好きだった」と言ってくれた兄の言葉が、どうしてもうそだとは思えないから。 兄ならきっと正直に答えてくれる。誠実な人だと、昔から誰よりも知っている。 私は思い立つや否や、バッグからスマホを取り出し、兄の番号を押した。 コール音が数度鳴ったのち、留守番電話に切り替わる。仕事中なのだろう。胸にわずかな失望が広がるが、兄は着信さえ残せば必ず折り返してくれる人だ。 スマホを枕元に置いたまま、ぼんやりと時間を過ごす。 夕食時なのに、食欲が湧かない。 ソファに腰かけても、机に向かっても、頭のなかでは新庄さんの「幸せ」という言葉が回り続けて、心を押し潰してくる。まるで、停止ボタンの壊れたリモコンだ。 不意にスマホが震えた。兄からの折り返しだ。 慌てて掴み取り、通話ボタンを押す。

  • 禁愛願望~イケメンエリート医師の義兄に拒まれています~   【15】③

    「えっ?」「あなたのおかげで、また付き合い始めることができたの。今、すごく幸せ」 ――付き合い始めた? 兄と新庄さんが?「そんな……うそです」「うそ? どうしてそう思うの?」「っ……それは……」 『俺もずっと、瑞希のことが好きだったんだ』  兄自身の言葉が蘇る。だけどそれを新庄さんに告げるわけにはいかない。「疑わしいなら、漣に直接訊いてみたら? かわいい妹になら、本当のことを話してくれるんじゃないかな」 答えを探せずにいる私に、不敵な笑みを浮かべて首を傾げる。 その声音には、あの廊下で話したときと同じトゲが混じっていた。「は……話っていうのは、それ、ですか?」 なぜ、彼女はわざわざ私にそんなことを伝えるのだろう。 どうにか言葉を返すと、新庄さんはにこやかにうなずいた。「まぁ、そうね。だから、これからも仲良くしましょうって話と――」 そこまで言った瞬間、表情から笑みが消える。「私と漣の仲を、邪魔しないでねってこと」 冷え冷えとした瞳で見据えられる。普段より低い声に、心臓がいやな鼓動を刻んだ。 そのまなざしに射すくめられた私を、再び人懐こい笑みで包み込みながら、彼女は続ける。「ほら、漣とあなたって血がつながってないんでしょ? 戸籍上も他人だって言うし。あんな素敵な人だから、憧れを抱くことくらいあるかもしれない。だから前もって言っておかないと、って思って――それとも、もう手遅れだった?」 まるで、私の気持ちを見抜いているかのような言い方。 笑っているのに、その瞳の奥は鋭く、探るように私の反応を窺っていた。「いえ……あの……し、失礼します」 恐ろしくなり、曖昧な言葉を残して長椅子から立ち上がる。 彼女の顔を見られないま

  • 禁愛願望~イケメンエリート医師の義兄に拒まれています~   【15】②

    「うわさをすれば……だね」 隣の翠が、私だけに聞こえる声でぽそりとつぶやく。「帰りがけにごめんなさい。ちょっといい? 提出してもらった書類のことで、確認したいことがあって」「あっ……は、はい」 申し訳なさそうな声音。けれど二重の愛らしい瞳には、有無を言わせぬ鋭さが宿っている。 私は心細さを覚えつつも、うなずいた。「瑞希、ついて行こうか?」 翠が小声で気遣ってくれる。「ありがとう。でも平気。……ごめん、先に帰ってて」 本音を言えば、前に二人きりで話したときの新庄さんが怖かった。そばにいてほしい気持ちもある。 けれど、ただの事務処理に付き合わせるのは気が引けた。 ……書類の確認だけなら、すぐに終わるはず。大丈夫。「……わかった。なにかあったらちゃんと言うんだよ?」「うん。本当、ありがとう」 短い会話を交わし、翠は「失礼します」と新庄さんに一礼して通用門へ向かった。「そんなに時間は取らせません。こちらへお願いします」「は、はい」 新庄さんが一瞥して歩き出す。その背を追いながら、少しの不安を抱えつつ後に続いた。 たどり着いたのは、診察が終わったあとの外科待合室。 患者はもちろん、医師や看護師の姿もない。 ――人の気配が消える時間を見越して、ここを選んだのかもしれない。「どうぞ、座って」「……はい。えっと、書類というのは……?」 長椅子に腰かけた新庄さんの隣に、おずおずと座りながら尋ねる。 すると彼女は、いたずらが見つかった子どものように照れ笑いを浮かべた。「ごめんなさい。書類の話は口実なんです。あなたと話がしたくて」

  • 禁愛願望~イケメンエリート医師の義兄に拒まれています~   【15】①

    「はぁ~、今日も疲れたね」「そうだね」 生理検査室での実習が続く週の半ば。 夕方、ロッカーで着替えを終えた私と翠は、それぞれバッグを抱えて職員用通用門へ向かう廊下を歩いていた。 翠がオーバーにため息をつく横で、私がうなずく。 すると突然、彼女がぴたりと立ち止まり、くるりとこちらを向いた。「もうっ、瑞希。ここ最近ずーっと顔が暗いよ! どしたの?」 ちょっと怒ったような顔で言うと、小首を傾げて覗き込んでくる。「えっ」「私が気づかないと思う? 今週は新庄さん、静かだけど……実習以外のとこでなにか言われたとか?」「ううん、そういうんじゃないよ」 ――そんなに暗かったのかな、私。 落ち込んだ様子を見せないよう気をつけていたはずなのに。 改めて翠の鋭さに驚きつつ、私はなんでもない風に首を横に振った。 言われてみれば、たしかにここ数日は新庄さんから指摘されていない。巡回に来ても、私の班には目もくれずに別へ行ってしまうくらいだ。「じゃあ亮介のこと?」 不意に出された名前に、胸がちくりとした。 実習が始まってからは班が分かれ、彼とはほとんど顔を合わせていない。  お互い実習に追われていて、キャンパスと違い昼休みを合わせることもできなくなった。 廊下ですれ違うことはあるけれど、交わすのは挨拶くらい。会話らしい会話は、ここしばらくなかった。 それでも彼は気遣ってくれていて、夜や休日に「実習どう?」「元気?」とメッセージをくれる。 最後に届いたのは日曜の朝。ある実習の感想を綴った内容だった。 ……でも、私は返せていない。正確に言えば、返す気力がなかった。 あの夜の兄とのやりとりで、心をすり減らしてしまったから。「それも違う。ただ……ちょっと疲れてるだけ」 返していないメッセージ

  • 禁愛願望~イケメンエリート医師の義兄に拒まれています~   【14】⑤

     綾乃の言う通りだ。 もし瑞希が理不尽に追い詰められるとしたら、到底見過ごせない。 しかもその原因が瑞希自身の未熟さではなく、俺という存在に端を発しているのだとしたら――なおさら。「漣のこと、誰よりもしっかり見てるんだから、どう考えるかぐらいわかるよ。……で、どうするの?」 挑発というより確信めいた声音で綾乃が問う。 にこやかな口元とは裏腹に、その瞳は俺の一挙手一投足を見逃さない鋭さを帯びていた。 選択肢は二つしかない。 承諾するか、断るか。 どちらを選んでも、結局は瑞希が傷つく。 もし受け入れれば、瑞希は俺と綾乃の関係を知って傷つく。拒めば、綾乃の矛先は再び瑞希に向かうだろう。 それならば――俺が背負うしかない。「……本当に、瑞希への執着をやめてくれるんだな?」「約束は守る。もちろん、漣が守ってくれるならね」 慎重に確認すると、綾乃はあっさりとうなずいた。 その笑顔はやけに晴れやかで、駆け引きの末に優位を得た者の余裕が滲んでいる。 本当に約束を守ってくれるのだろうか、という不安は消えない。 だが一度は特別に親しかった相手だ。彼女を信じられないと言い切るのは、自分のこれまでを否定するようで苦しい。「……わかった。君がそれで納得するのなら」 結局、俺は綾乃の提案を受け入れた。これが今、瑞希を守るために選べる最善の道だと思ったからだ。 どちらにせよ瑞希を傷つけるのなら、せめて矛先を自分に集めればいい。 俺が静かにうなずくと、綾乃はぱっと花が咲くような笑顔を見せ、大げさなくらい明るい声で言った。「じゃあ交渉成立ね! またあなたの彼女になれるなんて、うれしい」 その言葉に胸がちくりと痛む。 俺にとっては取引でしかなくても、彼女にとっては「やり直し」なのだろう。「……でも

  • 禁愛願望~イケメンエリート医師の義兄に拒まれています~   【14】④

    「…………」 綾乃はしばらく沈黙した。 俺の懇願をどう受け止めるか――受け入れるか、それとも憤りを抑えているのか、そのどちらとも取れる沈黙だった。「……本当に、瑞希さんが大事なのね」 やっと口を開いた声は、怒りというより感心に近かった。 考えてみれば当然だ。綾乃はずっと俺に好意を示してくれたのに、俺は応えられず一方的に別れを告げた。 そのうえ今こうして、彼女の感情を顧みることなく「瑞希に手を出すな」と求めている。「新庄さん、君を振り回して傷つけたのは本当に――」「いつまでも他人行儀な呼び方はやめて!」 謝罪の言葉を口にしかけた瞬間、彼女は弾かれたように声を張り上げた。「絶対に結ばれないってわかってるなら、早く忘れたらいいじゃない! そうでしょう? 叶わない相手を想い続けるなんて、不毛すぎるもの」 顔を上げると、濃いアイメイクに縁どられた瞳が強く俺を射抜いていた。その奥が、一瞬だけ寂しげに揺れる。「……ねぇ、私じゃだめなの? 好きじゃなくてもいい。それでも、この先少しでも好きになってくれるかもしれないなら……もう一度、私を選んでよ」 それは怒りではなく、哀願の響きだった。胸を締めつけられる。 交際していた頃も、彼女がここまで真正面から気持ちをぶつけてきたことはなかった。俺が「別れてほしい」の一点張りで、言葉を封じてしまっていたからだろう。 申し訳なさを覚えながら、俺はゆっくりと首を振った。「それはできない。君と別れたのは、自分にうそをつけなかったからだ。戻っても、同じことを繰り返す」 瑞希以外を心から想うのは難しい。それが理由で綾乃と別れた。 たとえ彼女の願いを受け入れても、結局はまた彼女を傷つけるだけだ。「……はっきりしてる。でも、あなたのそんなところも好きなの」 

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status