兄は、いつだって私の王子様だった。 誰が見ても完璧。けれど私にとっては、それ以上の存在。 『あの日』から、ずっと憧れの人。 ◆ ◇ ◆ 朝六時半。パジャマ姿のまま階下へ降りる。 五月の中旬、薄手のカーディガンがちょうどいい季節だ。 顔を洗ってダイニングへ向かうと、テーブルに見慣れたシルエット。 私の兄――朝比奈漣が、ノートPCに視線を落としながら片手でトーストを齧っていた。 黒いTシャツにチノパンというラフな格好なのに、姿勢がいいのできちんとして見える。 艶のある黒髪が光を受けてきらりと揺れた。 ――朝にお兄ちゃんに会えたのって、いつぐらいぶりだろう? ここのところ夜間呼び出しや早朝カンファレンスで、私が起きる頃にはもういなかったからうれしい。 そのとき、兄のスマホが軽い音を鳴らした。 兄は画面をちらりと見てから短く息を吸い込み、電話を受ける。 「朝比奈です……はい……ええ、了解しました」 かしこまった口調。病院からだろうか。 幼稚舎から高校まで、名門・聖南大学附属で過ごしたエリートな兄は、そのまま同大医学部へ。 今は父と同じ外科医として、聖南大附属病院に勤務している。 きびきびとした声と落ち着いた表情――ああ、この感じ。「医局で若手のホープと呼ばれている」と父が言っていたのを思い出す。 通話を終えると、何事もなかったように再びトーストを手に取った。 その動作まで無駄がなくて綺麗で、つい目が離せなくなる。 少しうつむき気味に噛み切ると、長いまつげが伏せられ、頬のラインがわずかに動いた。 唇の形にまで見惚れてしまい――「もしこの唇にキスされたら」とか考えて、背徳感で喉が熱くなる。 「……おはよう、瑞希」 はっと我に返ったのは、兄に呼びかけられたからだ。 「おはよう、お兄ちゃん」「そんなところで、どうして突っ立ってるんだ?」 胸の奥で小さな警告音が鳴る。 兄をそんな目で見ちゃいけない――わかっているのに。 慌てて席に着く。 「珍しいね、今日はゆっくりなんだ」「本当は、いつもこのくらいの時間だ」 「……毎日お疲れさまだね」
Huling Na-update : 2025-07-22 Magbasa pa