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【2】②

last update Last Updated: 2025-07-24 16:00:47

 朝比奈家へ正式に里子として迎え入れられたあとは、兄は一転して優しく、なにかと私に世話を焼いてくれた。

 それこそ、初対面のときの反応がうそだったかのように。

 当時、私は七歳で兄は十四歳。

 倍以上も年が違ったけれど、職業柄、不在がちな両親に代わって、親代わりをしてくれていた。

 特に思い出深いのは食事の時間と寝る時間だ。

 施設では、食事は常に多くの友だちとともにとっていたけれど、朝比奈家に移ってからは兄とふたりきりのタイミングも多かった。

 父は職業柄不在がちだったし、母もシフトによっては夜勤が続く。

 母は私を慮って見守り対応のヘルパーさんを手配してくれていたけれど、それよりも寂しさを紛らわせてくれていたのは、可能な限り食卓をともに囲んでくれた兄の存在に違いない。

 朝食も夕食も、いつも一緒。特に夕食に関してはかなり気を使わせてしまっていたことに、後々気が付いた。

 附属校に通っていた兄は、受験勉強の必要がないので、友人たちと遊ぶ時間はそれなりにあったはず。

 けれど両親がどちらもいない日には、どんなに遅くとも十八時までにはかならず帰宅してヘルパーさんとバトンタッチをし、私と夕食をとるように調整してくれた。

 兄と食事をしながら会話する時間はとても楽しくて、私は学校でのできごとや友人、好きな本についてなど、とにかく思いつくままに話した。

 兄はそれを「そうなんだ」「楽しそうでよかった」と微笑んで聞いてくれていた。

 そんな兄の優しげな表情を眺めるたびに「この家で暮らせて、兄と一緒にいられて幸せだな」と、心がじんわりと温かくなるのを感じた。

 そして寝る時間。

 最初のころは環境が変わったせいかあれこれと考えを巡らせてしまい、夜すぐに寝付けないことも多かった。

 いちばん頭を悩ませていたのは、これからの生活について。

 朝比奈家のみんなが優しければ優しいほど、幸せを感じられれば感じられるほど、それがいつか消えてしまう日のことを、自室の立派なベッドのなかで、考えずにはいられなかった。

 里親制度には、里子を養育する期限が設けられている。

 お別れはずっと先――施設の人は、十八歳の誕生日を迎えたとき、と言っていたっけ――だと教えてもらっていたけれど、初めて知った家庭の温もりを失くしてしまうことへの恐怖は、幼い私の心をじわじわと傷め付けてきた。

 それでも私は、しばらくの間、その不安を家族の誰にも吐露することはなかった。

 言ったところでどうにかなるわけでもないし、困らせてしまうだけだと、子ども心に理解していたのかもしれない。

 けれどある日、我慢の糸がぷつりと切れた。

 この先、この温かい家族と離れ、またひとりになってしまうかもしれない。

 そう想像すると、底の見えない深い谷底に落ちていくような恐ろしさが襲ってきて、居ても立ってもいられなくなった。

 両親が不在だったため、私は、衝動的に兄の部屋を訪ねた。

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