Mag-log in雪の日には、全身を震わせながら、それでも立ち去ろうとしなかった。「篠原社長、警備員に追い払わせましょうか?」秘書の小林が尋ねた。私は首を横に振った。「立たせておきなさい」見せてやりたかった。私がどうやって一歩ずつ頂点へ上り詰めていくのかを。彼の帝国が、私の手の中でどのように崩れ落ちていくのかを。三か月後、蓮の父が直々に訪ねてきた。「篠原綾香、蓮を許すための条件を言いなさい」私は湯呑みを手に、ゆっくりとお茶を口にした。「高梨さん。昔は、破産した孤児の私なんて相手にもしていませんでしたよね。そのあなたが、今は私に頭を下げに来るなんて。ずいぶん変わりましたね」老人の顔は青ざめていた。「金額を言え。金なら出す」「お金?」私は笑った。「息子さんが私に負っているものは、お金で返せるものですか?私の子ども、私のプライド、私の愛。そのどれがお金で買い戻せるというのです?」蓮の父は、面目を失って帰っていった。その夜、高梨家は声明を発表し、蓮との親族関係を正式に断絶した。そのニュースを見た時、私はワインを飲んでいた。その一本は、蓮が長年大切にしていたものだった。今では、それも私のものだ。彼がかつて持っていたすべてのものと同じように。蓮が高梨家の屋敷から追い出された日、私はちょうどその前を通りかかった。彼は古びたスーツケースをひとつ提げ、門の外に立っていた。かつて自信に満ち、輝いていた男は、今では身を縮め、捨てられた野良犬のようだった。私は車の窓を下ろし、彼を見た。目が合った瞬間、彼の目に光が灯った。けれどそれは、すぐに消えた。私の眼差しが、氷のように冷たかったからだ。「綾香……」彼が何か言おうと口を開いた。私はそのまま窓を上げ、アクセルを踏んだ。バックミラーの中で、彼は数歩追いかけてきたあと、地面に倒れ込んだ。私は車を止めなかった。数か月後、小林が私に告げた。蓮は郊外の小さな平屋に移り住んだという。日雇いの仕事で、かろうじて暮らしているらしい。工事現場で資材を運ぶ姿を見た者もいれば、飲食店で皿洗いをしている姿、道端で露店を出している姿を見た者もいた。かつて人を見下ろす立場にいた高梨グループの社長は、今ではわずかな日銭のために、人
私は顔を上げ、目にかすかな嘲りを浮かべた。「高梨社長、何か勘違いなさっているのでは?私はただ、あなたが残した後始末をしているだけです」私は立ち上がり、床から天井まで届く窓の前へ歩いていくと、窓の外に広がる街を指さした。「あなたが白石美咲に夢中になっていた頃、高梨グループの物流は崩れ始めていました。あなたが私を跪かせて靴を拭かせていた頃、中核技術チームは競合に丸ごと引き抜かれていました。あなたがほかの女で欲を晴らしていた頃、高梨グループの資金繰りはすでに破綻していたんです」言葉を重ねるたび、蓮の顔から血の気が引いていった。「高梨グループをここまで追い込んだのは、あなたです。私はただ、崩れかけていたものを少し押しただけ」「綾香、頼む。俺は何でもやる。高梨グループでも、俺の命でも、何だって渡す。だから俺のそばに戻ってきてくれ……」蓮は私に近づこうとした。けれど、私が冷ややかに見返すと、その足はそこで止まった。「お引き取りを」たった一言で、蓮の顔から表情が消えた。蓮はその場に立ち尽くし、目の中の光が少しずつ消えていった。ふいに彼は、スーツの内側から鋭いナイフを取り出した。私を刺すつもりなのかと思い、反射的に一歩後ずさった。けれど次の瞬間、彼は刃先を自分の太腿へ向けた。「綾香、見ていてくれ」彼の声は震え、目には涙が溜まっていた。鈍い音とともに、刃が深く肉へ沈んだ。血がたちまちスラックスを赤く染め、白いカーペットへ滴り落ちた。「これで、少しは気が晴れるか?」彼は歯を食いしばり、額に冷や汗を浮かべながら、それでも私から目を逸らさなかった。私が少しでも表情を変えれば、それだけで救われるとでも思っているようだった。私は何の表情もなく、静かに彼を見ていた。「連れていって」私は顔も上げずに言った。「病院に連絡して。費用は高梨グループの口座から落として……ああ、違った。もう向こうには金がなかったんだっけ」私は顔を上げ、警備員に支えられている蓮へ微笑んだ。「なら、私につけておいて。元夫への、最後の施しってことで」……高梨グループに残された最後の資産リストを前にしても、私の心は不思議なほど静まり返っていた。五年前、蓮は破産した孤児だった私を選び、百億もの財産を迷わず手
彼は身をかがめた。その目には、ぞっとするほど冷たい怒りが宿っていた。「盗んだその手、二度と使えないようにしてやる」鈍い音がした。次の瞬間、美咲の悲鳴が部屋中に響き渡った。蓮は彼女を一度も振り返らず、そのまま出ていった。床の上には、痛みに身を縮めて泣き叫ぶ美咲だけが残された。翌日、美咲の産業スパイ事件は一斉に報じられた。高梨グループから訴えられた彼女の評判は、あっという間に地に落ちた。もう、彼女に近づこうとする男など誰もいなかった。けれど、それだけでは終わらなかった。蓮は、私に手を出そうとした黒川を見つけ出した。黒川はナイトクラブで遊び歩いていたが、蓮の姿を見た瞬間、酔いが一気に醒めた。「高梨社長、俺は……」言い終える前に、蓮の拳が黒川の顔にめり込んだ。「綾香に手を出そうとした時点で、こうなる覚悟くらいしておくべきだったな」黒川は鼻血を流して床に倒れ込み、這いつくばるようにして命乞いをした。「高梨社長、俺は本当に何もしてません!あの時は、何もしてないんです!白石美咲に言われたんです。俺はただ、あの女に従っただけで……」蓮はその言葉を聞くなり、黒川の脇腹を蹴りつけた。鈍い音がして、黒川が苦痛に顔を歪める。「あの女に死ねと言われたら、お前は死ぬのか?」三日後、黒川は性的暴行未遂の容疑で警察に連行された。彼の実家の会社は高梨グループに買収され、一家はすべてを失った。けれど、どれほど復讐を重ねても、私が失った子は戻らない。私が受けた屈辱も消えない。ましてや、彼への愛など二度と戻るはずがなかった。中核データの流出により、高梨グループの株価は40%も暴落した。取締役会は連日のように開かれ、蓮に引責辞任を迫った。取引先は次々と資金を引き揚げ、仕入れ先からも支払いを催促されるようになった。かつて栄華を誇った高梨グループは、今や崩壊寸前だった。それでも蓮には、そんなことなど目に入っていないようだった。彼の意識はすべて、私を探すことに向いていた。私立探偵、ネットに詳しい裏の人間、果ては危ない筋の者まで。私を見つけられる可能性があるなら、蓮は金に糸目をつけなかった。一か月後、彼は街中に破格の懸賞を出した。【篠原綾香を探している。手がかりを提供した者には
記憶が一気によみがえった。ピアノ椅子に腰を下ろした瞬間、彼女の身体がわずかに強張ったこと。血の気を失った顔。血に濡れた指先。蓮は胸を押さえ、息を詰まらせた。佐藤は涙をこらえながら続けた。「それから、黒川の件も白石さんが仕組んだことです。彼女は黒川に隣室の監視映像まで見せて、わざと篠原社長を追い詰めたんです……篠原社長は妊娠していたのに、ご自分の目で、あなたと白石さんの姿を見せつけられて……」轟音が鳴ったように、蓮の頭の中が真っ白になった。彼女は二人の子を身ごもったまま、隣の部屋で彼と美咲が絡み合う姿を見せつけられていた。その絶望も、胸が裂けるような苦しみも、彼には想像すらできなかった。それなのに彼は、なぜ自分の子を殺したのかと彼女を責めたのだ。「俺が……俺たちの子を殺したんだ」彼はうわ言のようにつぶやいた。目の焦点は、もうどこにも合っていなかった。「高梨社長、篠原社長は……」佐藤がなおも何か言おうとした。蓮は勢いよく立ち上がった。その目には、今にも誰かを壊してしまいそうな怒りが宿っていた。「白石美咲はどこだ?」「ご命令どおり、すでにご実家へお戻ししています」蓮は扉を飛び出し、車を走らせて美咲の家へ直行した。美咲はリビングで、いかにも傷ついたように泣き言を並べていた。蓮が踏み込んでくるのを見ると、その顔に喜びがよぎる。「蓮、迎えに来てくれたの?やっぱり私を捨てられないんだって、信じてた……」ぱん!乾いた音が響き、美咲の顔が横に弾かれた。彼女は頬を押さえ、信じられないものを見るように蓮を見つめた。「綾香に何をした」蓮の声は、ぞっとするほど低かった。「わ、私は何もしていないわ……」「ピアノの腐食剤。椅子に仕込んだ鋼の針。それに黒川」美咲の顔が一瞬で真っ白になった。「隠し通せるとでも思ったのか」蓮は彼女の首をつかんだ。その目に宿る殺気に、美咲はがたがたと震えた。「綾香は俺の子を妊娠していた。それを知っていて、彼女ごと潰すつもりだったのか」「ち、違うの……私はただ……彼女に身を引いてほしかっただけで……」蓮の手が、もう一度美咲の頬を打った。さっきよりも強く、容赦のない一撃だった。「消えろ。二度と俺の前に出てくるな」
三日後、都心から離れた別邸で。蓮は美咲を抱いていた。激しく求め合ったあと、まだ満たされないように甘えてくる彼女を見下ろしながら、蓮はなぜか胸の奥が空っぽになったように感じていた。その時、なぜか綾香の顔が浮かんだ。冷ややかで、どこまでも意地を張るあの顔。そういえば、最後に彼女を抱いたのはいつだっただろう。美咲が現れてから、彼のすべての意識はこの遊びに向いていた。綾香が地面に跪いて靴を拭く姿も、十本の指から血を流しながらピアノを弾く姿も、確かに彼を苛立たせた。だが何より許せなかったのは、彼女が二人の子どもまで使って、自分に復讐したのだとしか思えなかったことだ。あれは彼の子でもあった。胸の奥に正体の分からない怒りがくすぶっていて、彼はただ綾香が頭を下げるところを、折れるところを見たかった。もういい。怒るだけ怒った。罰も十分に与えた。あいつは気が強い。これ以上閉じ込めておけば、本当に壊れてしまうかもしれない。それでも、やはり綾香が一番扱いやすい。この世に、綾香ほど自分を理解し、従順な女はいない。帰ったら、丁寧になだめてやろう。そうすれば彼女はきっと以前のように、大人しく自分の腕の中へ身を寄せてくるはずだ。彼は、もう待ちきれなかった。——二日後、蓮は予定より早く気晴らしを切り上げ、高梨家の邸宅へ戻った。高梨家の屋敷に着くと、付き従う者たちを振り切り、綾香が暮らしていた湖畔の別邸へまっすぐ向かった。最初に何を言うかまで、もう考えていた。飽きた、遊びは終わりだ。そう言えばいい。そして彼女を強く抱きしめて、たっぷり甘やかしてやる。だが、扉を開けた先にあったのは――部屋の中は、ひんやりと静まり返っていた。テーブルや椅子には、薄く埃が積もっている。彼がよく腰を下ろしていたソファにも、彼を待ち続けて眠ってしまう、あの華奢な姿はもうなかった。蓮の胸が、嫌な予感に沈んだ。「綾香はどこだ?」彼は通りかかった使用人をつかまえ、鋭く問い詰めた。使用人は腰を抜かしそうになりながら震えた。「奥様は……奥様は……」「どこにいる!」執事が慌てて駆けつけ、怯えながら一枚の紙を差し出した。「旦那様、こちらは奥様がお部屋に残されていたものです」離婚協議書。下に書
蓮は低く笑った。その声は、私が知らないほど甘く、熱に浮かされたようだった。「悪い子だな。俺をここまで夢中にさせるのは、お前くらいだ」私は口を強く押さえ、声が漏れないよう必死にこらえた。こらえていた涙が、声もなく頬を伝い落ちた。下腹部に、突然激しい痛みが走った。内側から引き裂かれるような痛みだった。何かが、自分の中から失われていくのが分かった。生温かいものが太腿を伝い、ゆっくりと流れ落ちていく。純白のワンピースが、赤く染まった。私の足元に広がる血を見た瞬間、黒川の顔色が変わった。酔いも一気に醒めたのだろう。彼は情けないほど慌てふためき、そのまま逃げ出した。私はソファの上で丸くなり、痛みのあまり意識を失った。意識が遠のく間際、蓮が扉を蹴破って飛び込み、怒鳴る声が聞こえた気がした。再び目を覚ました時、そこは病院だった。消毒液の匂いが、冷たく鼻を刺す。ベッドのそばには蓮が立っていた。顔を強張らせ、怒りを押し殺すように荒い息をしている。「妊娠していたなら、なぜ言わなかった」その声に、いたわりは一欠片もなかった。あるのは、責める響きだけだった。「俺が美咲をかまったのが、そんなに許せなかったのか?だからって、俺の子まで巻き込むなんて……綾香、お前はいつからそんな女になった」怒りに燃える彼の顔を見つめていたら、私はふいに笑ってしまった。私のせい。全部、私が悪い。妊娠なんてするべきではなかった。この時に、もういなくなってしまった子で、彼の遊びを邪魔するべきではなかったのだ。ハイヒールの音を響かせて、美咲が病室に入ってきた。彼女は優しい声で、蓮をなだめるように言った。「蓮、綾香さん、流産したばかりで身体も弱っているのよ。そんなに怒らないで」彼女は私の病床のそばまで来ると、身をかがめた。そして、私たち二人にしか聞こえない声で、耳元に囁く。その声は優しく、毒にまみれていた。「言い忘れていたわ。昨夜、隣の部屋で、蓮は何度も私を求めたの。あなたとは全然違うって。私のほうがずっといいって、そう言っていたわ」ぱん!私は残っている力をすべて振り絞り、美咲の頬を打った。乾いた音が、静まり返った病室に鋭く響く。その瞬間、蓮の目つきが変わった。彼は大股で近づい