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第1191話

風羽
そう言い終えると、手を握られた。

来た人物がもう一度口を開く。

「彰人、私よ」

言葉よりも先に涙がこぼれた。

彰人にとって、舞はただの親族ではなかった。

恩人であり、まるで母のような存在でもあった。

彼は舞に対して負い目があった。願乃を幸せにできなかったこと。過去に背負ったもの、そしてこれからの人生でも背負い続けるもの――そのすべてを。

彰人は身体を起こそうとした。

だが舞はそれを許さなかった。手首を押さえ、ベッドに寝かせたままにする。

何度も感情を押し殺した末、舞は低く言った。

「モナが私を呼んだこと、責めないであげて。あなたのカルテは見たわ。確かに、簡単な状況じゃない。彰人、私にとってあなたは願乃の夫であるだけじゃない。私が育ててきた子でもあるの。だから、メディアの株を売ったと聞いたとき、本当に胸が痛んだの。たとえ願乃のためだとしても、許せなかった。私はずっと、公私を分けられる人であってほしかった。でもあなたは……ただ、愛に生きる人でいようとしたのね」

彰人はうつむき、かすれた声で言った。

「母さん」

舞の声はさらに低くなる。

「でも彰人。メディアを手放
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  • 私が去った後のクズ男の末路   第1194話

    願乃はその場で足を止めた。視線を落とし、男の手を見る。しばらく会わないうちに、ずいぶん痩せたように見える。――新しい恋人のせいだろうか。それにしては少し無理をしすぎている気もする。そんな取りとめのない考えが頭をよぎり、願乃はそっとその手を振りほどいた。気まずくはしたくなかった。だから、低い声で淡々と言う。「会いに行きたいなら、結代に直接連絡すればいいわ。もう個人のスマホを持ってるの。あとで連絡先、登録しておくから。毎晩一時間だけ、通話や調べものに使わせてるの」彰人は何か言おうとした。けれど――願乃は軽く微笑んでそれを遮る。夕梨に声をかけ、そのまま立ち去った。少し離れたところまで来て、ようやく歩みを緩める。前を見つめたまま、ぼんやりと。――自分は間違っていた。平気だと思っていた。何も感じないはずだと。でも、知るのと――実際に目にするのとではまったく違う。彰人があの子を見つめる目はあまりにも優しくて。その瞳の中には、彼女しかいなかった。願乃の目にわずかな潤みが浮かぶ。夕梨がそっと近づき、肩を軽く叩いた。言葉はなくても、それだけで十分だった。願乃は無理に笑う。「少し、見て回ろうか」少しは辛い。けれど、生活は続いていく。きちんと別れたのだ。彰人も子どもには十分すぎるほどの保障を残した。十年以上、メディアのために働き続けたのと同じくらいに。そう考えれば、少しだけ心が軽くなる。――感情なんて。誰にだって過去はある。そして、未来もある。きっと、そのうち慣れる。彰人のいない生活にも。彼が誰かの夫になることにも。彼に、別の子どもができることにも。……きっと、慣れていくのだろう。願乃の背中が遠ざかっていく。彰人はその場に立ち尽くしたまま、長い間動けなかった。やがて、涼香がそっと近づいてくる。手にはあの可愛らしいうさぎのヘアピン。「これ、どうしますか?」慎重に尋ねる。彰人はそれを受け取り、しばらく見つめていたが、やがて首を振った。「いらない」涼香は唇を噛み、ためらいながら言う。「きっと、誤解しているんだと思います。説明されたらどうですか?私たちはそういう関係じゃないって。私はただの付き添いだって

  • 私が去った後のクズ男の末路   第1193話

    待つというのはあまりにも長い。それが望みの薄いものを待つとなれば、なおさらだ。年の瀬が近づく頃。彰人の脳腫瘍はまだ発症していなかったが、肝臓の病はほとんど爆発的に悪化していた。一度入院して治療を受けたものの、退院後は薬でどうにか持たせている状態だった。涼香はほとんど付きっきりで彼の世話をしていた。彼女の部屋は寝室の隣にあり、ほかに二人の看護スタッフも常駐している。彰人と願乃がまったく顔を合わせていないわけではなかった。メディアの業務は舞と京介が引き継いでいたものの、莫高チップとのやり取りなど、いくつかの案件は彰人自身が直接関わっていた。――そのわずかな口実を使って。彰人は願乃と二度だけ会っている。いずれも会社での、事務的な面会だった。舞はそれを知り、呆れながらも、どこか哀れに思っていた。年末が迫るある日。彰人はふと、結代に会いに行きたいと思った。何か、プレゼントも買ってやりたかった。だが彼の体調は日に日に悪くなっている。脳の状態もあり、ひとりで外出することは許されていない。そのため外に出るときは、必ず涼香が付き添った。その日も二人で出かけた。ちょうど莫高チップから、冬の福利厚生として支給されたダウンコートがあった。倹約家の涼香はそれを二着受け取り、交互に着ていた。一方の彰人は病気になってからというもの、願乃と会う予定でもなければ身なりに気を使わなくなっていた。会社の作業用ダウンは黒一色で、着慣れていることもあり、そのまま外に出ても違和感がない。――並んで歩けば、まるで恋人同士のようだった。ショッピングモールに着くと、彰人は本心ではない様子で品物を選びながら、涼香に意見を求めた。長く一緒にいるうちに、彼はすでに彼女を妹のように感じていた。もともと彼女はずっと年下だ。もし時代が違えば、父親と呼ばれていてもおかしくないほどに。涼香は嬉しかった。彼に想いを寄せている彼女にとって、結代のこともまた、大切な存在だったからだ。だからこそ、心から選んでいた。彼女はふわふわのうさぎがついたヘアピンを手に取り、試しにつけてみる。鏡の前で何度も角度を変えながら、楽しそうに笑っている。その様子を彰人は静かに見つめていた。――まるで、若い頃の願乃を見てい

  • 私が去った後のクズ男の末路   第1192話

    遠くから、一人の人影が歩いてくる。涼香だった。冬のベルリンはやはり厳しく冷え込んでいる。涼香はダウンコートに身を包み、大きな帽子を深くかぶっていた。そのせいで顔がいっそう小さく見え、どこか願乃に似た雰囲気をまとっている。彰人はしばらく黙って彼女を見つめていた。その視線に気づいた涼香は静かに問いかける。「彼女のこと、考えていたんですか?」彰人は答えなかった。沈黙がそのまま答えだった。涼香は彼の隣に立ち、同じように遠くを見つめる。遊んでいる子どもたちの方へと。彼の苦しみは分かっていた。全身を病に侵され、願乃のもとへ戻ることもできない。舞の意向はベルリンで適合する肝臓を待ちながら、一つずつ治療を進めるというものだった。彰人がぽつりと呟く。「ここにいたくない」声はかすかに震えていた。立都市へ戻りたかった。遠くからでいい。願乃を見守りたかった。結代のことも、そして――これから生まれてくる小さな命も。そのために、舞とは激しく衝突した。彼女は一切容赦しなかった。言い合いの末、思いきり頬を打たれたほどだ。だから今、彰人はただ静かにここにいる。それから一週間ほどベルリンに滞在したのち、彰人の強い希望により、結局一行は立都市へ戻ることになった。彰人は舞を安心させるように言った。体調に気をつけながら、肝臓のドナーを待つ、と。その日、専用機は立都市に降り立った。黒塗りの車が彰人を邸宅へと送り届ける。舞は帰る前、涼香を呼び止め、二人きりで少し話をした。書斎に入るとき、涼香は内心ひどく怯えていた。自分がどんな扱いを受けるのか、想像がつかなかったからだ。弁解しようと口を開きかけたとき、大きな窓の前に立つ舞が先に静かに言った。「あなたのことは知っているわ。モナから聞いた。彰人が一年で一千万円を支払って、あなたに身の回りの世話を頼んでいるって。でもね、もしあなたが彼を好きになって、いつか彰人もあなたを好きになったなら……私を気にする必要はないわ。反対なんてしない。むしろ祝福する。彰人と願乃はもう別れている。お互い自由な身よ――分かるわね?」……涼香は言葉を失った。責められるものだと思っていた。自分の過去は決して誇れるものではない。かつては彼のそばにい

  • 私が去った後のクズ男の末路   第1191話

    そう言い終えると、手を握られた。来た人物がもう一度口を開く。「彰人、私よ」言葉よりも先に涙がこぼれた。彰人にとって、舞はただの親族ではなかった。恩人であり、まるで母のような存在でもあった。彼は舞に対して負い目があった。願乃を幸せにできなかったこと。過去に背負ったもの、そしてこれからの人生でも背負い続けるもの――そのすべてを。彰人は身体を起こそうとした。だが舞はそれを許さなかった。手首を押さえ、ベッドに寝かせたままにする。何度も感情を押し殺した末、舞は低く言った。「モナが私を呼んだこと、責めないであげて。あなたのカルテは見たわ。確かに、簡単な状況じゃない。彰人、私にとってあなたは願乃の夫であるだけじゃない。私が育ててきた子でもあるの。だから、メディアの株を売ったと聞いたとき、本当に胸が痛んだの。たとえ願乃のためだとしても、許せなかった。私はずっと、公私を分けられる人であってほしかった。でもあなたは……ただ、愛に生きる人でいようとしたのね」彰人はうつむき、かすれた声で言った。「母さん」舞の声はさらに低くなる。「でも彰人。メディアを手放して、そのうえ想いも報われなかった……後悔していないの?」周防家を離れ、メディアを手放す――それは上流社会から追放されることと同じだった。それでも、彼は後悔しているのだろうか。「後悔していない。母さん、俺は一度も……後悔したことはない」――最後の数文字は震えていた。どうして後悔などできるだろうか。彼が抱いているのはただ一つ、憎しみだった。不公平な運命への怒り。あとほんの少しだけ足りなかった、自分の運の悪さへの悔しさ。願乃とのすべてにおいて――彼は一度たりとも後悔していない。彼女を傷つけたことも。彼女を不機嫌にさせたことも。それでも、後悔はない。それが彼という人間だった。だが、それでも彼は手放すことを選ぶ。願乃、俺は身を引く。だから――ほんの少しでいい、俺を恨む気持ちを和らげてほしい。しばらく言葉を交わした後、舞は決断した。それは一人の母としての決断だった。願乃の母であり、同時に、彰人の母でもある者としての。「彰人、ベルリンに行きましょう。肝臓の治療ができるか診てもらう。それから、脳の専門医と精神科医も探すわ。あ

  • 私が去った後のクズ男の末路   第1190話

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  • 私が去った後のクズ男の末路   第624話

    澄佳は苦く笑った——自分は冷たいだろうか?そうは思わない。もし心を許してしまえば、真琴は隙あらば彼女の生活に入り込み、結局は翔雅との関係も惨めに終わる。彼女は顔を上げ、外の暗んだネオンを眺めながら、さらに低い声で言った。「翔雅……あのネオンがどんなに輝いても、いずれは消えていく。私たちも同じよ。最初から合わなかった」翔雅はしばし黙り、ふいに問う。「じゃあ……桐生智也とは、合うのか?」澄佳は呆れたように目を伏せた。「私たちのことに、智也は関係ない」翔雅は鼻で笑う。自分がそこまで罪深いとは思えなかった。裕福な家に生まれ、強気な性格で妥協を知らない。澄佳に突き

  • 私が去った後のクズ男の末路   第653話

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    澄佳は智也と共にいた。もともとは友人との食事会に参加していたのだが、その帰りに願乃への贈り物を選ぼうと立ち寄った店先で、偶然智也と出くわした。智也には、どうしても星耀エンターテインメントとの協力が必要な企画があった。他社では到底担えない規模のものだ。澄佳が耳を傾けると、内容は悪くなかった。星耀側は人脈を貸すだけでよく、利益の五パーセントを譲渡するという。その条件なら、澄佳に断る理由はなかった。彼女は普段あまり会社に顔を出さない。だから智也と歩きながら話を続けた。しかも智也は願乃とも顔見知りであり、贈り物を買うのも自然な流れだった。——まさか、その場で翔雅と真琴に鉢合わせ

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