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第229話

Author: 風羽
京介は、いつものように蒼真を相手にするつもりはなかった。

だが、視線はずっと舞に向いたまま、口だけは蒼真に向けて動いた。

「……長く時間が経てば、人の好みなんて変わるもんだ。お前だって、変わっただろ?」

蒼真は歯を食いしばった。

彩香は呆れたように、それでいておかしそうに笑った。

——蒼真は口ではどうあがいても、この男には勝てない。

彼女は素早く蒼真を引っ張り立たせ、舞にひとこと。

「じゃあ、私たちは先に帰るね。ごゆっくり」

……

ふたりが去っていくのを見送った舞は、苦笑いを浮かべた。

京介がその横顔をじっと見つめながら言った。

「お前が帰国して、最初に会う相手は……上原九郎だと思ってたよ」

「一昨日、九郎と紗音と三人でご飯食べたわ」

「……そう」

しばらくの沈黙ののち、京介はやや声を落として言った。

「……じゃあ、なんで俺には連絡くれなかった?誘ってくれてもよかったのに」

舞は目を上げ、まっすぐに京介を見つめた。

その視線が冗談でないと分かった瞬間、静かに微笑んだ。

「京介、私たちに、もう一緒に食事する理由なんてある?

おばあちゃんはもういない。澪安もいない。愛も憎しみも、あれから三年も経ったわ。お互い新しい人生が始まってる。あなたも婚活してるんでしょう?だったら、これ以上そんな中途半端なこと言わないで。普通にいこうよ」

そして、ひとこと付け加えた。

「さっきの女性、素敵な人だったわ」

まるで——心からそう思っているかのように。

それはもう、本当に吹っ切れた人の表情だった。

愛していない、憎んでもいない。ただ——終わったのだと。

京介はしばらく黙ったまま、ポケットから煙草の箱を取り出した。

この店は禁煙。

火をつけるつもりもなく、ただテーブルに煙草の箱を置き、眺めながらぼそりとつぶやいた。

「……まあ、悪くはなかった」

本当は言いたかった。

あの婚活は、澪安の治療のためだったと。

もう一人、子どもが必要だった。臍帯血のドナーが——

でも、それを言えば、きっと舞はまた冷たい目で彼を見るだろう。

「あなたって、いつも自分の都合しか考えないのね」

そう言われる未来が見えていた。

だから、口に出せなかった。

でも。

それでも、舞には「澪安」のことを知る権利がある。

京介は考えていた。どうやって話せ
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