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第344話

Author: 風羽
事後、岸本は真っ白なバスローブ姿でベッドのヘッドボードに凭れ、煙草をくゆらせていた。

若い女はおとなしく胸に身を預け、甘えた声と仕草で男に縋る——要するに、養ってもらいたいのだ。

岸本は煙草を指に挟んだまま、その指先で彼女の頬を軽くなぞる。女は顔を上げ、されるがまま。

男は大抵、従順な女を好む。

もっとも、岸本は女を囲う趣味などない。

だが、赤坂瑠璃への不満は募っていた。

瑠璃の心に今も周防輝の影があるのは明らかで、創業者世代の彼にとっては耐え難い屈辱だった。

その屈辱をそっくり返すため——そして、この若い女が世話上手で見た目も清楚だったこともあり、彼は少し考えてから受け入れた。

この業界では、女を一人二人囲うことなど大したことではない。

瑠璃は所詮「継ぎの縁」なのだから——

岸本は煙草を揉み消すと、再び女を抱き寄せ、甘やかな夜が続いた。

……

高級マンションの前、瑠璃は車が走り去るのを見送った。

名だたるブランドのドレスに高価なジュエリー——それでも蒼ざめた顔色は隠せない。

疲れを滲ませながら、エントランスへ歩く。

そこに、漆黒の装いの輝が凭れていた。背は高く、影のように立っている。

瑠璃は足を止め、視線が交わる。

ややあって、彼女は伏し目がちに苦く問うた。

「まだ来るの?私の婚約披露宴を潰して、それでも足りないの?……私の一生を壊さないと気が済まない?」

エレベーターに乗ろうとする彼女の手を、輝が掴む。

「だったら……あいつと結婚するな」

瑠璃は冷ややかに笑う。

「結婚って、あなたの気分次第で変えられる遊びなの?今日この人、明日は別の人……私を何だと思ってるの?」

輝は一歩詰め寄る。

「遊びなんかじゃない」

両手で彼女の顔を包み、口づけようとする——が、瑠璃が応じるはずもない。

乾いた音が夜に響いた。

「私を……何だと思ってるの?」

輝は舌先で奥歯を押し、彼女の腰をぐっと引き寄せる。

「あいつと寝たのか?岸本で満足できるのか?ベッドでは——」

二発目の平手が鋭く彼の頬を打った。

「もう侮辱しないで!英達の入札で会いましょう。その時は、容赦しない!」

輝は黙って彼女を見据える。

情の色は、夜の闇よりもなお深く、濃い。

……

瑠璃はカードキーで部屋に入り、玄関を閉めた。

瑠璃の母は遠方から婚約披
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