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第1388話

Author: 風羽
桐生が医師を見送る。

寝室には章真、結安と蝶野、そして眠っているチョコだけが残った。

少し間を置いてから、蝶野が口を開く。

「お母様とお父様がもうすぐお見えになります。それから芽衣様と陽白様もご一緒です。お嬢様に会いにいらっしゃるそうです」

DNA鑑定の結果など待つまでもなかった。

蝶野には、この子が章真の娘だと確信できた。

顔立ちは結安によく似ている。

けれど目元、とりわけ目尻の雰囲気は驚くほど章真そのものだった。

まるで小さくなった章真を見ているようだった。

蝶野が報告を終えると、章真は結安へ視線を向け、不意に言った。

「お前はどう思う?」

蝶野は思わず目を瞬かせる。

その口調は昔とは違っていた。

どこか夫婦が何気ない相談を交わしているような響きがある。

当の結安も、その言葉の意味が分からず戸惑っていた。

章真は遠回しな言い方をやめ、静かに告げる。

「チョコには父親が必要だ。この子を親のいないような環境で育てるつもりはない。

結安――俺と結婚しよう」

……

蝶野は思わず息を呑んだ。

驚きと喜びが胸に込み上げる。

始まりは決して幸せな縁ではな
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    桐生が医師を見送る。寝室には章真、結安と蝶野、そして眠っているチョコだけが残った。少し間を置いてから、蝶野が口を開く。「お母様とお父様がもうすぐお見えになります。それから芽衣様と陽白様もご一緒です。お嬢様に会いにいらっしゃるそうです」DNA鑑定の結果など待つまでもなかった。蝶野には、この子が章真の娘だと確信できた。顔立ちは結安によく似ている。けれど目元、とりわけ目尻の雰囲気は驚くほど章真そのものだった。まるで小さくなった章真を見ているようだった。蝶野が報告を終えると、章真は結安へ視線を向け、不意に言った。「お前はどう思う?」蝶野は思わず目を瞬かせる。その口調は昔とは違っていた。どこか夫婦が何気ない相談を交わしているような響きがある。当の結安も、その言葉の意味が分からず戸惑っていた。章真は遠回しな言い方をやめ、静かに告げる。「チョコには父親が必要だ。この子を親のいないような環境で育てるつもりはない。結安――俺と結婚しよう」……蝶野は思わず息を呑んだ。驚きと喜びが胸に込み上げる。始まりは決して幸せな縁ではなかった。それでも今は子どもが生まれた。だからこそ結安には報われてほしい。お嬢様にも、ちゃんとした家庭を持たせてあげたい。章真ほどの財力があれば、母娘が苦労することはない。もう居場所を転々とする必要もなくなる。だが――結安には頷けなかった。誰にも彼女の痛みは分からない。18歳で両親を失い、望まぬまま章真の世界へ引き込まれた。そして、想いを寄せてはいけない相手を好きになってしまった。何年経とうと変えられない事実がある。両親の死は間接的とはいえ章真と無関係ではなかった。娘を授かった今でも、何事もなかったように彼と夫婦として暮らし、幸せな家庭を演じることなどできなかった。結安の表情には迷いと苦しみが滲む。章真は顎をわずかに上げ、蝶野へ目配せした。先に席を外せという合図だった。蝶野は面白くない。自分だってこの家族の一員なのに、と心の中で不満を漏らす。だが章真に一瞥されるだけで逆らえなくなり、渋々部屋を出ていく。扉を静かに閉めると、寝室には二人だけが残った。章真は結安を見つめ、もう一度静かに告げる。「結安……俺と結

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    二階へ上がる。東側の寝室の前を通りかかったとき、章真が声を潜めて言った。「あとでこの部屋を改装させよう。子ども部屋にして、チョコが使えるようにする。もう4、5歳なんだから、いつまでもパパやママと一緒に寝るわけにはいかないだろう……結安、お前が昔ここに住んでいたこと、覚えてるか?」――忘れるはずがなかった。けれど、そこで暮らしたのはほんの数日だけだった。駿の一件を境に、彼女は主寝室へ移ることになった。あの頃の出来事が脳裏をよぎり、結安の目元がわずかに赤く染まる。それでも何も言わなかった。今となってはすべてが遠い昔のことだ。娘はもう4歳になっている。いまさら何を口にしたところで、何も変わりはしない。章真は一瞬、その部屋へ入ろうとした。だが結局は数秒立ち尽くしただけで、チョコを抱いたまま主寝室へ向かった。家へ戻ってきたばかりの幼い娘にとって、この家はまだ見知らぬ場所だ。今は大人がそばにいてやらなければならない。主寝室の扉を静かに開け、リビングスペースを忍び足で抜け、その奥の寝室へ入る。室内は昔と変わらない。黒とグレーを基調とした無機質な空間。冷たい光沢を帯びたインテリアが並び、独り身の男らしい静かな気配を漂わせていた。片腕で娘を抱き、もう片方の手で薄い掛け布団をめくる。小さな革靴をそっと脱がせた。柔らかな子ども用の靴。普段から大切に世話をされていることがひと目で分かる。真っ白な靴下に包まれた小さな足は、ふっくらとして丸みを帯びていた。章真は昔から「可愛いもの」にはまるで興味がなかった。それでも、そのぷくぷくとした小さな足を見ると、思わず指先でつまんでしまう。ぷにぷにと弾力があって心地よい。何度か名残惜しそうにつまんでからようやく手を離した。娘をベッドへ寝かせ、掛け布団を丁寧に掛け直す。前髪をそっと整え、小さな頬を優しく撫でる。4歳という、大きな頭に小さな体のアンバランスさが何より愛らしい年頃。章真は静かにその寝顔を見つめ続け、やがて頬へそっと口づけを落とした。柔らかく、すべすべとした感触。――自分の血を受け継ぐ娘。子ども好きというわけではない。だが、自分の血が流れる存在だけは特別だ。そんな執着は多くの男が心のどこかに抱えているもの

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    車が静かに停まる。章真は結安へ視線を向けた。「降りろ」結安の鼓動が激しく鳴る。四年――結局、自分はまたここへ戻ってきた。たくさんのものを手に入れ、そして失った場所へ。たった一年しか暮らしていなかったはずなのに、この邸宅を前にすると、胸の奥にどうしようもない懐かしさと戸惑いが込み上げてくる。故郷へ帰るのが怖い――そんな気持ちに似ていた。彼女は車を降りようとせず、ただ屋敷の正門を見つめ続ける。そんな横顔を見つめながら、章真は低く口を開いた。「お前が出て行って最初の一年、この屋敷から笑顔が消えた。正月も……誰一人、心から笑えなかった」結安は何も答えない。彼女の視線はある人物へ向けられていた。蝶野だった。4年ぶりに再会した彼女は、すっかり年を重ねていた。こめかみには白いものが混じり、以前よりずっと小さく見える。章真は静かに続ける。「使用人は一人も辞めさせなかった。もし、お前が帰ってきた時、昔と同じ顔ぶれが待っていたら安心すると思ったからだ。……最初は、そう思っていた。でも、お前が帰らない時間が長くなるにつれて、もう戻って来ないんだと諦めた。まさか、子どもまで産んで、その子を連れて暮らしてたとは思わなかった」結安の胸が締めつけられる。自分と章真の関係は許されるものではない。罪であり、禁忌だった。彼は何一つ迷わず、その想いを貫いてきた。けれど、自分には無理だった。今でも夢を見る。両親が命を落とした、あの日の夢を。そんな自分が、何事もなかったように彼の隣で生き、子どもを育て、夫婦として一生を過ごせるはずがない。自分は章真ではない。彼ほど強くはなれない。4年越しの再会。結安はもう少女ではなく、一児の母になっていた。それでも蝶野の目には、あの日の幼い彼女のままだった。声を震わせながら駆け寄る。「結安ちゃん……!結安ちゃん……本当に、あなたなのね!」結安の瞳にも涙が滲む。「蝶野さん……」蝶野は何度も何度も頷いた。「帰ってきてくれて、本当によかった。ニュースで見た時は信じられなかったのよ。大人になって……少し背も伸びて……それに、お母さんにもなったのね」その視線は自然とチョコへ向かう。章真に抱かれた小さな娘。蝶

  • 私が去った後のクズ男の末路   第1384話

    「住所を」あんな安アパートがお前たちの家じゃないだろう。チョコの荷物を取りに行く。結安には、もう拒む余地などなかった。彼からスマートフォンを受け取る。まだ彼の体温が残っていて、熱いほど温かい。震える指先で住所を入力していく。入力を終えて手を離した瞬間、全身から力が抜けそうになった。これから先、どうなるのかは分からない。ただ一つ分かっているのは――もう二度と娘を取り戻せないかもしれないということ。思わず両手で顔を覆う。それでも泣かなかった。もう18歳の頃のように、泣けば誰かが守ってくれる少女ではない。今の彼女は一人の母親なのだから。章真はスマートフォンを受け取りながら、結安を静かに見つめた。その時、チョコが小さな両手を伸ばす。「ママ、だっこ」意外なことに、章真は何も言わずチョコを結安へ渡した。結安は大切な宝物を抱き締めるように、そっと娘を胸へ抱き寄せる。運命は再び二人を引き合わせた。ただ、今度は二人きりではない。腕の中には、小さな娘がいた。車はそのまま邸宅へ向かう。車内には運転手と、助手席の宇佐美。桐生よりも宇佐美のほうが、章真にとっては腹心なのだろう。同性だからこそ分かることもある。章真は終始チョコだけを見つめていた。その眼差しは驚くほど穏やかで、優しかった。彼は心の底から娘を愛おしく思っている。その時、スマートフォンが鳴る。着信相手は澄佳だった。息子がまた世間を騒がせていると聞き、いても立ってもいられなかったのだ。恋人騒動どころか、今度は突然娘まで現れた。写真では顔こそ隠されていたが、横顔だけでも一目で分かる。あれは間違いなく葉山家の血筋だった。章真は母が何を聞きたいのか理解していた。穏やかな声で答える。「……ああ。想乃は結安が産んだ子だ。今から二人を連れて帰る。心配しないで。結安に無理なことはしない」電話を切ると、彼は一瞬だけ結安へ視線を向けた。やがて車は郊外の一軒家へ到着する。立地こそ郊外だったが、土地価格は決して安くない。1億円ほどでようやく200平方メートル程度の家が買える地域だ。それでも庭は丁寧に手入れされ、温かな生活の気配が漂っていた。家政婦が玄関を開ける。目の前に停まった高

  • 私が去った後のクズ男の末路   第1383話

    間違いない。この子は自分の血を分けた娘だ。DNA鑑定など必要なかった。その面差しも、目鼻立ちも。そして何より、この小さな身体を抱き締めた瞬間に胸いっぱいへ溢れ出した、言葉では説明できない血のつながり。それだけで、章真には十分だった。彼はチョコを強く抱き寄せる。胸の奥から込み上げてくるこの感情は、かつて結安を愛していると気づいたあの日によく似ていた。嬉しくて。愛おしくて。胸が震えるほど満たされる。……けれど、その想いを彼女は受け取ってはくれなかった。小さな身体が父親の腕に包まれる。駿に抱かれたときとは、まるで違う温もりだった。幼いチョコも、ぼんやりと何かを感じ取ったのだろう。小さな両手で章真の頬を包み込み、幼い声で尋ねた。「おじさん……チョコのパパ?」――チョコ。その愛称で呼ばれているのか。章真の胸は締めつけられた。柔らかな頬へ何度も口づけを落とし、額をそっと重ねる。そして、もう一度、力いっぱい娘を抱き締めた。結安はその様子を青ざめた顔で見つめることしかできない。何一つ口を挟めなかった。部屋の中には宇佐美と桐生。廊下にはボディーガードたちが控えている。しばらくして章真はチョコを抱き上げ、自分の腕へちょこんと座らせた。それから結安をまっすぐ見据え、拒絶を許さぬ口調で告げる。「これからこの子を立都市へ連れて帰る。DNA鑑定は受けてもらう。……もっとも、その必要はないと思っている。だが、耀石グループの株主へ説明するためにも、正式な手続きだけは踏まなければならない。この子が、俺の実の娘であることを証明する」結安は反射的に彼の腕を掴んだ。何も考える余裕などなかった。瞳には必死な懇願だけが浮かんでいる。しかし章真の瞳に揺らぎはない。彼はわずかに顎を上げ、桐生へ指示を出した。退院手続きを。これからチョコは栄光グループ系列の総合病院で治療を受ける。その前に結安の家へ寄り、荷物をまとめる。必要な物はいくらでも買い直せる。だが、小さな子どもが見知らぬ場所へ行くなら、お気に入りのぬいぐるみや、いつも使っている枕くらいは持って行かせてやりたい。環境が変わる不安を少しでも和らげるために。章真はそのことをよく知っていた。な

  • 私が去った後のクズ男の末路   第1028話

    寒真は分かっていた。彼女が「好き」「愛していた」と言ったのは、よりを戻すためではない。ただ、あの心残りを口にしたかっただけだ。夕梨にとっては心残りだが、寒真にとっては、尽きることのない悔恨だった。誰を恨む?自分自身を恨むしかない。彼自身がすべてを台無しにし、夕梨を失ったのだ。そうでなければ、今頃二人は息子と娘に囲まれていただろう。静寂な深夜、二人はキッチンで抱き合っていた。彼女の情緒が落ち着くのを待って、寒真はとても小さな声で言った。「やっぱり許せない、そうだろう?」彼女は彼の好意を知っているし、彼は彼女の苦悩を知っている。そして彼は、彼女を苦しめたくない。

  • 私が去った後のクズ男の末路   第1035話

    最近、寒真は多くのことを勉強していた。すぐに、夕梨が出産するのだと分かった。嫉妬している場合ではない。彼は片手で彼女を支え、もう片方の手で電話をかけて琢真に知らせた。夕梨が産気づいたこと、すぐに助産師とVIP病室の手配をするように伝えた。指示を終えると、彼はアクセルを踏み込んだ。運転しながら夕梨を安心させ、気を紛らわせようとする。夕梨の方が彼よりずっと落ち着いていた。彼女の手はドアの取っ手を強く握り締め、冷や汗が滴り落ちていたが、歯を食いしばって言った。「まだそんなに痛くないわ、運転に集中して」ここから産院までは車で三十分ほどかかる。道中で事故など起こしたくはない。

  • 私が去った後のクズ男の末路   第1006話

    寒真は黙り込んだ。車内は薄暗く静まり返っていた。寒真は横目で夕梨を見た。彼女はずっと目を閉じていて、無防備に見えるが、実際は無関心なのだと知っていた。彼女にとって、朝倉寒真という男は取るに足らない過去の知人に過ぎない。この数年、彼女は留学や仕事、そして育児に忙しく、彼のことなど数えるほどしか思い出さなかったのではないか?しかし、彼には聞く勇気がなかった。彼女の「朝倉さん、お久しぶりです」という一言でさえ、彼にとっては慈悲だったのだ。その時、対向車のライトが差し込み、一筋の光が夕梨の顔を照らし出した。その輪郭は変わらず完璧だったが、青さは消え、完全に成熟した自制的な女

  • 私が去った後のクズ男の末路   第1032話

    髪を適当に乾かし終えると、寒真は逃げるように浴室へ隠れた。しばらくして、浴室から微かな音が聞こえてきた。夕梨は軽く笑った。男も心にもないことを言うものだ、本当はしたいくせに。シャワーを浴びて髪を乾かした後、彼女は心地よくベッドヘッドにもたれ、何気なく本をめくっていたが、内容は頭に入ってこず、浴室の物音が気になって仕方なかった。およそ二十分後、寒真が浴室から出てきた。全身びしょ濡れだ。腰に小さなバスタオルを一枚巻いているだけ。上は何も隠せず、下もろくに隠せていない。水滴が隆起した胸筋を伝ってゆっくりと落ち、あの小さなタオルの中へと消えていき、想像をかき立てる。夕梨

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