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第396話

Auteur: 風羽
絵里香がドアを押し開けると、目に飛び込んできたのは散乱した書類と、粉々になった携帯電話の残骸だった。

輝は荒い息を吐き、全身が張り詰めた弦のように緊張している。

絵里香は一瞬ためらいながらも、そっと彼の肩に手を置こうとした。慰めたかった——だが、その手は容赦なく振り払われた。

呆然と立ち尽くす絵里香に、輝は何の言葉もかけず、そのまま部屋を出ていく。

「輝、どこへ行くの?」

絵里香が呼びかけても、彼は一切耳を貸さず、エレベーターに乗り込むと、彼女の目の前で閉じるボタンを押した。

「輝!」

扉を叩こうとした絵里香を、白川が制した。

「高宮さん……今は、社長に少し時間をあげたほうがいい」

絵里香は悔しさを飲み込み、顎を上げて呟く。

「いいわ。どうせ未来の周防夫人は私なんだから」

だが、胸の奥では嫉妬が燃えていた。

——あの女、赤坂瑠璃に。

二度目の結婚だというのに、あれほど世間を騒がせるとは思わなかった。

しかも岸本雅彦は、まるで女を初めて見たかのように財産も名誉も差し出し、瑠璃は一夜にして上流社交界の寵児となったのだ。

……

一階、駐車場。

輝は車に乗り込み、エンジンをかけようとして、ふと手を止めた。

彼女はもう結婚した。自分はどんな顔で、どんな立場で彼女を問い詰めるつもりなのか。

彼女には夫がいて、自分には婚約者がいる。年が明ければ結婚するかもしれないのに。

ハンドルに額を預けたまま、胸の奥で言葉にできない痛みが膨らんでいく。

長い逡巡の末、輝は瑠璃のマンションの前へ向かった。

年の瀬、厳しい寒さが骨身に沁みる夕暮れ。

瑠璃は母と三人の子どもを連れ、冬物の買い物から戻ったところだった。送り迎えは岸本家の運転手——黒塗りの長い高級車。

母が三人の子を先に降ろす。

最後に降りた瑠璃は、淡い色の毛皮に小ぶりのエメラルドのアクセサリー、そして薬指には輝くシンプルなマリッジリング——その眩しさが、輝の視界を刺した。

再会した彼女は、もう他人の妻だった。

最初に輝を見つけたのは茉莉だった。

茉莉が嬉しそうに声を上げると、そのまま駆け寄ってきた。

そのときになって、瑠璃は初めて輝に気づいた。

彼は暮色の中に立ち、黒いコートが薄闇に溶け込み、その表情ははっきりとは見えない。

茉莉は駆け寄ると、勢いよく父親の胸に飛び込んだ。
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