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第662話

Autor: 風羽
一週間後、真琴は撮影所に入った。正陽フィルムが手掛けるスパイ映画で、彼女はヒロインを務める。

男優は星耀エンターテインメント所属の人気俳優で、近年はSNSで絶大な人気を誇る若手俳優だった。

クランクインの日、翔雅は真琴に付き添って現場へ。心のどこかで澄佳に会えるのではと期待していた。あの彼女なら、自社の俳優を応援に駆けつけてもおかしくない、と。

だが、そこに現れたのは篠宮だけだった。

真っ白なスーツに身を包み、精悍で隙のない姿。

翔雅と真琴を見た瞬間、彼女は冷ややかに笑い、取り繕う気配すら見せなかった。

「どきなさい。邪魔よ」

翔雅は眉を寄せる。

真琴は唇を噛み、小さく声を落とした。

「篠宮さん……まだ怒っているの?」

篠宮は斜めに彼女を見やり、鼻で笑った。

「怒る?何を?ゴミを拾ってくれたのなら、むしろ感謝しているわ」

真琴は顔を引きつらせ、無理に笑みを浮かべる。

厳かな開幕式が進む中、翔雅は上の空だった。

やがて控室の洗面所で篠宮と鉢合わせる。彼女が手を洗っているところへ、彼は無言で立ち尽くし、鏡越しに見つめた。篠宮は視線を感じながらも黙したまま、ゆっくりと手を洗い終え、ようやく口を開いた。

「何の用?」

翔雅は柔らかな声音で尋ねた。

「澄佳は?最近、見かけないが」

その一言に、篠宮の瞳が危うく潤む。彼女は再び蛇口をひねり、水音で胸の痛みを誤魔化しながら、しばしの沈黙の後、低く答えた。

「気分が優れないの。しばらく旅行に出るかもしれない。だから当分、あなたが会えることはないわ」

翔雅は自然と口をついた。

「芽衣と章真は?幼稚園に入る時期だったろう」

——本来なら通い始めているはず。今はもう六月だ。

篠宮は金色の水栓を閉じ、ゆるやかに振り返る。

「一緒に連れて行ったのでしょう。もしかしたら……海外に定住するかもしれない。戻らない、永遠にね」

翔雅は愕然とした。

「でも、彼女の家族も仕事も、立都市にあるのに」

篠宮の目は潤んでいた。

「いずれは戻ってくるわ」

それ以上は語らず、鏡の前で化粧を整え、翔雅をすり抜けて去っていった。

翔雅はその場に残り、壁にもたれて煙草をくゆらせた。顔を仰ぎ、目の奥に深い陰を宿す。

——最近、とりわけ澄佳が恋しい。共に過ごした時間も、芽衣と章真の笑顔も。だが振り返ることはできな
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