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第683話

Author: 風羽
京介の目から、止めどなく涙がこぼれ落ちていた。

若き日の婚姻は波乱に満ち、それでもこの年齢に至って、なお愛娘を先に見送らねばならぬとは。

澄佳——それは舞との愛の結晶であり、長女にして、京介の誇りだった。

いま彼は、澄佳を故郷へ連れ帰ろうとしている。

生まれ育った土地に戻し、最後に雪を見せてやろうと。

その想いだけで、胸は張り裂け、京介は涙がとめどなく頬を伝った。

舞もまた泣き崩れそうになりながら、子どもたちを悲しませまいと、翔雅の両親に子どもを寄り添わせた。

やがて、周防寛とその妻が姿を見せた。

続いて周防夫人も現れ、声を上げて泣き崩れた。

数多の孫の中で、澄佳は彼女によく似ていた。幼い頃、小さな手を引かれ、立都市の街を共に歩いた。

「おばあちゃん、おばあちゃん」と呼ぶ声が、今も耳に残っている。

周防夫人はこらえきれず、震える手で孫娘の頬に触れた。

涙がぽとりぽとりと滴り落ちる。

「澄佳……おばあちゃんはお前を手放せないよ。おばあちゃんはこの歳まで何不自由なく生きてきた。

お爺さんに大事にされ、お父さんとお母さんにも孝行されて……欲しいものなんてもう何もない。もしできるなら、代わりに私が逝って、お爺さんの傍に行ってやりたい」

そして地に伏し、声を荒らげた。

「礼!周防礼!あの世から澄佳のことを見守ってくれるよ!金ならいくらでもある!周防家には金が余ってる!

礼、あんたは何をしてる!役立たずめ!」

……

悲しみに押し潰され、言葉は乱れに乱れた。

京介は慌てて母を支え起こした。

ほどなく、周防輝と赤坂瑠璃も一家を連れて駆けつけた。

茉莉は岸本琢真の肩に身を寄せ、絶え間なく涙を拭った。

周防家の長女であるはずの彼女を、澄佳はいつも姉のように守り、出張の度に土産を欠かさなかった。

その悲しみは、澪安や願乃にとってさらに深かった。

願乃は兄の胸にすがり、「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と泣き叫ぶ。

普段は強い澪安の頬も、涙でずぶ濡れだった。

澄佳は彼の唯一の双子の姉妹。胎の中で共に育った命。

彼は全力を尽くしたが、愛しい妹を救うことはできなかった。

——かつては華やかで、今は枯れ枝のように痩せ細った妹。

澪安は黙って、その魂に別れを告げた。

もはや誰も希望を抱いてはいなかった。

京介が「立都市へ戻ろう」と告げ、故郷の
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