تسجيل الدخول俺は九条安葉(くじょう あんは)と結婚して八年になる。 その間、安葉は次から次へと数え切れないほどの男を家に連れ込んできた。 そして今回、目の前にいるのは百人目の若い男だ。 その男は挑発するように俺を見下ろし、それから安葉に尋ねた。 「九条社長、こいつが家にいるっていう役立たずのヒモ夫?」 安葉は椅子の背に深くもたれかかったまま、気だるげにそうだと答えた。 若い男は俺の目の前まで歩み寄ると、俺の頬を軽く叩いてせせら笑った。 「今夜は耳を澄ましてよく聞いとけよ。本当の『使える男』ってのがどんなものか教えてやるから」 その夜、俺はゲストルームで一晩中、二人のあられもない声を聞かされる羽目になった。 翌朝になると、安葉はいつものように俺へ朝食を作るよう命じてきた。 俺は、それをきっぱりと断った。 安葉は忘れているのかもしれない。俺たちの関係が、ただの契約結婚にすぎないということを。 そして今日が、その契約が満了する三日前だということを。
عرض المزيد「今になってわかったの。あたし、ずっと前から時真のことが好きだった。だから……お願い、一緒に帰って」 俺は、まるで理解できない言葉を聞いたように安葉を見下ろした。 「それが、俺と何の関係があるんだ」 安葉がなおも何かすがりつこうとしたとき、背後から若い女の声が飛んできた。 「時真さん、まだ帰ってなかったんですね。一緒にご飯でもどうですか?」 詩織がこっちへ歩いてきて、俺の隣で足を止めた。 それから安葉を見て、不思議そうに首を傾げる。 「どちら様ですか?」 安葉はわずかに期待をにじませた目で、俺を見た。妻だと紹介してくれるのを待っているようだった。 俺は淡々と答えた。 「数え切れないほどの男を家に連れ込んでいた、俺の元妻だ」 佳隼から事情を聞いていた詩織は、露骨に軽蔑した目を向けた。 「へえ……今さら後悔して、復縁でも頼みに来たんですか?」 その嫌悪があまりにあからさまだったせいか、安葉は顔を曇らせた。 「あたしと時真のことに、あなたは関係ないでしょ」 俺は皮肉げに少し笑ったが、安葉には答えなかった。 そのまま詩織へ顔を向ける。 「何が食べたい?今日は佳隼もいないしな」 詩織は少し考えてから、遠慮なく言った。 「美味しい刺身が食べたいです!」 俺は眉を上げ、「じゃあ行こう」と先に歩き出した。 背後で安葉が何度も俺の名前を呼んだ。 声にはだんだん泣きそうな色が混じっていった。 それでも俺は少しも足を止めず、振り返りもせずに前へ進んだ。 食事の席で、詩織は興味津々といった顔で俺と安葉のことを聞いてきた。 俺は食事を進めながら、これまでの出来事を隠さずにそのまま話した。 最後まで聞き終えた詩織は、あまりのひどさに驚きすぎたのか、しばらく手元のカトラリーを止めたまま固まっていた。それから彼女は大きく酒をあおり、ひどく気の毒そうな目で俺を見た。 「大丈夫です!次は絶対、もっといい人がいますよ!」 あまりに真面目な顔で慰めてくるものだから、俺は思わず吹き出した。 安葉みたいに体面ばかりを気にする人間が、あそこまでしつこく追いかけてくるとは思わなかった。 翌日、仕事に行くと、案の定ラボのエントランスの前に安葉が立っていた。 手には真っ赤なバラの花束を抱えて
その匿名の書き込みをきっかけに、ネット上の野次馬根性が一気に燃え上がった。 あのたった一文の下には、詳細を求めるコメントが次々と殺到した。 すると、その投稿者は俺と安葉の結婚の事実を暴露した。 このスキャンダルは、瞬く間に再びトレンド入りを果たした。 景斗のSNSアカウントにも、「不倫したのはお前の方だったのか」と問いただす非難の声が大量に押し寄せた。 その日のうちに、景斗は一本の釈明動画をアップした。 動画の中で彼は目を赤く腫らし、安葉を返してくれ、自分たちの関係を壊さないでくれと、被害者ぶって俺に訴えかけていた。 景斗はネットの追及には正面から答えなかった。 だが、その巧みな言い回しのせいで、俺のほうが二人の関係に割り込んだ悪者だと思い込む人間まで続出した。 その見事な印象操作の手腕には、俺も思わず感心しかけたほどだ。 だが次の瞬間、安葉が実名のアカウントで動画を投稿した。 その中で、彼女は自身が既婚者であることと、自らの不倫の事実をあっさりと認めたのだ。 そのせいで、景斗のほうが割り込んだ側だったことも完全に明るみに出た。 さっきまで景斗に同情していたネット民たちは、今度は一斉に手のひらを返した。 【相手が既婚って知ってて入り込んだくせに、よくあんな被害者ぶれたな】 【いい年した男が略奪愛で開き直ってんの、見てて痛すぎ】 景斗は、安葉が結婚式をドタキャンしただけでなく、世間に向かって自分の不倫まで公表するとは夢にも思っていなかったらしい。 何度も安葉に電話をかけたようだが、ひとつもつながらなかったのだろう。 景斗が慌ててあの家に駆けつけたとき、ちょうど執事が彼の荷物をまとめているところだった。 「安葉はどこだ!」 景斗は執事の胸ぐらを乱暴につかみ、苛立ちをあらわにして睨みつけた。 執事はその手を冷ややかに振りほどき、極めて事務的に告げた。 「お嬢様はご不在です。あなたのお荷物はすでにまとめてあります」 景斗は信じられないという顔で、どういう意味だと問い返した。 執事は淡々と続ける。 「お嬢様から、時真さんをこの家から追い出すようにと申し付かっております。それから、家の中を隅々まできれいに整え、時真さんが戻られるのをお待ちするようにと……」 景斗が愕然としてい
だが安葉は、ひとつ大事なことを忘れていた。 俺があの家を出たその日は、奇しくも安葉と景斗の婚約式の日だったのだ。 そもそも、紙一枚の契約で縛られていただけの歪な関係だ。その契約期間が終わった以上、安葉が誰と結婚式を挙げようと、俺の知ったことではなかった。 その日を境に、若い女性社長と年下恋人の結婚話は、ネット上で話題になっていた。 景斗はその勢いに乗って動画チャンネルを開設し、安葉との結婚準備の様子を毎日のように発信し始めたらしい。 佳隼がそのゴシップを意気揚々と知らせてきたとき、俺は手元の資料から目を離し、呆れたように顔を上げた。 「お前、最近暇なのか?」 佳隼はにやにやしながら答える。 「面白いもん見つけたから、お前にも教えてやろうと思ってさ」 俺は彼が差し出したスマホの画面をひと目だけ見て、すぐに視線を外した。 「九条さんは、あの男の好き勝手をずいぶん甘やかしているんだな」 俺がそれ以上何も言わず淡々としているのを見て、佳隼はつまらなそうに舌打ちをした。 それから、部屋を出る前にふと思い出したように聞いてくる。 「そういえば、お前らの離婚はどうなったんだ?」 俺は資料をめくる手を一瞬だけ止めた。 「さっき弁護士から連絡があった。九条さんが離婚協議書へのサインを拒否しているらしい。 彼女が何を考えているのかは分からない。ただ、こっちの仕事がひと段落したら、一度戻ってきっちり片づけるつもりだ」 佳隼は「案外、九条さんはお前を手放したくないんじゃないか?」と無責任な言葉を残し、そのまま足早に部屋を出ていった。 俺も、その可能性を考えなかったことはない。 だが、すぐにその推測を自分の中で切り捨てた。 あの女は、どこまでも自分本位な人間だ。 俺という都合のいい存在がいれば、自分の生活が楽に回る。 だから金や条件を提示して、所有物を呼び戻そうとしているだけだ。 けれど、俺にきっぱりと拒絶されたことで、プライドの高い彼女のほうも自分から折れるわけにはいかなくなったのだろう。 景斗との結婚式を手配したのは、俺の嫉妬をあおって、戻らせるための揺さぶりにすぎない。 だが、俺はもう昔の俺ではない。 彼女がどんな手を使おうが、もう何ひとつ心に波風は立たなかった。……仕事の区
安葉は契約書に記された終了日を見て、ちょうどその頃から俺の態度が冷ややかになったことを思い出した。 けれど、彼女は信じようとしなかった。 この八年間、俺が見せてきた気遣いも、あれほど細やかに世話をしてきたことも、すべてがただの契約業務だったなんて、彼女の高いプライドが認めるはずもなかったのだ。 「時真……あたしが許さない限り、逃げられるなんて思わないでよね!」 安葉はスマホをつかみ、すぐさま部下へ電話をかけた。 そして、俺の行方を徹底的に探すよう命じた。 けれど、遠く離れたエルマリア王国にいる俺は、彼女がそんなふうに俺を探していることなど何ひとつ知らなかった。 そのときの俺は、詩織と一緒に新商品のデータを詰めている真っ最中だった。 長いあいだ社会から離れていたせいで、最初は少しだけ仕事の感覚が鈍っていた。 それでも、息をつく暇もないほどの忙しさが、そんな違和感をあっという間に押し流してくれた。 少し前に、ラボは新しいスキンケア商品の開発案件を引き受けた。 俺は詩織や部署の人間をまとめ、毎日のように夜遅くまで残業していた。 ちょうど詩織と結論をまとめ終えたところで、スマホが鳴った。 画面に表示されたのは、あの家の使用人の番号だった。 俺が家を出たことを知っている人間は少ない。 彼女は、その数少ないうちの一人だった。 電話に出ると、相手は声をひそめて、あの家の今の様子を伝えてきた。 安葉は毎日家に戻るたびに不機嫌な顔をしており、使用人たちはいつ理不尽な怒りをぶつけられるかと怯えているらしい。 専属の料理人が作る食事も口に合わないようで、まともに手をつけないことが多いという。 安葉は何日も俺の行方を追わせたが、見つからないと分かると、あっさりと捜索を放り出したらしい。 そして今は、景斗があの家に移り住み、同棲状態にあるとも聞いた。 俺は少しも驚かなかった。 安葉が最初に俺を捜したのは、所有物が突然いなくなったことで自分の面子が潰されたと感じたからにすぎない。 何日も経てば、俺がいなくなったことなんて彼女の中ではどうでもいい些事に成り下がる。 安葉の話は、適当に聞き流して終わりだった。 だが、その通話を終えたあとに何があったのか、そのときの俺は知る由もなかった。 電話をか