事件は突然やって来た。
「お嬢様!旦那様と奥様が!」 「え?」 シャルロットが20歳になる前日、両親は事故に遭い他界した。シャルロットの誕生日プレゼントの為に、隣町に出掛けた最中に起こった事故だった。 連日降り続いた雨で地盤が崩れ、その土砂に巻き込まれたと聞いた。即死だったらしい。 父と母は小さな箱を守るようにお互いに手を取り、包み込んでいたらしい。その箱の中には、シャルロットの20歳の記念にと選んだペンダントが入っていた。 「…う…うぅ…お父様……お義母様…ッ!」 その事実を知った時、シャルロットは膝から崩れ落ち地面に突っ伏して泣いた。その傍らにはクライヴが黙って佇んでいた。 最悪の誕生日。 本来なら笑顔の両親から受けるはずだったプレゼント。嬉しいはずなのに、嬉しくない。 「いつまで泣いているつもりですか?」 こんな時ぐらいは黙って感傷に浸らせろと睨みつけながら訴えるが、クライヴは止まらない。 「その手に持っているのは何ですか。貴女のお父上が命を懸けて守ってくれたプレゼントですよ?どんな物より価値のある代物です。笑顔で感謝を伝えなければ報われません」 そう言うと、優しく全身を包み込むように抱きしめられた。 「大丈夫、貴女には私がいます。一人じゃありませんよ」 幼い子供をあやす様にポンポンと背中を叩かれると、涙が滝のように溢れ出てきた。 悔しいけど、その一言に救われた気がした… *** 当主である父が亡くなり、兄であるクライヴが後を引き継いだ。 急な事で、クライヴ自身も決意が定まらぬまま引き継いだ形となり、その苦労は目に見えて明らかだった。 朝は誰よりも早く起き、屋敷を出る。帰宅は、みんなが寝静まった深夜遅く。一体いつ休んでいるのか疑問になるほどで、使用人達すらもクライヴとしばらく顔を合わせていないと言う者がほとんどだった。 そんな生活を二ヶ月近く送っていたある日の深夜…シャルロットは物音で目が覚めた。窓の外はまだ暗く、月が真上にある。こんな時間に起きているのは一人しかない。 シャルロットはベッドから出ると、部屋の外へ出た。 「お兄様」 「ああ、貴女ですか…どうしたんです?こんな時間まで…」 久しぶりに会ったクライヴは、酷く疲れた様子で顔色も悪く、目の下には濃く色付いた隈が目立っていた。まるで別人のような変貌ぶりに、シャルロットはビクッと肩を震わせた。 「たまたま目が覚めたんです。そんなことよりも、お兄様…しっかり休んでますか?随分と酷い顔をしてますよ」 「はっ、酷い顔とは初めて言われました」 「いや、そう意味じゃ……」 「大丈夫ですよ。貴女が心配することじゃありません」 「大丈夫じゃないから言っているんです!」 ふらつく足で部屋へ入ろうとするクライヴを引き止め睨みつけた。 誰がどう見ても大丈夫な訳がない。ここで見て見ぬふりするのは簡単だが、そんな事をすればこの人を止める者がいなくなる。身体はとうに限界だ。 そうは言っても、この人のプライドの高さはよく知っている。変なプライドなんて捨ててしまえばいいものを… 「はぁ…分かりました。貴女も私の事は気にせずに早く寝なさい」 「ッ!?」 溜息を吐きながら面倒臭そうに頭を搔いた。 その様子に流石のシャルロットもイラっときた。疲れていてまともな判断が出来ないのは承知しているが、自分に当たるのは違うんじゃないかと思ってしまった。 「そうですよね。貴方は仕事だと言って、現実から逃げているんですもの。いいですよね、逃げれる場所があるんですから。私は思い出の詰まった屋敷に一人きり…一人にしないと言ったのはそちらなのにね」 自嘲するように言えば、クライヴはハッとしたように顔を上げた。「シャルロット…」と白々しく名を呼んできたが、ここまで来たらとことん吐き出させていただく。 「なに被害者面してるんです?悲しいのも寂しいのも貴方一人だけじゃないんです!私だって苦しいし辛い!お父様達に会いたい!もう一人は嫌だ!」 冷静に話すつもりが感情的になってしまい「ロティ!」とクライヴに抱きしめられた時には、涙が頬を伝っていた。 「すみません。貴女を苦しめるつもりはなかったんです…貴女に都合のいい事を言って、自分の事しか考えていなかった。私は弱く狡い人間なんです…」 卑下しながら微笑む姿が痛々しく、思わず抱きしめ返してしまった。 「人間なんて弱くて狡い生き物です!これからは、私もお兄様の力になれるように努力します!だから…」 顔を上げると息がかかりそうな距離にクライヴの顔があり、ドキッと胸が高鳴った。優しく微笑むその姿は、息を飲むほど美しく目を奪われてしまって言葉が出てこない。 言葉を詰まらせていると「ふふっ」とクライヴが笑った。 「それでは、少し力を貸していただきましょうか?」 そう言うなり手を取り、クライヴの自室へと連れ込まれた。 相変わらず殺風景な部屋…クライヴらしといえばらしいなと呑気に考えていたら、トンッと肩を押された。体勢を保てず、後ろにあったベッドへ倒れるようにして座ってしまった。 目の前には妖艶に微笑むクライヴが立ちはだかっている。 「えっとぉ…?」 てっきり、書類整理でも頼まれると思っていたのに、明らかに状況がおかしい。 「お、お兄様…?これは…?」 「私の力になってくれるのでしょう?」 ニヤッと含みのある笑顔を見せながら上着を脱ぎ捨てるのを見て、一気に全身の血の気が引くのが分かる。 確かに力になるとは言ったが、これは違う! 真っ青になるシャルロットなど気にも留めず、ギシッとベッドに足をかけ、ジリジリとこちらへ迫ってくる。 「ロティ」 耳元で名を呼ばれ、もうどうにでもなれと覚悟を決めて目を強く瞑った。 ポスン (…あれ?) 全身を包んだのは、陽の光を存分に浴びたいい匂いのする布団。横にはクライヴが満足気で枕に頭を沈めている。 「は?」 「え?」 思わず出た声に、クライヴも釣られて声が出た。 直ぐに自分の勘違いだと気が付いたが、あまりにも恥ずかしい勘違いにシャルロットの顔が真っ赤に染まっていく。 「おやおやおや?どうしたんです?」 クスクスと笑いながら顔を覗き込んでくる。完全に分かってて聞いている。顔がそう言ってる! シャルロットは恥ずかしさのあまり、ベッドを降りようとしたが、クライヴに手を掴まれて閉まった。 「すみません。揶揄ってるつもりはなかったのですが…」 本当か?と疑いのある目を向けると、困ったように眉を下げた。 「実は、両親がいなくなってから、眠ろうと思っても眠れないんです。誰かと一緒ならと思ったんですが…無理強いはしません。嫌なら部屋へ戻ってもいいですよ?」 「……」 本当に狡い人。そんな事言われたら出ていくにも出て行けなくなる。 「グダグダ言ってないで寝ますよ!」 クライヴに背を向けて布団を被ると、クスッと小さな笑い声が聞こえた。 「おやすみなさい」 「……おやすみなさい」ようやく落ち着きを取り戻した、ヴァレンティン邸。静かな夜…月明かりが屋敷を照らしている。その屋根の上に一人の男の姿があった。 「あ~ぁ、今回、俺も結構頑張ったと思うんだけどなぁ」 ボヤきながらその場に寝転び、月を眺めるのはクライヴの影であるセウ。 シャオにいい所を取られた形になったが、この人も今回の功労者。その事を知るのはクライヴと国王であるエミディオだけ。影の存在なので仕方ないと言われればそれまでなのだが… 「影も辛いなぁ」 誰にも知られず、仕事をこなす。自分の選んだ道とは言え、流石に堪える。 「セウ様、セウ様」 感傷に浸っていると、下から自分を呼ぶ声が聞こえた。顔を覗かせて見ると、この屋敷の侍女が呼んでいた。 「なんだい?」 「少しお時間よろしいでしょうか?」 誘われるままに後を着いて行くと、食堂に通された。 扉を開けると、沢山の料理を囲うように屋敷中の使用人が集まっている。 「な、は?」 「旦那様からの言付けです。セウ様を労ってやってくれと」 戸惑うセウに執事長が声をかけた。 「旦那様は少々野暮用で立ち会えませんが、我々が精一杯労わせて頂きますゆえ、お許し頂きたい」 執事長が頭を下げると、セウは「ははっ」と顔を手で覆いながら笑った。 「参ったねこれは…本当に我が主は抜かりがない」 使用人達は優しく微笑みながら、セウを取り囲んだ。 *** 「お、お兄様!?」 「何です?」 クライヴの部屋に連れ込まれ、壁に背中を押しけた状態でクライヴが覆いかぶさる。 甘い香りが鼻に匂ってくる
ミランダはリッツ家の負債を補う為、あろう事か実の兄であるヴァレンティン伯爵の殺害を企てていた。 隣町まで行くことを薦めたのも、プレゼントを薦めたのもミランダ。 隣町に行くには切り立った崖を通らなければならない。事故に見せかけて殺害するには持ってこいの場所。あの日、雨が降っていたのは想定外だったが、ミランダからすればこれ以上ない絶好の天候だった。 闇市で購入した魔石を地面に埋め込めば、簡単に地面が崩れ土砂崩れとなった。 後は、二人の兄妹を上手く排除出来ればヴァレンティン邸は自分のモノに出来ると思い込んでいた。 シャルロットにシャオを薦めたのも、シャオから融資を募るため。二人が上手く行けば、シャルロットを操っていずれヴァーチュ商会も手に入れようと考えていたと… 全貌が明らかになり、シャルロットは言葉を失い、ただただ茫然とするばかり。 その後、ミランダはヴァレンティン伯爵夫妻の殺人を企てた容疑で拘束された。 夫であるリッツ伯爵は最後まで「俺は知らなかったんだ!」と、全て妻であるミランダの責任を押し付けようとしていた。 *** 波乱の夜会が終わり、数日が経った。 一連の経緯を知ったシャルロットは、あまりのショックに熱を出して寝込んでしまった。 愛していた叔母が、愛する両親の殺害を企てていたなんて知れば当然のこと。だからこそ、クライヴは出来るだけ穏便に済ませたかったのだが、そうはいかなかった。 そうして、シャルロットの体調も戻りつつある本日、リリアン王女が国へと戻るらしい。何故か、見送りの場にクライヴと共に呼ばれて仕方なく赴いた。 「此度は大変お騒がせ致しましたわ」 随分と汐らしい態度に、クライヴは驚きを隠せない。 「ふふふっ。正直、このまま帰るのを
リリアンに責められ、顔面蒼白で蹲るミランダ。 そんな妻の様子を見たリッツ伯爵は、ゆっくりと後退りし、この場を逃れようとしたが、後ろに控えていた騎士に両腕を拘束され、項垂れるように肩を落としている。 この異様な雰囲気に、シャルロットは呆然としたままミランダを見つめていた。 「リッツ夫人」 次に口を開いたのはクライヴだった。 「貴女は叔母としてシャルロットを愛してましたか?」 クライヴの言葉に、ミランダもシャルロットも目を見開いた。 「な、何を言うの!?そんなの当たり前じゃない!」 「そうですか?私にはそうは見えませんでしたね」 「は!?」 クライヴに食ってかかるようにミランダが声を上げる。 「血の繋がらない紛い物が知ったような口を聞くんじゃないわよ!幼い頃からシャルロットの面倒を見てきたのよ!私にとっては娘同然なの!」 「その娘を自分の私利私欲の為に、道具にしようとしたのはどなたです?」 声を荒らげるミランダに対し、クライヴは冷静沈着に問いかけた。 「な、何を言っているの…?」 声を震わせ、動揺しているのが見て取れる。 「調べはついているんですよ」 ミランダの目の前にドサッと置かれた書類の束に目をやると、大量の借用書やリッツ家の財産目録。見る限り、リッツ伯爵家が随分困窮しているのが分かった。 そして、その中にはシャルロット達の屋敷であるヴァレンティン伯爵邸の相続登記まである。 「叔母様…これは…」 これではまるで、ヴァレンティン邸を叔母であるミランダが管理すると言っているようなもの。 証拠を突きつけられたミランダは、悔しそうにギリッと歯を食いしばりクライヴを睨
扉を開けた先には、煌びやかな装いをした貴族達がおだやかな雰囲気の中、ガヤガヤと賑わいを見せていた。 「あらぁ?シャルロットちゃんじゃないの」 真っ先に声をかけてきたのは、叔母であるミランダだった。その隣には、いかにも紳士という風貌の男性、ミランダの夫であるリッツ伯爵だ。 「御機嫌よう。叔母様、叔父様」 軽く会釈して挨拶を交わした。 「驚いたわぁ。あの男がエスコートを貴方に譲るなんて」 「ははっ、まあ、お願いされちゃったらね?」 チラッとこちらに目配せしてくる。そんな意味あり気にすれば、どんな馬鹿でも察しがつく。 現に、ミランダは「あらぁ?」なんて顔をニヤつかせている。 「やっぱり、噂は本当だったみたいね」 「噂?」 「あら、シャルロットちゃんは知らない?リリアン王女とあの男の婚約の話」 「え?」 一瞬、心臓が止まったかと思った。 「陛下直々の縁談だったようで、断りきれなかったのねぇ。今日はその報告も兼ねているって話しよ?」 ミランダが続けて話してくれるが、耳に入って来ない。 「リリアン王女には兄弟がいない。あの男は必然的に婿として彼女の国へ嫁ぐことになる。貴女もそこの彼と一緒になれば、あちこちの国を回る事になる。そうなると、ヴァレンティンの屋敷は人がいなくなってしまうわねぇ?」 「そうだ、私達が――」そう、切り出したところでワッと歓声が上がった。 「ああ、団長様のご登場みたいだね」 シャオの言葉で顔を上げると、クライヴとリリアンの姿が見えた。 クライヴの腕にリリアンが身体を密着させて手を絡ませている。二人で目を合わせて楽しそうにしている。 (ああ……そう言う事……) 自分以外にそういう表情を見せているという事は、そう言う事なんだろう。 頭の何処かでは疑っていたが、こうして目にしてしまうと現実を見せつけられているようで、悲しさよりも腹が立って仕方がない。 正直、涙の一つでも流れると思っていたが、殴りたい衝動を必死に抑えているのが現実。 「大丈夫?」 「何が?」 前を見据えて微動だにしなくなったシャルロットを心配したシャオが耳打ちしたが、間髪入れずに睨みつけられた。思わずシャオも苦笑いを浮かべていた。 「皆の者に報せがある」 国王であるエミディオが、クライヴとリリアンの隣で声を上げる
ある日、シャオが訪ねてきた。 「おや、随分雰囲気が変わったね。団長様と何かあった?」 顔を見るなり唐突に言われて、言葉に詰まった。 正直、この関係を何と説明していいのか解らない。兄妹だが、兄妹よりも深い仲。付き合っているのかと聞かれれば、それはノー。 シスコンだのブラコンだのと言われたら否定できない部分はある。 「ははっ、一歩前進と言った所かな。まあ、まだそんな感じなら僕の隙いる間もあるって訳だ」 「まだそんな事言ってるの?」 「僕は諦めが悪いんだよ。欲しいものは何としてでも欲しい性分なんだよね」 面倒臭い者に目を付けられた… そんな事を思いながら、用意されたお茶に手を伸ばした。 「そんな君に朗報。今度、舞踏会が開かれるのは知ってるね?」 「?ええ」 それは三日後に行われる城での催し物。リリアン王女が滞在中に是非にと、早急に日程を決めたらしい。 私達兄妹も招待されているのだから、知らないはずが無い。 「団長様は例のお姫様と参加するらしいよ?」 「は?」 足を組み、優雅にお茶を啜るシャオの言葉が上手く聞き取れなかった。 「だから、君の兄上でもある団長殿は、リリアン王女のエスコートをするんだって」 もう一度聞き返して、ようやく頭が理解した。 鈍器で頭を殴られたような衝撃だったが、すぐに「ふ~ん」と、自分でも驚くほど冷静になれた。 今回の舞踏会の話は義兄であるクライヴから直接聞き、その場で私のエスコートは自分がすると自らが宣言していた。当然、私もそのつもりでいた。 (な・の・に・だ) この裏切り。 人間は、怒りが沸点を超えると冷静になるんだと、今知った。それと同時に、クライヴに振り回される自分が馬鹿らしく思えてきた。 「私のエスコートは貴方にお願いするわ」 真剣な表情でシャオに向かって言った。 「ええ~?そんな急に?僕のエスコート待ってる子結構いるんだけどなぁ?」 困った風を装っているが、顔がほくそ笑んでいる時点で嘘だと言っている。 「そう。それなら、他を当たるわ」 「あ、ちょっと待って!空いてる空いてる!僕にエスコートさせて!」 私が縋るとでも思っていたのか、あっさりと切り捨てるとシャオが慌てて引き止めてきた。 「ふはっ!貴方、そんなに焦らなくても嘘だって分かっ
「…ん…んん……!」 シーンと静まり返った部屋に、荒い吐息と水音が響いている。 ベッドの上でシャルロットを組み敷くクライヴの姿が影となって床に映る。 「お、お兄…ん…ッ!」 口を開けば唇で塞がれ、舌を絡め取られる。 どうしてこんな事になったのか…何故、この人はこんなにも嬉しそうなのか… 見せつけるかのように濡れた唇を舌で舐めとる姿は、妖艶で官能的。このままでは雰囲気に飲まれる…! 「ちょ、本当に待って…!」 必死に押し退けようとするが、両手を拘束され執拗にキスしてくる。唇、頬、首筋とこちらがいくら待てと言っても聞きゃしない。 「いい加減に………しろッ!!!!」 舐めまかしい雰囲気を払拭するゴンッ!という鈍い音と声。 我慢の限界を迎えたシャルロットが渾身の頭突きをかました。 この場合、仕掛けた本人も痛みを伴うが、貞操が守られるのならこの程度の痛み…! 「とりあえず、弁解があるようようなら聞きますが?」 痛む額を誤魔化すように、蹲るクライヴを仁王立ちで睨みつけた。ここまでして、ようやく正気に戻ったのか、か細い声で「すみません」と呟いたのが聞こえた。 「ロティが…」 「私が?」 「リリアン王女に嫉妬したと聞いて嬉しくて、つい…」 「は?」 赤らむ顔を手で覆いながら言われた。 嫉妬?誰が?誰に?この人は何を言っているの? シャルロットは困惑しながら、クライヴを見つめていた。 「──ですが、嬉しい反面、憎さもあります」 腕を引かれ、再び押し倒さ