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7話. 私のための計画書

Autor: YuIm
last update Data de publicação: 2026-10-11 00:02:18

写真の中の紗月は、弓を持って笑っていた。

修吾がその写真を裏返した。

「それより、こっちがいいかな」

彼が選んだのは、病室の写真だった。右手に分厚い包帯を巻いた紗月と、そのそばに座って彼女を見る修吾。誰が撮ったのかも覚えていなかった。

「私は、演奏している写真がいいです」

「支援事例集だよ。どんな助けを受けたか、見えるものじゃないと」

週末の朝、修吾は古い資料の箱をリビングへ持ってきた。広報に渡す前に、紗月が写真と経歴を確認すればいいと言った。黒田はすでに、コピーの束を横へ用意していた。

いちばん上の透明ファイルには、英語交じりの表題がついていた。

Project: 紗月。

ファイルを取り出しても、すぐには開けなかった。

「どうして、こんなふうに名前が書いてあるんですか」

「当時の担当者が、そう整理したんだろう」

修吾はソファに背を預け、コーヒーを飲んだ。

「紗月には、してあげたことがたくさんあるから。治療に、進学の手助け。ここへ来てからは、生活の面倒も見てきたし」

紗月は一枚目をめくった。母の病院の連絡先。学校、成績、奨学金の記録。次には、高校時代に届いた演奏会への招待状があった。

演奏会の写真に写っているのは、紗月だけだった。病室の写真には、修吾もいた。

彼が選んだ写真の角をそろえた。包帯を巻いた手の隣に、修吾の手が置かれている。紗月は膝の下まで布団をかけ、彼のシャツには皺一つなかった。

誰が撮ったのだろう。シャッターが切られたとき、彼が自分を見ていたのは、偶然だったのだろうか。

「この招待状は私のものですし、もらってもいいですか」

「もちろん。全部、紗月のことなんだから」

修吾は、何でもないことのように言った。

「必要なものは写真を撮っておいて。広報で整理して、原本はまた保管するから」

紗月は演奏会の写真を二枚選んだ。裏に、父の字があった。

【紗月。終わってから冷麺を食べに行く】

写真の端に、父の指が少し写り込んでいた。レンズを隠してしまったと、その場で文句を言った記憶がある。もう一枚撮ってやるという言葉に、お腹がすいたと先に歩いてしまった。紗月は赤くぼやけた隅まで、ファイルの外へ取り出した。切り取ってしまいたくなかった。

あの日、もう一枚撮っていたら、父を撮ってあげられたのに。写真の縁の赤い指を、親指でなぞった。

「お父さんのこと、思い出した?」

修吾が聞いた。

「うん」

「それでも、俺がいてよかっただろう」

紗月は写真を下ろした。父の字に修吾の手が重ならないよう、少し自分のほうへ引いた。

「この写真は、私が持っておきます」

「だから、いいって」

修吾のスマートフォンが鳴った。麗華だった。彼は応答しながら書斎へ向かった。

「選び終わったら、いちばん後ろの同意書も見ておいて。難しく書いてあったら、読まずにサインしてもいい。俺が確認してあるから」

扉が閉まった。

紗月は手を止め、少し待った。中から修吾の笑う声がした。いつもの仕事の電話だった。

先に、同意書を開いた。

写真を使う期間。使用する媒体。インタビュー内容を修正する手順。正確には意味のわからない文もあったが、今度は読んだ。最後のページには署名せず、折っておいた。

それから、ようやく前の資料を読み直した。

支援計画書の作成日は、2016年4月11日だった。

手を傷つけられたのは、4月19日。

8日前から、修吾はすでに治療計画を立てていた。

紗月は次のページをめくった。演奏活動を支援する計画のはずだった。まだ怪我もしていない人に、ほかに何を準備するというのだろう。

計画書には、紗月の下校時刻と練習室の利用時間が書かれていた。母に連絡がつかないとき、学校から誰を呼べるのかまで。こんな情報を、誰から受け取ったのだろう。

紗月は該当ページを表題と一緒に撮影した。自分が見た紙の前後が混ざらないように、順に確かめた。修吾に許されたことなのに、手のひらに汗がにじんだ。

次のページは、楽器の貸与に関する書類だった。

幼い頃に父が用意してくれた楽器。金を貯めて買ったのではなく、知人の紹介で借りたヴァイオリンだった。大学をやめるとき、修吾は貸出期間が終わったので返したと言った。紗月はそれを信じて、ケースを渡した。

けれどファイルに残された最終搬出先は、海外の工房ではなかった。

ギャラリー・アルテ、保管室。

麗華のギャラリーだった。

紗月は裏返していた演奏会の写真を取り上げた。写った楽器の顎当ての隣には、小さな色むらがあった。擦り減ったところを工房で直してもらった跡だ。弓を上げる前に、いつも親指で触れていた場所。

あの楽器がどこにあるのかさえ、聞けずにいたなんて。

修吾の通話が終わる気配がした。紗月は資料を重ね直した。計画書と楽器の搬出書を元に戻し、演奏会の写真二枚だけを分けておいた。

「見終わった?」

「同意書は、月曜に確認してからサインしてもいいですか」

「誰に?」

「担当の方に。写真をどこまで使うのか、よくわからないので」

修吾の表情が変わった。

「俺が確認したって言っただろう」

「わかっています。でも私の写真だから、私も知りたいんです」

「嫌なら、使うのはやめよう」

紗月が目を上げた。

「その代わり、インタビューも無理だと伝えておくよ。今回の催しを準備してきた人たちは、少し困るだろうけど」

「そういうつもりでは」

「じゃあ、どういうつもり?」

問いは、ゆっくり届いた。紗月は慣れた答えをのみ込んだ。私が神経質でした。大丈夫です。そのまま使ってください。

そう言えば、また楽になれる。

「月曜までに、お返事します」

修吾は長く彼女を見た。

「そこまで確認したいのなら、どうぞ」

彼は同意書を置き、笑った。

「何度か外へ出ただけで、難しいことを言うようになったね」

紗月は写真を持って部屋へ戻った。歩いているあいだ、背筋を伸ばせなかった。扉を閉じてベッドに座ると、腰が痛んだ。

握った写真が少し曲がっていた。ベッドの上に広げ、四隅を指で押さえた。

同意書はリビングへ置いてきた。空白の署名欄を、修吾が見ているだろう。紗月は埋めに戻らなかった。

* * *

午後、橘弁護士へ同意書を送った。自分の資料を確かめる中で、計画書を見つけた経緯も添えた。弁護士は、具体的に何を尋ねるか整理して送ると言った。

楽器の搬出書は、別に開いたままにした。蓮司に尋ねようか迷ってから、まずギャラリーの正式な窓口を探した。オークションの準備でやり取りしたメールに、返信を書く。

【過去の保管楽器のうち、私が使用していた楽器の返却状況について確認したく、ご連絡いたしました。搬出書の写しを添付します】

送ってから、別の不安が湧いた。担当者は麗華に報告するだろう。そうすれば、修吾にも伝わるかもしれない。

紗月は送信取消のボタンを探しかけ、手を止めた。

この程度のことも聞けないなら、これから何一つ変えられない気がした。

夕方、蓮司から電話が来た。写真について共有しても構わないと、橘に伝えたあとだった。

「楽器の所在確認を依頼されたそうですね」

「はい。修吾さんは返したと言っていたんですが、途中で麗華さんのギャラリーに預けていたみたいで」

「現在の所在は、まだ返事がないのですね」

「はい」

蓮司は少し黙った。

「蒼和の審査資料に、ギャラリーの保管品一覧があります。まず、その一覧を確認することはできます」

「見つかったら、先に私へ教えてください」

「貸与元も確認して、お伝えします」

紗月は写真の楽器を見た。

「また手元に置きたいとまでは、まだ言えません。ただ、どこにあるのか知りたいんです」

蓮司の声が、少し低くなった。

「ええ。まずは、そこから」

紗月はベッド脇のテーブルに、演奏会の写真を立てた。入ってきた修吾が、それを見た。

「久しぶりに飾ったね」

「私が、演奏していたときの写真です」

「知ってるよ。あの頃は、つらかっただろう」

紗月は写真から目を離さなかった。

「この日は、楽しかったです」

しばらく返事がなかった。

「そう?」

「はい。楽しかった」

今度は、言い直さなかった。あの日がどんな日だったかは、自分が知っていた。

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