LOGIN瑛は淡々と返した。「業務に支障がないなら問題ない」「支障どころか好影響です。りおちゃんも、なんか今日……」莉子さんの目が、私の首元にもう一回落ちる。「……ツヤツヤ」ツヤって何。ツヤって。私は笑顔が引き攣るのを必死で堪えた。瑛が、さりげなく一歩前に出た。私の首元が、莉子さんの視界から隠れる。……盾。盾が優秀すぎる。「朝比奈は体調管理を優先する。以上」“以上”で締める男、最強。莉子さんは笑いながら、手をひらひらした。「はーい。じゃあ、今日も溶かさない程度に頑張ってくださいね〜」溶かすって言うな!!私は心の中で床に転がった。莉子さんが去った瞬間、瑛が小さく息を吐いた。「……見られたな」「見られたね」「だから言った」「言い方が腹立つ」「事実だ」二人で玄関をくぐる。受付の前で、タイミングよく蒼が通りかかった。「あ。所長、おはようございます。朝比奈さんも」速水くんはいつも通り爽やかで、いつも通り目がいい。そして──私の首元に、一瞬だけ視線が止まる。(だからやめてって)速水くんは何も言わない。何も言わないのに、口角が0.5ミリだけ上がった気がした。「……あの」私が焦って口を開く前に、瑛が言った。「速水」「はい?」「朝比奈に今日は外回りを入れるな」速水くんが一瞬固まる。「……え、でも今日、朝比奈さん、午後に物件確認──」「俺が行く」即答。速水くんがゆっくり頷き、目を逸らした。そして、妙に丁寧
シャワーを終えた頃には、二人ともすっかり脱力していた。タオルで髪を拭かれ、また姫抱っこでリビングへ運ばれる。「……瑛」「なんだ」「帰る気、あります?」沈黙。冷蔵庫が開く音がして、瑛が短く言った。「玉子、あるな」「あります」「味噌汁の素もある」完全に状況判断モードだ。フライパンの音。コンロの火。数分後、テーブルに不器用な卵焼きと味噌汁、トーストが並んだ。「……食え」「命令みたい」「命令だ」即答。一口食べた瞬間、身体に温かさが広がる。「……おいしい」瑛の目が、ほんの少しだけ緩んだ。「そうか」出勤時間。玄関を出た瞬間、朝の空気がひやりと頬に触れた。まだ少し身体が重い。「……歩けるか」低い声が、すぐ後ろから落ちる。振り向くと、瑛はもう完全に“外に出る顔”をしていた。整っていて、静かで、落ち着いている。なのに視線だけがやけにこちらを確認してくる。「歩けるよ。さすがに玄関から車までは」そう言って一歩踏み出した瞬間、ふらりと重心が揺れた。「ほら」即座に腕が背中に回る。支える力は強くないのに、逃げ道だけきれいに塞ぐ支え方。「……まだ万全じゃない」「寝不足なだけ」「原因は俺だ」真顔で言うのがずるい。マンションを出ると、目の前の駐車スペースに見覚えのある車があった。黒の車体。整いすぎている存在感。「……あ」「昨日のまま」瑛が短く言った。
瑛の袖を、軽く掴む。弱い力。本当に、軽く。それだけなのに──動きが、完全に止まった。「……」「……帰るって言ったのに」小さく呟くと、瑛が、苦笑にもならない表情で息を吐く。「言った」「じゃあ、どうして動かないんですか」答えない。代わりに。ゆっくりと、私の手の上に自分の手を重ねた。離させるでもなく。握るでもなく。ただ、重ねるだけ。でも。体温が、逃げ道を塞ぐ。「……りお」低い声。名前を呼ぶだけで、空気が変わる。「今ここで、引き留めるなら」一拍。「……覚悟して引き留めろ」胸が、跳ねる。「俺は」呼吸が、わずかに荒れる。「一度、残ると決めたら」視線が、完全に絡む。「今度こそ、本当に帰らない」静かすぎる宣告。逃げ道の確認。最後の理性。私は、迷わなかった。袖を掴んだまま、ほんの少しだけ引いた。そして。目を細めて、微笑んだ。「……だいじょうぶ」その一言。それだけで。瑛の理性が、はっきりと音を立てて崩れた。深く、長く、息を吐く。「……っ」額を押さえる仕草。一度、視線を逸らす。離れようとする足が、半歩だけ動いて──止まる。「……もう」低い声。「無理だ」次の瞬間。ベッドの縁に手をついた瑛が、ゆっくりと距
「……好きだって」私が小さく言う。「言った?」瑛の目が揺れた。何度も確認してしまうのは、まだ夢の中にいるみたいにふわふわしているからか。「言った」短い肯定。「……私も」言いかけた瞬間、瑛の指が止まる。止まってから、ゆっくり動く。「言え」低音。「今、言え」命令みたいなのに、声が震えている。私は喉を鳴らして、息を整えて、やっと囁いた。「……好き」その瞬間。瑛の理性が、目に見えて崩れた。崩れたのに、乱暴にはならない。乱暴になれない。瑛は一度だけ目を閉じて、深く息を吐いたあと──「……やめろ」そう言いながら、私の額にキスを落とす。やめろって言う人が、キスするのは反則だ。「……帰れない」瑛が低く言う。「このままだと、帰れない」「帰らなくていいじゃん」私が軽く言ったつもりのその一言で、瑛の目が完全に“男”になる。静かな執着の、決壊。「……じゃあ」瑛がカップ麺の蓋を、きっちり閉めた。丁寧に。几帳面に。まるで“これ以上こぼさない”ための処理みたいに。そして次の瞬間。私の身体が、ふわっと浮いた。「え、ちょっ──」「ベッド」短い返事。抱き上げ方は、迷いがない。お姫様だっこなのに、妙に現実的で、落とす気がしない。「……ラーメン」私が言うと、瑛は真顔で言う。「後で食う」「……伸びるよ」「伸びてもいい」その言葉が、完全に負けを認めた男の声で。私は、手に持ってないのに、今にもラーメンを吹きそうになった。ベッドの縁に、そっと下ろされた。乱暴じゃない。むしろ、最初にソファに座らされたときよりも丁寧なくらいで──それが余計に、危なかった。「……」瑛はすぐに手を離さなかった。離さないまま、私の膝の前に立っている。距離が近い。近いのに、触れない。さっきまで腕の中にいた体温が、急に空気に晒されて、肌がひどく敏感になる。くすみラベンダーのタオル地のルームウェア。ベッドの隅に畳んであったそれを、さっき慌てて身に着けただけの格好。キャミソール。ショートパンツ。──軽すぎる。自覚した瞬間、耳の奥が熱くなった。瑛の視線が、一瞬だけ肩に落ちる。次に、首筋。そして、すぐ逸れる。見ないようにしているのが、分かる。瑛は一歩だけ後ろに下がった。完全に距離を取るほどではない、微妙な一歩
私が黙っていると、瑛が少しだけ目線を落として、低く続ける。「明日、仕事だろ」「……うん」「だから、今日は──」“帰る”って言うつもりだったのが分かった。私は、箸を置いて、瑛の袖を軽く掴んだ。「……じゃあ、帰らないで」瑛の喉が大きく上下した。「りお」「うん」「……俺の理性を削るな」「削ってない」「削ってる」また即答。瑛は一度だけ目を閉じて、深く息を吐いた。それから、私の額に、短く口づける。欲じゃない。確認のキス。「……食い終わったら、水飲め」「はい」「その後、寝ろ」「……瑛も食べなよ」瑛は少しだけ黙って、それから。「お前が落ち着いたら」と言って、私の背中にまた腕を回した。結局、離れない。私は湯気の向こうで、瑛の横顔を見上げる。「……好きだって言ったの、ほんと?」瑛が、ほんの少しだけ目を細めた。「本当だ」「……じゃあ」私は小さく息を吸って、耳元に寄せる。「私も、好き」言い終わる前に、瑛の腕が強くなる。「……そういうのは」声が、低く、掠れる。「反則だ」そして、抑えるみたいに、もう一度だけ額にキスを落とした。「……明日、所長は大変だね」私が冗談みたいに言うと、瑛は、真顔で答える。「……大変なのは、今夜だ」その一言で、私は一気に熱くなって、カップ麺の味が分からなくなった。湯気が、まだ白く立っていた。カップ麺の縁に箸を引っかけたまま、私は固まっていた。胸の奥がじわっと熱くなって、指先から力が抜けていく。瑛の真顔が反則すぎる。反則なのに、声は低くて静かで、いつも通りに言い切るから──余計に、逃げられない。「……っ」笑いそうになった。でも笑ったら、絶対に“次”が来る。その予感が確信すぎて、私は慌てて箸を動かした。すすっ。……やばい。熱い。熱いのに、身体の奥の方がもっと熱い。その瞬間だった。瑛の指が、さっき指摘した首筋──キスマのあたりを、今度は“触れないギリギリ”でなぞった。触れてない。触れてないのに、そこだけ肌が起き上がるみたいに反応する。「っ……!」びくっと肩が跳ねて、箸先がふらつく。麺が、つるりと落ちる。──危ない。スープが縁で波打った、その瞬間。「動くな」瑛の声が落ちる。次の瞬間、瑛の手がカップを押さえた。強くない。けど確実。まるで、事故を
──薄暗い部屋の空気が、少しずつ落ち着いていく。さっきまで、あんなに──言葉にしない方がいいほど、熱かったのに。今は、静かだ。静かなのに、私は動けない。瑛の腕が、背中から腹にかけて回っていて、逃げ道を残さないようで、残している。解ける。でも、解けない。まだ……恥ずかしい。肌に残る熱と、身体の輪郭をなぞるみたいな余韻が、まだ消えない。「……瑛」呼ぶと、背中の体温がわずかに強くなった。「起きてる」低い声。掠れてる。理性を取り戻した“所長”の声じゃなくて、まだ少しだけ揺れている男の声。私はゆっくり振り返って、暗がりの中で目を凝らした。瑛の目が合う。……あ、だめ。その顔、ずるい。整ってるのに、どこか困っていて。落ち着いてるのに、落ち着けてなくて。瑛はそのまま、私の髪に触れる。撫でる、というより──確かめるみたいに。「……体調は」「大丈夫。さっきより」「嘘をつくな」即答。その言い切り方が、仕事みたいで、でも怒ってない。「……少し、ふらふらする」正直に言うと、瑛の眉がわずかに寄った。そのまま、私を抱いた腕がほどけるかと思ったのに──逆だった。背中をもう一度、静かに引き寄せる。「動くな」命令みたいなのに、声が柔らかい。「……水」「あとで」「駄目だ」また即答。そして、瑛は“離れた”。……離れたのに、すぐ戻ってくる。ふっとベッドの端が軽く沈んで、瑛が身を起こした気配がした。暗闇の中で、服を拾う気配。静かに。音を立てないように。私は布団を鼻先まで引き上げて、もぞもぞした。「……帰るの?」自分でも情けないくらい、小さい声。瑛の動きが止まった。「帰るつもりだった」淡々とした、事実だけの言い方。……だった、って何。私が黙っていると、瑛が低く続けた。「今は……帰りにくい」少し間があって、「お前がこういう顔をしてると、尚更」心臓が一回、強く鳴った。「……どんな顔」「……触れられたがってる顔」言った本人が一番困ってるみたいに、瑛は一度だけ目を閉じた。「……やめろ、りお」「何もしてない」「してる」瑛が小さく舌打ちに近い息を吐いて、立ち上がる。そして──キッチンの方へ行く気配。私は慌てた。「え、ちょ……」「カップ麺、あるだろ」「……あるけど」「それでいい」その言い方が