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第6話

Author: 景萱
黒髪のロングヘアに真紅のルージュ、白いトレンチコートをまとった彩子が、優雅な足取りでショッピングモールへと入ってきた。

智昭と優斗が顔を上げ、彩子を見た瞬間、驚きと喜びの表情が一瞬浮かんだ。

優斗は興奮した様子で「彩子おばちゃん!」と呼ぼうとしたが、智昭に口を塞がれてしまう。

周囲の視線を一身に浴びながら、彩子は悠々と美紀の前に立った。

「この簪、ほんとに綺麗ね」

美紀の手にある簪を見つめながら、彩子は羨ましげな声を出した。

周りのスタッフたちは目を見合わせ、それぞれ複雑な表情を浮かべていた。

今日は崎村社長がモールを貸し切っており、無関係な人物の立ち入りは禁止されていたはず。だが、この女性は止められるどころか、堂々と社長夫人に話しかけている。

誰もが口を閉ざし、息を飲んだ。

「崎村夫人は本当にお幸せですね。この簪、世にも珍しい逸品だとか。聞いた話では、崎村社長が数千億円も出して手に入れたとか……社長の愛の深さが伺えますわ」

一見すると羨望と称賛の言葉だが、美紀にはその裏にある皮肉がはっきりとわかった。

美紀が反応しないのを見て、彩子はひらりと身を翻し、探るような口調で言った。

「聞いたんですけど、社長が夫人を怒らせたとか?だからご機嫌が悪いのかしら?」

隣の智昭の表情が曇り、口を開こうとした瞬間、彩子が先に口を挟んだ。

「崎村夫人、そんなに怒らないで。私、今日は社長の代わりに謝りに来たんです」

「実は……おとといの夜、崎村社長は私と一緒にいたの……」

彩子が声を上げた瞬間、言葉を途中で止めた。

その場にいた全員が彼女に視線を向け、信じられないという表情を浮かべる。

「……それに、同僚たちも一緒に。企画案について話し合っていました」

彩子が後半を続けると、皆がほっと息をついた。

崎村社長はあれだけ崎村夫人を大切にしているのだから、他の女性とどうこうなるなんてありえない――誰もがそう思っていた。

彩子は微笑みながら、朗らかに続けた。

「崎村夫人、人ってあまりにも狭量だと嫌われますわよ。ご主人にも少し自由をあげないと」

皆の視線が一斉に美紀へと向けられた。彼女の反応を待っている。

その隅で、智昭の表情は読めないほどに暗かった。

そんな中、彩子は皆の目が美紀に向いている隙を見計らって、そっと智昭のそばへ歩み寄った。

男は低く、苛立ちを隠さずに言い放った。

「お前、なんで勝手にここへ来たんだ」

彩子は色っぽく微笑みながら、男に体を寄せた。声もまた、甘く誘うような響きだった。

「だって……崎村社長と奥様の仲が悪くなると困るでしょう?だから……」

言いながら、彼女の手はそっと智昭のスーツの中に滑り込んでいった。

男の変化に気づいた彩子は顔色一つ変えず、逆にくすくすと笑い、さらに大胆に出た。今度は智昭の手を取って、自分のコートの中へと導き、ふっと息を吹きかける。

「……だから、あなたを元気づけに来たの」

男の目が一瞬で妖しく光を帯びた。

「まったく……お前って女は小悪魔か!」

そう言って低く唸ると、手に力を込めて何度も揉みしだいた。まわりをちらりと確認した後、さらに大胆に――

彩子は頬を紅潮させ、甘い吐息を漏らしながらも、何度も声を漏らしそうになっては耐えた。

しばらくして、智昭はようやく手を引っ込め、何事もなかったかのように振る舞い始めた。

舞台の上では、美紀が二人のやり取りをすべて目にしていた。指先が掌に食い込むほど強く握りしめていたが、自分が血を流していることにも気づいていなかった。

「崎村社長!奥様に簪をつけてあげてくださいよ!みんなで奥様がどれだけ美しくなるか見たいんです!」

誰かが場を和ませようと声を上げ、周囲もそれに賛同した。

智昭はそれに乗じて前に出て、簪を手に取り、美紀を優しく見つめながら言った。

「つけてあげるよ、妻なんだから」

だが、簪を美紀の髪に挿そうとしたその時――彼女は一歩下がった。

理由は一つ、この男が気持ち悪かったからだ。

観客たちは困惑した表情を浮かべた。崎村社長夫人がここまで怒るのは初めてだ。社長は一体何をしたのか――

重い空気が流れる中、静かな角から彩子の声が響いた。

「崎村夫人って、本当に扱いづらい方ね」

智昭の手が止まる。

彩子はにっこりと微笑んだ。声の大きさは絶妙で、誰もが聞き取れる程度。

「こんなに綺麗な簪、もし崎村夫人がいらないなら、私にくださらないかしら?ちょうど私も婚約者と結婚する予定なんですの。崎村夫人、お譲りいただけませんか?」

智昭は不快そうに彩子を睨んだ。その視線には、明らかな警告が込められていた。

だが彩子は彼と目を合わせず、か弱げな演技を続けた。

「婚約者は、事情があって公にできないんです。でも、私のことを本当に愛してくれていて、何だってしてくれるの」

「ですから……この簪、譲っていただけませんか?」

そう言って、彩子は美紀の手を掴んだ。彼女の表情は哀れそのものだった。

美紀は目を上げて彩子を見つめた。この女、一体何を企んでいるのか――

すると、智昭が声を上げた。怒りを抑えた声だった。

「何言ってんだよ、西村さん。この簪は妻への誕生日プレゼントだ。いい加減にして、さっさと帰れ……」

「お願いです、崎村夫人!どうか私にください!」

彩子は突然、膝をついて地面に崩れ落ちた。涙をぽろぽろと流しながら、必死に懇願する。

周囲の人々は驚きの声をあげ、ざわめき始める。

「恥知らずね、あの女……」

「でも、奥様も少し意地悪じゃない?」

そんな声が聞こえてくる中――

遠くから、美紀の耳に息子・優斗の心の声が届いた。

【彩子ママ、かわいそう。ママってば、なんであんなにケチなの?簪一本くらいで、彩子ママに跪かせるなんて……ママなんか嫌い】

その嫌悪に満ちた言葉が、美紀の心に突き刺さる。

信じられない思いで息子を見た。自分が簪を渡さなかっただけで、息子はこんなふうに思うのか?

あの、いつも彼女を大事にして、「ママに一番いいものをあげる」って言っていた優斗は、どこへ行ってしまったの――

その横で、ずっと黙っていた智昭がついに動いた。

彼は美紀の前に立ち、彩子に怒鳴りつけた。

「彩子!自分の立場をわきまえろ。お前ごときが俺の妻と張り合えると思ってんのか?さっさと出て行け!」

その目は鋭く冷たく、場の空気を一瞬で凍らせた。

彩子はその怒鳴り声に呆然とし、目に涙を浮かべた。

「智昭……」

だが、男は容赦しなかった。

「まだわかんねえのか!早く消えろ!」

彩子は信じられないという顔でその場に立ち尽くし、やがて泣きながら店の外へと走り去った。

智昭は彼女の背中を無言で見送ると、振り返って美紀に簪を手渡した。

「これは君のものだ。誰にも渡さない」

その声は優しかったが、美紀の表情は冷たかった。

「……わかったわ」

パッパッパ――

その瞬間、クラッカーの音とともに祝福の歓声が響き渡った。

「崎村社長、奥様!おめでとうございます!」

「奥様、お誕生日おめでとうございます!」

皆が二人の仲直りを祝福し、美紀の誕生日を祝った。

だがその隅で、智昭だけが物思いに沈んでいた。

宴が終わり、人々が散っていくと、智昭のスマホが鳴り続けた。

彼は画面を見ずとも、気が気でない様子だった。

そして、車に乗ろうとしたその時――彼は一瞬迷い、スマホをちらりと見てから、申し訳なさそうに口を開いた。

「ごめん、会社で急用が入った。ちょっと行ってくる」

美紀は何も答えなかった。

だが、智昭はそれを了承と受け取り、足早にその場を後にした。
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