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私が去り、妻は狂った

私が去り、妻は狂った

By:  八十八Completed
Language: Japanese
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結婚式で、俺は妻の初恋の相手に酒を一杯差し出した。 だが、相手はそれを皆の前で叩き落とした。 「梨衣(りい)をお前に奪われたのは俺の負けだ。だからといってこんな大勢の前で俺を侮辱するのはないだろ!」 妻は烈火のごとく怒り、嫉妬深くて吐き気がする男だと俺を罵った。 彼女はウェディングベールを引きちぎり、席を立ったその男を追って行ってしまった。 俺は慌てて弁明しようと駆け寄ったが、車にはねられた。 妻は一度だけ振り返ったものの、その男を追う足を止めることはなかった。 俺は救急搬送され、命を取り留めたものの、その時、心のどこかが完全に死んだ。 意識を取り戻したあと、三年も連絡をしていなかった父親に電話をかけた。 「親父……縁談、受けるよ」

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Chapter 1

第1話

結婚式で、俺は妻の初恋の相手に酒を一杯差し出した。

だが、相手はそれを皆の前で叩き落とした。

「梨衣をお前に奪われたのは俺の負けだ。だからといってこんな大勢の前で俺を侮辱するのはないだろ!」

妻は烈火のごとく怒り、嫉妬深くて吐き気がする男だと俺を罵った。

彼女はウェディングベールを引きちぎり、席を立ったその男を追って行ってしまった。

俺は慌てて弁明しようと駆け寄ったが、車にはねられた。

妻は一度だけ振り返ったものの、その男を追う足を止めることはなかった。

俺は救急搬送され、命を取り留めたものの、その時、心のどこかが完全に死んだ。

意識を取り戻したあと、三年も連絡をしていなかった父親に電話をかけた。

「親父……縁談、受けるよ」

……

退院したその日も、木村梨衣(きむらりい)は姿を見せなかった。

入院中、彼女は一度たりとも見舞いには来なかった。

俺はまだギプスも外れておらず、タクシーで帰るしかない。

だが、自宅の玄関に立つとき、どうしても鍵が開かない。

仕方なく梨衣に電話をかけた。

電話がつながったものの、聞こえてきたのは彼女の初恋の相手である高瀬清臣(たかせきよおみ)の声だ。

「常陸(ひたち)、帰ってきた?梨衣は今シャワー中だぜ」

まだ何も言っていないうちに、カチャッと内側から鍵が開いた。

清臣は俺を見るなり、気さくに、そして親しげに中へ入れと促した。

「俺、物覚えが悪いから暗証番号全然覚えられなくてさ。それで梨衣が俺の誕生日に変えちゃったんだよ。知らないでしょ?あとで書いておくね」

清臣は真新しいバスローブを羽織り、濡れた髪が額に貼りついている。

そのとき、主寝室から梨衣がひょこっと顔を出した。身につけているのは、俺が一番好きな黒のシースルーのネグリジェだ。

もしこれが以前の俺なら、この二人が家でふたりきり、しかも揃ってシャワーを浴びた後と知れば、間違いなく激怒し、梨衣とまた大喧嘩になっていただろう。

だが今回は、俺はただ軽くうなずいただけで、荷物を持って中に入った。

俺が怒らないのを見て、梨衣は手に持っていたタオルを放り出し、見え透いた言い訳を口にした。

「清臣の家の変圧器が壊れちゃってね。ここ数日うちに泊まってるの。誤解しないで」

梨衣を目にした瞬間、俺の頭をよぎったのは、あの日の光景だ。清臣を追うのに必死で、背後から駆け寄る俺など気にも留めず、車に跳ね飛ばされて死にかけた俺を置き去りにした、あの光景だ。

あの時から、俺の彼女への感情は完全に消え失せていたのだ。

「誤解はしてない」

俺は足を止めず、キャリーケースを引いて寝室へ向かった。

「清臣の家族は全員海外なのよ。彼だって大変なの。私とは小さい頃からの幼なじみで、行くところがないって言うから……私が助けなきゃ、誰が助けるのよ。ね?」

俺は黙ってその話を聞いている。

彼女はきっと忘れているのだろう。彼女と一緒に暮らせるために、俺はもう三年間も家族と縁を切っていることを。

清臣が大変だと?じゃあ俺はどうなんだ?

「だから言ったろ。誤解なんかしてないって」

彼女が行く手をふさぎ、立ち止まらざるをえなくなった俺は、もう一度だけ繰り返した。

「良介、帰ってきたときからずっと不機嫌じゃない?説明してるのにちゃんと聞こうともしないで……

一体どうしたいわけ?」

梨衣は俺の腕をつかんでまくし立てるばかりだ。

俺は完全に堪忍袋の緒が切れ、彼女の手を払いのけ、冷たく言い捨てた。「言ったはずだ。誤解なんてしてないって」

骨折した手はまだ治りきっておらず、痛みで力が抜け、手を離すしかない。

すると、落ちた荷物が鈍い音を立てた。

部屋の明かりがつき、目に飛び込んできたのは、ベッドの上に置きっぱなしの淡いブルーの男物のパンツと、肩ひもが片方引きちぎれた黒いランジェリーだ。

梨衣は夢から覚めたように慌て、その衣類をつかみ取った。

「これ……さっき濡らしちゃって、乾かそうとして置いただけなの……

深読みしないで」

俺は呆然と部屋を見回した。ものは散らかり放題だ。

足の踏み場すらない。

「……そう」と、俺はそう一言だけ返すと、踵を返し、別の寝室へと向かった。
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Comments

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蘇枋美郷
性別逆パターン、めっちゃ違和感。クズ女が酷いのは分かってるけど、男の優しさと優柔不断は紙一重だわ。
2025-11-14 14:40:07
0
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松坂 美枝
性別が逆になると父さん俺縁談受けるよが違和感凄くて戸惑うww
2025-11-14 09:37:31
1
10 Chapters
第1話
結婚式で、俺は妻の初恋の相手に酒を一杯差し出した。だが、相手はそれを皆の前で叩き落とした。「梨衣をお前に奪われたのは俺の負けだ。だからといってこんな大勢の前で俺を侮辱するのはないだろ!」妻は烈火のごとく怒り、嫉妬深くて吐き気がする男だと俺を罵った。彼女はウェディングベールを引きちぎり、席を立ったその男を追って行ってしまった。俺は慌てて弁明しようと駆け寄ったが、車にはねられた。妻は一度だけ振り返ったものの、その男を追う足を止めることはなかった。俺は救急搬送され、命を取り留めたものの、その時、心のどこかが完全に死んだ。意識を取り戻したあと、三年も連絡をしていなかった父親に電話をかけた。「親父……縁談、受けるよ」……退院したその日も、木村梨衣(きむらりい)は姿を見せなかった。入院中、彼女は一度たりとも見舞いには来なかった。俺はまだギプスも外れておらず、タクシーで帰るしかない。だが、自宅の玄関に立つとき、どうしても鍵が開かない。仕方なく梨衣に電話をかけた。電話がつながったものの、聞こえてきたのは彼女の初恋の相手である高瀬清臣(たかせきよおみ)の声だ。「常陸(ひたち)、帰ってきた?梨衣は今シャワー中だぜ」まだ何も言っていないうちに、カチャッと内側から鍵が開いた。清臣は俺を見るなり、気さくに、そして親しげに中へ入れと促した。「俺、物覚えが悪いから暗証番号全然覚えられなくてさ。それで梨衣が俺の誕生日に変えちゃったんだよ。知らないでしょ?あとで書いておくね」清臣は真新しいバスローブを羽織り、濡れた髪が額に貼りついている。そのとき、主寝室から梨衣がひょこっと顔を出した。身につけているのは、俺が一番好きな黒のシースルーのネグリジェだ。もしこれが以前の俺なら、この二人が家でふたりきり、しかも揃ってシャワーを浴びた後と知れば、間違いなく激怒し、梨衣とまた大喧嘩になっていただろう。だが今回は、俺はただ軽くうなずいただけで、荷物を持って中に入った。俺が怒らないのを見て、梨衣は手に持っていたタオルを放り出し、見え透いた言い訳を口にした。「清臣の家の変圧器が壊れちゃってね。ここ数日うちに泊まってるの。誤解しないで」梨衣を目にした瞬間、俺の頭をよぎったのは、あの日の光景だ。清臣を追うのに必死で
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第2話
シャワーから出てきたところだ。ちょうど父親から電話がかかってきた。「良介、ようやく分かってくれたなら良かった。俺ももう年だ。お前はたった一人の息子なのに、この三年、あの女のために家業を継ぐのを拒んで……俺らがどれだけお前を心配していたか分かるか。あの子が本当にお前を想っているならまだしも、三年経っても家族や友達にきちんと紹介すらしない。お前が言うほど大事にしてなんかいないのは明らかだ。今回、戻る決心を固めたんだな。なら、結婚式は一ヶ月後でどうだ?」父親の言葉を聞いた瞬間、俺は言葉を失った。以前なら、俺はこんな話をされるたびに聞く耳を持たず、父親が金持ちだから梨衣を気に入らないだけだと反発した。梨衣と俺がどれほど愛し合っているか、必死で言い返していた。だが今回は、何も言い返せなかった。「分かった。ちょうど古井(ふるい)先生の誕生祝いが終わってから動ける。式のことは……任せるよ」そう言って電話を切った途端、廊下から足音が聞こえた。梨衣が部屋の扉を開け、新鮮なマンゴーの箱を手に入ってきた。マンゴーを机に置き、彼女は眉をひそめながら不審そうに言った。「さっき結婚式って言ってなかった?何度も言ったでしょ?結婚式は延期にしたんだから、今は急がなくていいって」その慌てた様子を見ながら、俺は淡々と答えた。「俺たちのことじゃない。親戚の話だ。手伝ってほしいって」その一言で、梨衣はほっと胸を撫で下ろした。彼女はマンゴーの箱を開け、清臣の話を持ち出すときには、目元まで笑みを浮かべている。「清臣はね、良介が怒ると思ってホテルに泊まったのよ。しかもね、機嫌直してもらいたいからって、新鮮なマンゴーまで買ってきたの。あなたに渡してって」俺は口を開かなかった。梨衣の目に、露骨な不機嫌が浮かんだ。「良介、いい加減にしたらどう?いつまで拗ねてるの?これ以上続けたって誰のためにもならないでしょ」俺は笑った。「俺たち、こんなに長く一緒にいるのに、俺がマンゴーアレルギーなの忘れたのか?」そう告げ、俺はドライヤーを取りに行った。梨衣は俺の後ろで何度か何か言いかけたが、結局飲み込んだ。昔の彼女なら、俺の嫌いなものを全部覚えていたし、記念日もひとつ残らず覚えていた。マンゴーが入ったスイーツでアレルギーが出たときは、
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第3話
あの日以来、梨衣は一度も帰ってこない。だが、清臣のSNSは頻繁にアップデートされている。内容といえば、梨衣と二人きりの時間がどれほど幸せかを延々と綴ったものばかりだ。俺は黙って清臣のアカウントをブロックした。そして、新しく買ったカウントダウンタイマーが一秒ずつ減っていくのを見つめている。残り二十日を切った頃、退職の準備を始めた。手元の仕事はほとんど終盤に入っている。それでも、できる限りきれいに仕上げておきたい。社長は俺の退職願に「結婚式のため」と書かれたのを見て、笑いながら梨衣が余計な心配をしないよう、早めに式を挙げるのは大事だなと茶化してきた。俺はしばらく黙り、そして明るく笑った。「彼女との式じゃありません」社長は一瞬固まり、残念そうにため息を漏らした。ここ数日は引き継ぎで忙しく、会社を本当に離れた翌日になり、急にぽっかり時間が空いた。カウントダウンを見ると、もう残り五日になっている。思わず呆然とした。頬を軽く叩き、意識をはっきりさせようとした。そして荷物の整理を始めた。梨衣とは長く一緒にいたし、俺は写真が好きだ。二人の写真はたくさん撮った。家中のあちこちに飾ってある。カメラやパソコンの中にもたくさん保存してある。写真のほかにも、毎年の誕生日に贈ったプレゼントの箱も、記念として全部保管している。数年後に同じ物を贈ってしまって手抜きだと思われないように、という理由もある。それから、昔彼女が書いてくれたラブレターも。……それらを見ていると、胸が締めつけられるようで苦しい。以前の俺たちは確かに愛し合っていた。あの頃の俺は、彼女と過ごすどんな瞬間も見逃したくなかった。彼女もまた、空いた時間のすべてを俺のために使ってくれた。写真を一緒に見ながら、時々彼女は唇を尖らせながら甘えたことがある。「こんなにいっぱい撮って、いつか飽きたりしない?」俺は彼女の額を軽くはじき、甘く笑った。「さあな。飽きたらその時は……黙って消えるかもな。くず男になって」彼女は頬を膨らませて俺の胸を拳でこつんと叩き、俺は笑いながらソファに倒れ込んだ。「うわ、壊れた……見てみろよ……俺の心の中、全部……全部君でできてるんだぞ」そこで二人で笑い転げた。あれから何年も経ったが、俺は
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第4話
時間はあっという間に過ぎていった。梨衣は、あの日以来ずっと帰ってこない。この数日、俺は荷物をまとめながら、部屋の掃除も続けていた。すると、家の中には、俺に関わるものはもう何一つ見つからなくなった。カウントダウンが「2」になっているのを見て、俺は鍵を手に取り、古井先生への贈り物を選びに家を出た。古井先生は俺たちの大学時代の教授で、一般教養科目を教えている。そして、ある意味俺と梨衣の仲人でもある。ショッピングモールで長いこと悩んだ末、俺は最後に玉の飾りを選んだ。昔から、玉は厄除けになると言われている。先生はもう高齢だ。どうか病なく災いなく過ごしてほしいと思っている。古井先生の誕生日は、俺がこの街に滞在する最後の日だ。明日になれば、俺は飛行機に乗って帰省し、縁談の相手と結婚するのだ。昨夜、梨衣から、仕事があってしばらく帰れないかもしれないというメッセージが届いた。俺は返信しなかった。その後、電話がかかってきて、彼女は俺を問い詰めた。「怒ってるなら怒ってるって言えばいいのに!陰で清臣の仕事を邪魔するなんて、何考えてるの?早く謝ってきてよ。清臣は心が広い人だから、あなたみたいに器の小さい人間とは違うわ」滑稽だ。何年も一緒にいたというのに、俺を陰でコソコソ手を回すような人間だと思っているのか。俺は電話を切った。すると、すぐに彼女からのメッセージが届いた。【良介、ひどすぎる!】【どうして、こんなふうに歪んだ人間になってしまったの?】……俺と梨衣が知り合ったのは大学時代で、古井先生の授業だ。ある日、多くの学生が課題を提出しておらず、梨衣もその一人だった。先生は怒り心頭で、未提出の学生に立つよう命じた。俺の席の横に来たとき、先生は俺たち二人を不思議そうに見た。「君たち、毎回一緒に座ってるよな。付き合ってるんだろう?なんで自分の課題だけやって、彼女のことは放っておくんだ?」俺たちは同時に真っ赤になった。あの頃の俺は、まさか梨衣にこれほど長い青春を費やすことになるとは思いもしなかっただろう。胸の内の感慨を押し込めながら、俺は古井先生のドアをノックした。俺の顔を見るなり、先生は笑顔で中へ招き入れてくれた。俺は、これから退職してこの街を離れ、家に戻って縁談を受けるつ
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第5話
飛行機に乗って席に座ると、俺はそのまま深い眠りに落ちた。とても長く、長く続く夢を見た。夢の中は、ここ数年の梨衣との日々だ。最初の甘い時間から、清臣が帰ってきてからの徐々に広がる距離まで。隣の女の子に声をかけられ、ようやく目を覚ました。「大丈夫ですか?」彼女が指で俺の顔を指したので、俺はようやく涙が流れていたことに気づいた。俺は微笑んで礼を言った。しばらくして、飛行機はもう梨衣のいない別の都市に到着した。出口に向かう前から、父親がわざわざ迎えに来ているのが遠くに見えた。父親は数人のアシスタントを連れており、顔を合わせるなり俺の荷物を全部受け取ってくれた。赤くなった目で、父親は俺の腕を軽く叩いた。「よく頑張ったな」声がかすれたまま「親父」と呼んだ。父親の身体がびくりと震え、危うく足元をよろけそうになった。それから軽くうなずき、前を向いて歩き出した。その背中を見て、父親も本当に歳を取ったのだと気づいた。家に着くと、母親は俺の手を握って何度も確かめるように見つめている。「こんなに傷が……いったい何があったのよ。自分の身体を少しは大事にしなさい。見ているだけで胸が痛むわ」あの日から今日まで、梨衣は俺に「痛くない?」の一言すら聞かなかった。彼女はただ、俺がもう大人でしかも男なのに、と言うしかなかった。俺は胸が締めつけられるように痛い。うつむいて鼻が赤くなるのを隠し、両親に気づかれないようにした。母親はそんな俺を見て、それ以上は何も言わず、ため息をついたあと、急に嬉しそうに顔を綻ばせた。「そうそう、明日の結婚式の準備はほとんどできたわよ。服は部屋に置いてあるの。お嫁さんが自分で選んだんですって」どんな人なのか、少し興味が湧いた。俺と同じように、顔も合わせずに結婚に同意するなんて、しかも電撃婚だ。疑問を口にすると、母親は眉を上げてにっこり笑った。「そのことはね、明日の夜、本人が自分の口であなたに答えたいんですって」もっと聞きたかったが、あまりにも疲れ、ソファに寄りかかるとそのまま眠りそうになった。背中の傷が擦れて痛みが走り、思わず顔をしかめた。母親が慌てて家庭医に電話をかけた。医者が俺の服を脱がせ、背中全体を露わにした、その瞬間。その恐ろしい傷跡を見て、母親は
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第6話
その後、医者にもう一度診てもらった。俺はようやくベッドに横になれた。ふかふかのベッドに沈み込むと、すぐに眠りに落ちた。そのまま眠り続け、翌日、使用人がドアをノックするまで目が覚めなかった。身支度を済ませ、新郎用の礼服に着替えた。鏡に映る背筋の伸びた自分の姿を見つめている。ふと、梨衣と一緒に過ごした最後の一年を思い出した。あの頃、彼女の長い間姿を消していた初恋の相手である清臣がちょうど帰ってきた。それを境に、SNSでは俺たちがいつ結婚するのかという噂が一気に変わった。【清臣が戻ったし、梨衣はもう良介と結婚しないんじゃない?】知らなかったわけではない。両親からの圧力もある。俺はずっと、「もういっそ早く結婚してしまいたい」と思っていた。だから必死に、完璧な結婚式を準備した。結局、待っていたのは全身傷だらけの結末だった。その後、彼女が他人と話しているのを耳にした。相手がこう尋ねた。「結婚式の準備、どうなってるの?」彼女は優雅にコーヒーをかき混ぜながら言った。「準備がどうなっててもいいのよ。どうせ挙げられないんだし。こんなに長い付き合いで、とっくに結婚しててもおかしくないのに、しなかったじゃない?今は清臣も戻ってきたし、なおさら良介と結婚する気なんてないわ。ただ、うまい理由がまだ見つかってないだけ」俺にとって彼女と結婚することは、長年抱いてきた願いだった。だが彼女にとっては、ただの演技にすぎなかった。それでも、俺は「彼女はただそう言っているだけで、本気で式を壊すつもりはない」と賭けてみたかった。だから何も言わず、結婚の準備を続けた。だが、結局……気づけば目が赤くなっている。鏡を見つめてぼんやりしている俺を見て、母親は心配そうに近づいて手をそっと引いた。「結婚したくないなら、それでもいいのよ。私も良介のお父さんも、ただ良介が幸せでいてくれればそれでいいの。今回は私たちも少し急ぎすぎたわね。でも、良介とあの子には縁みたいなものがあるし、案外『間違い』がよい縁になるかもしれないって思ったの。それに、良介も、また私たちのそばにいてくれると思ったのよ。お父さんも私も、良介がまた情に流されてあの女のところに戻るんじゃないかって、それが心配なの」母親の言葉を聞き、俺は涙を拭った。
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第7話
母親は悔しげに歯ぎしりしている。長い年月、母親は母子離れ離れのつらさに耐えてきた。息子である俺が幸せに暮らしていると信じていたからだ。だが今、母親は突然知ってしまった。この数年、俺がこんなにもつらい日々を過ごしていたのだと。電話の向こうの梨衣は、一瞬で黙り込んだ。まさかこちらから聞こえてきた声が、俺の母親のものだとは思いもしなかったのだろう。それから彼女はハッとして、全身が震えるような、あることを思い出した。良介は本当に行ってしまったのだ。数千キロメートルも離れた、両親のもとへ。彼女の声には、はっきりとした動揺と信じられないという色が滲んでいる。「おばさん、なんで良介のスマホを持っているんですか。本人はどこにいるんです?」口をついて出たその問いのあとで、彼女はようやく母親に説明しようとした。「誤解です。良介が焼きもちを焼いて、私の友達に当たってしまって……私はただ謝ってもらいたかっただけなんです。さっきは私が感情的になりました。すみません、スマホを彼に渡していただけますか」母親は冷たく言った。「うちの息子は誰かに当たったりしないわ。そんな汚い考えで、この子を測らないで。それにあなたのこともね、息子が長いこと好きだったから今はあえて責めないけど……もうこの子にかまわないで。そうじゃなきゃ、しっかり躾けてやるわよ」そう言い捨て、母親は電話を切った。時折、手で涙をぬぐったりしながら。俺は歩み寄って母親を抱き寄せた。「もういいよ。男なら、少しくらい経験が必要なんだ。全部もう終わったことだよ」母親からスマホを返してもらって初めて、未読のメッセージが大量に届いているのに気づいた。友達や同僚からのものだ。みんなが尋ねている。何があったのか、どうして梨衣が狂ったようにみんなへ連絡しているのか。本当に結婚するのか、誰と結婚するのかと。【知らなかったよ。向こうで泣いたり怒鳴ったり、まるで気が触れたみたいでさ】【それに、こうなったのは全部あなたのせいで、せっかくの生活を台無しにして、悪いことをしても謝らず、挙げ句の果てに親に告げ口したって言いふらしてる】以前の俺なら、こんな話を聞いたら胸が張り裂けるほどつらく、悔しくてたまらなかっただろう。彼女に向かい、いったいどちらが悪いのか問いただしていた
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第8話
「もし以前きちんと別れを告げられていなかったと思うなら……今ここではっきり言う。木村梨衣、もう俺の同僚や友達を巻き込むのはやめてくれ。俺たちはすでに別れている。俺は本当に結婚するのだ。それから、高瀬清臣のことだけど、俺は誰にも彼を攻撃するよう頼んだことはない。君と彼が何度も手をつないで指を絡めて街を歩いたり、人前でキスしたり、出張で同じホテルに泊まったり、挙句の果てには彼のために結婚式から逃げたりもした。それを見て、俺は確かに嫉妬してつらい思いをしたことがある。認める。でももう、絶対にそんなことはない。君を困らせるつもりもなかった。さっき母親が電話に出たのは、ただの偶然だ」これだけ言えば十分伝わると思っていたが、梨衣は、かすかに鼻で笑っただけだ。「そんなに結婚したいわけ?こんなにいろいろ言って、結局は私に『あなたと結婚してあげる』って言わせたいんでしょ?今戻ってきたら、私、あなたと結婚してあげるわよ」呆れた。そもそも、過去の俺はどうしてこんな人を愛していたのか、それすら分からなくなっている。ここまで自分勝手なままなら、もう仕方がない。俺は電子招待状を送った。そこには、はっきりと、こう書かれている。「常陸良介さんと岩崎菜奈(いわさきなな)さんは、あなた様とご家族を心よりご招待申し上げます」スマホは長いこと静まり返った。少し考え、俺は電源を切った。人生の大事な一日を、しっかりやり遂げると決めた。相手がどんな人であれ、結婚を約束した以上、責任を持たなければならない。岩崎家に着くと、玄関でブライズメイドたちが立ちふさがっている。俺は空気を読み、お土産を差し出したが、ブライズメイドたちは眉をひそめながら聞いた。「これだけじゃダメよ。菜奈が、あなたに質問があるんだって」隣のグルームズマンが先に答えようとした。「はいはい、分かっているよ。過去に恋愛経験があるからこそ、新郎はより愛と責任を理解している、ってやつだね!」ブライズメイドは首を振った。「違うわ」グルームズマンは続けた。「じゃあ、大事なことは全部花嫁の言うとおりにする、という宣言だね?新郎は文句を言わないぞ!」ブライズメイドはまた首を振った。「それでもないの」グルームズマンは得意げに言い切った。「ならもう分かった!愛している。一生に
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第9話
岩崎家を出てから、道中、俺たちはひと言も話していない。だが、二人の間にはどこかくすぐったいような、微妙にときめく空気が流れている。突然、結婚式の車列が止まった。ある白い車が俺たちの前に横づけされている。梨衣が髪を乱し、血走った目で車から降りてきた。彼女は窓を激しく叩き続けている。「良介、降りてきなさい!聞こえてるでしょ!その女と結婚なんて許さない!」俺は菜奈に安心させるつもりで目で合図し、自分だけ車から降りた。だが菜奈は俺の手をぎゅっと掴み、いたずらっぽく笑った。「一緒に行く」梨衣は、俺たちが手をつないでいるのを見て、さらに逆上した。彼女は叫び声をあげながら飛びかかってこようとした。俺は彼女に菜奈に触れさせまいと立ちはだかった。「いったい何がしたいんだ?」「その女のために、私と喧嘩するの?」梨衣は憎々しげに菜奈をにらみつけている。俺は菜奈が傷つくのが心配で、どうすべきか必死に考えている。だが菜奈が、俺の脇から半分だけ顔をのぞかせて言った。「私が常陸家の奥さんよ」その一言に、その場の誰もが思わず吹き出してしまった。梨衣は完全に錯乱した。「常陸家の奥さん?あなたが?じゃあ私は何なの?良介の妻は私だけよ!あの人は何年も何年も私のために尽くしてきたの!愛してるのは私だけ!あなたなんて、私に嫉妬させるための道具に決まってる!」俺は菜奈をそっと抱き寄せ、梨衣を冷ややかに見据えている。「いい加減、自分勝手な妄想はやめろ。今日は俺の結婚式だ。菜奈は俺の妻だ。彼女に少しでもつらい思いをさせたくない。もう帰れ」梨衣は悲しげに俺を見つめている。「良介……わざとでしょ。私、もう分かったの。悪いのは私だった。帰ろうよ。殴っても怒鳴ってもいい。清臣ならもう追い出したわ。私が悪かった。全部私が悪かった。でもあなたにも少しは原因があるでしょ?恋愛って、二人で新鮮さを保っていくものだし……あなたは私に優しすぎた。あなたを失うなんて、考えたこともなかったの。だから、少しずつ距離ができちゃっただけで……でも私、本当に他の人を好きになったことなんてないわ」俺は嘲るように笑った。「知ってるよ。君たちが手をつないでいたのは、子どもの頃からの癖なんだよね。人前でキスしたのは、ゲームの罰だから。出張で同じ部屋に泊ま
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第10話
梨衣は、未だ俺が本気で別れを決めたことを信じられないようだ。ましてや、最も早い便で追いかけて来たのに、俺が結婚するという事実は何一つ変えられなかったことも、なおさら信じられないようだ。彼女は目が赤く染まり、涙がぽたぽたと落ちた。以前なら、こんなふうに泣かれたら、俺はとっくに心が揺れていた。だが今は、ただうんざりするだけだ。すると、彼女はふいに何か思い出したように、バッグから、あるベルベットの小箱を取り出した。中には、俺が以前用意した結婚指輪が入っている。彼女はずっと着けようとしなかったため、俺が別れを決意したとき、自分の指輪もその箱に戻したのだ。まさか今日になり、彼女がそれを持ち出して来るとは思わなかった。「良介、この指輪、覚えてるよね?あの時は私が悪かったの。今はもう自分の気持ちがわかった。お願い、一緒に帰ろう?」そう言いながら、彼女は俺の腕を掴もうとした。だが、それを菜奈が遮った。菜奈は年は若いが、気迫はまったく引けを取らない。「木村さん、お二人のことは少しだけ聞いたことがある。善悪は私が口を挟むことじゃないけど、もう終わったことなら、どうかこれ以上まとわりつかないで。お互い気持ちよく区切りをつけよう」梨衣は逆上し、手を振り上げた。俺は思わず身構えたが、その瞬間、菜奈が素早く梨衣に平手打ちを入れた。「ごめんね、木村さん。これ、反射なの。手を上げられると、先に動いちゃうんだよ」菜奈は振り返り、俺に向かって舌をちょこんと出した。「ねえ、あなた、怒らないよね?」俺は彼女を甘やかすように微笑んだ。「もういいよ、ふざけるな。これ以上遅れたら、結婚式に間に合わない。行こう」梨衣は頬を押さえたまま叫んだ。「良介、こんなに長い年月の付き合いより、政略結婚の相手のほうが大事なの?」俺は足を止めた。「長い年月の中で、俺が君にどれだけ尽くしてきたかは、君は一番知っているはずだ。だったら、今の俺が何を一番望んでいるかもわかるだろう。どうか、俺を行かせてくれよ」その一言で、追いかけようとしていた梨衣の足が止まった。俺と菜奈は車に戻った。バックミラーの中で、俺は地面に崩れ落ちて泣き叫んでいる梨衣の姿を見た。彼女が何に対して泣いているのか、俺にはわからない。すべては彼女自身が選んだ
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