「おはよう」
斉藤が事務所に入ってきた春陽をみて挨拶をした。
「あ、おはようございます」
ぺこりと頭を下げて春陽は斉藤に挨拶を返した。
土曜日の朝6時になる頃。
外はまだ薄暗い。
「今日は何時まで?」
「13時までです」
シフトをはじめて一緒に入った日から1ヶ月程経ち、斉藤との挨拶や少しの会話は春陽も慣れてきた。
「明日は?仕事?」
「いえ、明日はお休みです」
3月に入ってから卒業旅行でお金が欲しいからと高校3年生のアルバイトが余分にシフトに入った為春陽の休みが普段より少し多くなっていた。店長は悪いね、と頭を下げたが春陽は別に気にしなかった。
あれから斉藤が映画に興味をもってもらおうと春陽に数枚映画DVDを貸してくれていたのでそれらを観る時間にあてられていたのだ。
斉藤が面白いよと貸してくれる映画は洋画邦画問わず様々なジャンルだったがどれも春陽も気に入った。
映画は高いから観に行くこともなかったし、TV放送の映画すら観なかったのでここまで映画を楽しめる様になり斉藤には感謝している。
「明日の午後駅前のミニシアターで幾つかのサークルと合同で短編映画の上映をするんだけど、観てみない?誰か誘うならその分のチケットも渡すけど」
バイトと学校以外ほとんど家を出ることのない生活をおくる春陽には誘う相手、すなわち友達などいなかった。
「あ、興味なかったかな?」
こたえに困っていた春陽に斉藤がハハ……っと申し訳なさそうに苦笑いして言った。
「あ、違います!興味は凄くあります!」
凄く!でもないかもしれないが……、とも思ったが春陽は斉藤の申し訳なさそうな顔に慌てて否定した。
「行く友達、いなくて……」
「……」
「私1人で……」
誘える友達すらいないなんて変に思われてしまうだろうな、と恥ずかしいのか惨めなのか複雑に春陽の心が軋んだ。
「映画鑑賞なんて1人でも複数人でいってもかわらないよ、真っ暗な中で黙ってスクリーン観るだけなんだから」
斉藤の受け流しにホッとする。
「そうですね、なら私1人分をいただけますか?」
斉藤は自分のバッグからチケットをとりだし春陽に差し出した。春陽はそれを受けとり失くさないよう大切にサイフの長札入れにしまいこんだ。
--一緒に行くわけでもないけど誰かに何かを誘われるなんていつ以来だろう。嬉しいな……。
チケット1枚で春陽の心はあたたかくなった。
翌日、日曜日。スカスカなタンスの中身を見て春陽は悩んでいた。
服が無い!
春陽の記憶の中で最後に服を買ったのはバイトをはじめる時、Tシャツ数枚と黒いスキニーズボン。それだけだ。
色もモノトーンばかりで年相応のお洒落着はまったく無縁の現状だった。
こんな選びようのない中で迷う必要もないのだが。
「いちばん、まともかな?」
春の日中ならばそんなには寒くないだろうと黒いパーカートレーナーとジーンズに着替える。
リビングに行くと祖母がソファに腰掛けコーヒーを飲みながらTVをみていた。母は10時までファーストフード店のパートなのでまだ帰宅していない。
「おばあちゃん、私出かけるから今日のお昼はお母さんと2人で食べてね。暗くなる前には帰るから安心してってお母さんに言っておいて」
土曜日、香織は23時までパチンコ店閉店後の清掃に行っていた。なので香織が帰宅すると春陽は既に寝ている事がほとんどだった。何時もならば日曜日の朝春陽がバイトに出るのと香織がパートに行くのがほぼ一緒の時間なのでそこで会話をするのだが、バイトが休みだった春陽は今日少し寝坊してしまったのだ。
「あら、珍しいこと」
祖母、泉ゆり子(いずみゆりこ)は驚いた。
「バイト先の人に映画チケットをもらったから観てくるの」
ゆり子は最近孫がよく映画のDVDを観ていたコトを思い出す。有名な作品は少なくてはじめは一緒に観なくてもいいわ、と言っていたのだが。たまたま一緒に観るコトになった映画がとても面白く、今は時間があれば一緒に観るようになっていた。
たしかそれらも「バイト先の人」から借りたのだと言っていた。
なのでゆり子は少し勘違いをした。
「映画以外も寄るかもしれないでしょう?」
自分も昔、友人や旦那と映画を観に行った事がよくあった。映画館では飲食がままならないので帰り際に必ず飲食店へ寄っていた。
春陽もバイト先の人と行くならばどこかに寄るかもしれない。
「これ、少しだけどもっておきなさい」
ゆり子は傍に置いていたバッグからサイフを取り出して3千円を春陽にわたした。
「おばあちゃん、私もバイトしているからお金は大丈夫だよ」
春陽は返そうとしたが。
「いつも欲しいモノはないっておばあちゃんが買ってあげる機会もないのよ。たまに出かける時位お小遣いをあげさせて。いっぱいあげられるわけじゃないのだから」
優しいゆり子の言葉に春陽は孫として甘えることを選び「ありがとう」と受け取るとそのお金をサイフにしまった。
「お土産買ってくるね」
駅前まで行くならゆり子が好きな和菓子屋に寄ってお団子でも買ってこようと春陽は考えた。
「じゃあ、行ってくるね」
「きをつけて!楽しんできてね」
春陽は家をあとにする。
チケットには会場12時開演13時とあった。
家から駅前までバスを使えば20分ほどで行けるのだが。
--歩いても行ける距離だよな。
と考えた春陽は11時前に家をあとにしたのだ。
住宅街をぬけると川沿いをしばらく歩き大きな公園の中を横切る。この公園は市内でも人気のファミリースポットとなっており広い駐車場も完備されている為日曜日の今日は多くの家族連れがいた。
駐車場の隅にはいくつか屋台もあった。
春陽は歩きながら少しばかり上を見上げる。と、ポツンポツンと桜の木に桃色の可愛らしい花が見られた。
3月半ばになり暖かい日もあった為早く咲いてしまった桜の花達はそれだけで口元が緩む不思議な存在だ。
「桜、咲き始めてるんだ……」
例年花見などしない春陽でもその存在に心がおどり笑顔がうまれる。
普段、こんなのんびりと歩いて周りを見ることもなかったけれど、こんな時間もたまには味わうべきなのかもしれない。
公園をぬけ国道をまっすぐに歩くと駅前交差点の看板が見えてきた。
交差点を曲がれば駅、もう少しまっすぐ行き商店街に入れば目的地となる以前は街の映画館として活躍していたミニシアターがある。
駅前には祖母に買おうとしている和菓子屋があり、そのすぐ近くにハンバーガー屋があったはずだ。
帰り際に和菓子屋に寄って売り切れていたら残念なのでお土産を先に買ってしまおうか。ハンバーガー屋で軽めのお昼を食べればいいし。
トートバッグからスマホをとりだして時間を確認するど12時になるところだった。
--食べて買って行けば13時少し前くらいになるかな?
今行ったとしても開演までの時間に何をしていいかわからないし、と春陽は交差点を曲がった。
ミニシアターに着いたのは開演10分ほど前だった。
入口に立つ受付の大学生にチケットを渡し半券をもらう。
「13時から17時までの間、半券があれば出入りが自由だから楽しんでくださいね」
受付の大学生は爽やかな笑顔で言った。
階段を登るとシアターの扉があり開くと席は既に8割がた埋まっていた。
前方の端がまだいくつか空席だった為その一番端に春陽は腰を下ろした。
座るや否や、ギリギリだったこともあり上映がはじまった。
短いモノで10分程、長いモノでも30分程の自主制作映画が次々と流れていく。
たまに扉が開き人々が出入りするのが灯りでわかったが春陽は全ての短編映画を途中立ち上がる事もなく見終えた。
意味不明のモノもつまらないと思うモノも中にはあったが、みなそれなりに楽しめる作品だった。
シアターの灯りがともり人々が一斉に出口へむかう。
春陽も立ち上がり出口にむかおうとした。
「渡辺さん!」
後ろから声をかけられて振り返る。
最前列の席で立ち上がっている斉藤の姿があった。
斉藤の近くには数人の人がいて「何?」「誰?」という感じで斉藤と春陽を交互に見ている。
きっとサークル仲間と鑑賞していたのだろうと春陽は斉藤にペコリと頭を下げ邪魔をしないよう出口の扉へ歩きだす。
「待って」
扉を出た時春陽の手首が掴まれる。
ビクリと身体が一瞬硬直して振り返ると真後ろに斉藤が立っていた。
その右手は春陽の左手首をしっかり掴んでいた。
「斉藤さん?」
まさか追いかけてきて引きとめられるとは思わず春陽は動揺していた。
「バスで来たの?駅までおくるよ」
「バスじゃないので大丈夫です!」
斉藤の言葉にビックリして即答してしまう。
「バスじゃないって……もしかして自転車?」
春陽の家はコンビニにわりと近いときいた。
ならばここまでバスでくるのは当たり前だと思っていたが、高校生は自転車通学する子もいるから春陽も普段は自転車で移動しているのかもしれない、と斉藤は考えた。
「いえ、……歩きです」
「え!?」
斉藤はビックリして声をだした。
コンビニまでだと考えてもここから歩いて行けば1時間を越えるはずである。
しかも今は既に17時をまわっている。外はもう薄暗くなっていたし春陽のトレーナー1枚では寒いはずだ。
「いや、危ないから。俺が送っていく」
ウィルモット店内。 「準備はいいか?」 映像配信用に集めたわずかなスタッフとコンパクトな FDR-AX45カメラを構えた慶司、そして端に立つ誠と廉に見守られ12時までのカウントダウンにはいった。 「5.4.3.……」 「さて、ちょうど12時ですね!」 「配信をみてくれているファンの皆様、1年ぶりです!」 「エアネストのHIROです」 「YUZUです!」 「TANIです!」 アイドルらしく明るく、元気で爽やかに。3人は挨拶した。 「今日発売のスーリール、聴いてくれたかな?」 「笑顔がテーマの楽曲でオレとHIROのツインボーカルになっているんだけど……」 「ボクのラップ箇所が無いんだよ!何で⁉︎」 「なぁ、3人メインの楽曲だと思ってたらYUZUがハブられてたんだよな」 「あ、HIRO酷い!」 そんな感じで配信は進行していく。 出だしから接続者数は相当な数になっていた。 エアネストはTANI、KEI、YUZU、HIRO、MAKIの同級生5人が中学2年生の4月にデビューしたアイドルグループだった。アイドルグループの数が増え競争は激しかったが一定数のファンを獲得しテレビにもレギュラーででれるグループには成長した。 しかしある事情でメインボーカルのKEIが芸能活動できなくなる事になった。メンバーとずっとマネージャーとして5人を支えてきた兄的存在の誠は真剣に話し合いをして5年で活動を終える事を決めた。 MAKIも芸能活動を引退し趣味だった料理を勉強する為1年イタリアへ留学を決めた。 TANIは谷直樹として俳優業に舵を切り、サラサラな黒髪、シャープなアーモンドアイには艶のある黒い瞳、唇は薄めで東洋美男子を絵にしたような見た目からモデルとしても活躍していた。HIROも俳優として活動をはじめていた。つり目気味の丸みをおびた瞳は明るいブラウンで少しくせ毛のブラウンの髪と合わせて「茶トラ」と呼ばれ人気を得ていた。茶トラのニックネームは自らのインスタにあげた飼い猫、茶トラのチャーとのツーショットが「似てる!」とバズった為でもあった。YUZUに関しては元々の明るさとトークのうまさでタレントとしてバラエティ番組に多く出演していた。タレ目気味のクリッとした瞳もサラっと揺れる柔らかいライトブラウンの髪も「あざと可
大塚舞(おおつかまい)は自分が変わっていると自覚している。だから自分が友達付き合いが非常にヘタなことも自覚していた。 明るく大雑把で見た目はまぁまぁな美人、くるもの拒まずの気質から人は多く寄ってきた。 しかし集団で同じでないと駄目、ノーも言えない女子のグループ行動が大嫌いだった。 高校2年生に進級するとクラス替えがおこなわれた。 この機会に1年時の縁は綺麗にリセットして新たな友達を探すことにしていたのだが休み時間の教室は自分のようなタイプの女子に数人の女子が集まった光景ばかり、現在自分の周りにも呼んでもいないのに3人程が集まって話をはじめていた。 彼女達の話題は限定で復活したらしい男性アイドルの話で舞はまったく興味がなかった。好きなメイクや服の話も女優やアイドルの真似ばかりの話でイライラした。 素材がまったく違うのに流行でしか服もメイクも選べないなんて! --つまらない!誰か私と友達なれる子いないの⁈ キョロキョロと教室を見回す。 ピタリと左後方の奥で目を止めた。 --彼女は…… 窓際最後列の席に座りのんびりと外を眺めている姿があった。 ふわっとウェーブのかかったダークブラウンの髪が肩にかかる毛先で跳ねている。かおの輪郭は丸みがありバランスのよい丸い目が可愛らしい。 --誰だっけ? クラス替えの後に初見の人もいるからと全員の自己紹介を1時間かけておこなわれたのだが、舞の記憶に彼女はまったく残っていなかった。 「舞、どうしたの?」 舞の様子に気づいた1人がたずねた。 「あの隅の子、誰だっけ?」 3人は舞と同じ方向に顔を向ける。 「あぁ、渡辺さん?渡辺春陽さん」 「知ってるの?」 1人が名前を教えてくれた。 「小学校も中学校も一緒だったけどクラスが同じになったのは今回がはじめてだよ。昔からいつも1人でいるイメージしかないけど」 「ふーん、そうなんだ……」 彼女の雰囲気は柔らかそうで気持ち良さそうだけど。 昔からいつも1人だとは。付き合い辛い子なのかな? 自分で試してみればいいか。大事なのは自分が友達でいられる子を見つけることだから、そう考えて舞は次の休み時間を待つことにした。 しかし運悪いのか次の休み時間は授業準備の手伝いを言われていたらしい春陽が早々に消え、両手に
「悪い、俺一度抜けて彼女を家まで送ってくる」 斉藤は仲間の元に戻りそう言った。 「彼女?」 「え、マジ?」 仲間は興味深かけにきいてきたが斉藤は違うとこたえた。 「バイト仲間の子、まだ高校生だよ。映画に興味もって欲しくて今日のチケットあげたの俺だから安全に送り届けないとだろ」 「へぇ」 「じゃあ1時間位でもどるから」 仲間にはそれだけ言って春陽の元へ駆け寄る。 困った様に待つ春陽はどこか小動物のようだった。 小さな背格好のせいなのか、周囲に怯えた様な態度のせいなのか。 斉藤は他意もなくかわいいと感じた。 「お待たせ、行こう」 ためらいがちで動かない春陽の手をとり歩きはじめる。 その手にビクッとなった春陽だが素直に斉藤の背後を歩いてついていく。 「アパートがこのすぐ近くだから一回寄って車で送って行くね」 わざわざ車をとりにいき送ってもらうなど迷惑だろうとわかっていたが繋がった手を春陽は離せなかった。 だから。 「ありがとうございます」 と、返した。 ミニシアターをでて商店街の奥に少し入りこむと小さな公園があった。ブランコと滑り台しか遊具はなく、あとはベンチが1つと立派な桜の木が一本だけ立つ。 その公園の横で斉藤は指を指した。 「あのアパートだから」 公園の真向かいにアパートが2つ並んで建っていた。 アパートの窓は東南にある公園側に向いており、この桜の木が満開になった時にはこのアパートの部屋から絶景が見れるのだろうと春陽は少しうらやましくなった。 「桜、好きなの?」 数度桜の木を見上げる春陽に斉藤はきいた。 --好き? 桜の開花宣言をきいても、満開になっても桜の花を綺麗だと感じても心をときめかすこともなかった。実際に花見をほとんどした事が無かった。 ならば何故今年は昼通った公園でも今もこんなに心惹かれるのだろうか? 桃色の花があんなに心に残るのか? 春陽自身わからなかった。 「わかりません、ただ……」 ただ。 「今年の桜は綺麗だな、と」 春陽の答えに斉藤は笑った。 「まだ数輪しか咲いてないよ?」 「そうですね」 春陽はもう一度桜の木を見上げた。 見上げる春陽の瞳に斉藤はクスリと笑みながら。 「満開になったらまた
「おはよう」 斉藤が事務所に入ってきた春陽をみて挨拶をした。 「あ、おはようございます」 ぺこりと頭を下げて春陽は斉藤に挨拶を返した。 土曜日の朝6時になる頃。 外はまだ薄暗い。 「今日は何時まで?」 「13時までです」 シフトをはじめて一緒に入った日から1ヶ月程経ち、斉藤との挨拶や少しの会話は春陽も慣れてきた。 「明日は?仕事?」 「いえ、明日はお休みです」 3月に入ってから卒業旅行でお金が欲しいからと高校3年生のアルバイトが余分にシフトに入った為春陽の休みが普段より少し多くなっていた。店長は悪いね、と頭を下げたが春陽は別に気にしなかった。 あれから斉藤が映画に興味をもってもらおうと春陽に数枚映画DVDを貸してくれていたのでそれらを観る時間にあてられていたのだ。 斉藤が面白いよと貸してくれる映画は洋画邦画問わず様々なジャンルだったがどれも春陽も気に入った。 映画は高いから観に行くこともなかったし、TV放送の映画すら観なかったのでここまで映画を楽しめる様になり斉藤には感謝している。 「明日の午後駅前のミニシアターで幾つかのサークルと合同で短編映画の上映をするんだけど、観てみない?誰か誘うならその分のチケットも渡すけど」 バイトと学校以外ほとんど家を出ることのない生活をおくる春陽には誘う相手、すなわち友達などいなかった。 「あ、興味なかったかな?」 こたえに困っていた春陽に斉藤がハハ……っと申し訳なさそうに苦笑いして言った。 「あ、違います!興味は凄くあります!」 凄く!でもないかもしれないが……、とも思ったが春陽は斉藤の申し訳なさそうな顔に慌てて否定した。 「行く友達、いなくて……」 「……」 「私1人で……」 誘える友達すらいないなんて変に思われてしまうだろうな、と恥ずかしいのか惨めなのか複雑に春陽の心が軋んだ。 「映画鑑賞なんて1人でも複数人でいってもかわらないよ、真っ暗な中で黙ってスクリーン観るだけなんだから」 斉藤の受け流しにホッとする。 「そうですね、なら私1人分をいただけますか?」 斉藤は自分のバッグからチケットをとりだし春陽に差し出した。春陽はそれを受けとり失くさないよう大切にサイフの長札入れにしまいこんだ。 --一緒に行くわけでもないけ
「一緒のシフトはいるのははじめてだよね?」 事務所からでてきた斉藤は春陽の横に立った。 「斉藤慶司(さいとうけいじ)です、よろしく」 振り向いただけでは視線が斉藤のユニフォームの胸元だったため春陽は顔をあげた。 「渡辺春陽です……」 156センチしかない春陽は大体の人を上目に見ないといけないが見上げないとならず、それが春陽を萎縮させる。 --お客さんはいないし、売場の手直しでも行ってようかな。 横に年の近い人間が立つのは居心地が悪かった。 あの日以来、春陽は自分から誰かの近くによる事がなかった。不運にも春陽と組んでしまったりグリープが同じになったり、たまたま隣に並んでしまう事があると女子ならば眉間を寄せ嫌な顔をするが春陽の存在を無視した。男子ならば吐く真似をしたり悪口を言ったりした。 自分の近くに普通の他人は来たがらないと春陽は認識していたので斉藤が普通に真横に立った事が対処できず自分から離れようとした。 「渡辺さんは高校生だよね?」 更に話しかけられて春陽ば内心ビクリとした。 「はい……」 「何年?」 会話が続く。 「……1年です……」 「まだ1年?若いなぁ。俺は大学2年、この隣駅近くにある大学に通ってるんだ」 「はぁ……」 「渡辺さんはどこの高校?」 --質問、続くの? そう思うが他人をあえて不愉快にさせたくは無い。 「新島商業です」 隠すほどでもないため答える。 「商業高校なら検定とかあるし高校は部活もあるし、忙しいでしょ。バイトもけっこう入っているみたいだし、大変じゃない?」 「……」 「あれ?俺変なコトきいた?」 「あ、大丈夫です……。私、部活には入っていないので……」 「新島商業って有名な部多いよね、公立だけど野球は甲子園いっていたりバスケやバレーも強かったよね?」 春陽の通う県立新島商業高校は文武において公立では有名な学校だった。野球部は過去数回甲子園出場、プロ選手も出している。バスケ部やバレー部も県代表になったことがある。他にも柔道部や弓道部なども強豪とされている。文に関しても高校数学オリンピック出場や高校生クイズ大会上位進出など有名であった。 「バイトは、うちシングルマザーなので……」 他人の家庭の生活苦など話をやめるだろうと春
学校でたった1人過ごす事になれて数年、春陽は中学3年生になっていた。教室の窓から外を眺めると落ちた枯葉が校庭の地面を風に煽られ走っていた。1カ月程前まではまだ半袖でも過ごせる日があったのに12月を間近に控えてやはり寒くなったと感じる。 あと10日程すれば自分の誕生日がやってくる。しかし春陽は自分の誕生日が好きではなかった。自分の誕生日周辺は不幸ばかり起きるから。 産まれた日は父と祖父母の死。 1歳になる時には祖父の死。 8歳の時には友達を失った。 大なり小なり、誕生日にはいい事がないのだ。 --今年も何かあるのかな?風邪ひく位ならいいけど。 誰かを、何かを失うのは嫌だと心底思う。誰かを、何かを失うならばいっそのこと自分を失ってしまえばいい。母と祖母以外に悲しむ人もいないのだから。 しかし、その大事な母と祖母を悲しませる事は自分にはできない。 だから3人で過ごす誕生日は2人の前では笑顔でいなければ、と春陽は思った。 それに近年、誕生日でもいいコトがあった。 現実の身近な人は誰も彼もシングルマザーの家庭だから、貧乏だから、笑顔も見せない無愛想なブスだからなどと散々人を傷つけてくるけれど。 数年前、祖母とみていたテレビの映像に自然と笑顔になっている自分に気づいた。それはデビューしたてのアイドルグループが出演していたバラエティ番組だった。全ファンにむける平等な笑顔やトークに癒され、その歌に元気付けられた。 それから彼等が出るテレビ番組やラジオ番組は欠かさず録画、録音して見聞きし、雑誌記事は本屋で立読みをした。今まで何かに情熱を傾ける事がなかった反動もあったのかもしれない、春陽の1人きりの推し活は熱がはいっていった。推し活が3年目を迎えようとした中学1年の時、いつか彼等のライブに行きたいと思っていた春陽はその準備としてファンクラブへ入りたいと思った。母にお願いするのは簡単な事ではあったがたった数千円が家にとってどれだけ大事か解っていた春陽は母にファンクラブの会費を誕生日プレゼントにして欲しいと頼んだのだ。 物として残らないからと最初は渋った母も春陽の必死の頼みにおれてくれた。そして祖母は少ない自分のお金から毎年発売されるアルバムを誕生日プレゼントしてくれるようになった。 今年もまた更新をしてもらい、9月に発売された