Share

第九話

Auteur: 夏目若葉
last update Dernière mise à jour: 2025-04-03 18:27:48

 週が明けた月曜日、いつもと変わらない日常が始まるはずだった。

 だけど朝から営業部には、見慣れない数人の社員があわただしく動いて作業をしていた。

 パソコンの導線などをいじっているので、システム部の人間のようだけれど、何事なのだろう。

「ねぇ、あれ……どうしたの?」

 なにかシステムに不具合でも出たのかと、たまたまそばを通りかかった重森に尋ねてみた。

「ん? 社内の連絡メール、見ていないのか?」

「え?」

「本社からひとり、転勤でこっちに異動してくるって連絡が来てただろう? その人のデスクまわりの設備を整えてるらしい」

 そう言われれば、先週社内メールが来ていたと思いだした。

 うちの営業三課に人員がひとり増えるのかと、メールを流し読んだことだけはなんとなく記憶にある。

 どうやら異動日は今日だったようだ。

「イケメンだったらいいよね」

 フフっとなにかを期待したような笑みをたたえつつ、同じ営業三課の事務で同期の安西史香(あんざい ふみか)が私と重森の会話を聞いて絡んできた。

 史香は私と気が合うので仲良くしてくれている。

 私が社内で軽い女だと妙な噂を流されても、気にしないで付き合ってくれている奇特な人間だ。

「まぁね。目の保養にはなるよね、イケメンは」

 私はたいしてそうは思っていないけれど、史香に同調しておいた。

 どうせならイケメンのほうがいい、というのは大多数の女子の意見だろう。

「あのなぁ、イケメンだったら俺で十分じゃないか?」

 重森が私たちに胸を張るように言ってくるのを横目で見て、ありえないとばかりに首をブンブンと横に振り続ける。

 重森も世間一般的にはイケメンなので、そこまで否定するほどではないのだけれど、褒めると調子に乗らせてしまうから。

「お。お出ましだぞ」

 重森が独り言のようにつぶやいて去って行く。

 部長に続いて、パリっとした黒系のスーツの男性が営業部に入ってくるのが見えた。

 このあとすぐおこなわれる朝礼で紹介されるのだろう。

「ほんとにイケメンが来た」

 史香から囁かれても反応できず、私は呆然としてしまう。

 なにが起こったのか、頭の中で処理が全然追いついていかないのだ。

「本日付で本社から異動になった、八木沢(やぎさわ)斗夜くんだ」

 朝礼で部長から紹介されて軽く頭を下げたその人は、紛れもなく金曜日にあ
Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application
Chapitre verrouillé

Latest chapter

  • 純愛リハビリ中   第五十話

     斗夜の言葉を聞いて、私は深くうなずいた。  私が今日戸羽さんとデートしているのはマスターも知っているし、心配してくれていた。  まさかその日に斗夜と付き合うことになったとは予想していないだろうけど。「それに、咲羅をあきらめるように言わなきゃ」 「マスターは全然そんな気持ちはないよ」 「今日の医者は咲羅がちゃんと断ったんだろ? じゃあ、あとは重森か。まさか他にも伏兵が?」 人をモテキャラに仕立て上げないで、とあきれた顔をすると、斗夜が綺麗な顔で笑う。  今のはヤキモチだろうかと考えたら、それもうれしく思えた。 雨の上がった歩道を、ふたりで手を繋いで駅まで歩く。  気持ちが通じ合ったあとの“恋人繋ぎ”は、たったそれだけの触れ合いでも胸がキュンとした。 バーに着いてマスターにきちんと報告しようとしたら、ニヤリと意味ありげな笑みを先に投げかけられた。  私たちが“恋人繋ぎ”のまま入って来たのを見て、すぐに状況がを理解したらしい。 お店にいるあいだ、ずっと冷やかされていた気がするけれど、マスターは私たちのことを喜んでくれて、それがすごくうれしかった。 お酒を飲んで喋って、ふわふわとした幸せな時間を過ごし、斗夜とふたりでバーを出た。  再び歩きながら、“恋人繋ぎ”で幸せをかみ締める。 なのに、いつかの日のように、突然斗夜が繋いだ手を引いて狭い道へと入った。人のいない、真っ暗で狭い路地だ。  深いブラウンの髪から覗く色気のある瞳に射貫かれて、「どうしたの?」とは聞けなくなってしまった。  大きな手が私の背中に回り、ふわりと抱き寄せられる。  私の瞳はまだ、斗夜に囚われたまま。 ゆっくりと斗夜の顔が近づいてきて、私がわずかに瞳を伏せると、斗夜の温かな唇が私の唇を優しく覆った。  愛情が伝わってくるような、しっとりとしたやさしいキスで、決して荒々しさのないそれは、繰り返されることなくそのまま離れた。「キスは……するんだね。……ハグも」 「それはしたいって言っただろ。だけど部屋だと理性が飛んで歯止めがきかなくなるから。ここなら、この先はできないし」 今どうしてもキスしたくなったんだ、なんてそんな顔で言われたら、幸せで胸がギューっと苦しくなる。「俺、咲羅のこと本気だから」 「うん」 「浮気はしないよ」 本当にしない? とは、聞かな

  • 純愛リハビリ中   第四十九話

     堂々と私を好きだと言っておきながら、斗夜は今さら表情に不安の色をにじませる。「そんなの決まってるじゃない。お互い同じ気持ちだったことがうれしいからよ」 お互いに惹かれ合い、心と心が繋がる感動を、私は長年ずっと置き去りにしてきてしまっていた。  相手ときちんと向き合って、真正面からぶつからなければこの気持ちは得られないのに、私は怖がって逃げてばかりだったのだ。「そうか」と優しいまなざしで微笑んだあと、私の頭を撫でていた彼の手が頬に触れ、伝っていた涙を拭った。  私は胸がキュンとして、急激に愛しい気持ちがこみ上げてきてしまい、斗夜の首に腕を絡めて自分から抱きついた。「おいおい咲羅、今ここでそれは反則だろ」 「どうして?」 「……俺は必死で我慢してるんだぞ? さっきから必要以上に触れないようにしてるのに、俺がその気になったらどうするんだよ」 せっかく良い雰囲気なのに、と私は小さく口を尖らせたけれど、斗夜は柔らかく笑って私の身体をそっと離した。「別にいいんじゃないかな? 私たちはちゃんと両思いになれたんだから」 「いや、ダメだ。付き合った初日にそうなったら、それこそ彰になにを言われるか。 野獣だの節操なしだのと、言いたい放題だろ」 マスターの発言をそこまで気にする必要があるのかと思ったら笑えてきた。  別にそう言われても開き直ればいいのに。「じゃあ、マスターには内緒にする?」 私たちに男女の関係があるかどうかは、自ら言わなければわからないだろう。  だけど斗夜は私の提案に首を振った。「アイツを見くびりすぎ。そういうの、見ただけでわかるみたいだ」 「すごい特殊能力ね。というより、斗夜がわかりやすく態度に出してるんじゃないの?」 「……そうなのか」 マスターは、いつもと雰囲気の違う斗夜を見てピンと来ているだけだと思う。友達だからわかるのだ。「とにかく、しばらく我慢する」 「……いつまで?」 「そうだな……一ヶ月は我慢しようか」 真剣に悩んで期間を設定した斗夜がおかしくて、吹き出しそうになってしまう。  私はそれをぐっとこらえ、質問を続けた。「キスもしないの? ハグも?」 「いや……それは……」 私がわざと誘うように言うと、斗夜はうなって腕組みをし、さらに悩みだした。「キスは……したいな」 「あはは」 「だけど今は

  • 純愛リハビリ中   第四十八話

    「リハビリ……もう辞めないか?」 しばしの沈黙が流れたあと、斗夜から飛び出した言葉はそれだった 。  マスターから、斗夜がリハビリはもう必要ないと言いだしていると聞いていたが、それは本当だったのだ。  実際に本人の口から聞くと、ダメージが大きい。  後ろからなにかで殴られたみたいな衝撃が走った。「マスターから聞いたよ」 私が溜め息を吐きながら言えば、「あのおしゃべりめ」と斗夜のつぶやく声が聞こえた。  胸の内側に、どんどん悲しみが広がっていく。  今、斗夜の顔は見られない。見たら……泣いてしまうから。「リハビリはもうなしね。わかった」 そう返事をするしかなかった。  私と斗夜はリハビリ仲間という関係を解消し、ただの同僚に戻る。  それだけの話なのに、お前は新しい男とデートでもしてろ、と言われたような気持ちになった。 そしてもうひとつ、悲しい感情を思い出した。  好きな人に振られる“失恋”は、こんなに辛いものだったのだ。「私とリハビリでデートしていても仕方ないもんね」 「……え?」 「好きな子にきちんと気持ちを伝えなきゃ。私と練習ばかりしていても前に進めないよ」 うまく笑えている自信はないけれど、うつむくことなく私は精一杯笑顔を作った。  だけど斗夜は隣に座る私の肩を掴み、自分のほうへ向かせて視線を合わせる。「……なんの話だ?」 それはまぎれもなく、たくさん傷つけて後悔しているという斗夜と元カノの話だ。  すべて言わなくてもわかっているはずなのにと、私は小さく溜め息を吐く。「元カノに……気持ちを伝えてきなよ」 「え? 元カノには、俺じゃなくてもっとふさわしい男がきっといる。たしかに俺のせいで彼女とはうまくいかなかったけど、やり直したいとは思ってないよ。俺がリハビリを辞めたいのは、そうじゃなくて……」 斗夜の大きな手の平が、私の頭をゆっくりと優しく撫でた。「咲羅とは、もうリハビリなんか要らないと思ったから」 「………」 「俺は咲羅が好きだって、きちんと自覚がある。リハビリとか理由をつけずに、これからは普通にデートがしたいし、一緒にいたい」 私の感情がジェットコースターみたいに激しく上下して、処理が追いつかない。  斗夜が元カノと復縁したいだなんて、私の勘違いだったのだ。「“リハビリしよう”なんて、咲羅と一緒

  • 純愛リハビリ中   第四十七話

    「簡単に入れていいのか?」 「だって……この雨だし」 「俺、襲うかもしれないぞ?」 斗夜の言葉で微妙な空気になり、沈黙が流れた。  たった今、恋をしていると気づいたのだから、好きな男に抱かれるのならばかまわない、と少なからず思った私はバカなのだろう。  今までのリハビリがまったく活かされていないではないか、と反省の念にかられる。「ウソだよ。実は話があるんだ」 こんな状況で余裕の笑みを浮かべる斗夜は、私よりも何枚もうわてだ。「……どうぞ」    玄関扉の鍵を開け、部屋の中に彼をいざなう。  私はこの状況のドキドキして、スリッパを差し出すだけで精一杯だ。 部屋の中をキョロキョロと見回す斗夜を、そんなにじろじろ見ないでとソファーに座らせる。  私はキッチン冷たいお茶を用意し、斗夜の前のテーブルに置いた。  すると斗夜が私の腕を咄嗟に掴んだので、何事だろうと驚いた。「……なに?」 「デート、どうだったんだ?」 斗夜は気になっていることを直球で聞いてきた。「誘われただろ? ホテル」 「……うん」 斗夜の推測は当たっているけれど、たとえ私が誘いに乗っていたとしても、戸羽さんは私を本当に抱いたのだろうか。  試されただけかもしれないと考える私は甘いのかな。  私が口ごもるように返事をしたのが気に入らないのか、斗夜の眉間には不満だとばかりにシワが寄っている。「草食系には見えないって、彰の言った通りだったな」 私は以前は戸羽さんに対して草食系だという印象だったけれど、マスターは最初からそうは見えないと言っていたから、その見立ては当たっている。「行ったのか?」 「行くわけないでしょ」 「よく逃げてこられたな」 不機嫌そうにしている斗夜に、「そんな人じゃないから」と私も少しムっとしながら反論した。  戸羽さんを本城みたいな男と同じ扱いをされた気がしたから、腹が立ったのだ。  戸羽さんは無理やりホテルに連れ込んだりしない。穏やかでやさしい紳士なのは間違いないもの。「その男と付き合うのか?」 「え?」 「……好きなのかと聞いてるんだ」 斗夜の声のトーンは静かだけれど、熱のこもった真剣な瞳が私を射貫いた。「付き合わないよ」 斗夜はなぜ聞くのだろう。  もしかしたら……などと、嫌でも期待してしまう。  もし斗夜が私を好

  • 純愛リハビリ中   第四十六話

     戸羽さんと別れてホームで電車を待つ間、私はバッグからスマホを取り出して、先ほど斗夜から来たメッセージを眺めた。  まだ返事をしていないことに気づき、既読無視はまずいと、あわてて文章を打ち込む。『今から電車に乗って帰ります』 車両に乗り込む前に、送信ボタンを押した。  文章が短くて不愛想だっただろうか。 車両の中は、けっこう混みあっていて蒸し暑く、嫌な空気だった。  最寄駅に着いてホームに降り立つと、ザーっと大粒の雨が空から落ちてきていてガックリと肩を落とした。  戸羽さんと別れたときも、今にも降りそうな感じで真っ暗だったから、心配した通りになってしまった。  濡れて帰るには勇気が要るくらいの強い雨だ。  仕方がないので、駅に隣接するコンビニに立ち寄り、ビニール傘を購入した。  こうしていつの間にか家に傘が増えていく、などとぼんやりと考えながら自宅まで歩みを進める。  雨は止むどころか、さらに勢いを増しているのだと、アスファルトに強く打ち付ける雨粒を見て思った。 傘をさしていても、足元が次第に濡れていった。  パンプスの中が気持ち悪いので早く帰りたい。  自分のマンションに辿り着いたけれど、私は瞬間的に歩みを止めた。  マンションの軒先に人影が見える。  雨が当たらないようになのか、大きな身体をすぼめいるのは、斗夜だった。  傘も持たず、腕組みをしながらそこに彼は立っていた。「斗夜……いつから居たの?」 思わず駆け寄ってそう尋ねたのは、斗夜はまったく濡れておらず、雨が降る前からここに居たのだとすぐにわかったから。「少し前だよ。電話したんだけど繋がらなかった」 「ごめん。電車に乗る時に音を消しててそのままにしてた」 マナーモードに設定していて、バッグの中で着信しても気がつかなかった。  斗夜から電話が来るとは思いもしなかった。  ここへ来たのが少し前なんてウソだろう。  私が電車に乗っている間に雨が降ってきたのだから、かなり待っていたはず。「ここ、よく覚えてたね」 「ああ」 以前、初めてデートをした日に送ってもらったことがあるが、斗夜は一度来ただけのこの場所を覚えていた。『実際にトウヤ君に会えばすぐにわかるよ』 戸羽さんに言われた言葉が頭をかすめる。  正直、すぐに理解できなかったけれど、今わかった気がし

  • 純愛リハビリ中   第四十五話

    「本当にごめんなさい」 「謝らないでよ。こんなにすぐに誘う男は相手にしなくて正解。……トウヤ君が好き?」 「……」 率直に問われたけれど、私は頷くことも首を横に振ることもできずに押し黙ってしまう。  黒縁眼鏡の奥の優しい瞳が私を不思議そうに捉えていた。「私、本当に長い間、恋をしていないんです」 「……え?」 私の返事が意外だったのか、戸羽さんは驚いた拍子に小さな声を発した。「合コンに行くこともあっけど、そこで恋人関係になれるような出会いはなくて……」 「うん」「私、ある意味病気なんですよ。病名は“本気の恋の始め方を忘れた病”」 私がおどけるように笑うと、戸羽さんも「長い病名だね」と言って笑みを浮かべた。「実は彼も同じ病気だから、ふたりでリハビリしようって決めたんです」 「……そっか。医者の俺でも治せない病気だね」 「はい。彼は私に重要なことをたくさん教えてくれたように思います。でも……私は彼を好きなのかわからない。これははたして恋なのか、自信がありません」 斗夜とのデートは時間があっという間で、話していて楽しかったし飽きることなく過ごせた。  だけど斗夜が時枝さんと毎日蜜月だった今週は、ずっとモヤモヤとした感情に支配され続け、その正体がわからずに、苦しみ続けた。「もっとシンプルに考えればいいのに」 戸羽さんが空を見上げてしばし考え、私にアドバイスをくれる。「例えば、俺がほかの女の子とデートしても咲羅ちゃんはまったく平気だろうけど。トウヤ君がほかの子とデートしたら嫌だろ?」 「……どうかな」 「じゃあ、ホテルに行ったら?」 「それは嫌です」 斗夜がほかの子を抱くなんて、想像しただけで気持ちが悪くて吐きそうだ。「今、想像しただけで胸が締めつけられたよね? それは立派な嫉妬だよ。好きな証拠だと思うけど?」 そうか、思い出せなかったモヤモヤとした感情の名は…… 嫉妬だ。  急に自分の中で、ストンと腑に落ちた。「やっぱりまだリハビリが必要だね」 「……え?」 「大丈夫。実際にトウヤ君に会えばすぐにわかるよ」 この病は普通の医者では治せないはずなのに、戸羽さんはなんでも治せてしまう神様みたいな人なのかもしれない。「……帰ろうか」 「はい」 駅の改札を抜けたところで挨拶を交わす。互いに乗る電車は反対方向のため、こ

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status