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第15話

Auteur: 岬 鯉(みさき こい)
望月寧々の件が終わったあと、神谷蓮は長期休暇を取った。

芽衣の死をどうしても受け入れられなかった彼は、酒に溺れることで現実から逃れようとした。

「もっと早く、彼女が病気だって気づいていれば……」

「もし、あの女に惑わされていなければ……」

「もしも……」

都心のバーの個室で、彼は独り言のように呟きながら、無理やり酒を流し込んでいた。

何日眠っていないのか、もうわからない。

家にはもう芽衣の気配はなく、ひとりでいるにはあまりにも空虚すぎた。

昔のままに戻した思い出の家も、どこか違って見えた。何故ならば、そこにいた彼女は、もういないのだ。

酒に頼ることで、少しでも思いを和らげようとしたが――

どれだけ飲んでも酔えなかった。むしろ、ますます意識は冴えていく。

神谷蓮は静かに笑った。絶望の底でしか浮かばない、乾いた笑み。

彼女は、もう隣にいない。

さらに一本、瓶を開けようと立ち上がったとき、ふいに誰かとぶつかった。

「チッ、どこ見て――あっ……神谷さん!? ご無沙汰してます!」

目の前の男は一瞬ムッとしたが、神谷蓮だと気づくと慌てて笑顔に変わった。

以前、何度か一緒に飲んだことのある取引先の川本だった。

彼は神谷蓮の様子に驚きながらも、すぐに隣の個室に連れて行った。

そこには、かつて共に夜の街を歩いた「仲間」たちがいた。

「……芽衣さんの件、聞きました。本当に……ご愁傷様です」

空気が一気に重くなる。

誰もが気を遣いながら彼に声をかけたが、神谷蓮は何も答えず、ただ黙って酒を飲み続けた。

その時、不意に沈黙を破るような、酔っ払った声が響いた。

「……たかが女ひとり死んだくらいで、そんなに落ち込むことか?」

声の主は、神谷の隣にふらふらと近づいてきた大森という男だった。

「神谷さん、女なんて世の中にいくらでもいるぜ。ひとりに固執する必要なんてないんさ」

「それに、男の三大幸福って知ってますか? 昇進、金儲け、そして……女房の死だってさ。ひとつ達成、おめでとうさん!」

神谷蓮の拳が無言で振り上げられ、大森の顔面に炸裂した。

周囲の人々が慌てて二人を引き離す。

「ふざけんなよ、神谷……テメェ、偉そうにしやがって!テメェの女遊びなんて、俺よりひでぇだろ!」

「……もしかして、お宅の女房ががんになったのも、あんたのせいなんじゃ
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