Share

第439話

Auteur: 藤原 白乃介
二人は山を下りながら、それぞれの胸に重い石を抱えているような気持ちだった。

こういった占いの話は、信じるか信じないかは人それぞれだが、悪いことを聞かされれば、心に影を落とすのは避けられない。

来月の八日まで、もう二十日を切っていた。

その間、何があっても事故や災いを起こしてはならない。無事に結婚式を終えるために、あらゆる準備が急ピッチで進められた。

二人は家に戻るなり、さっそく式の準備に取りかかった。

その二日後、佳奈が自宅に戻り、

翌日、高橋家の一同が結納品を持って藤崎家を訪れた。

安全を最優先にするため、式場は高橋家の本邸に決定。招待客も近しい親戚と友人のみとし、大規模にはしなかった。

結婚式の準備は、滞りなく順調に進んでいた。

佳奈は毎日、贈り物の受け取りや、ドレスの試着に追われ、幸せに包まれた日々を過ごしていた。

地域の習わしにより、結婚の三日前から新郎新婦は顔を合わせてはいけないとされており、佳奈は清司に連れられて実家に戻った。

橘家の人々もC市から駆けつけ、橘お婆さんとお爺さんは藤崎家に泊まることに。

自分のために皆が忙しく動き回っているのを見て、佳奈の胸には温かな思いが広がっていた。

部屋には山のように積まれた嫁入り道具や贈り物が並び、それは清司や橘家の人々からの愛のこもった品ばかりだった。

そこへ知里がドアを開けて入ってきて、その光景に目を丸くした。

「なにこれ!数日見ないうちに、あなた完全にセレブじゃん!この量……ざっと見積もっても百億は超えてるっしょ?」

佳奈はにこにこしながら彼女を見つめた。

「それどころじゃないよ。高橋家からは株と不動産ももらったし、これ全部合わせたら百億なんてもんじゃないよ。お婆さんも持ってた株を全部私に譲ってくれたし、お父さんの遺産もあるし……今の私は、高橋グループと橘グループの大株主だよ」

その言葉に、知里は目を見開き、信じられないといった様子で叫んだ。

「マジかよ!じゃあ今このタイミングであなたにすり寄れば、一生安泰ってこと?ああ、私のセレブな佳奈ちゃん、今すぐチューさせてくれ!」

彼女は小犬のように佳奈の首に飛びつき、ほっぺにチュッとキスした。

そして目を潤ませながら言った。

「佳奈、幸せそうで、ほんっと嬉しいよ。絶対この幸せをずっと続けなきゃダメだよ?わかった?」

佳奈
Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application
Chapitre verrouillé

Latest chapter

  • 結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて   第443話

    悠人が「秘密を教えてあげる」と言った直後、橘家の年上の従兄が慌てて走ってきて、悠人を抱き上げた。そしてお尻をぺしりと軽く叩きながら言う。「こら、裏切り者くん。余計なことバラしたら、こっちの苦労が全部水の泡だぞ」悠人はきょとんとした顔で真剣に言い返す。「僕、裏切ってないよ。おばちゃんの旦那さんに言いたかったのはね、今日のおばちゃん、めちゃくちゃきれいだってことだけだよ!」その一言に、智哉は満足げに口元をゆるめた。「うちの花嫁は世界一きれいなんだよ」その調子に乗ってる様子を見て、ぴしっと決めたスーツ姿で結翔がやってきた。ニヤニヤと悪だくみの笑みを浮かべながら言う。「いくらでもドヤってろ。だがな、すぐ泣く羽目になるぞ。ほら、この紙にキスマークが4つある。どれが佳奈のか当ててみろ。当てたら通してやる、外れたら……罰ゲームな」誠健が真っ先に手を挙げた。「罰ゲームって言っても、どうせ踊るだけっしょ?俺、クラブ通いのプロだから楽勝だし」誠治は即座に拳を飛ばす。「ふざけんな。結翔は嫁側の代表なんだぞ。普通のダンスで済むわけないだろ!」「まさか、全裸で踊るとか?」その一言に、その場の全員が爆笑。結翔はニヤニヤしながら言った。「俺らは別にいいよ?お前さえよければね?」誠健は気まずそうに笑いながら言った。「それはムリムリ、俺まだ嫁もらってないんだぞ?そんな姿お前らに見せられるわけないだろ」そう言いながら、彼は結翔の手からキスマークの紙を受け取り、じっと見つめた。「これが知里のだな。アイツ、口デカいし。残りの3つは……佳奈、綾乃、白石ってとこだな」誠治は自分の妻の名前を聞いてすぐに駆け寄り、三つ目のキスマークを指さして言った。「これは俺の嫁のだ。残りは二つ、さすがに当てられるだろ?」智哉は残った二つのキスマークをじっと見つめた。 どっちもよく似ているが、どうしても佳奈のものとは思えなかった。彼は一つを指差しながら言った。「こっちが佳奈のだ」誠治は目を見開いて言った。「本気か?俺にはどう見てもそれ、うちの嫁のやつにしか見えないぞ」「間違いない。佳奈の唇はつるつるしてて、すぼめてもシワができないんだよ」そんなに自信満々な智哉に、結翔は苦笑いしながら言った。「そんなに

  • 結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて   第442話

    「おい、お前、今日は一発ぶん殴られたい日か?」二人がじゃれ合っていると、外から誠治の声が飛んできた。「お前ら、もういい加減にしろ!今日は智哉の晴れ舞台だぞ。変なこと言うやつは許さねえからな」そんなこんなで笑い合いながら、いよいよ良い時間になり、一行は車に乗り込んで出発した。車内で誠健は早速知里にメッセージを送る。「この世で一番イケメンな新郎と最強の花婿友人代表軍団、ただいま出発!覚悟しとけよ!」ほどなくして、知里から音声メッセージが返ってきた。「はいよ〜、こっちの準備も万端。楽しみにしてなさい!」それを聞いた斗真は鼻で笑った。「なんかさ、知里がネットで大量にドッキリネタ集めてたって噂だぜ?今日やられるのは誰か……まさに地獄行きの賭けだな」誠健は気にせず余裕の表情で言った。「上等だよ。来るなら来いってやつだ。受けて立つぜ、任せとけ」車が藤崎家の別荘前の通りに差しかかると、スーツ姿の男たちが4人、ずらりと横一列に並んで立っていた。その顔には、何かを企んでいるようなニヤついた笑みが浮かんでいる。車列が止まると、智哉が真っ先に車から降り、年上の男に恭しく手を差し出した。「お兄さん、今日はどうか手加減お願いします」男はニヤリと笑って言った。「二十年以上も音信不通だった妹を、やっと見つけたと思ったらお前に取られたんだぞ?手加減なんかできるわけないだろ」後ろから斗真が勢いよく出てきて啖呵を切る。「なんでもかかってこい!」「よし、それじゃあ……この足ツボマットが見えるか?靴を脱いで、4人で縄跳びリレーだ。合計100回跳んだら通してやる」誠治は顔をしかめた。「これ、マジでヤバいやつだ……俺が結婚したとき、泣きそうになりながら跳んだんだからな。俺はパス」智哉が即座に彼の尻に一発蹴りを入れた。「何しに来たと思ってんだよ?カッコつけに来たのか?一回跳んだことあるなら、先に見本見せろ!」誠治は泣き顔で15回跳び、次に誠健が歯を食いしばって5回。智哉は呆れ顔で二人を見ながら言った。「帰ったらお前ら、ご飯抜きな」「いや、マジで無理だって……あれ、ホントに針が突き刺さるみたいな痛さだぞ。俺無理だわ……斗真くんに頼もうぜ。アイツ、元特殊部隊だし」斗真は期待に応えて、軽やかに50回跳んで

  • 結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて   第441話

    佳奈はベッドからもぞもぞと起き上がり、まだ目も開けきらないまま、眠そうに呟いた。「なんでこんなに早いの……まだ全然寝たりないよ……」清司は娘の頭を優しく撫でながら、笑顔で答えた。「もうすぐ九時過ぎたら、お迎えの人たちが来るんだよ。朝ごはん食べて、お化粧してって考えたら、時間全然足りないよ」佳奈はぼんやりした足取りでバスルームに入っていった。しばらくして出てくると、部屋の入口からモコモコした小さな頭がこっそり覗いていた。悠人は白い小さなタキシードに黒い蝶ネクタイ、ふわふわの巻き毛もきれいに整えられていて、まるで小さな王子様のようだった。彼は部屋をキョロキョロ見回しながら、佳奈がバスルームから出てきたのを見つけると、ちょこちょこと小さな足で駆け寄ってきて、見上げながら言った。「おばちゃん、今日の悠人かっこいい?」佳奈はしゃがみ込んで、彼をじっくり眺めながらニッコリと頷いた。「うん、今日一番のイケメンは悠人くんだね」「じゃあさ、おばちゃんの旦那さんと比べたら、どっちがかっこいい?」「もちろん悠人くんに決まってるじゃない。おばちゃんの旦那さんはもうおじさんだから、悠人くんほど可愛くないもん」佳奈はそう言って、むにむにと悠人のぷにぷにほっぺを軽くつまんだ。悠人は目をまん丸にして、真剣な顔で言った。「じゃあさ、僕と結婚してよ。僕のほうがかっこいいし、美味しいものは全部おばちゃんに分けてあげる。弟が生まれても、僕がちゃんとお世話するから」佳奈は思わず吹き出し、悠人のほっぺにちゅっとキスして、笑いながら言った。「もう、可愛いな……。でもね、悠人くんが大きくなったら、きっとおばちゃんよりもっともっと可愛いお嫁さんを見つけるよ。そしたら、その子と結婚するのが一番いいよ」悠人はぱちぱちと大きな目を瞬かせて、こっそり声を潜めた。「じゃあ、紗綾ちゃんくらい可愛い子?……ねぇおばちゃん、内緒話していい?他の人には言っちゃダメだよ?」彼は小さな口を佳奈の耳元に近づけて、ふうっと温かい息を吹きかけながら、そっと囁いた。「僕、紗綾ちゃんが好きなんだ。紗綾ちゃんも僕のこと好きだよ。会うと笑ってくれるもん。僕が大きくなったら、彼女と結婚してもいい?」その言葉に、佳奈はびっくりして目を見開いた。「もちろんいいに

  • 結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて   第440話

    佳奈は笑いながら何度も鼻をすすった。「そうかな?うちの旦那さんの口、全然いやらしい匂いしないよ。むしろいい匂いするし。それに、昨日のキスからもうだいぶ経ってるから、匂いなんてとっくに消えてるでしょ」その言葉を聞いた瞬間、知里は地団駄を踏んだ。「はあぁ!?智哉、あんたって男は……!返してよ、あの純粋でかわいかった佳奈を!この女、完全にあんたに染まっちゃってるじゃないの!」二人が部屋で騒いでいると、突然佳奈のスマホが鳴った。表示された名前を見ると、智哉からの着信だった。すぐに通話ボタンを押し、上機嫌な声で言った。「ねえ、今あなたの悪口言われてるよ~」画面越しに佳奈の笑顔を見た智哉も、つられて口元を緩めた。「なんだかご機嫌だな。知里と一緒か?」佳奈は目を丸くして聞き返した。「どうしてわかったの?」「他に俺の悪口を堂々と言える奴なんて、あいつしかいないだろ」すると知里が顔をのぞかせ、スマホの画面に向かってにらみを利かせた。「智哉!あんたがうちの佳奈をこんなふうにしちゃって……責任取れよね!」智哉は余裕たっぷりに眉を上げた。「夫婦ってのは、似てくるもんなんだよ?……ああ、そうか。お前は恋愛経験ゼロだから、そういうの分からないか」その一言に、知里は怒りで歯ぎしりした。「ちょっとアンタね、私が佳奈のメインのブライズメイドだって忘れたの?明日、あんたが迎えに来ても、私が玄関でブロックしてやるんだから!」その言葉に、さすがの智哉も少し焦ったようで、そばにあった小さな箱を取り出した。中には知里がずっと欲しがっていた、今季の新作ジュエリーが入っていた。「これ、お前へのプレゼント。佳奈のジュエリーともぴったり合うしな。それにブライズメイド用のドレスも何着か用意してある。選び放題だ」それを見た知里は口をとがらせたが、すぐにニヤリと笑って言った。「まあ、これくらいはしてもらわなきゃね。だけどさ、ご祝儀はたっぷり用意してよ?じゃないと、やっぱり玄関で立ちふさがるから。今はあんたが私に頭下げて、やっと嫁さんもらえる立場なんだからね?」すると佳奈が口をとがらせながら横から入った。「知里、あんまりいじめちゃだめだよ?じゃないと、うちの子に義理のママって紹介してあげないから」その堂々たる夫擁護っぷりに

  • 結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて   第439話

    二人は山を下りながら、それぞれの胸に重い石を抱えているような気持ちだった。こういった占いの話は、信じるか信じないかは人それぞれだが、悪いことを聞かされれば、心に影を落とすのは避けられない。来月の八日まで、もう二十日を切っていた。その間、何があっても事故や災いを起こしてはならない。無事に結婚式を終えるために、あらゆる準備が急ピッチで進められた。二人は家に戻るなり、さっそく式の準備に取りかかった。その二日後、佳奈が自宅に戻り、翌日、高橋家の一同が結納品を持って藤崎家を訪れた。安全を最優先にするため、式場は高橋家の本邸に決定。招待客も近しい親戚と友人のみとし、大規模にはしなかった。結婚式の準備は、滞りなく順調に進んでいた。佳奈は毎日、贈り物の受け取りや、ドレスの試着に追われ、幸せに包まれた日々を過ごしていた。地域の習わしにより、結婚の三日前から新郎新婦は顔を合わせてはいけないとされており、佳奈は清司に連れられて実家に戻った。橘家の人々もC市から駆けつけ、橘お婆さんとお爺さんは藤崎家に泊まることに。自分のために皆が忙しく動き回っているのを見て、佳奈の胸には温かな思いが広がっていた。部屋には山のように積まれた嫁入り道具や贈り物が並び、それは清司や橘家の人々からの愛のこもった品ばかりだった。そこへ知里がドアを開けて入ってきて、その光景に目を丸くした。「なにこれ!数日見ないうちに、あなた完全にセレブじゃん!この量……ざっと見積もっても百億は超えてるっしょ?」佳奈はにこにこしながら彼女を見つめた。「それどころじゃないよ。高橋家からは株と不動産ももらったし、これ全部合わせたら百億なんてもんじゃないよ。お婆さんも持ってた株を全部私に譲ってくれたし、お父さんの遺産もあるし……今の私は、高橋グループと橘グループの大株主だよ」その言葉に、知里は目を見開き、信じられないといった様子で叫んだ。「マジかよ!じゃあ今このタイミングであなたにすり寄れば、一生安泰ってこと?ああ、私のセレブな佳奈ちゃん、今すぐチューさせてくれ!」彼女は小犬のように佳奈の首に飛びつき、ほっぺにチュッとキスした。そして目を潤ませながら言った。「佳奈、幸せそうで、ほんっと嬉しいよ。絶対この幸せをずっと続けなきゃダメだよ?わかった?」佳奈

  • 結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて   第438話

    日記はここで途切れていた。佳奈は最後のページの日付を見て、ハッとした。ちょうど母が事故に遭った前日だった。母は自分の誕生をあんなに楽しみにしてくれていたのに……その日が来る前に、この世を去ってしまった。今、自分も新しい命を宿しているからこそ、母が当時抱いていた気持ちが痛いほどわかる。そう思った瞬間、佳奈の胸が締めつけられるように痛んだ。気づけば、涙が頬をつたって流れていた。そのとき、部屋に入ってきた智哉がその光景を目にした。すぐさま彼女のもとへ駆け寄り、背後から優しく腰を抱きしめた。低く落ち着いた声で囁く。「お母さんのこと、思い出してた?」佳奈は鼻をすすりながら答えた。「これが初めてなの、母親の愛ってこんなに深いんだって知ったの……あんなに私のことを大事に思ってくれて、色んなものを準備してくれてたのに、どうして神様はあの人の命を奪ったの?どうして私たち母娘を引き裂いたの?……お母さんを死なせた犯人、もしも私が知ったら、絶対に許さない!」その言葉に、智哉の胸がズキリと痛んだ。彼女を抱きしめる腕に、思わず力がこもる。玲子とこの事件の関係は、まだ確かな証拠がないとはいえ、佳奈の言葉を聞いた今、彼の心に不安が広がった。彼はそっと佳奈の耳にキスを落とし、掠れるような声で囁く。「佳奈、この先、何があっても、絶対に俺を置いていかないで。お願いだから……な?」佳奈はくるりと振り返り、きょとんとした表情で見つめ返した。「何言ってるの?あなたはこの子のパパだよ。私があなたを捨てるわけないじゃん。だって、私たちにはまだ、いっぱい叶えたい夢があるでしょ?」彼女は背伸びして智哉の顎にキスをして、ニコッと笑った。「あなたはお母さんが選んでくれた人なんだよ。私はお母さんの見る目を信じてる。旦那さん、私はこれからもずっとずっとあなたを愛してるから」潤んだ瞳に映るその想いの深さに、智哉の不安は甘く溶けていった。彼は佳奈の顎をそっと持ち上げ、鼻先で彼女の頬を優しく撫でた。喉の奥から、熱を帯びた声が漏れる。「……俺も、ずっと愛してる」そう言って、彼はそのふくよかで柔らかな唇を、そっと包み込んだ。その頃。清司は結婚式の日取りを決めるのが自分の役目と聞き、早朝から車を走らせて高橋家の本邸へと向かってい

  • 結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて   第437話

    その言葉を聞いた瞬間、結翔の胸に鈍い痛みが走った。彼はすぐにポケットからタバコを取り出し、火をつけて、何度も深く吸い込んだ。そして、沈んだ声で言った。「でも、智哉は佳奈が好きな男で、あの子の父親でもあるんだ。二人はあんなに多くの困難を乗り越えて、やっと幸せになろうとしてる。もし佳奈が真実を知ったら……たとえ前の世代の因縁を手放す選択をしても、彼女は一生罪悪感を抱えて生きることになる。そんな苦しみを味あわせたくないんだ」「だから、真実を隠すつもりか?」「できることなら、一生知られずに終わらせたい」結翔は潤んだ目で晴臣を見つめた。これが彼にとって最善の方法だった。妹はあの事故で遠くに流され、長い間家族と離れ離れに暮らしていた。清司がどれほど彼女を大切にしてくれても、母の愛を知らずに育った彼女にとって、裕子の悪影響はとても大きかった。やっとの思いで母の愛に触れ、家族に大切にされている実感を得た彼女を、また地獄のような苦しみに戻すわけにはいかないのだ。晴臣は深い意味を込めて溜息をついた。「忘れるなよ、佳奈は弁護士だ。どんなに小さな矛盾でも見逃さない。玲子に決定的な証拠が見つかったら、この事件は再審になる」「今や佳奈は法曹界でも有名人だ。橘家に迎えられたことも世間に知れ渡ってる。少しでも噂が漏れたら、きっと疑いを持たれる」結翔はタバコを灰皿に強く押しつけ、掠れた声で答えた。「だったら……その時はその時だ。必ずもっといい方法がある。佳奈の幸せを犠牲にしなくても、解決できるはずだ」彼はしばし沈黙した後、ふと問いかけた。「お前は、玲子が本当にそこまで鬼畜で、自分の娘と息子をくっつけようとしてると思うか?」晴臣は思案するように結翔を見つめた。「もしかしたら……智哉は玲子の実の息子じゃない可能性もある」その言葉に、結翔はハッと立ち上がり、目に希望の光を宿した。「すぐに智哉と玲子のDNA鑑定をやらせる。佳奈とあいつの関係、まだ終わったわけじゃない」――佳奈は電話を切った後、晴臣の言葉で心にあった疑念がすっと消えていた。ちょうどそのとき、橘お婆さんが手に小さな木箱を抱えて入ってきた。「佳奈、まだ渡してないものがあるの。これはあなたの母が大切にしていた日記よ。幼い頃からずっと書き続けてたもの。あなたを

  • 結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて   第436話

    「けどお前は、何度も何度も佳奈を傷つけて、死地に追いやった。お前が刑務所に入ったとき、俺はすごく心が痛んだ。更生してくれるなら、出てきたときにちゃんと向き合おうって思ってた。けど、お前は反省するどころか、自殺未遂で脱獄して、挙げ句の果てには佳奈を焼き殺そうとした。美桜……あの時、俺は初めてお前という妹に心底失望した。助けなかったんじゃない。お前が自分で選んだ道だ。誰のせいでもない」この言葉を聞いて、美桜は苦しそうに声を上げて泣いた。てっきり結翔はとっくに自分を見捨てたと思っていた。自分のことなんてもうどうでもいいと思っていた。まさか、やり直すチャンスをくれようとしていたなんて思いもしなかった。でも、それを踏みにじったのは自分自身だった。もう二度と戻れないこの道を思うと、美桜は嗚咽を漏らして泣き崩れた。結翔はティッシュを取り出して、無表情のまま彼女の涙をぬぐった。「お前の母親が玲子だと知ったとき、俺の中の兄妹の絆は完全に壊れた。玲子は……俺の母さんの一番の親友だったんだ。それなのに、お前を遠山家に戻すために、母さんを殺すなんて……美桜、もうお前とは赤の他人だ。お前は俺の母親を殺した女の娘だ」そう言って、彼は部下に美桜から血液を採取させ、そのまま立ち去った。病室に取り残された美桜は、結翔の言葉を何度も思い返していた。自分は、玲子と聖人の子供。玲子は、美智子を殺した犯人。ってことは……智哉の母親が、佳奈の母親を殺したってことじゃないか。母の仇は、絶対に許されない重罪。そんな関係を知って、佳奈は本当に智哉と結婚するのか?この真実を知った途端、それまで死んだようだった美桜の顔に、ふいに薄暗い笑みが浮かんだ。その頃。佳奈は外祖母から母・美智子についての話をたくさん聞いていた。優しくて、気品があって、ピアノの才能にあふれた母。教養があり、思いやりがあって、使用人たちにも家族のように接していたという。こんなに素晴らしい人が、なぜあんな目に遭って、二十六歳という若さで命を奪われなければならなかったのか。本当なら、もっと輝く人生を送っていたはず。もっと幸せになれたはず。そう思うと、佳奈はスマホを取り出し、晴臣に電話をかけた。すぐに相手が出た。「佳奈、どうした?」

  • 結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて   第435話

    そう言い終えると、結翔は部下に命じて玲子の血を少し採取させた。彼女の言葉が本当かどうか、証拠が必要だった。さっきの会話はすべて録音してある。これらの証拠があれば、玲子に死刑判決を下すのも難しくはない。刑務所を出た結翔は、ポケットからタバコを取り出し、一本火をつけた。深く吸い込んだニコチンが喉を通って肺に染み渡る。吸い込みすぎたせいか、何度も咳き込んだ。佳奈のことを思うと、胸が締めつけられるように痛んだ。この事実を、彼女に伝えるべきかどうか……結翔は迷っていた。彼女が知ったら、智哉との関係に影響が出るかもしれない。ようやく、好きな人と結婚しようとしているのに――その相手の母親が、自分の母親の命を奪った犯人だったと知ったら、どうなる?胸の奥がズキズキと痛んだ。それでも結翔は気持ちを落ち着け、佳奈に電話をかけた。すぐに繋がり、佳奈の優しく柔らかな声が耳に届いた。「お兄ちゃん、なんでそんなに早く出かけたの?なにかあった?」その声を聞いた瞬間、結翔は少し笑みを浮かべた。「ちょっと会社の用事でな。今、何してる?」佳奈の声はとても明るく、嬉しそうだった。「おばあちゃんがたくさん持ってきてくれたの!全部、お母さんが私のために用意してくれてた嫁入り道具なんだって。宝石にアクセサリー、有名人の書画、それに川沿いの高級物件が何軒も!全部合わせたら数百億円はあるって……。お兄ちゃん、私ね、なんだかすごく悔しいの。お母さんの顔すら見られなかったなんて、もし生きてたらよかったのに……」その言葉を聞いて、結翔の心臓がズドンと殴られたような衝撃を受けた。佳奈の中で、母の存在が日に日に大きくなっているのがわかる。だからこそ、彼は怖かった。「佳奈……もし、お母さんを殺した犯人が見つかったら……どうする?」結翔の低い声に、佳奈は手に持っていたものをそっと置いた。「お兄ちゃん、何か見つけたの?なにか手がかりが?」「いや、ただの仮定の話だよ。気にしないでくれ」「もし本当に犯人が見つかったら……私は必ず、法廷で自分の手で裁きを下す。お母さんのために、正義を貫くの。その人には、絶対に償わせる。お兄ちゃん、約束して。何を知っても、必ず私に教えて。彼女は私の母親なんだから、真実を知る権利がある」佳奈の言葉

Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status