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第862話

Author: 藤原 白乃介
彼女は心臓を直接求めることはなかった。本当にそう言えば、兄に疑われるのは間違いないからだ。

咲良さえ死ねば、兄はきっとその心臓を彼女に与える。

そう思うと、結衣の胸は思わず高鳴った。

そのときだった。看護師が近づいて報告してきた。

「石井先生、咲良さんが目を覚ましました。あなたに会いたいそうです」

その言葉を聞いた瞬間、結衣の目は大きく見開かれた。

信じられないというように声を震わせた。

「咲良が目を覚ました?あの子、誘拐されたんじゃなかったの?」

誠健はじっと彼女を見つめ、しばらくの沈黙のあと、口元に冷笑を浮かべながら言った。

「誰から誘拐されたって聞いたんだ?ずっと移植手術を受けてただけだよ」

その一言で、結衣の中にかすかに芽生えた希望は跡形もなく砕け散った。

彼女は目を見開いたまま、シーツをギュッと握りしめた。

咲良のやつ……なんで死んでないのよ。

浩史は確かにあの子を人気のない山奥へ捨てたはずじゃないの?

なのにどうして心臓移植の手術なんか……?

あの心臓は咲良に使われた……じゃあ、自分はどうなるの?

考えれば考えるほど怒りが込み上げてきて、結衣は体を震わせた。

声も震えたまま尋ねた。

「お兄ちゃん……咲良の手術、どうだったの?」

誠健は彼女を横目で見て、淡々と答えた。

「成功したよ。もう少ししたら、普通に大学にも通えるさ」

そう言って、結衣の絶望に染まった顔を一瞥し、くすっと笑ってから背を向けた。

そして、部屋を出ていく。

ベッドに取り残された結衣は、狂ったようにシーツを掴み、唇を噛みしめた。

またしても計画は失敗。

怒りと悔しさでいっぱいになりながら、彼女は今にも使用人を呼びつけ、なぜ咲良が無事なのか問い詰めたい衝動にかられていた。

あの子は捨てられたって報告があったのに、どうして何の問題もなく手術を受けてるのよ?

でも、ここで取り乱せばすべてが終わる。

もし兄に怪しまれたら、今度こそ本当に終わりだ。

誠健は咲良の病室に入った。

再び彼女の顔を見て、あの瞳を見て、咲良は思わず涙を流した。

そして、口を開いた。

「お兄ちゃん……」

その呼びかけを聞いた瞬間、誠健の胸が締めつけられた。

彼はすぐにベッドのそばに駆け寄り、咲良
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