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第217話

Author: 山田吉次
美羽はふっと笑みを浮かべた。「私、ゆで卵は好きじゃないの。……味付け玉子でも同じ効果ある?」

翔太が鼻で笑った。

慶太は一瞬言葉を失い、すぐに名を呼んだ。「美羽」

「何度も『平気だ』って言ったのに、どうして信じてくれないの?まるで私に何かあってほしいみたい」

美羽は少し考えて、冗談めかして続けた。「それなら保証書でも書こうか?『私は無事です』って」

彼女が言う気がないなら、慶太にできることはない。

美羽はさらに、彼を結衣のもとへ戻るよう促した。

慶太はしばし粘ったが、ついにため息をつき、立ち上がった。「夜に食事を持ってくる。味付け玉子だったな、覚えておく」

「ありがとう」

病室を出た瞬間、彼の顔から温厚さが消え、冷ややかな影が宿った。

――その一方で。

翔太はベッドに凭れ、唇に余裕の笑みを浮かべていた。「どうして相川教授に助けを求めなかった?彼じゃ役に立たないと思ったのか?それとも……俺と『あったこと』を知られるのが怖いのか?」

「どちらでもないわ」

美羽は再び横になり、淡々と答えた。「私は……あなたに困らされるのは構わない。でも彼が少しでも傷つくのは嫌」

翔太の口元の笑みが、ゆっくりと消えた。

彼の側の灯りはすでに消えており、薄暗いどころか、深淵に呑まれたかのような影が広がった。

数秒の沈黙ののち、低い声。「もう一度言え」

だが美羽はまるで聞こえなかったかのように、静かに瞼を閉じて眠りに落ちた。

――彼女はわざとだ。

彼がどんな理由であれ、彼女が慶太との関係に強く執着しているのは明らか。

だからこそ、言葉の端々で必ず慶太を持ち出す。

ならば、徹底的に意識させてやればいい。

そう思うと、美羽の胸の奥に滞っていたものが、少しだけ晴れる気がした。

だが代償のように、翔太の傷が急に疼き始めた。

点滴の薬液が切れ、機械が自動でナースステーションを呼び出した。

看護師が入ってきて交換しようとした時、彼の唇がきつく結ばれているのに気づいた。「……出血してる!傷口が裂けたんじゃ……どうして呼ばなかったんですか!」

看護師は慌てて医師を呼び、医師は「夜月さん」と聞いて大急ぎで駆けつけた。

すでに血が包帯を濡らしている。

「夜月さん!横になってください!今すぐ包帯をやり直さないと!」

翔太は黙ったまま、強引にベッドへ押し戻され
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