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第29話 固く閉ざされた心、迂闊な言葉

Author: 渡瀬藍兵
last update Last Updated: 2025-05-25 19:04:58

僕と美琴は、

|蝉時雨《せみしぐれ》が降り注ぐ中、松田家の古びた門柱の前に立っていた。

心臓の鼓動が、やけに大きく胸の奥で響いている。

ひとつ深く息を吸い込み、頭の中で何度もシミュレーションした言葉を、もう一度、静かに組み立て直した。

「大丈夫。僕には、彼女の鮮明な記憶があるんだ」

そう自身に言い聞かせながら、目の前の、時が止まったかのような和風の一軒家を見上げる。

瓦屋根は風雨に晒され、ところどころが欠けている。

門柱にはびっしりと緑色の苔が張り付き、まるで長い年月を物語るかのように。

庭の木々は人の手が入らなくなって久しいのか、自由に枝葉を伸ばし、

湿った夏の風が吹き抜けるたびに、丈の伸びた草がざわざわと不気味な音を立てていた。

窓にかけられたカーテンは薄汚れて色褪せ、

内側から微かな生活の気配だけが、ゆらりとかすかに揺れている。

詩織さんの記憶で見た、あの家。

雨が降りしきる夜、彼女が泣きながら飛び出したあの玄関が、今、僕の目の前に現実として存在している。

「……行くぞ」

覚悟を決め、錆びついたインターホンのボタンに指を伸ばした。

ピンポーン――

周囲の喧騒から切り離されたような古い住宅街に、

その呼び出し音だけが妙にくっきりと響き渡る。

遠くで聞こえる蝉の声が、その音に重なり、

まとわりつくような湿気を帯びた夏の風が、緊張で火照った頬を撫でていった。

「はい、松田ですが」

ややあって、インターホン越しに、くぐもった女性の声がした。

少し掠れ、どこかひどく疲弊しきったような声色。

年齢を感じさせるけれど、いわゆる「おばあさん」という響きよりは、もう少し若い印象。

けれど、その声には、まるで枯れ木が擦れ合うような、乾いた響きがあった。

「櫻井悠斗と申します。松田詩織さんのことで、少しお伺いしたいことがございまして……」

そう口にした瞬間、スピーカーの向こうで、相手が微かに息を呑む気配が伝わってきた。

――沈黙。

わずか数秒の間が、針の筵に座らされているかのように、やけに長く感じられる。

やがて、家の内側から重い何かが動く気配がし、玄関の扉がゆっくりと開いた。

ギィィ……ィィン……

古い木製の扉が軋む音が、張り詰めた静寂を痛々しく切り裂
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