Share

第7話

Author:
楓は大輔のほうを向いた。その瞳から、いつもの温もりは完全に消えていた。

「……もう、前と同じ味がしないの」

声は不思議なくらい静かだった。けれど、その静けさが大輔の背筋を冷やす。

大輔は慌てて駆け寄り、楓を抱きしめる。

「きっと店がレシピを変えたんだ」

必死に取り繕う。

「明日、電話して確認するよ。いくらかかっても、前とまったく同じ味に戻させる」

楓の体は、腕の中で硬くこわばったまま。淡々と言う。

「一度変わったら、もう元には戻れない」

その言葉は氷の刃みたいに、大輔の胸に突き刺さった。彼女がケーキの話以上のことを言いたがっているのは、嫌でも理解せざるを得ない。

胸の奥に焦りが一気に広がる。

そのとき、スマホの着信音が鳴った。張り詰めた空気を切り裂く音。

画面を見た瞬間、大輔の顔色が変わる。楓はその変化を見逃さなかった。失望が、さらに深く沈んでいく。

「……出ないと」

大輔はしどろもどろに言った。

「仕事で、緊急の用事が」

楓は完全に背を向けた。

「行って。仕事は大事でしょ」

大輔は数秒、その場に立ち尽くした。妻を取るか、電話を取るか。

そして彼は、ドアへ向かった。

廊下に出た瞬間、薄い壁越しに声が聞こえる。

「智美?どうした?具合悪いのか?今すぐ行く……」

声は遠ざかり、楓はリビングに一人残された。

静けさが息苦しいほど重い。白い壁が、じわじわ迫ってくるように感じる。

二十分後、楓のスマホが震えた。知らない番号。でも楓は出た。

「楓、邪魔してないといいけど」

智美の甘ったるい声だ。

「今日は体調が悪くて。だから今夜、大輔を借りちゃった。電話したら、迷わず飛んできてくれたの。私が大丈夫かどうかが、何より大事だって」

楓はスマホを握る手に力を込めた。けれど何も言い返さない。

智美は満足げに続ける。

「今日ね、大輔言ってたわ。私のほうが若くて綺麗だって」

声が、さらに残酷になる。

「それに私なら、あなたには叶わなかったこと——子供を産むこともできるのよ」

間を置いて、嘲るように言った。

「三年も妊娠しないなんて、体に問題があるんじゃないかって心配してたわよ」

そして、最後の一撃でも与えるかのように笑う。

「そうそう。今日あなたが捨てた苺ムースのケーキ。あれ、私にはしょっちゅう買ってくれるの。甘い女の子には甘いものが一番って。どう?美味しかった?」

通話は、智美の高い笑い声で切れた。

楓は暗い部屋で、ただ座っていた。胸の奥で、何かが決定的に変わってしまったのが分かる。

息が詰まるほど痛くて、そのあと、ゆっくり感覚が麻痺していった。

その日から楓は、静かに荷造りを始めた。服を丁寧に畳み、スーツケースに入れていく。

本、化粧品、アクセサリー。どれも、もう抱えていたくない記憶をまとっている。

その頃、大輔は家を空けることが多くなった。帰りは遅く、泊まらない日も増えた。帰ってきても心ここにあらず。

一方で、智美からのメッセージは止まらない。大きくなっていくお腹の写真。高価な贈り物。心を抉るような挑発の言葉。

親友の明里が、離婚の書類作成を手伝いに来てくれた。

「大輔が不倫して、しかも相手を妊娠させてるなら」

明里は真剣な顔で言う。

「かなり有利に補償を請求できるよ。それに、あなたは結婚のためにキャリアを捨てた。そこも大きい」

書類をテーブルに広げる。

「大学の研究職、続けてたら今頃は高収入だったはずだし」

でも正式に進める前に、楓は父に話すべきだと思った。手術し、療養中の父がいる病院へ向かう。

父の顔色は、数週間前よりずっと良かった。ベッドに起き上がり、新聞を読んでいる。

「……お父さん」

楓は慎重に切り出した。

「もし……仮にだけど……離婚したいって言ったら、どう思う?」

父は新聞を置き、じっと娘を見る。

「楓、何かあったのか?」

楓は視線を逸らさず、言い繕った。

「ただの仮の話。もし、そんな日が来たら……」

「ありえない!」

父の声が鋭く上がる。

「桜井家が、どれだけうちを助けてくれたと思ってる?工場の事故のとき、倒産を免れたのは向こうのおかげだ。医療費も三年間、全部出してくれてる」

興奮で顔を赤くする。

「大輔はお前によくしてくれてるじゃないか。どうしてそんな考えが浮かぶんだ?誰かに変なことを吹き込まれたのか?」

――これ以上は無理だ。楓は悟った。

父は何も知らない。裏切りを知れば、病状に悪影響が出る。

話題を変えようとした、そのとき。父のスマホが鳴った。

画面を見た瞬間、父の顔から血の気が引く。

送り主は、智美。

表示されたのは、ホテルの一室らしき場所で情熱的にキスを交わす大輔と智美の写真。

その下に、短い一文。

【知っておいたほうがいいと思いまして。私は、あなたの娘婿・大輔の子を妊娠しています】

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 縁が逆転~元カレの叔父が夫~   第205話

    楓は空中で侑里の手首をガシッと掴み、その平手打ちを防いだ。彼女は感情を消した顔で侑里を見据え、はっきりと言った。「私の父は、あなたの夫の卑劣な罠によって会社を破産に追い込まれ、今も病院のベッドでドナーを待ちながら生死の境を彷徨っているんです」楓の氷のように澄み切った鋭い瞳に見透かされ、侑里の心に一瞬だけ後ろめたさがよぎった。彼女は楓の手を乱暴に振り払い、声を荒げた。「自分の義父を警察に売り飛ばすような嫁、聞いたこともないわ!今すぐ警察にすべては誤解だったと説明しなさい。さもないと、絶対に許さないから!」侑里がヒステリックで理不尽な女だとは前から知っていたが、ここまで頭の中がお花畑だとは思わなかった。「拉致は立派な重罪ですよ。それに、彼は私を殺して口封じしようとしていたんです。その証拠の録音データもすでに警察に提出しました。おままごとでもしているつもりですか?」侑里の顔が強張った。彼女が何か言い返そうとしたその時、ずっと黙っていた理一が重く冷たい声で口を開いた。「戻れ、侑里。警察署の中でギャーギャー喚き散らして、何のつもりだ!」その一喝に侑里は歯を食いしばり、楓を憎々しげに睨みつけると、大人しく理一と麗子の背後へと下がった。理一は楓に視線を移した。その目は圧倒的な威圧感を放っていた。「さすが木村恒一の娘だ……以前の俺は、お前という人間を見誤っていたようだ」楓は彼を恐れることなく、微かに微笑んで言い返した。「お祖父様。その言葉は、そっくりそのままお返しします。私こそ、桜井家という一族を根本から見誤っていました」直人が木村家を破産に追い込んだ張本人だと知りながら、自分はその息子の妻として嫁いでしまったのだ。その事実を思うだけで、吐き気がした。直人が高宮製薬を陥れたあの非道な手口を、桜井家の人間が誰一人として知らなかったなど、絶対にあり得ない!理一は冷笑した。「やはり若造だな。血気盛んに突っ走るのはいいが」その無謀さが、いずれ自分自身を粉々に打ち砕く結果を招くということに、この小娘は気づいていない。そう言い捨てて、理一は踵を返して警察署を後にした。楓は深く息を吸い込んだ。すべてはまだ始まったばかりだ。これから先、さらに厳しい試練が彼女を待ち受けていることは分かっていた。警察署を出た理

  • 縁が逆転~元カレの叔父が夫~   第204話

    彼らが倉庫の出口に差し掛かったその瞬間、突然周囲から十数名もの武装した警察官が一斉になだれ込んできた。すべてが一瞬のうちに起こり、直人が警察官によってコンクリートの床に組み伏せられて初めて、彼の顔に驚愕と激怒の色が走った。「離せ!!俺を誰だと思っている!!」「誰であろうと関係ない!お前を拉致および監禁の容疑で現行犯逮捕する!」直人は猛然と首を捻り、楓を呪い殺さんばかりの陰惨な目で睨みつけた。「木村楓……貴様、俺を嵌めたな!!」今回の拉致計画は極秘裏に進められたものだ。自分が心から信頼する手下以外に、楓を拉致する計画を知る者は誰もいなかったはずだ。警察がこれほど完璧なタイミングで突入してきたということは、楓は最初から俺の計画を察知しており、意図的に罠に飛び込んできたとしか考えられない。そう気づいた直人の目は、今にも楓の肉を切り刻み、骨の髄まで食らいつくしそうなほどの狂気に満ちていた。楓は怯えきったように顔を青ざめさせ、震える声で彼を見下ろした。「何をでたらめなことを……あなたが無理やり私を拉致したんじゃない」しかし、直人ははっきりと見た。彼女の瞳の奥に一瞬だけ閃いた、氷のように冷たく、嘲るような笑みを。「覚えていろ……絶対に、お前を許さないからな!!」楓は警察官の背後に隠れ、怯えた小動物のように彼を見つめた。その姿は、誰の目にも無垢な被害者にしか見えなかった。直人は怒りのあまり顔を紫色に変色させた。まさか、こんな小娘の浅はかな罠に、この自分がまんまと嵌められるとは。間もなく、直人と彼の手下たちはすべてパトカーに連行されていった。楓が倉庫の外へ出ると、俊が血相を変えて駆け寄ってきた。「木村さん!無事ですか!?」楓は首を振った。「ええ、無傷です。影山さん、警察署まで送っていただけますか?調書を取らなければならないので」「もちろんです」車に乗り込むと、俊は未だに冷や汗が止まらないといった様子で安堵の息を吐いた。「木村さん……本当に、今日は警察の突入が間に合ってよかったですよ。一歩間違えれば、命を落としていたところです……」楓の口角には微かな笑みが浮かんでおり、先ほど警察の前で見せていたような怯えや緊張は微塵も感じられなかった。「影山さんの情報網を信頼していましたから。直人が私を拉致し

  • 縁が逆転~元カレの叔父が夫~   第203話

    会議の最中だった雅也は、その言葉を聞いて弾かれたように立ち上がり、重く冷えた声で応じた。「状況は理解した。すぐに手配する」隣に座っていた恭平が慌てて立ち上がり、雅也に歩み寄った。「社長、どうされましたか?」「解散だ。続きは明日の会議で議論する。恭平、俺が楓の護衛につけていた二人のボディガードにすぐ連絡を取れ。楓が失踪した」恭平は顔色を変え、事態の深刻さを瞬時に悟った。「ただちに確認いたします!」雅也が社長室に戻るとほぼ同時に、顔を真っ青にした恭平がドアをノックして飛び込んできた。「社長!護衛の報告によりますと、楓様の車が聖都を離れて郊外へ向かって走り続けているとのことです!すでに彼らには、何とかしてその車を停車させるよう指示を出しました!」「ああ。彼女の現在位置のGPS情報を俺のスマホに送れ」「承知いたしました」GPS情報を送信し終えた直後、恭平のスマホが鳴った。電話に出た恭平は、相手からの報告を聞くにつれて、その顔を絶望的なまでに蒼白にしていった。「社長……車に乗っていたのは……楓様ではありませんでした……」雅也の瞳孔が限界まで震え、その全身から周囲の空気を凍りつかせるほどの凄まじい殺気が放たれた。「車に乗っていたのは誰だ?」「……タクシーの運転手です。楓様が途中のガソリンスタンドで支払いをしていた際、何者かが運転手に大金を握らせ、楓様の車を運転して逃走するように指示したそうです。楓様本人は、すでにその場で何者かに連れ去られ、行方不明です」「この役立たずどもが!たかが一人の女の監視すらまともにできないのか!今すぐガソリンスタンドの防犯カメラの映像を回収しろ!!」一方、聖都郊外にある人気のない廃倉庫。楓が意識を取り戻した時、彼女は粗末なパイプ椅子に縛り付けられ、口をガムテープで塞がれていた。彼女は無意識に体をよじって拘束を解こうとした。その時、倉庫の重い鉄扉が開き、直人が四人の屈強なボディガードを引き連れて足を踏み入れた。そのうちの一人が楓の前に歩み寄り、彼女の口のガムテープを乱暴に剥がし取った。「一体何のつもり?」直人の口角に冷酷な笑みが浮かんだ。彼は無駄口を叩かず、単刀直入に要求した。「お前が大輔に送りつけたあのファイル。それを俺に渡せば、命だけは助けてやる」「私

  • 縁が逆転~元カレの叔父が夫~   第202話

    「現実に自分の手で掴み取れるものこそが、最も重要なんだ。それが分からないのか?この世の中は不条理に満ちている。誰もが謝罪を受けられ、正義が執行されるとでも思っているのか?正義は真理の側に立つんじゃない。力の側に立つんだ」楓は顔を上げ、氷のように冷たい目で彼を射抜いた。「つまり、あなたの言い分はこうね。私はあなたたちが施してくださる『哀れみの補償』とやらをありがたく受け取って、何事もなかったかのように口をつぐんで生きるべきだと?」「俺はただ、今の君にとって何が一番重要か、現実を見て賢く判断してほしいと言っているだけだ。君が追い求めている『公平』なんてものには、何の価値もない」楓は深く息を吸い込んだ。「私自身が価値があると思えば、それで十分よ」彼女の断固とした態度に、大輔の瞳が暗く沈んだ。「つまり、俺が何を言おうと、君はあの証拠を警察に渡すつもりなんだな?」「考える時間が必要だと、前にも言ったはずよ」ついに、大輔の目から最後に残っていた温もりの欠片すらも消え失せた。彼は感情を消した顔で楓を見た。「分かった。もう帰れ」彼が突然見せたその不気味なほどの冷たさに、楓は嫌な胸騒ぎを覚えた。「治療に専念してちょうだい。もし本当に歩けなくなったとしても、約束通り私が最後まで看病するから」大輔は何も答えず、恐ろしいほどの沈黙を保っていた。楓もそれ以上言葉をかけることはせず、踵を返して病室を出た。車に乗り込んだ後、彼女はしばらく考えを巡らせてから、明里に電話をかけ、会う約束を取り付けた。病室で一人になった大輔は、窓の外の景色をしばらく無表情に見つめていた後、スマホを取り出して直人に電話をかけた。「父さん。計画通りに進めてくれ」それだけ言うと、彼はすぐに電話を切った。一秒でも遅れれば、自分の中に迷いが生じてしまいそうだった。今回の事故の顛末で、楓が自分に対して一切の感情を抱いていないことは痛いほど思い知らされた。なら、もう迷う必要はない。智美が病室のドアを開けて入ってきたが、大輔の異様に暗く沈んだ表情を見て、無意識に足が止まった。「大輔……どうしたの?楓と喧嘩でもしたの?」「お前には関係ない。余計な口出しはするな」智美の顔がこわばった。「ええ、分かったわ」彼女はベッドサイドに座り、猫な

  • 縁が逆転~元カレの叔父が夫~   第201話

    しかし、直人は雅也の実の兄だ。いくら仲が冷え切っているとはいえ、雅也が直人を刑務所に送るような真似に手を貸すだろうか?しばらく考えを巡らせたが、結局答えは出なかった。これ以上一人で悩んでも仕方ない。機会を見つけて、直接雅也に問いただすしかないだろう。翌朝、楓が病院へ大輔を見舞うと、病室のドアを開けた瞬間、智美がベッドサイドに座り、大輔にスープを飲ませている光景が目に飛び込んできた。楓は立ち止まり、冷淡な声で言った。「どうやら、お邪魔だったみたいね」楓の姿を見た智美の目に一瞬、露骨な挑発の色がよぎったが、彼女はすぐに手にしていた器を置き、立ち上がっておどおどした態度を装った。「いえ……あなたがいらしたなら、私はこれで失礼するわ。あなたが帰られた後で、また大輔の顔を見に来るから……」楓が何か言うより早く、大輔が口を開いた。「智美、お前は先に出ていてくれ。彼女と話がある」智美は素直に頷いた。「分かったわ。ドアの外にいるから、何か用があれば呼んでね」智美は楓の横をすれ違う際、彼女にだけ聞こえる声で囁いた。「木村楓。あなたが私に勝てる日は永遠に来ないわよ」楓は微かに微笑んだ。「安心して。不倫男を巡ってあなたと争うつもりなんて、最初から一ミリもないから」あんな裏切り者のクズ男を宝物のように後生大事に抱え込んでいるのは、この世で彼女くらいのものだろう。智美が退出すると、病室は静寂に包まれた。しばらくして、大輔が感情のこもらない声で口を開いた。「楓。本当はここへ来たくなかったんだろう。君も仕事が忙しいんだから、明日からは智美に看病を任せればいい」楓は眉をひそめた。もし大輔が私を庇って重傷を負っていなければ、ここへ足を運ぶことなど絶対になかった。それに、もし私が大輔の看病を放棄すれば、侑里がそれをネタにどれほど私を悪く言いふらすか目に見えている。「私はまだあなたの妻よ。それに、今回はあなたが私を助けてくれたんだから」「フッ」大輔は嘲るように鼻で笑った。「俺が君の命を救い、その代償として両足を失ったところで、君の俺に対する態度は何一つ変わらないじゃないか」「あなたが私を救ってくれたのは事実よ。でも、だからといってあなたの不倫の事実が帳消しになるわけじゃない。私は以前、あなたに十分な機

  • 縁が逆転~元カレの叔父が夫~   第200話

    「まずはスープを飲んで。あなたが言ったこと、真剣に考えるから」「楓。父さんも言っていた。君がその証拠を警察に渡さないと約束するなら、君が望む補償はなんでもするって」楓はスープの器をテーブルに置き、大輔を見つめた。その瞳には、彼には読み取れない複雑な感情が揺らめいていた。「考えると言ったわ。今は治療に専念して。また明日来るから」楓が病室を出て行った後、大輔はすぐに直人に電話をかけ、苛立ち混じりに言った。「父さん、彼女はまだ首を縦に振らない」直人は鼻で冷笑した。「だから俺は最初から言っただろう。お前のそのくだらん苦肉の策は通用しないと。お前がどうしてもと言って聞かなかったからやらせてやったが、これで完全に諦めがついたか?」当初、直人は楓を事故に見せかけて殺害するつもりだった。しかし大輔が、自分が彼女を庇って両足を失うという「苦肉の策」を演じることを提案したのだ。そうすれば、楓の同情を引いて彼女を自分に縛り付けることができる上、命の恩人という立場を利用して証拠を隠滅するよう説得できると考えたからだ。しかし結果は、完全な空振りだった。「彼女がここまで冷酷な女だとは思わなかった。俺が両足がだめになった芝居までしているのに、一向に折れる気配がない。頑なに離婚を要求してくるし、証拠を隠滅するのも拒んでいる」大輔の顔に怒りが浮かんでいた。楓の反応が、自分の想定とあまりにも違いすぎたのだ。「すべてはお前が優柔不断だから招いた結果だ。すでに彼女の監視には人員を張り付けてある。もしあいつが本当にあの証拠を警察に持ち込む気なら、俺はあいつをこの世から完全に消し去るしかない!」大輔は深く息を吸い込み、その瞳に陰惨な殺意を閃かせた。あの証拠が警察の手に渡れば、直人が刑務所行きになるだけでなく、自分自身の立場も完全に危うくなる。楓がここまで非情で、過去の情に微塵もほだされないというなら、自分の身を守ることを最優先に考えるしかない。「……分かった!」一方、病院を出て車に乗り込んだ楓は、すぐにある人に電話をかけた。「影山さん、調査の進展はどうですか?」電話の向こうから、少ししゃがれた男の声が聞こえてきた。「木村さん。あのワゴン車の運転手は末期癌で、余命三ヶ月の宣告を受けていました。昨日、彼の母親が孫二人を連れて聖都を

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status