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第3話 不法占拠の強制執行と、想定外の守護者

作者: 鎧塚 玲
last update 公開日: 2026-06-26 17:32:15

「……ク、クレイジーカード? 何だそれは。新しい魔道具の類か?」

混乱の極みに達したゼクス殿下の顔は、今や王族の威厳など微塵もない。当然ですわね。現代社会の信用システムの崩壊を宣告されたのですから。私は扇をパサリと閉じ、冷徹な判決を下すように告げた。

「殿下、理解力まで破産してしまいましたの? 簡単に言えば、あなたには私に近づく『資格』も、私を所有する『与信枠』も残っていないということですわ。至急、この場から退去してください。さもなければ――」

私が「衛兵を呼びます」と口にしようとした、その時だった。

「失礼いたします。何か問題でも?」

回廊の角から現れたのは、銀の甲冑を纏った一人の青年だった。近衛兵、ネスト。

彼はゼクス殿下の『壁ドン』体勢を視認すると、表情一つ変えずに歩み寄り、殿下と私の間にごく自然に(そして物理的に)割り込んだ。

「ネストか。……貴様、空気を読め。今、私は彼女のフローズンハートを解かして――」

「殿下。現在、王宮内での『令嬢の進路妨害』および『私的領域への過度な接近』は、近衛兵の指導対象となっております。……それとも、殿下。もしや、この石壁の強度を測定しておられたのですか?」

ネストは至極真面目な顔で、殿下がついていた壁をコンコンと叩いた。

「なるほど、先日修復工事が終わったばかりですからね。殿下の細やかな安全点検、敬服いたします」

「……なっ! 違う、私は……!」

王子の情熱的なアプローチが、一瞬で「ただの土木点検」へと格下げされた。可笑しくて吹き出しそうになったが、私は必死で「すんっ」とした表情を維持する。

「ネスト殿。見ての通り、点検は済んだようですわ。殿下をしかるべき執務室へ強制送還していただけますか?」

「承知いたしました、シーラさん」

ネストはゼクス殿下を(礼儀正しく、かつ抗えない力で)促すと、最後に私の方を振り返った。

「大丈夫ですか、シーラさん。少し、顔が赤いようですが……。体調が優れないのであれば、医務室まで同伴しますが」

彼は、ゼクス殿下のように私の胸元や扇をいやらしく見ることはない。濁りのない瞳で、真っ直ぐに私の『目』だけを見て、本気で心配している。

「……っ!」

やめて。そんな、公正な判決を待つ裁判官のような、一点の曇りもない目で私を見ないで。

私の脳内で完璧に積み上げられていた論理の山が、彼の視線一つで、まるでずさんな契約書のようにバラバラと崩れていく。

「べ、別に……っ! あなたが来なくても、私一人で法的に、事務的に処理できたことですわ! 無駄な残業を増やさないでちょうだい、この天然近衛兵!」

思わず叫んで、視線を逸らした。心臓の鼓動が、借金取りの足音みたいにうるさくてたまらない。

「すみません。でも、シーラさんが無事なら、私の残業代は不要です」

ネストは困ったように、けれど春の陽だまりのような爽やかな笑顔を見せた。

「……っ、そういう『贈与罪』みたいな言い方はやめてくださいと言っているでしょう! 迷惑ですわ!」

私は逃げるように踵を返した。

背後でゼクス殿下の「待て、シーラ! その男と何を話している!」という怒号が聞こえたが、今の私には、それに応答するだけの『論理的余裕』が、一ミリも残っていなかった。

王宮の喧騒から離れた私の隠れ家に、その男――タヨリナーイ男爵は、今にも消えてしまいそうな足取りで現れた。貴族とは思えないほど煤けた上着に、怯えた瞳。彼は私の前に座るなり、震える声で絞り出した。

「妻が……妻が怖いんです。何をしても怒鳴られ、『お前は無能だ』『家の恥だ』と人格を否定され続け……。最近では家宝の絵画まで勝手に売却されました。私はもう、自分が誰なのかも、何のために生きているのかも分からなくて……」

私は無表情で聞き流しながら、手元の羊皮紙にさらさらとペンを走らせる。

「……不当な人格侵害、ならびに共有財産の横領罪。そして尊厳の著しい毀損、ですわね」

「えっ……?」

顔を上げた男爵に、私は冷徹な視線を向けたまま告げる。

「男爵、あなたは『頼りない』のではありません。単に、他人の精神を土足で荒らす『有害な害獣』と不当な契約を結ばされている、単なる被害者ですわ。……安心なさい。その腐った縁、私がシュレッダーにかけて差し上げます」

その時、隠れ家の扉が乱暴に蹴り開けられた。

扉壊れたんだけど。

器物損壊罪っと。

「いたわね、この甲斐性なし! 私がいなきゃ何もできないくせに、こんな不吉な女の元へ逃げるなんて!」

現れたのは男爵夫人。燃えるような怒りを顔に張り付かせた彼女は、男爵の髪を掴もうと手を伸ばす。だが、その手は私の差し出した一本の羊皮紙――『仮処分申請書』によって阻まれた。

「あら、その『私がいなきゃ何もできない』という認知の歪み。専門用語では『共依存の強要』、法的には『精神的な奴隷拘束』と呼びますわ」

「な、なんですって!? 夫婦の問題に部外者が口を出さないで!」

「部外者ではなく、代理人ですわ。奥様、あなたの放った暴言、そして家財の勝手な売却。それら全てを今、慰謝料の請求額に換算いたしました。……差し当たり、あなた名義の宝石類と実家からの持参金は、本日をもって『家計の差し押さえ』の対象となります」

「そんな……! 私がどれだけ苦しんできたか、あなたに分かるの!? 子宝に恵まれず、周囲から蔑まれ、私は必死にこの家を守ろうと……!」

夫人の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。その言葉に、男爵がびくりと肩を揺らした。

不妊。それが引き金となり、彼女は自分を守るために夫を攻撃し、支配することでしか正気を保てなくなっていたのだろう。

だが、私は扇を「すんっ」と閉じた。

「……事情があるからといって、他人の心を壊す権利が与えられるわけではありませんわ。不妊は悲劇ですが、それを免罪符にしたモラハラは、ただの『加害』です」

私は静かに、離婚合意書を突きつける。

「奥様、あなたも、彼を壊し続けることでしか自分を保てないのなら、この縁はもう『修復不能な破綻』を迎えています。彼のためではなく、あなた自身の呪縛を解くために、署名なさい」

夫人は崩れ落ち、震える手でペンを取った。

愛が憎しみに変わる過程に、温情などという法理は存在しない。

ただ、二人の間に流れた沈黙だけが、かつてそこにあったかもしれない「幸福」の残骸を弔っていた。

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