LOGIN銀狐は俯き、蚊の鳴くような声で答えた。
「……それは、傀儡師から渡されたものです。彼の話では、僕がどこでこの土笛を吹いても、必ず彼の耳に届くらしい」
幻蛇は目をわずかに細め、鼻から冷笑を漏らした。「……殊の外、率直だな」
言うが早いか、幻蛇は土笛を地面へと容赦なく叩きつけた。パチンと高い音が響き、塤は銀狐の目の前で跡形もなく粉々に砕け散った。
「実は、我は先ほど君を試していたのだよ」
「試し……?」銀狐は訝しげに顔を上げた。
「我はずっと暗に君の後を追っていた。君と傀儡師との間の約束など、我の耳にはすべて筒抜けだったのだ。もしさっき、君が少しでも隠し事をしていたなら……」
幻蛇は足
「この不届き者が……!」幻蛇は血を吐き散らし、荒い息の合間に怒声を絞り出した。「……この程度で我を殺せると思ったか!?甘いぞ!傷つくのは刑天岳の肉体だけだ。我の魂ではない!この器が使い物にならなくなれば、また別の宿主を探せば済む話。だが、刑天岳は確実に死ぬ!」「彼の身体は、すでにあなたに奪われています」銀狐は、苦痛にのたうち回る幻蛇を冷ややかに見下ろした。「どうせ死ぬ運命なら、死地にこそ活路がある。ならば、僕がこの手で終わらせてやる」「いいだろう……銀狐、お前は本当にどこまでも薄情な奴だ」幻蛇は喉の奥で乾いた笑いを漏らした。「そこまで意地を通すなら、我も容赦はせん!」次の瞬間、幻蛇は耳を劈く咆哮を轟かせた。刑天岳の顔面から、濃密な妖気を孕んだ黒煙が幾筋も噴き上がる。それらは空中で絡み合い、やがて巨大な黒蛇の姿を形作っていった。その巨体は、大人の男が四人がかりで抱えても届かぬほど太く、狭い洞窟など到底収まりきらない。だが銀狐は、そんな化け物に目もくれなかった。彼は一直線に倒れ伏す刑天岳へ飛び込み、その場で原形を現すと、男の後ろ襟を鋭い牙で咥え上げた。その瞬間。幻蛇の尾が、轟音とともに薙ぎ払われた。銀狐は刑天岳を咥えたまま全力で跳躍し、紙一重でその一撃を回避する。直後、爆音とともに洞窟全体が激しく揺れた。
銀狐は俯き、蚊の鳴くような声で答えた。「……それは、傀儡師から渡されたものです。彼の話では、僕がどこでこの土笛を吹いても、必ず彼の耳に届くらしい」幻蛇は目をわずかに細め、鼻から冷笑を漏らした。「……殊の外、率直だな」言うが早いか、幻蛇は土笛を地面へと容赦なく叩きつけた。パチンと高い音が響き、塤は銀狐の目の前で跡形もなく粉々に砕け散った。「実は、我は先ほど君を試していたのだよ」「試し……?」銀狐は訝しげに顔を上げた。「我はずっと暗に君の後を追っていた。君と傀儡師との間の約束など、我の耳にはすべて筒抜けだったのだ。もしさっき、君が少しでも隠し事をしていたなら……」幻蛇は足元に無残に散らばる破片を指差した。「これが君の末路となっていたところだ」銀狐の胸の中は冷や冷やしていたが、その顔は何事もないかのように平然としていた。「……どうやら、あなたはどこまでいっても僕を信じきれないようだね」言い終えると、銀狐は気力を振り絞って這い起きた。彼は片手を壁につき、まだ少し力が入らない両脚を支えた。「ならば、僕たちはここで別れましょう」「待て」幻蛇は銀狐の背後から重々しい声で制した。「我がいつ、君に去ってよいと言ったかね?」「……これ以上、どのようなご用命がおありですか?」銀狐は足を止め、身を翻すと、平静な顔で幻蛇がこちらへと一歩一歩迫ってくるのを見つめた。そして、幻
幻蛇は顎をわずかに引き、底知れぬ眼差しで銀狐をじっと見つめた。まるで、その胸の奥底まで見透かそうとしているかのように。「我の法力を取り戻す手助けをし、その代わりに我は君へ自由を与える――それが、君の言う取引かい?」「その通りだ」銀狐の表情は硬いままだった。「それが何を意味するか、本当に分かっているのかね?」「分かっている」銀狐は淡々と答える。「僕を自由にしてくれるなら、生贄がいくら必要であろうと、すべて僕が調達してこよう。僕にとって、その程度のことは造作もない」「たとえ、人間を手にかけろという命令でも?」「ああ」銀狐はまっすぐに幻蛇の視線を受け止めた。幻蛇は声を低く沈める。「口先だけでは信用できんな。ならば行動で証明してみせてもらおうか」銀狐の返答にも、一切の迷いはなかった。「ならば今すぐ山を下り、生贄を連れてこよう。十人か?五十人か?それとも百人か?望む数を――」言い終える前に、銀狐は幻蛇に手首を強く掴まれ、そのまま地面へ押し倒された。「そんな面倒な真似は必要ない」幻蛇の瞳には欲望が濃く滲み、妖しく昏い光が揺らめいている。「忠誠を示すというなら、まずは自ら手本を見せるべきだろう。……最初は君自身からだ」あの日、里の禁地にて、幻蛇は銀狐と契りを交わそうとしたものの、最後の土壇場で予期せぬ邪魔が入ってしまった。彼は
目の前に広がっていたのは、巨大な隕石孔だった。見渡す限り十里四方には草木一本生えておらず、干からびた河床が底に張りつき、剥き出しの斑模様の土と岩石だけが荒涼と転がっている。無我夢中で走り続けた末に、銀狐は知らぬ間に、自らが初めてこの世界へ降り立ったあの秘境へと戻ってきていたのだ。銀狐はクレーターの崖際に立ち尽くし、胸に込み上げる万感に息を呑んだ。まるで隔世の感に包まれているかのようだった。しばらく呆然としていた、その時。不意に耳元へ、不穏なざわめきと足音が流れ込んできた。銀狐が振り返ると、そこには見覚えのある顔ぶれが並んでいた。現れたのは、この秘境に棲む妖獣たちだった。銀狐が秘境を去る前、彼らはある者は手懐けられ、ある者は叩き伏せられ、皆いつしか銀狐の手下や悪友のような存在になっていた者たちである。かつての仲間たちを目にした瞬間、銀狐の胸に最初に湧き上がったのは歓喜だった。だが次の瞬間、彼は異様な気配に気づく。目の前の妖獣たちは、どれも瞳が虚ろで、顔色は死灰のように青白い。一挙手一投足から生気がまるで感じられないにもかかわらず、その身から放たれる殺意だけは凄まじかった。正面から押し寄せる重苦しい威圧感に、銀狐は理由も分からぬまま恐怖を覚え、本能的に一歩後ずさる。その足が崖際を踏み鳴らし、カチリと小さな音が響いた。砕けた石片がぱらぱらと崖下へ落ち、数十丈はあろう深淵へと呑み込まれていく。銀狐の心臓もまた、同じように深く沈み込んだ。次の瞬間だった。妖獣たちは、まるで同時に命令を受けたかのように、一斉に銀狐へ襲いかかってきた。銀狐は咄嗟に左右へ跳躍し、猛攻をかわ
もう一方では、颯斗が少女と囲炉裏端に腰を下ろし、語り合ううちにいつしか時を忘れていた。練と銀狐はなかなか戻ってくる気配がなく、窓の外を見上げれば、すでに日は高く昇っている。二人が出て行ってから、少なくとも一刻は経っていた。胸騒ぎを覚えた颯斗は、二人を捜しに行こうと立ち上がる。その時だった。外から突然、激しい怒鳴り声と罵声が響いてきた。慌てて飛び出すと、村の入口近くの小川のほとりで、四、五人の子供たちが銀狐と練を取り囲んでいた。子供たちは容赦なく石を投げつけながら、口々に叫んでいる。「魔物だ!こいつ、化け物だぞ!」銀狐は全身ずぶ濡れになっており、どういうわけか隠していたはずの耳と尾が露わになっていた。練はその前へ毅然と立ちはだかり、子供たちへ必死に怒鳴り返しながら、自らの身を盾にして降り注ぐ石礫から銀狐を庇っている。「何してやがる!」颯斗は大股で駆け寄ると、怒声を張り上げた。「ガキのくせに寄ってたかって、何やってんだ!」その凄まじい剣幕に、子供たちはたちまち怯え上がった。手にしていた石を放り出すと、わめき散らしながら蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。「一体、何があったんだ?」悪童たちを追い払った後、颯斗は急いで二人の様子を確かめた。幸い、命に別状はない。練は軽い打撲程度で済んでいたが、銀狐は額へ石が当たったらしく、裂けた傷口から細く血が流れていた。「さっき、川辺で話をしていたら、突然助けを呼ぶ悲鳴が聞こえてきたんだ」颯斗の問いに、練が静かに説明する。「一人の女が川辺に座り込んで、子供が溺れたって泣き叫んでいてね。水面を見ると、確かに子供が必死にもがいていた。銀狐は助けたい一心で、考えるより先に川へ飛び込んで、その子を救い上げたんだ」「あの時は一刻を争う状況だった。必死で……そこまで気が回らなかったんだ」銀狐が暗い顔で、練の言葉を引き継ぐ。「溺れていた子供を抱き上げ、岸の女へ渡した瞬間、相手は僕の顔を見て真っ青になった。その時になって初めて気付いたんだ。無意識に耳と尾を出してしまっていたことに……」颯斗は納得できないという顔をした。「でも、お前はそいつの子供を助けたんだろ?」練は深くため息をつく。「いくら説明しても、あの女は聞く耳を持たなかった。まるで疫病神から逃げるみたいに子供を抱えて、一目散に走り去ってい
練が後を追って村の入り口まで数歩歩くと、底まで透き通った小さな川が見えてきた。銀狐は川沿いの荒れ果てた草むらに膝を抱えて座り、じっと水面を見つめて物思いに耽っていた。背後から人が近づいてくる気配を察し、銀狐は耳をピクリと動かして、振り返りもせずに言った。「……僕たちはここで袂を分かとう」「俺たちと一緒に幻蛇を探しに行かないのかい?」練が問う。銀狐は伏せ目がちに首を振った。「どうして?怖気づいたのかい?」「あんな奴、ちっとも怖くない!」練は銀狐の隣まで歩み寄り、横顔を覗き込んだ。「……なら、万が一にも刑天岳を傷つけるのが怖くて身を切られるように胸が痛むのかい?」「あのクソ剣修のことなんてどうでもいい!」銀狐は弾かれたように立ち上がり、身を翻して練をにらみつけた。「……僕はただ、一つのことに気づいただけなんだ」「何に気づいたんだい?彼のことが好きだと?」「大間違いだよ!」銀狐は顔を真っ赤にし、羞恥と怒りのあまり地面を激しく踏み鳴らした。「……僕はただ、最初から刑天岳に関わるべきではなかったと気づいただけなの!」「どういう意味だい?」練は首を傾げた。銀狐は拳を固く握りしめた。「勝ち気に任せて彼に決闘を挑むべきではなかったし、ましてや白神岳で一時の情けをかけて彼を救うべきでもなかった。もしあの時、彼を救っていなければ、彼がハエのように僕を追い回すこともなかったはず。も
「言われてみれば、確かにそうだな」颯斗は辺りを見回した。練の言う通り、目が覚めた瞬間から、彼は自分が森の中にいるという事実を疑いようもなく認識していた。降りしきる豪雨の中にあっても、遠くから響く獣の咆哮を鮮明に聞き取ることができたのだ。そればかりか、雨粒が毛皮を打つ感触、土の匂い、湿った空気の冷たさまでもが、現実以上に明確な輪郭をもって迫ってくる。あたかもこの世界そのものが、五感の深奥を直接撫で上げているかのようだ。心界における感覚は、脳が生み出す幻影にすぎない。だからこそ時に、それは現実よりも過剰に、歪に、そして鮮烈なものとなる。「頭を抱えたいのは、どう考えても俺の方だろう」練は
「二時の方向、警戒しろ!」練が叫ぶ。その声は単なる警告ではない。そこに敵がいる、という現在ではなく、そこに“危険が発生する未来”がある、という座標の提示だった。間一髪、翼を持つゴブリンが抜き身の刃を構え突っ込んできた。颯斗は一歩退き、まず相手の攻撃を空振りさせる。そして息つく暇も与えず跳びかかると、鋭い牙を剥き出しにした血滴る顎で、ゴブリンの喉笛に噛みついた。鮮血の味が口中に広がった瞬間、颯斗は未だかつてない高揚を覚えた。屠り尽くすという快感が込み上げ、電流となって全身の神経を隅々まで駆け巡る。怖い。悍ましい。それなのに、身体が歓喜している。――これが、SAの力。理性の
「彼には言わないでほしい」「え?誰に?」振り返った颯斗は、訝しげに問い返した。「練だよ」テツは両手を組んだまま、言葉を続けた。「彼には伝えないでくれ。俺がここにいることを」颯斗は愕然とした。頭の奥で、何かが弾ける音が響く。まさか、この教会も、テツという存在さえも、練本人は知らないというのか?はっと意識が現実へと引き戻される。颯斗は弾かれたようにアイマスクを外した。視界に飛び込んできたのは、リクライニングチェアに深く身を預けた練の姿だった。わずかに首を傾げ、瞼を閉ざしている。微睡んでいるかのような、安らかな寝顔だった。「霧生さん?霧生さん!」颯斗は身を乗り出して、練の肩を揺さ
再び目を開けると、颯斗は自分が見渡す限りの草原にいることに気づいた。薫風が微かな暖かさを運び、足元では野花が揺れている。颯斗は辺りを見回したが、この広大な草原にいるのは自分一人だけのようだ。そして前後左右の四方向には、それぞれ扉が一つずつ、草原の上に唐突にそびえ立っていた。「ここはどこだ?」颯斗は訳が分からないといった様子だ。「俺は……霧生さんの心界に入ったのか?」自分の心界は監獄だというのに、練のそれは、あまりにものどかな大草原