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第3話

Author: 匿名
私が雅人を「裏切った」のは、結婚して2年目のことだった。

その頃、私は妊娠してひと月あまりだった。

けれど、私も雅人もまだそのことを知らなかった。

当時、雅人の事業はようやく軌道に乗り始め、複数の出資者も見つかっていた。

このまま順調に成長するはずだった。ところが、理由も分からないまま突然すべてが崩れ始め、決まっていた出資まで一斉に引き揚げられた。

資金繰りは行き詰まり、製品にも次々と問題が見つかった。

融資の返済も滞り、担保に入れていた家も車も工場も、差し押さえられて競売にかけられようとしていた。

あの頃の雅人は食事も喉を通らず、夜も眠れなかった。

さらに追い打ちをかけるように、雅人の母親にがんが見つかり、治療には多額の費用が必要になった。

私は伝手を頼り、事業が傾いた原因を調べてもらった。

裏で雅人の会社を追い詰めていたのは、かつて彼に酒瓶で頭を殴られた颯真だった。

その頃、颯真のほうから私に接触してきた。

神栄グループ傘下の投資会社から雅人の会社へ出資し、母親の治療費まで負担してもいいと言った。

当然、条件があることは分かっていた。

悪魔が無償で人を救うはずがない。

殺されない代わりに、命より大切なものを差し出せということだ。

私は、こんなことをする意味があるのかと尋ねた。

颯真は蔑むように答えた。

「やりたいからやる。それ以外に理由がいるか?お前たちみたいな連中が、腹を立てても俺には何もできない。その顔を見るのが好きなんだよ。それに、あいつに頭を割られた借りも、まだ返してもらってない。そろそろ報いを受けるべきだろ」

私は颯真という人間が理解できなかった。

雅人を苦しめる方法はいくらでもあったはずなのに、彼はあえて私を選んだ。

何年経っても、あの日の光景だけは鮮明に覚えていた。

ほの暗い個室で、私は颯真の膝の上に座らされ、抱き寄せられていた。

颯真が契約書を手にしているところへ、雅人が扉を開けて入ってきた。

私の姿を見た途端、彼はその場に立ち尽くした。

目を赤くし、かすれた声で尋ねた。

「どうしてだ?」

私は答えた。

「あなたには、私が望む暮らしを与えられない。でも颯真さんならできるから……」

颯真は声を上げて笑った。

そして、いやらしく笑いながら、私の腰を強くつねった。

胸をめった刺しにされたようだった。屈辱でどうにかなりそうだったが、それでも媚びるような笑みを作り、その手から逃れるように身をよじった。

「雅人、これでいいじゃない。私が仕事を取ってきて、あなたは神栄と契約する。お互いに得をするでしょう」

雅人の表情が、少しずつ失望に変わっていった。

それでも、彼はまっすぐ私に手を差し伸べた。

「朝美、こっちへ来い。こんなことをする必要はない。お前が望む暮らしなら、俺が必ず手に入れてみせる」

その声は懇願するようで、顔には痛々しいほどの悲しみがにじんでいた。

胸を押し潰されるようで、息さえできなかった。

「今日の契約なんていらない。朝美、一緒に帰ろう……」

かつて、神栄の御曹司を相手に一歩も引かず、迷わず酒瓶を振り下ろしたほど誇り高かった人が、今は私にすがるように頼んでいた。

颯真は愉快そうに笑った。

「雅人、お前も女を見る目がないな。ちょっと誘いをかけただけで、あっさり俺と寝たぞ。だったら、あのとき俺を酒瓶で殴ったことに何の意味があったんだ?ははは……」

雅人は颯真の言葉に反応せず、ただ私だけを見つめていた。

私は颯真の首に腕を回し、雅人に笑いかけた。

「そうよ、雅人。何でも深刻に考えすぎないほうがいいわ」

その後のことは、あまり覚えていない。

ただ、雅人が契約書に署名し、真っ赤な目で私に言った言葉だけは覚えていた。

「朝美、俺たちの関係は、どちらかが死ぬまで終わらない」

その後、雅人は取り憑かれたように仕事へ打ち込んだ。

わずか数年で小さな会社を上場企業に育て、前年には業界最大手の一角にまで押し上げた。

彼は成功した。

そして私は、雅人の人生で最も消し去りたい汚点になった。

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