LOGIN結婚式が始まる直前、母が突然胸を押さえて倒れた。 私は式どころではなくなり、母を連れて病院へ向かった。 ところが、救急外来に着いてすぐ、家族のLINEグループにメッセージが届いた。 【結月は病院に連れ出したよ。もう式を始めて大丈夫】 その直後、父から返信が来た。 【心配ない。もう佳奈をエスコートして、バージンロードを歩いてる】 兄も続けてメッセージを送ってきた。 【佳奈は10年も待ったんだ。今日やっと、堂々と一ノ瀬智哉(いちのせ ともや)と結婚できる】 3通のメッセージは、すぐに取り消された。 けれど今度は、親友の朝倉澄香(あさくら すみか)が、結婚式の様子を撮った動画を間違えてグループに送ってきた。 動画の中で、妹の藤崎佳奈(ふじさき かな)は、私が自分で選んだウェディングドレスを着ていた。 バージンロードの先には智哉が立ち、本来なら私の指にはめられるはずだった指輪を、佳奈の左手の薬指にはめている。 昨日まで笑顔で「結婚おめでとう」と祝ってくれていた親戚や友人たちが、一斉にはやし立てていた。 「キスして!」 その瞬間、ベッドに横になっていた母が私のスマホをひったくった。 さっきまであれほど苦しそうにしていた顔からは、もう苦痛の色など消えていた。 残っていたのは、嘘がばれた焦りだけだった。 「結月、佳奈はずっと智哉を待ってたの。あの子はただ、自分の結婚式を挙げたかっただけなのよ。 あなたはもう7年も智哉と一緒にいられたでしょう?今回だけは佳奈に譲ってあげて。ね?」 私は、母の胸にまだ貼られたままの心電図の電極パッドを見て、ふっと笑った。 そうか。 みんなで口裏を合わせて、私にこの茶番を最後まで演じさせていたんだ。 何も知らされないまま、笑いものにされていたのは――私ひとりだけだった。
View More智哉は帰国しても、すぐに佳奈と激しく言い争ったりはしなかった。ただ新居を出て、今後の連絡はすべて弁護士を通すことにした。佳奈は何度か会社まで智哉を訪ねてきた。泣いてすがったこともあれば、子どものことを持ち出して引き止めようとしたこともあった。けれど、智哉が本当に戻るつもりがないと分かると、最後には冷たく言った。「どうして私だけ責めるの?婚姻届を出したのは智哉も自分で決めたことでしょう。結婚式だって、あなたが自分の口で私にすると約束した。智哉、私たち、どっちもどっちでしょう」佳奈は最後まで、あの電話に出たことを認めなかった。ブライズルームで私にぶつかったことも、ただの事故だったと言い張った。けれど今度ばかりは、もう誰も無条件に彼女を信じなかった。子どもが生まれたあと、二人は離婚した。両親も、以前のように佳奈の側に立つことはなくなった。けれど、何事もなかったように接することも、もうできなかった。家族は今も同じ街で暮らし、年末年始には一緒に食卓を囲むこともある。ただ、食卓には不意に沈黙が落ちることがあった。誰もが分かっている。空いたままのあの席が、本当は誰のものだったのかを。澄香からは、長い謝罪の手紙が届いた。佳奈からもらった高価なプレゼントに目がくらみ、そのたびに黙ることを選んでしまったのだと書かれていた。そして最後に、もう一度だけ友達としてやり直す機会をもらえないか、とあった。私は返事をしなかった。澄香が本当に私を失うことを恐れたのは、すでに私を失ったあとだったから。1年後、両親と兄が、私のいる街までやって来た。事前の連絡はなかった。ただ、オフィスビルの外で一日中、私を待っていた。母は私の姿を見ると、反射的に一歩こちらへ踏み出し、すぐに足を止めた。「結月。お母さん、あなたを連れ戻しに来たわけじゃないの。ただ……元気にしてるか、見たかっただけ」母は以前より、ずいぶん老けて見えた。父は隣に立ち、私が子どもの頃に好きだった菓子の箱を手にしていた。兄はずっと俯いたままで、私と目を合わせようとしなかった。私は何度も、こんな場面を思い描いたことがあった。いつか彼らが私のつらさに気づき、遠くまで私を捜しに来てくれる日を。けれど、本当にその日が来てみると、胸に残っていた
この数か月で、私の生活も少しずつ変わっていった。プロジェクト案は6回却下された。7回目のプレゼンを控え、私は会議室で一晩中作業を続けた。責任者は最終承認書を差し出し、笑って言った。「藤崎さん、おめでとう。あなたのデザイン、採用が決まったわ」その書類を受け取った瞬間、ふいに目の奥が熱くなった。以前なら、何か結果を出したとき、真っ先に知らせたい相手はいつも智哉だった。その次が両親で、兄で、澄香だった。けれど彼らは、返事すらしないか、「分かった」と、そっけなく返すだけだった。佳奈なら、アフタヌーンティーの写真を一枚投稿しただけでも、みんながすぐに反応した。けれど今、会議室では同僚たちが私の企画書を最後まで真剣に読み、拍手を送ってくれていた。コーヒーを差し出してくれる人もいれば、夜はみんなで祝おうと笑って誘ってくれる人もいた。私は最終承認書に自分の名前を書いた。そのとき初めて思った。「藤崎結月」という名前は、誰かの妻でも、娘でも、姉でもなく、私自身の名前として、ちゃんと意味があるのだと。半年後、プロジェクトの第1期が正式に完成した。そのニュース映像が国内でも放送され、智哉はようやく報道の中で私の姿を見つけた。画面の中の私は髪を短く切り、プロジェクトの模型の前に立って、落ち着いて記者の質問に答えていた。インタビューは、わずか3分だった。それなのに智哉は、その映像を一晩中何度も見返した。翌日、彼は一番早い便の航空券を取った。智哉が私を見つけたとき、私はちょうど発表会を終えたところだった。会場の外に立つ彼は、ずいぶん痩せていた。「結月」たった一度名前を呼んだだけで、声がかすれた。私は足を止めた。「何か用?」あまりにも平静な私の声に、智哉の顔から少しずつ血の気が引いていった。「8か月、ずっとお前を捜してた。結婚式で佳奈が言ってたことは、本当じゃない。あの99日間、朝食も、花も、告白の言葉も、全部俺が自分でやりたくてやったことだ」智哉は必死な目で私を見た。まるで壊してしまった思い出を、もう一度つなぎ直そうとするように。「結月、あの7年間は芝居なんかじゃない。俺は本当に、お前を愛してた」私は智哉を見つめ、ふっと笑った。「一ノ瀬智哉、そんなことを聞けば、私が
翌日、智哉はもう一度、結婚式を挙げたホテルへ向かった。そして、ブライズルーム前の防犯カメラ映像を確認した。映像には、スーツケースを引いて部屋を出る結月が映っていた。佳奈が正面から歩いてきて、結月の横を通り過ぎる瞬間、明らかに足を止めた。その肩が、結月にぶつかった。結月はバランスを崩し、ブライズルームへ倒れ込んだ。数秒後、智哉が後を追って部屋へ入っていく。室内の様子までは映っていなかった。けれど、佳奈が立ち去る直前、自分の足元へ目を落とす姿ははっきり残っていた。白いハイヒールには、結月の血が数滴ついていた。佳奈は気づいていた。それでもお腹を押さえ、みんなを連れてその場を離れた。智哉はその映像を佳奈に見せた。佳奈は一瞬だけ動揺したものの、すぐに泣き出した。「ウェディングドレスの裾が重くて、私もちゃんと立ててなかったの。血が見えたけど、お姉ちゃんが生理になっただけだと思った。そのあと急にお腹が痛くなって、赤ちゃんのことで頭がいっぱいだったの。ほかのことまで気が回るわけないでしょう?」どの言葉にも、それなりの言い分はあった。けれど全部を聞き終えた今、もう信じる気にはなれなかった。智哉は、これまでのように佳奈をなだめなかった。ただスマホを手に取り、そのまま書斎へ入っていった。その日から、智哉は結婚式の映像を何度も見返すようになった。結月が、あの99日間もすべて芝居だったのかと問いかける場面も、佳奈が、朝食もデートも告白の言葉もすべて自分が用意したと言う場面も。けれど智哉自身が、誰よりも分かっていた。あれは嘘だ。7年前、寮の前で結月を待っていたのは智哉自身だった。結月がパクチーを食べられないことも、低血糖になりやすいことも、雨の日には膝が痛むことも、智哉が覚えていた。あの頃、智哉は本当に結月を愛していた。結婚式で佳奈の言葉を否定しなかったのは、結月に婚姻届のことまで知られた以上、これ以上騒ぎを広げず、佳奈と一ノ瀬家の面目を守りたかったからだった。けれど今になって、ようやく気づいた。あのとき黙っていたことで、自分の手で、二人の7年間の思い出まで全部嘘だったことにしてしまったのだと。智哉は初めて、結月に長いメッセージを送ろうとした。【結月、あの頃のことは佳奈に教えられたわけじ
100件を超える不在着信の中で、一番多かったのは智哉だった。ほどなくスマホがまた震え、画面に智哉の名前が表示された。数秒見つめたあと、そのまま通話を切り、全員まとめてブロックした。空港には、プロジェクトの責任者が迎えに来ていた。私の顔を見るなり、彼女は眉をひそめた。「顔色、かなり悪いけど……大丈夫?先に病院へ行ったほうがよくない?」私は首を横に振った。「ちょっとした手術を受けたばかりなので、数日休めば大丈夫です」彼女はそれ以上聞かず、私の荷物を受け取ると、車のドアを開けてくれた。見知らぬ街並みが、車窓の向こうへゆっくり流れていく。ここには、佳奈を知る人はいない。あの馬鹿げた結婚式のことを知る人もいない。プロジェクトチームからは、1週間の休暇をもらった。けれど3日目には、私はもうオフィスへ戻っていた。痛みが消えたわけではない。ただ、目を閉じるたびに、あのSNSの投稿が浮かんだ。父と母が佳奈のベッドを囲み、まだ生まれてもいない子どもの名前を考えている姿。看護師から手術同意書を渡され、どうして家族が誰も来ていないのかと聞かれたときのこと。だから、無理にでも自分を忙しくするしかなかった。朝から深夜まで、何度も何度も企画書を練り直した。家に帰って倒れ込むように眠れるほど疲れていれば、彼らの夢を見る余裕もなくなる。……智哉がホテルからの電話を受けたのは、3日目のことだった。支配人によると、ブライズルームのカーペットに広範囲の血痕が残っており、清掃費について式の主催者に確認が必要だという。「血痕?」智哉はスマホを強く握った。「誰の血ですか?」「当日、藤崎結月様がブライズルームから救急搬送されています。清掃スタッフが発見したときには、すでに意識を失っていたそうです」智哉の顔色が一変した。病院へ駆けつけて初めて、結月が妊娠6週だったことも、その子を失ったことも知った。看護師は、智哉が緊急連絡先として登録されていると分かると、見る目を冷たくした。「患者さんの携帯から、8回お電話しています。最初の電話がつながったとき、女性の方から『今は別の妊婦の検査に付き添っているので、これ以上かけないでください』と言われました」智哉はその場に立ち尽くし、しばらく何も言えなかっ