「失礼致しました。マーティン公爵殿下の頬にアブラムシが付いていたもので⋯⋯」
アメリアは気まずそうに俯いたが、その顔を無理やりルーベンは上げさせ目を合わせさせた。ルーベンは明らかに不敵な笑みを浮かべていて、彼女は困惑した。
「借金まみれの貧しい男爵家の令嬢風情がやってくれるじゃないか。決めたぞ! アメリア嬢、俺と結婚しろ。そうすれば今回の暴行の件は不問にしてやる」
冷たく言い放つルーベンに、彼女は思わず彼が自分の頬に添えている手を払った。
「私はカレブ公子様の助けにはなりたいと思いますが、マーティン公爵殿下と結婚はしたくありません」
「断れば、君の家を潰す。家族を路頭に迷わせたくないだろう」アメリアはルーベンの横暴な態度に目を見開いた。彼女は彼とは殆ど接点はなかったが、品の良い優秀な男だという噂は耳にしていた。目の前の人を見下し、妻の葬儀の日に婚姻を強引に迫る男は健やかな評判の人物とは別人に見える。
「私を所望しなくても、マーティン公爵殿下とご一緒になりたい令嬢は大勢いると思いますわ」
「俺は君が良いんだ」 彼女は彼が嫌がる自分を妻にすることを楽しむような悪趣味な人間だと呆れた。アメリアは気がつくとカレブが自分にピッタリとくっついて不安そうに服の裾を掴んでいるのに気がつく。「マーティン公爵殿下、私と結婚するならカレブ公子様に後継者教育をさせると約束してください。それから、私は公爵殿下と子作りをするつもりはございません。カレブ公子様に兄弟を作ってあげたいのでしたら、他の令嬢を当たってください」
意を決して言ったアメリアの言葉にルーベンは馬鹿にしたような笑みを浮かべる。その時の表情がアメリアにとっては忘れられない不快なものとなった。
それから3ヶ月後、喪が明けぬままルーベン・マーティンとアメリアは結婚をした。
ルーベンがアメリアの実家に自分たちの結婚話を持ちかけると、アメリアの実家は彼の財産に目が眩み娘をすぐにでも差し出したいと申し出たのだ。 アメリアは実家の財状を慮ると何も言えなくなった。 そうして、アメリアのマーティン公爵邸での生活が始まった。 豪華絢爛とした公爵邸になれぬまま、与えられた部屋でアメリアはカレブが言葉を発せなくても意思を示せるようなカードを作っていた。扉をノックする音と共に返事も待たずに、扉が開く。
薄手の寝巻き姿で机に向かっていたアメリアは扉の方を見て顔を顰めた。「マーティン公爵殿下、何か御用でしょうか⋯⋯」
「何か御用? 今日俺たちは夫婦となり初めての夜なのだから、言わなくても分かるだろう」 ガウン姿のマーティンを見て、アメリアはため息を吐いた。「そういった事には応じないと申し上げたはずです」
アメリアの毅然とした態度にルーベンは瞬いた。 ルーベンは結婚して仕舞えば彼女も彼の価値に気がつき、自分のモノに自然となると思っていたのだ。「強情だな。そこまで行くと頑固を通り越して、ツマラナイ女と言われないか?」
「私はツマラナイ女ですよ。だから、マーティン公爵殿下も私の事は放っておいてください」 ルーベンの挑戦的な視線を受け流しながら、彼女は羽ペンを動かし続ける。 彼は自分が相手にもされない事に腹を立てて、彼女の手を止めるべくその手を握った。その拍子に彼女の手から羽ペンが離れ床に落ちる。「マーティン公爵殿下ではなく、ルーベンと呼べ! アメリア、君はさっきから何を書いて⋯⋯」
ルーベンはアメリアの手元を見て、胸が詰まった。 彼女はひたすらにカレブが心を伝える為の手段を作っていたのだ。「カレブ様の身に何が起こったのか⋯⋯ルーベン⋯⋯あなたの口から聞かせては頂けませんか?」
アメリアに名前を呼ばれた瞬間、ルーベンは感じた事のないような昂りを感じた。どうしても彼女を自分のモノにしたいと衝動的に強く思った。「それは⋯⋯君が今宵俺のものになるというなら伝えるとしよう」
「では、結構です。私はカレブ様自身から聞きますから。すみません。今晩中にやりたい事があるので、自分の部屋に戻ってくれますか?」アメリアは面倒そうに言い放つと床に落ちた羽ペンを拾い、またカードを作り出した。
ルーベンは自分が恥をかかされたような気分になりながらも、アメリアの底知れぬカレブへの愛情を羨んだ。その愛情を自分に向けられないかと彼は企みを巡らした。「俺の花嫁は子供が好きなのか? それならば、俺と子供を作れば良いではないか」
座っている彼女を後ろから柔らかく抱きしめながら、ルーベンは彼女の耳元で囁く。一見、女慣れしている男のする行動だが、彼は自分から女性にアプローチするのは初めてだった。彼は自分の部屋に1人戻る気にはなれなかったし、彼女の主張を聞いてやる必要もないと思っていた。
「子作りに関しては無しという契約だったはずです。私は自分の子が欲しいとも思ってませんし、ルーベンにも興味がありません」
ルーベンはふと彼女の左手の小指についている水色の小さな宝石がついているリングが目に入る。
彼が送ったダイヤモンドの婚約指輪もプラチナの結婚指輪も隣の薬指にはない。「これはアクアマリンか?」
彼は彼女の手をとって灯りに掲げながら呟く。 「いいえ、ガラス玉です。亡くなった母が昔、露天で買ってくれたものです。今ではこの指にしか入らないのですけれど⋯⋯」彼女は慈しむように指輪を見つめていた。
結婚当日に結婚指輪を外すような女が子供がつける遊びの指輪を大切そうにしている。彼は自分の左手の薬指につけている結婚指輪を見つめているうちに沸々と怒りが湧き上がるのを感じた。 頭に血が昇ったルーベンは彼女の唇に無理矢理自分の唇を押し付けていた。彼女はそれを面倒そうに受け入れた後、そっと彼を引き剥がす。その何も感じていないような態度は彼のプライドを少なからず傷つけた。 「もう、いいですか?」 冷ややかに告げられた彼女の言葉は彼に死刑宣告のように届いた。 「ああ、邪魔したな」 ルーベンは震える声で、そう返すのが精一杯だった。アメリアは前世から潔癖で頑固な女だった。
彼女は前世でも自分の主張は少しも曲げずに、夫に歩み寄る事はなかった。 そのような彼女の確固たる姿勢が、前世でも離婚原因の1つだったと彼女は知らない。アメリアはノックの音と共に、気まずそうに焦茶色のおかっぱ髪に黄緑色の瞳をしたメイドが入ってくる事に気がついた。
アメリアが窓の外を見ると、既に日が昇っていることに気がつく。
時間が過ぎるのを忘れて、カレブへの教材を作っていた自分に呆れてしまった。「奥様、昨晩は⋯⋯」
メイドが気まずそうに洗面の為のぬるま湯が入った桶を渡して来た。「ありがとう。もしかして、初夜がなかった事を心配してくれている? これからも、私の部屋でルーベンが過ごす事はないから気にしないで。この結婚はそういう契約に基づいた結婚なの。ところで、貴方の名前はなんとおっしゃるの?」
「クロエです」 名前を尋ねられた事もお礼を言われる事も初めてだったクロエは胸に温かいものが流れてくるものを感じ食い気味に返事をした。「クロエ⋯⋯咲き誇る若い緑を意味する素敵な名前ね。貴方の優しそうな雰囲気にぴったりだわ。これから宜しくね」
アメリアの言葉にクロエは思わず頬を染めた。
7年もの間、表には出せない隠し事をし暗い雰囲気を持っていたマーティン公爵邸に新しい風が吹き込んで来ていた。舞踏会会場は通常よりも薄暗い照明になっていた。少女趣味ローズパレスとは異なり、内装は非常にシンプルで大人っぽいシックなものに統一されていた。 オーケストラではなくカルテットが静かな曲を演奏している。 仮面を身に付けた男女が体をピッタリつけて踊っては、沢山ある個室へと消えて行った。 アメリアは急に不安になった。 目元だけ隠した仮面を付けて、明らかにふしだらな事を目的とした場所に来てしまったのだ。 その事が露見した時に、このリンド王国で足場を固めようとしているカレブの足を引っ張るような気がした。「オリビア⋯⋯私、見学は終わりましたので、ここで失礼しようかと⋯⋯」 オリビアに話しかけると、彼女は真っ黒な仮面を付けた銀髪の男の手を取ろうとしていた。「ここで、名前を呼ぶのは禁止よ。楽しみなさい。いつもの自分ではない、他の誰かになれるのよ。自分を解放するのって、気持ち良いわよ! 少しはその頑丈な殻を破って楽しむ事を覚えないと、いつか貴方は爆発しちゃうわよ」 オリビアは軽やかにそう言い残して見知らぬ銀髪の男に連れられ、体を密着させてダンスを踊る。アメリアはその姿を見ながら、自分には絶対にできないと思った。(ルーベン、会いたい、ルーベン⋯⋯) 決してここにいるはずのない夫の名前をアメリアは頭の中で繰り返してアメリアは騒めく心を落ち着かせ冷静を保とうとした。 アメリアはジロジロと仮面越しに自分を見てくる男の視線に不安になり、後ずさる。壁にゴンと頭をぶつけた所で、痛さに自分の現在の状況を落ち着いて見られるようになった。 オリビアに馬車で会場まで連れて来られたが、ここは彼女の特権区域の中でも奥まった場所にある。真っ暗な中、馬車で目的地まで来てしまったので1人で歩いて帰れる自信がない。「美しいご令嬢、私と踊って頂けませんか?」 目の前に来た茶髪に白い仮面を付けた男の言葉にアメリアは反射的に勢いよく首を振った。 ダンスを1曲踊ったら、個室に連れて行かれるのがこの場所のルールである事が分かったからだ。 好奇心など消え失せ、アメリアを恐怖心が襲う。
鈴蘭邸から仮面舞踏会の会場へはそれなりに距離があるので、馬車で向かった。王族の紋章のない地味な焦茶色の馬車は、オリビアが他の招待客に紛れ身分を隠す為だという。「アメリア・マーティン、私、貴方が全く理解できないわ。結婚は子供を産む為にするものでしょ。結婚したけれど、子供を産まないなんて信じられない。マーティン公爵はカレブの父親だから美しい方なんでしょうけれど、カレブみたいな面倒な子がついてきてまで結婚したかったの?」「私は、ルーベン・マーティンに実家の借金を返して貰う為に結婚しました」 アメリアは正直に結婚理由を伝えたのに、オリビアには笑われてしまった。「そんな理由ってあるのね? その程度の気持ちなら、カレブと結婚してあげたら? カレブならしっかりしているから、継続して貴方の実家の面倒も見てくれると思うわよ。私がこのような事を言ったのは秘密にして欲しいんだけど⋯⋯」 オリビアが言い難そうにしているのを見て、アメリアは自分も不器用だが彼女はもっと不器用で損な性格をしていると思った。思い遣りに溢れている自分をなぜか彼女は必死に隠そうとする。「秘密にしますわ。今晩の仮面舞踏会への参加も含めて秘密にします」 アメリアの微笑みを見て、オリビアは一呼吸おいて、語り始めた。「カレブが貴方を好きなのは純粋な恋というものに、父親へ憎しみとか複雑な思いが混じっている気がするの。自分の母親を助けてくれなかったのに、すぐに他の女を娶って夢中になっている父親をどんな思いでカレブが見つめていたのか⋯⋯」「オリビア王女殿下の言う通りかもしれません。気持ちに寄り添ってくれる優しいお義姉様がカレブの側にいて安心しました。私が帰国してもカレブを宜しくお願いします」 アメリアは罵り合っていても、オリビアがカレブの事を考えてくれている事に安堵した。「私にはカレブなんかの気持ちなんて正確には分からないわよ。ただ、私も同じような経験があって、ウィラード国王陛下を憎んだことがあったから⋯⋯とにかく、アメリア・マーティンは別にマーティン公爵殿下が好きな訳ではないのよね。だったら、カレブの側にいることを選択してくれても良いのに⋯⋯」 ア
パアン! その時、カレブがオリビアの頬を叩いた音が部屋に冷たく響いた。「アメリアとあの人は『白い結婚』だ。アメリアは誰にも穢されてなどいない! 彼女は義姉上のような女が侮辱して良い方ではないんだ」 オリビアが頬を抑えながら、アメリアを見る。 その瞳が戸惑いと寂しさに揺れていて、アメリアは彼女が心配で胸が詰まった。 アメリアの慈愛と同情に満ちた視線は、少なからずオリビアのプライドを傷つけた。 オリビアはカレブを見据えると、再び強く攻撃的な言葉を吐く。「リンド王国の王妃は出産を大衆で公開するのよ。誰にも穢されてもいなかった貴方の大好きな人は、貴方のせいで大衆に穢されるの! それで、壊れるのよ! 私の母のように」「王族の生まれを公開する神聖な儀式で、イライザ王妃が心を壊したのは義姉上が女だったからだろう。恥をかかされた挙句、産んだのが女だったら誰だって失望する」 アメリアはリンド王国が王族の出産を公開していることは知識として知っていた。自分は出産を経験した事がないが、それを大衆で公開する事は死ぬ程恥ずかしいと想像できた。 リンド王国の王妃でオリビアの母親であるイライザ・リンド。彼女は今、ウィラード国王に不妊になる毒を盛った罪で塔に幽閉されている。一夫多妻制のリンド王国でウィラード国王は5人の妻を持ったが、オリビア王女の後にウィラード国王の子が生まれる可能性は無くなった。 他国でも自分の子に王位を継がせたいと側室に毒を盛る女はいる。 しかし、夫である国王に毒を盛ったのは後にも先にもイライザ・リンドだけだ。 国王に王妃が不妊になる毒を盛るという前代未聞の醜聞は、狂った王妃の所業として取り上げられた。 アメリアは最初にそのニュースを聞いた時には悪しき風習の恐ろしさを感じただけだったが、今は違う感想を持っている。「イライザ王妃殿下は、壊れていないと思います。自分が嫌だった事を他の女性にはさせたくなかった優しい方なのではないでしょうか⋯⋯」 アメリアは会ったこともないイライザ・リンドに思いを馳せていた。 オリビアは関わってみると、他
後続の馬車から降りてきたクロエが小走りで近付いてくる。「カレブ様! 不敬にもお話が聞こえてしまった事をまずはお詫びさせてください。カレブ様さえ宜しければ、私がオリビア王女殿下の元へアメリア様をお連れ致します。お茶会が終わり次第、離宮の鈴蘭邸にご案内しておきます」「お気遣いありがとう、クロエ! ここに来るのは初めてだから、道案内をしてくれると本当に助かるわ。では、また後でね、カレブ」 アメリアは問答無用とばかりにカレブに手を振る。 その姿に彼女の頑固さを知っているカレブは諦めの表情を浮かべた。「ウィラード・リンド国王陛下への挨拶を終わらせたら、すぐに僕が迎えに行くよ。気をつけてくれ、あの女は毒針を持った嫌味な女だ」「どんな毒針か楽しみだわ」 アメリアは余裕の笑みを向けて、クロエに案内を頼んだ。 高い塀に囲まれた門の前に到着すると、クロエは大きく深呼吸した。 ここが王宮の前とは信じられない程、隔離された空間だ。「この門を潜って緑のアーチをずっといくと、ローズパレスです。この敷地内にある庭も劇場も舞踏会などが行われるホールも全てオリビア王女殿下の持ち物です。招待された人間以外はこのアーチを潜る事を許されていません。私はここでお待ちしています」「ありがとう。クロエ」 アメリアの軽やかな笑顔とは真逆にクロエの表情は固かった。 緑のアーチを潜って100メートル程行ったところで、腰までのウェーブのかかった金髪を靡かせてくる紫色の瞳をした泣きぼくろのある色っぽい女性が歩いてくるのが分かった。 クリーム色のドレスを着た一目で分かる高貴さを持った彼女の正体を、アメリアは肖像画を見て知っていた。婀娜っぽい印象の彼女は、健やかで清廉な雰囲気を持ったアメリアとは対極の女性だ。「オリビア・リンド王女殿下に、アメリア・マーティンがお目にかかります」 アメリアが優雅にゆっくりとお辞儀をすると、オリビアは彼女を見下すような目で意地悪そうに笑った。「成る程、厳しく採点してしようとしても、減点する箇所が見つからないくらい美しいわね。貴方がリンド王国の
もうすぐ夏だと言うのに、リンド王国はガルシア王国に比べ涼しかった。 地理的にもリンド王国はガルシア王国の北に位置する。 このホテルは見晴らしの良い丘にある街の中に建っていたから、高地であることもあり風が強い。 アメリアが震え上がるとカレブは彼女をより強く抱き寄せた。「街灯が付いてて街も明るいのに、誰も人が外に出てないのね」「この時間は外出禁止命令を出したから、僕とアメリアの2人きりだよ。まるで、この世界に2人だけみたいだね。本当にそんな世界があったら良いのに⋯⋯」 うっとりと語ってくるカレブにアメリアはまた不安になった。 アメリアはリンド王国の法律に関する絶対的な法則を思い出した。この国において、王族は絶対的な存在だ。法律だけでなく、多くの法令も鶴の一声で覆せる発言権をリンド王国の王族は有している。 アメリアは街を貸切するような状況を楽しめる性格ではなく、恐縮してしまうタイプだった。その贅沢を当たり前のように享受できるカレブは生まれながらに王族の血を引いている。 真夜中に銀色の月だけが浮かんで、2人を見ている。 ふとホテルを囲む泉に映る自分たちを見ると、知らない人が見たら恋人同士に見えるのだろうとアメリアは思った。(籍が抜けようと、カレブはずっと私の大切な子だわ) 隣にいるカレブの顔を見上げると、彼がずっとアメリアを見つめていた事に気がついた。「アメリア、僕が君をどれだけ恋しく思っていたか分かる?」「私だって、カレブが恋しかったわ。ずっと貴方に会いたくて堪らなかった」 アメリアはカレブがいなくなってから、体の半身を奪われたように生きた心地がしなかった。前世に多くの子と関わってきても、「自分の子供」と接するのは初めてだった。それゆえ、アメリアにとってカレブは特別な存在だった。 「アメリア、僕は本当にずっと君のことが⋯⋯」 カレブがアメリアの頬に手を添え顔を近づけた瞬間、彼女の目にカレブの後ろを通る鉄の棒を地面に差し込む灰色の作業服を着た人が見えた。「あっ、あの方は!」「アメリア⋯⋯それは、その内分
「アメリア、何を読んでるの?」 カレブが興味深そうにアメリアの手元を覗く。 その姿は先程の選り好みしている彼とは違い好奇心旺盛の子供のようだった。「リンド王国についての本よ。ガルシア王国とは全く異なる文化を持っているようだから失礼がないように学んで置かないと」「アメリアは本当に真面目だな。王族の僕と一緒にいればアメリアが注意される事はないのに」「注意をされるとか、されないと言った問題ではないの。カレブと一緒にいる私がマナー違反をしたら貴方が恥をかくわ。それに、カレブが暮らしている国を知りたいのよ」 アメリアが微笑みながら言った言葉は、カレブの心を満たした。彼は毎日のように持ち歩いているガルシア王国の書式の離婚届をアメリアの前に差し出す。毎日のように見せられるそれにアメリアは脱力しため息を吐いた。 「アメリア、今日こそは離婚届を書いてくれる? 僕はアメリアの為を思ってあの人から離れた方が良いと言ってるんだ。僕はアメリアには幸せになって欲しい。母上のように不幸にはなって欲しくはないんだ」 カレブがルーベンがグレースを不幸にしたと思っている事にアメリアは反論したかったが我慢した。「一緒に手紙も同封しても良いなら⋯⋯離婚届を書くわ」 カレブが毎日何度も離婚届を書くよう言ってくるので、アメリアは自分の欄だけ署名してカレブに渡した。彼女はこれ以上、彼がルーベンを悪く言うのを聞きたくなかった。 カレブは離婚届に記載されたアメリアのサインを見て満足したよう声を弾ませた。「これは、僕が責任を持ってマーティン公爵邸に送っておくね。はぁ、これでやっとひと段落だ。⋯⋯アメリア、ゆっくりで良いから僕を見て欲しい」 カレブはアメリアの頬に軽く口付けを落とすと、足取り軽やかに部屋を出て行った。「私はいつも貴方を見てるわ、カレブ⋯⋯」 アメリアが苦々しい思いで呟いていたのを彼は知らない。 彼女はベッドサイドのサイドテーブルに置いてあるリンド王国の新聞を手に取り、その日付にため息をついた。ルーベンに黙ってマーティン公爵邸を出てから、もう1ヶ月以上も経過していた。