LOGINアメリア・デイビスはグレース・マーティン公爵夫人の葬儀で、年齢不相応の振る舞いをする子カレブと出会う。彼女はカレブを侮辱する言葉を吐く彼の父、ルーベン・マーティン公爵を衝動的に引っ叩いてしまった。ルーベンはアメリアに興味を持ち、彼女を脅して結婚する。アメリアの生真面目な不器用さを愛おしく思うルーベンと、献身的に真っ直ぐ自分に向き合ってくれる彼女に惹かれてしまうカレブ。恋に疎いアメリアは執着とも言える2つの愛に翻弄されていく。
View More舞踏会会場は通常よりも薄暗い照明になっていた。少女趣味ローズパレスとは異なり、内装は非常にシンプルで大人っぽいシックなものに統一されていた。 オーケストラではなくカルテットが静かな曲を演奏している。 仮面を身に付けた男女が体をピッタリつけて踊っては、沢山ある個室へと消えて行った。 アメリアは急に不安になった。 目元だけ隠した仮面を付けて、明らかにふしだらな事を目的とした場所に来てしまったのだ。 その事が露見した時に、このリンド王国で足場を固めようとしているカレブの足を引っ張るような気がした。「オリビア⋯⋯私、見学は終わりましたので、ここで失礼しようかと⋯⋯」 オリビアに話しかけると、彼女は真っ黒な仮面を付けた銀髪の男の手を取ろうとしていた。「ここで、名前を呼ぶのは禁止よ。楽しみなさい。いつもの自分ではない、他の誰かになれるのよ。自分を解放するのって、気持ち良いわよ! 少しはその頑丈な殻を破って楽しむ事を覚えないと、いつか貴方は爆発しちゃうわよ」 オリビアは軽やかにそう言い残して見知らぬ銀髪の男に連れられ、体を密着させてダンスを踊る。アメリアはその姿を見ながら、自分には絶対にできないと思った。(ルーベン、会いたい、ルーベン⋯⋯) 決してここにいるはずのない夫の名前をアメリアは頭の中で繰り返してアメリアは騒めく心を落ち着かせ冷静を保とうとした。 アメリアはジロジロと仮面越しに自分を見てくる男の視線に不安になり、後ずさる。壁にゴンと頭をぶつけた所で、痛さに自分の現在の状況を落ち着いて見られるようになった。 オリビアに馬車で会場まで連れて来られたが、ここは彼女の特権区域の中でも奥まった場所にある。真っ暗な中、馬車で目的地まで来てしまったので1人で歩いて帰れる自信がない。「美しいご令嬢、私と踊って頂けませんか?」 目の前に来た茶髪に白い仮面を付けた男の言葉にアメリアは反射的に勢いよく首を振った。 ダンスを1曲踊ったら、個室に連れて行かれるのがこの場所のルールである事が分かったからだ。 好奇心など消え失せ、アメリアを恐怖心が襲う。「わ、私は見学に来ただけなので」 「見学? ここは初めてですか? 初々しいですね。実に可愛らしい。私が手取り足取り楽しみ方を教えて差し上げますよ」 アメリアを強引に抱き
鈴蘭邸から仮面舞踏会の会場へはそれなりに距離があるので、馬車で向かった。王族の紋章のない地味な焦茶色の馬車は、オリビアが他の招待客に紛れ身分を隠す為だという。「アメリア・マーティン、私、貴方が全く理解できないわ。結婚は子供を産む為にするものでしょ。結婚したけれど、子供を産まないなんて信じられない。マーティン公爵はカレブの父親だから美しい方なんでしょうけれど、カレブみたいな面倒な子がついてきてまで結婚したかったの?」「私は、ルーベン・マーティンに実家の借金を返して貰う為に結婚しました」 アメリアは正直に結婚理由を伝えたのに、オリビアには笑われてしまった。「そんな理由ってあるのね? その程度の気持ちなら、カレブと結婚してあげたら? カレブならしっかりしているから、継続して貴方の実家の面倒も見てくれると思うわよ。私がこのような事を言ったのは秘密にして欲しいんだけど⋯⋯」 オリビアが言い難そうにしているのを見て、アメリアは自分も不器用だが彼女はもっと不器用で損な性格をしていると思った。思い遣りに溢れている自分をなぜか彼女は必死に隠そうとする。「秘密にしますわ。今晩の仮面舞踏会への参加も含めて秘密にします」 アメリアの微笑みを見て、オリビアは一呼吸おいて、語り始めた。「カレブが貴方を好きなのは純粋な恋というものに、父親へ憎しみとか複雑な思いが混じっている気がするの。自分の母親を助けてくれなかったのに、すぐに他の女を娶って夢中になっている父親をどんな思いでカレブが見つめていたのか⋯⋯」 「オリビア王女殿下の言う通りかもしれません。気持ちに寄り添ってくれる優しいお義姉様がカレブの側にいて安心しました。私が帰国してもカレブを宜しくお願いします」 アメリアは罵り合っていても、オリビアがカレブの事を考えてくれている事に安堵した。「私にはカレブなんかの気持ちなんて正確には分からないわよ。ただ、私も同じような経験があって、ウィラード国王陛下を憎んだことがあったから⋯⋯とにかく、アメリア・マーティンは別にマーティン公爵殿下が好きな訳ではないのよね。だったら、カレブの側にいることを選択してくれても良いのに⋯⋯」 アメリアはルーベンが好きではないと言われて、その通りだとは返せなかった。自分はルーベンに惹かれ始めていた気はする。ルーベンに対しては自分の知らな
パアン! その時、カレブがオリビアの頬を叩いた音が部屋に冷たく響いた。「アメリアとあの人は『白い結婚』だ。アメリアは誰にも穢されてなどいない! 彼女は義姉上のような女が侮辱して良い方ではないんだ」 オリビアが頬を抑えながら、アメリアを見る。 その瞳が戸惑いと寂しさに揺れていて、アメリアは彼女が心配で胸が詰まった。 アメリアの慈愛と同情に満ちた視線は、少なからずオリビアのプライドを傷つけた。 オリビアはカレブを見据えると、再び強く攻撃的な言葉を吐く。「リンド王国の王妃は出産を大衆で公開するのよ。誰にも穢されてもいなかった貴方の大好きな人は、貴方のせいで大衆に穢されるの! それで、壊れるのよ! 私の母のように」 「王族の生まれを公開する神聖な儀式で、イライザ王妃が心を壊したのは義姉上が女だったからだろう。恥をかかされた挙句、産んだのが女だったら誰だって失望する」 アメリアはリンド王国が王族の出産を公開していることは知識として知っていた。自分は出産を経験した事がないが、それを大衆で公開する事は死ぬ程恥ずかしいと想像できた。 リンド王国の王妃でオリビアの母親であるイライザ・リンド。彼女は今、ウィラード国王に不妊になる毒を盛った罪で塔に幽閉されている。一夫多妻制のリンド王国でウィラード国王は5人の妻を持ったが、オリビア王女の後にウィラード国王の子が生まれる可能性は無くなった。 他国でも自分の子に王位を継がせたいと側室に毒を盛る女はいる。 しかし、夫である国王に毒を盛ったのは後にも先にもイライザ・リンドだけだ。 国王に王妃が不妊になる毒を盛るという前代未聞の醜聞は、狂った王妃の所業として取り上げられた。 アメリアは最初にそのニュースを聞いた時には悪しき風習の恐ろしさを感じただけだったが、今は違う感想を持っている。「イライザ王妃殿下は、壊れていないと思います。自分が嫌だった事を他の女性にはさせたくなかった優しい方なのではないでしょうか⋯⋯」 アメリアは会ったこともないイライザ・リンドに思いを馳せていた。 オリビアは関わってみると、他人に対する共感力の非常に強い子だと思った。 自分がどう人に思われているかにも、とても敏感な繊細な子だ。 そんな彼女が彼女の母親であるイライザ・リンドの鏡だとしたら⋯⋯。
後続の馬車から降りてきたクロエが小走りで近付いてくる。「カレブ様! 不敬にもお話が聞こえてしまった事をまずはお詫びさせてください。カレブ様さえ宜しければ、私がオリビア王女殿下の元へアメリア様をお連れ致します。お茶会が終わり次第、離宮の鈴蘭邸にご案内しておきます」「お気遣いありがとう、クロエ! ここに来るのは初めてだから、道案内をしてくれると本当に助かるわ。では、また後でね、カレブ」 アメリアは問答無用とばかりにカレブに手を振る。 その姿に彼女の頑固さを知っているカレブは諦めの表情を浮かべた。「ウィラード・リンド国王陛下への挨拶を終わらせたら、すぐに僕が迎えに行くよ。気をつけてくれ、あの女は毒針を持った嫌味な女だ」「どんな毒針か楽しみだわ」 アメリアは余裕の笑みを向けて、クロエに案内を頼んだ。 高い塀に囲まれた門の前に到着すると、クロエは大きく深呼吸した。 ここが王宮の前とは信じられない程、隔離された空間だ。「この門を潜って緑のアーチをずっといくと、ローズパレスです。この敷地内にある庭も劇場も舞踏会などが行われるホールも全てオリビア王女殿下の持ち物です。招待された人間以外はこのアーチを潜る事を許されていません。私はここでお待ちしています」 「ありがとう。クロエ」 アメリアの軽やかな笑顔とは真逆にクロエの表情は固かった。 緑のアーチを潜って100メートル程行ったところで、腰までのウェーブのかかった金髪を靡かせてくる紫色の瞳をした泣きぼくろのある色っぽい女性が歩いてくるのが分かった。 クリーム色のドレスを着た一目で分かる高貴さを持った彼女の正体を、アメリアは肖像画を見て知っていた。婀娜っぽい印象の彼女は、健やかで清廉な雰囲気を持ったアメリアとは対極の女性だ。「オリビア・リンド王女殿下に、アメリア・マーティンがお目にかかります」 アメリアが優雅にゆっくりとお辞儀をすると、オリビアは彼女を見下すような目で意地悪そうに笑った。「成る程、厳しく採点してしようとしても、減点する箇所が見つからないくらい美しいわね。貴方がリンド王国の人間なら今すぐ地下牢行きにしてるわ」 オリビアは自分より美しい女は地下牢に入れるという噂がある女だ。 当然、根も歯もない噂だとアメリアは思っていたが、王族の決定が全てであ
「小さな水溜まりみたいな指輪を見なかった? 子供のおもちゃみたいな指輪なんだけれど⋯⋯」 アメリアはその日屋敷中の使用人に聞いて回った。 朝、目が覚めたら小指に嵌めていた母親の形見の指輪がなくなっていたのだ。「お母様との思い出の品ですよね。絶対に見つけ出します」 アメリアの信頼するメイドのクロエは床に這いつくばるようにして指輪を探していた。 ベッドの下に潜り込むようにしてまで必死に指輪を探すクロエにアメリアは申し訳なくなった。「もう、いいわ! クロエ! あの指輪はそんな高価なものでもないし良いのよ。本当に
カレブが部屋でいつも1人で食事をしていると聞き、アメリアは彼を連れ出した。 ダイニングルームに行くと、既に着席しているルーベンがアメリアと手を繋いで入って来るカレブを睨みつける。 その冷ややかな視線からカレブを守ように、アメリアは自分の隣にカレブの席を用意した。「おはようございます。ルーベン。今日は日差しが強そうですね」 少し眩しそうにしたアメリアを見て、ルーベンはメイドにカーテンを閉めるように伝えた。 彼女が微笑みで彼に礼を言うと、彼は気まずそうに目を逸らす。 前菜としてパテとサラダの付け合わせが運ば
「失礼致しました。マーティン公爵殿下の頬にアブラムシが付いていたもので⋯⋯」 アメリアは気まずそうに俯いたが、その顔を無理やりルーベンは上げさせ目を合わせさせた。ルーベンは明らかに不敵な笑みを浮かべていて、彼女は困惑した。「借金まみれの貧しい男爵家の令嬢風情がやってくれるじゃないか。決めたぞ! アメリア嬢、俺と結婚しろ。そうすれば今回の暴行の件は不問にしてやる」 冷たく言い放つルーベンに、彼女は思わず彼が自分の頬に添えている手を払った。「私はカレブ公子様の助けにはなりたいと思いますが、マーティン公爵殿下と結婚はしたくありません」「断れば、君の家を潰す。家族を路頭に迷わせたくないだろ
恋は落ちるもの。 アメリア・デイビス男爵令嬢は恋も愛も知らなかった。 現在18歳のライラック色の腰までのウェーブ髪に透き通るアクアマリンのような空色の瞳をした彼女は人目を引く美しい令嬢だ。 彼女には前世の記憶があった。 前世で彼女は臨床心理士だった。 彼女は仕事で多くの障がい児に関わってきた。 「障がいのある子ども」がいる事で仲違いする夫婦も見てきた。 彼女は子供を持つことを恐れた。 自分が結婚しても子供を持ちたくないとお見合い結婚したパートナーには伝えた。 納得してもらったはずの条件は5年経つと離婚原因となった。 1人になった彼女は、生き辛さを抱えた子たちと関わる